フィアナの気持ち
シルアがフェルシウダーに到着して早十五日が経過しており、その日数はつまり二人が共に過ごした時間でもある。
暦は王の月の十三日。シルアはまだ知る由もないが、遥か遠くアスタード大陸南西では、ビフレスト教国が魔神軍の攻撃を受けて前日に滅亡していた。
そんなある日のこと。
空が僅かに白み出す夜明け前でも、フェルシウダーの朝は始まる。正確にはフェルシウダー南部の貧民街の朝は始まる、だ。
早朝からぼろぼろになった案山子に何百何千と繰り返し木剣や木槍が打ち込まれる光景は、この街の風物詩とも言える。
フィアナとシルアも目を覚ましており、シルアは既に朝食の準備に取り掛かっていた。これもフィアナの家では当たり前の光景になっている。
手際よく準備を進めるシルアの後ろで、フィアナは落ち着き無く家の中を歩く。歩きながらわざとらしく咳をしてみたり、明らかに様子がおかしい。
「さあ、出来ましたよ」
シルアは食卓にブルーニャと芋のスープ、市場で購入した川魚を串焼きにした物を並べる。
いつもなら並べた瞬間にがっつくフィアナが手をつけない事に、流石に訝しんだシルアが訊ねる。
「どうかしましたか?」
この一言を待っていたのか、重たそうな口をようやく開く。
「あー、いや、大したことじゃないんだが」
「何でも言ってください。僕にできる事でしたら何でもやりますよ」
恐らく今一番言ってほしい言葉を選んだはず。シルアはフィアナの次の言葉を引き出した。
「そうか? そうだな。あのさ、今日は、その……気晴らしに出掛けないか?」
極力平静を装うフィアナだが、しどろもどろで動揺が手に取るように伝わってくる。
出掛ける? そんな事を言いたかったのか?
「構いませんが、何でまた急に?」
もう少し掘り下げようと疑問符をぶつける。
「いや、最近仕事の依頼も増えて、纏まったお金も入ったし、ちょっとくらい羽伸ばしてもいいかなって」
「いいと思いますよ。フィアナが自分の力で手にした報酬です。好きな事に使うといいでしょう」
暗に一人で行く事を促すシルアに、フィアナは慌てて言葉を足した。
「あ、ほら。元はと言えば仕事を貰えるようになったのはシルアのお蔭だし、いや、私の実力なのだが、まあとにかく二人でどうだ?」
「つまりデートのお誘いですか?」
「なっ!?」
フィアナの小麦色の肌に一気に朱色が刺す。
「ば、バカ言うな! 奉公人にたまには褒美をと思っただけだ! 嫌なら別に!」
「いいですね。行きましょう」
「は、初めからそう言え! ばか」
フィアナの顔は耳まで真っ赤になっており、フィアナは耳の内側からごうごうと爆音が聞こえるような気がしたが、それは恥ずかしさから自分の血液が沸騰する音だった。
フィアナの口調は怒りから来る荒っぽさではなく、照れ隠しによるもの。
シルアはそんなフィアナを見てくすりと笑う。
「王都に行きたいですねぇ。実はちょっとやりたいことがありまして」
「王都か、今から出れば昼過ぎには着くな。よし! 早速出発しよう! そのやりたいことをやらせてやるからな!」
紅潮した顔はそのままだが、嬉しそうな笑みを浮かべて張り切るフィアナに、シルアは自分に対する好意を感じた。
信頼を得る為の工作活動だったが、どうやら想定外の感情も引き寄せてしまったようだ。
だが不都合ということもなく、王都に行きやりたい事があるのは事実であり、この度の誘いは好都合とも取れる。
いいですよ、フィアナ。デートを楽しみましょう。いつも強情な貴女が見せる今の笑顔、それを悲しい顔にしたくはありませんからね。
やはりシルアの中にあるのは冷たい感情だった。しかし、義務を果たそうとする気持ちとはまた違う、淡い感情が片隅に留まっていることにシルアは違和感を抱く。
任務を遂行するには邪魔なまとわり付くような温い感情。
シルアはその正体を深く探らず義務の念で一蹴した。
正規兵一〇〇〇〇人もいれば、数日あれば一人くらい事故に遭うかと思っていましたが、やはり待つのでは不確かで駄目ですね。行動は自ら起こさなければ。
フィアナは胸を撫で下ろしていた。
もの凄い緊張感だったし多少動揺してしまったが、何とか一緒に出掛けることができる。
シルアは年下だが、強いし頼りになる。そして優しい男だ。
この街にいるガサツで汚く粗暴な男とも、北の富裕街の金に物を言わせ他人を見下す傲慢な男とも違う。
正規兵になるのが目標と言っていたけど、ということはこの国で暮らしていくということだろうか。
柄にも無く浮かれ気味の自分を、客観的な自分が苦笑する。
だけど、今日明日の命の保証すらない世の中、後悔だけは残したくない。
捻くれた態度を改めることは正直難しいが、自分の心と素直に向かい合うことはできるはずだ。
初めて抱く、胸を満たす暖かさと一抹の不安が同居するこの感情。
そう、私はシルアが好きだ……。
黒い殺意と淡い桃色の恋心。
決して交配しない色彩が二つ、王都へと向かう。




