女傭兵の苦悩
戦士の街フェルシウダーの南側半分の貧民街。そこに住む者たちの暮らし振りは変則的である。
その特徴として、まずこの街に暮らす人々の殆どが傭兵を生業としている為、農工業共に生産力に乏しく、日々の食料は近隣の村から訪れる行商人に委ねられるところが大きいことが挙げられる。その他、狩猟による調達もあるが、魔物が現れた今では伴う危険度が収穫と見合わないこともあり、主流な方法ではなくなってしまった。
実際に狩猟の最中に魔物に殺される人は跡を絶たないし、フィアナがシルアに助けられたのも狩猟の最中のことであった。
また仕事がない日は一日のうちの殆どを闘いの稽古に費やしており、彼らにとって闘うことこそ仕事であり、生き抜くための手段である事がよくわかる。
そして、この貧民街で物資を得る為には市場で売られている物を買う事が前提なのだが、買う為のお金をどうやって得るかといえば、それこそが傭兵業ということになる。
傭兵業とは、傭兵ギルドに登録することで依頼主から護衛や討伐などの仕事を受け、成功報酬を依頼主から受け取るもののことをいう。
ギルドに一部斡旋量を支払うが、依頼をこなす事でギルドが定める傭兵ランクが上がり、また紹介文を作成してもらえれば、より多くの仕事を得ることができる。
特に魔物が出現して以降は、護衛の仕事を頼む商人が急増し、フェルシウダーの傭兵たちと商人は、お互いにとって有益な関係を構築している。
しかし、前述の通りこの街には傭兵を生業にしている者が圧倒的に多く、依頼主も命を預ける以上、ランクが高く実力に信用がある者から選ぶ。
至極当たり前の話ではあるが、こうなると新参の傭兵や実績の無い者などは仕事にありつけず、彼らは生活自体が困窮してしまう。
そして、新参者と無実績の者と並んで、依頼を申し込まれない筆頭に挙げられるのが女傭兵だ。
この日もフィアナはギルドに足を運び、斡旋屋に依頼はないかの確認をしたが、返事はいつもと変わらない。
女には命預けられないよ。依頼主の殆どが口を揃えて言う断り文句。
雇ってさえくれれば、働きは男にだって引けを取らない自信がフィアナにはあるが、雇ってもらえない以上、それを証明する事はできない。
苛立ちで表情を強張らせながら、フィアナは自宅の戸を開けると、中ではシルアが汁物を作り味見をしているところだった。
「あ、お帰りなさい。丁度今出来上がりましたよ」
「何だこれは?」
ぶっきらぼうに訊ねつつ剣を傍らに置き、テーブルを挟んでシルアの向かいに座る。
「ブルーニャと野うさぎのスープです。味付けは塩だけですが」
言いながら、フィアナの器に盛り「どうぞ」と差し出す。
一口啜ると、優しい塩味と肉の旨味が口の中に広がる。ブルーニャ特有のシャキシャキ感とほろ苦さ、そしてよく煮込まれて柔らい肉。
フィアナは黙々と食し、器を空にした。
「シルアは料理が上手いな。こんな旨いスープは初めてだよ。肉も久し振りに食べた」
ゆっくりと上品に食べるシルアは、賛辞に頬を綻ばせる。
「煮込んで塩を振っただけですよ。うさぎもたまたま見つけたんです。それより、元気ありませんね? またでしたか?」
「ふっ、ああ」
自嘲気味に笑うフィアナの器を受け取りスープをよそうと、温かい湯気が立ち昇った。
「女には用はないんだと。闘えば勝てる軟弱野郎が目の前で依頼を受けてるってのに、私には一声も掛かりゃしない」
鬱憤を晴らすかのように、一気にスープをかき込む。途中で一度噎せながらも、完食したフィアナは大きなため息を吐き大の字に寝そべった。
むき出しの腹筋には薄く縦横のラインが浮かび、引き締まった筋肉は確かな鍛錬の証だ。
「あーあ、何で女に生まれちゃったかなぁ。男だったらきっと今頃北の街で衛兵でもやってたのに」
「傭兵として生きる事は変わらないんですね」
「ああ。戦士としての誇りを私は失いたくないからね」
二人揃ってちらと笑った。
「差し支えなければ教えて欲しいのですが、フィアナはどうして傭兵をやっているのですか? もちろん戦士としての誇りはわかりますが、そもそもの誇りを抱くきっかけと言いますか……」
シルアはフィアナに興味を抱いている。フィアナから感じる確固たる意志、それはシルアにはないものであり自分自身で抱くことができない感情だった。
「ふっ。なんてことはないよ。私の両親が傭兵だったし、やれる仕事が他にはなかったから傭兵になったってだけさ。両親は私がまだ幼い時に合戦に従軍して戦死したけどね」
足を振り上げ、腹筋を使い勢いよく起き上がる。
「まったくバカな話さ。命あってなんぼの傭兵だってのに、死にそうになったら逃げりゃいいのさ。正規軍じゃあるまいし、敵前逃亡の戦犯なんかにゃならないんだ。ただ金が貰えないだけ」
「だけど、フィアナはそんな両親を尊敬し誇りに思っているんでしょう? 僕の勝手な推察ではありますが、ご両親はその時逃げられない理由があったのでは? 報酬を貰わなければならない理由が」
フィアナの表情に暗い影が落ちるのをシルアは見逃さなかった。その裏には後ろめたさと申し訳無さ、自分に対する怒りの感情が犇めいているのが見える。
「よせよせ。必要以上に美化するなよ。所詮は幼い子ども一人を残して、報酬も得られず死んでいった愚かな両親さ。ていうか、私ばっかり詮索するなよ。シルアはどうなんだ? 雰囲気や佇まいはどこぞのお坊ちゃんみたいだけど?」
「そんないい身分じゃありませんよ。闘うことのみを強要された悲しき宿命を背負った身です」
「何だそれ? 訳のわからないことを言うやつだな。あ、わかったぞ! 軍人の家系というわけだな?」
「いえ、僕には両親はいません」
「え?」
「少なくとも物心ついた時にはいませんでした。そもそもいたのかさえわかりませんが」
フィアナはバツが悪そうに口を結んでしまった。視線を泳がせ、芳しい語彙力で必死に言葉を探しているようだ。
「だから、僕たちは似ていますね。お互い大切な存在がいない、守るべき人がいない。こう言うと少し悲しいですけどね」
重苦しい事を明るく言うシルアにフィアナは思わず笑う。
「悲しいものか。世界には同じ境遇の人たちが沢山いるさ。それに、少なくとも私は同じ境遇の存在に出会えた。それだけでも救われるよ」
「それは僕のことですか?」
「他に誰がいる?」
優しく微笑むフィアナの笑顔が眩しい。
胸の奥に仄かな熱を感じる。今までに得たことのない感覚で、シルアにはそれが何なのかはわからない。
わからないが、闘わずとも側にいるだけで微笑んでくるフィアナが不思議だった。
「僕も、フィアナに出会えてよかったのだと思います。だから、両親から引き継いだ誇りを抱き、逃げずに闇の狼の群れに囲まれていてくれてありがとうございます」
暫し沈黙したフィアナだったが、テーブルに乗り出しシルアの顔を覗き込むと、いたずらっぽく笑った。
「一言も二言も余計なやつだなシルアは。誇りなんかじゃない、ドジ踏んじまっただけさ。ま、もっとも助けてもらわなくても問題なかったけどね」
文句を言いながらもフィアナはとても楽しそうだった。




