パウルの修行
ゴルゴダの丘に住む人々を救えず、無念の思いで丘を後にしたパウルたちは、ここからジール大公国へ向かうべく足を速めた。
しかし、どうあっても先を急いだグレンに追い付けるわけもなく、日も傾きかけたこともあり、三人は街道沿いにある宿屋に立寄ることにする。
ガレスの宿屋同様、建物が一軒ぽつんと佇み、目の前に馬を繋ぐための馬房、そして開業中を知らせる為の旗が静かな風に靡いている。
質素さでは互角だが、屋根のある馬房なだけこちらの方が馬には快適だろう。
木製のドアを開けると「らっしゃい!」と、大きな濁声が快く出迎える。
「え? 何で? ガレスさん!?」
パウルは我が目を疑う。
カウンターに立っている色黒で恰幅の良い、がさつそうな男は紛れも無くガレスその人だった。
ユリアも状況を理解できず目を瞬かせ、クリストも不思議そうに眉間に皺を寄せる。
「おう? ガレスを知ってんのか!? 俺はガレスの双子の兄でバレスだ! がっはっは!」
ガレスに瓜ふたつの宿屋の店主はバレスと名乗り、意味も無く笑い出す。そのがさつな笑い声まで全く同じ。
パウルは思わず感嘆のため息を漏らす。
「何だ、双子かよ。違いが全然分からねえや!」
「見た目はそっくりでも、店は俺の方がいいだろう?」
「店も大して変わらねえよ。その部屋の隅にある蜘蛛の巣までそっくり同じだ。まあいいや、三人で頼むぜ」
「おうよ! で、兄ちゃんよ、ガレスのとこはいくらなんだい?」
「あ? 金か? ガレスさんのとこは一人頭十五ジェニーだったぜ?」
「よし! じゃあうちは一人当たり十四ジェニーだ! うちの方がいい店だろう!? がっはっは!」
兄弟同士の謎の張り合いがあるらしく、パウルたちは苦笑いして金を支払うと、宿泊部屋に入った。
宿泊部屋もガレスの宿屋とほぼ同じで、大きなベットが二つあり、窓際には小さな机が一つと椅子が二つ。
机の上の花瓶には、色黒顎髭オヤジには似合わない可憐な花が飾られている。
「ユリア、あなたは今日はもう休みなさい。私が到着するまでに、マナをかなり使ったみたいね」
ユリアを気遣うクリスト。確かにユリアの顔色は悪く、いつも薄紅色をしている唇も、今は血色が悪く青っぽい色をしている。
ユリアも身体の不調を感じているらしく、その気遣いに疲れた笑みを浮かべ応える。
「あんたは今から修行よ。早いとこマナを視認できるくらいにならないと、これから先の闘いは話にならない」
「へっ! 望むところだぜ! すぐにマスターしてやらぁ!」
「だといいけど」
意気揚々と部屋を出ていくパウルと、いつもと変わらぬ静かな立ち振る舞いで後にするクリスト。
二人を見送ると、ユリアは重たい瞼を閉じて、柔らかなベッドに沈み込むようにその身を委ねた。
辺りが夜の闇に染まり、暑かった日差しもその日の役割を終え、月と出番を交代した頃。
「じゃあ、次に行くわよ」
「ああ、ようやくか」
かれこれ二時間以上瞑想していたパウルは、肩や首を回しながら立ち上がる。
クリストはまず、世界に遍く存在するマナを心を無にして感じ、身体の中にある器に溜め込まなければならない、と言った。
マナが見えず、存在を感じることができないパウルにとっては、正直意味を見出だせない修行だが、言われるがままとにかく瞑想に耽っていた。
「なあ、これで俺の器とやらには、マナが溜まったのかよ?」
「溜まってないわ」
「は?」
今の時間は何だったんだと、この修行に早くも疑念を抱くパウルだったが、クリストは至って冷静に言う。
「そんな一朝一夕であんたがマナを扱えるなんて思っていないわ。ラー大陸の人間たちは、およそ五〇〇年に渡ってマナの力を使わずに生きてきた。その間にマナを扱う超感覚的知覚、いわば第六感を失ってしまったのよ」
「ああ、そういえばエルザエヴォスがさらっとそんなようなこと言ってたな」
パウルは、ヴィデトの塔でエルザエヴォスが語っていたことを思い出す。
確か、長い間マナを使わずに来た為に、人間にはマナを溜める器だけが残り扱う能力を失ったと。
「でも、だとすると何でヨハンやユリアは、あっさりマナを扱う事ができたんだ?」
「類稀な才能があったか、もしくは何かしらのきっかけを得たのかは、それはわからない。ただ一つ言えることは、あんたには才能がない」
「ちっ、みなまで言うな。わかってんよ、そんなことは。さあ、次は何をすればいいんだ?」
クリストは、すっとパウルの目の前に人差し指を立てた。
その行動の意味がわからず、パウルは差し出された指とクリストの顔を交互に見る。
「やる事はさして変わらないわ。あんたは心を研ぎ澄ましてこの指を見つめなさい。私はこの指に定期的にマナを集めるから、それが見えたらこの指を掴んで」
「なるほどな。了解!」
「今はまだ何にも見えてないわね?」
「あん? ああ」
「ほら」
クリストの指先に小さな火が灯り、顔を近付けていたパウルは思わず仰け反り、尻餅をついた。
「な、なるほどな。既にマナは指に集まってたわけだ。よしっ!」
両手で顔を叩き、オールバックにしている長髪をかき上げる。
「いいぜ」
クリストは小さく頷いた。
パウルは眼球の毛細血管が破れるんじゃないか、というほど集中してクリストの指を睨んでいた。
睨み続けて早一時間。この間にもクリストは、度々マナを指に点しているらしいが、パウルにはちっとも見えてこない。
そんな代わり映えしない修行に、パウルは自然と飽きてしまい、関係ない事に思考を巡らせる。
綺麗な指だな、と。
しなやかに伸びる白魚のようなクリストの人差し指。先端の爪は艷やかなピンク色をしていて、細くやや丸みを帯びて尖る爪の根本には、はっきりとした爪半月が見える。
如何にも女性らしい指だと思う。
普段のクールで突慳貪な態度から女性らしさを感じなかったパウルだが、身長もパウルより頭一つ分は小さく、肩幅も狭い。
女性らしい身体の膨らみと締りが服の上からでも見て取れるし、顔は知的でいて端正で普通に綺麗だ。
美人だな、こいつ。
パウルの視線が指から外れている事に気付いたクリストは、指をデコピンをする形に折り曲げ、ぼーっとする鼻先を小突いた。
「いってぇ!」
鼻を抑えるパウルにクリストはため息を吐く。
「あんた、ちゃんとやる気あるの? いったいどこを見ているのかしら?」
「いや、綺麗な指だなと思ってよ」
「は?」
「マナを見えるようになろうと頑張って見つめてたんだけどよ、それ以前に、クリストの指が目茶苦茶綺麗なことに気が付いちまってさ。悪りぃ! 次はちゃんとやっから」
両手を顔の前で合わせて、謝罪のポーズを取るパウルだが、クリストは不機嫌そうな顔をして差し出していた指を反対の手で抑える。
踵を返し背中を向けるクリスト。
「真面目にやる気がないならもういいわ。私は宿屋に戻るから」
「えっ!? ちょいちょい、待ってくれよ! 修行付けてくれる約束じゃねえかよ!」
「一人でもできることを教えたでしょう? ちゃんと集中して、マナを感じて見えるようになることね。じゃあ」
そう言うとクリストは宿屋の方へ歩きだしてしまう。
一人残されたパウルは唖然としながらも、「ちっ、仕方ねえ」と呟き、教わった通りに瞑想を始めた。
暗闇の上、クリストはすぐに背中を向けてしまったので、不機嫌そうに唇を噛んだ顔が紅潮していたことに、パウルが気が付くことはなかった。




