大魔道士クリスト
ユリアの体内を駆け巡った悪寒と、瞬間的に頬を冷した冷気を感じたのはほぼ同時だった。
オルフェリアの拳がパウルの顔面に振り下ろされる正に直前、ユリアの感じた冷気の正体が、オルフェリアの腹部を貫いた。
「何っ!?」
腹部を貫通するほどの攻撃を受けても、瞬時に体制を立て直し狙撃してきた方向に警戒を向けるのは流石といえる。
「くっ、属性付与、厄介ね【属性打ち消し魔法】」
患部の壊死が始まる属性付与は水。厳密には氷の属性付与であり、オルフェリアは自分が何の攻撃を受けたのかその症状を見て理解した。
「優位に立つと遊びを入れる悪癖。直したほうがいいわね」
パウルたちがやって来た道から姿を現した女性を認識し、オルフェリアの顔が憎々し気に歪む。
全く、こうも短時間に険しい表情をする羽目になると、自慢の顔に皺ができてしまう。と、オルフェリアは辟易する。
現れたのは勇者たち同様、討ち取る候補の最右翼に位置する天空騎士にして、大魔道士クリスト。
手にする杖の先端からは、氷結魔法を使用した時特有の、空気が冷却された際に生じる水蒸気が立ち昇っている。
クリストはちらっとユリアとパウルを順に一瞥する。
ユリアは怪我をしている様子はないが、パウルの方は早急な回復が必要と理解した。
勝手に突っ走って勝手に死にかける。人間とはなんて馬鹿なのだろうと呆れつつ、いや、パウルが馬鹿なのだと思い直す。
そして闘いを長引かせないようにする方法を考え、あっさり思い付く。
その方法とは簡単だ。全力を尽くすのみ。
「【氷柱の雨】」
膨大なマナが瞬時に氷塊となり、オルフェリアに向かって五月雨の如く降り注ぐ。
属性打ち消し魔法を詠唱中のオルフェリアは片手を患部から離せず、残る片手でこちらも圧倒的速さで魔法による炎の壁を作り出す。
降り注ぐ氷柱は炎の壁に阻まれ、オルフェリアに届かない。かと思われたが、結果は違った。
降り注ぐ氷柱が突然溶けだし、水流となってオルフェリアの防御壁を突き破った。
「【氷柱の雨】」
そして再び襲う氷柱の雨。
「くっ! この女っ!」
炎の壁が破られ、身体に突き刺さる氷柱。それを今度はマナを防御幕とし防ごうとするが焼け石に水程度の効力でしかない。
オルフェリアの身体のあちこちに裂傷と凍傷が広がり、防御も属性打ち消し魔法も追い付かない。
オルフェリアは自分が招いたこの状況を歯噛みする。
怒りの感情を制することができず、愉悦の為に雑魚と踏んだ人間たちを時間を掛けていたぶってしまったこと。
それがクリストの奇襲を受ける原因を作り、挙句怒涛の攻勢の前に手も足も出ない状況となってしまった。
この女は感情に支配されない。効率を求め、最善の攻撃を仕掛け仕留める冷静さ。
敵にすると最も闘いにくく、そして気に入らない闘い方。忌々しい女め!
「はああっ!」
片手を塞いでいた属性打ち消し魔法を解除し、被弾覚悟で両手に強大な魔力を集めるオルフェリア。
追い付かない回復ならいっそない方がマシ。
オルフェリアの両手に紫電が発生し、瞬く間に膨張していく。
「地獄の雷を味わうがいいわ!【邪悪なる雷光】」
巨大な鯨が鰯の群れを呑み込むかのように、邪悪なる雷光が氷柱の雨をかき消し、勢いそのままクリストを襲う。
直後、クリストをも呑み込もうとしていた地獄の雷は霧散し、きらきらと風花のように舞い散る。
「あなたはやっぱり攻撃に転ずるわよね。オルフェリア」
「くっ! おのれ!」
オルフェリアの行動を先読みしていたクリストは、次の手を打つのも迅速だった。
強力な魔法で起死回生を図ろうとする目論みを読み切り、魔法分解による魔法を無効化する準備を進めていたのだ。
こうなれば勝ち目はない! オルフェリアは撤退すべく瞬間移動魔法の詠唱に入る。
「させない!」
クリストの周りに舞い散る膨大なマナは、極大魔法を唱えるのにも時間を要さなかった。
全てはクリストの掌の上の出来事。
瞬間移動魔法になど大した時間もマナも必要としない。にも関わらず、クリストの方がオルフェリアの行動を先回る。
オルフェリアが負ったダメージ、属性付与による行動力の減退もあるかもしれない。
何れにせよオルフェリアはこの時、信じがたい考えが頭を過る。
まさか、私が死ぬのか?
周囲を渦巻く斬撃の暴風は、オルフェリアの動きを止めるには十分であり、鋭く尖った螺旋が今まさに放たれた。
「終わりよ、オルフェリア。【翡翠の突風】」
そんな馬鹿な。この私がこんな所で、こんな女にっ!
オルフェリアの頭の中に絶望が広がり、信じたくない思考を迫り来る翡翠の槍が現実に変えようとしていた。




