矛盾
ヨハンはブラストと固い握手を交した。
ブラストの着る鎧には無数の傷が刻まれ、顔や腕などの露出した部分からは流血も見られる。
ヨハンが知ってる顔よりも今は幾分かやつれてもいるようだ。
「ヨハン、駆け付けてくれたこと感謝する。お前が来てくれなかったら俺達は間違いなく全滅していた。だが、部下たちは皆逝ってしまったよ」
「ブラスト殿のせいではない。この状況では仕方のないことだ」
「そうだな。部下たちは懸命に戦ってくれた。国を守る為、家族を守る為……くそっ! 国王め!」
憔悴しきった様子から憤怒の感情を滾らせるブラスト。その怒りは国王に向けられているようだった。
「ブラスト殿教えてくれ。一体何があったのか? これほどの防衛網がなぜこうも容易く破られたのか。砦によっては戦闘の形跡すらないところもあったようだが」
「ヨハンよ。この国はもう駄目だ。この国を守るべき王が国をお見捨てになられた」
ことの顛末をブラストから聞いたとき、ヨハンは絶句した。
王の命令は、まるでこの国をわざと滅亡させようとしているかのような、愚かしいものだったのである。
ヨハンは騎士大将に任じられる際に、王から直接賜った時のことを思い出す。
威厳があり、それでいて人徳溢れる顔立ちの名君だという印象を持った。
人物を見る目には自信のあるヨハンは、その王が暗愚な決断に至ったことがどうにも腑に落ちない。
ヨハンの意図を察したのか、ブラストは小さく二回頷いた。
「お前の気持ちはわかるぞ。俺とて初めは何かの間違いだと思った。絶えず援軍要請を出し、それに対する返答がなくてもいずれ必ずやってくると信じていたさ。だが、その結果がこれだ!」
王の判断で部下を尽く死なす結果になってしまった怒りは、そう簡単に収まりはしないだろう。
ヨハンとてブラストと同じ部下を持つ身、その気持ちは痛いほどわかる。
ヨハンとローレスの目的は国王から三種の神器の在り処についての情報を得る事だったが、現状ではその目的を果たすのは難しいように思える。
だがそれでも王都に向かい、王の真意を正す必要があり、何より国防を疎かにしてまでの無謀な侵攻は辞めさせねばならない。
そうブラストに告げたヨハンだったが、ブラストは頭を振る。
「やめておけ。今の王にはどんな諫言も受け入れられまい。あのガフォスター殿ですらそれが理由で殺されたのだからな」
「ガフォスター殿が!? 王はそれほどまでにご乱心か!」
「そうだ! 最早あの偉大だった王ではあられぬのだ!」
両拳を握りしめ吐き捨てる様に言い放つブラストに、ここまで黙っていたローレスが「本当にお前たちの知る王じゃないとしたらどうだ?」と問う。
そこにある全ての視線を引き付け、ローレスは静かに口を開いた。
「ヨハン道中俺が言ったことは覚えてるか? このラー大陸という世界は精霊神アテナの加護によって、世界各地の主要都市などの要地には結界が張られている。そしてその結界がある限り悪しき者はその中に入ることはできない」
「ああ、覚えている」
「その事を前提に考えた時、この国で起こった出来事は説明できない矛盾が生じている。『災いの日』、太陽石が奪われた出来事がそれだ」
ヨハンの脳裏に衝撃が走る。
気が付いたらしいヨハンの表情を見て、ローレスは頷く。
「太陽石が奪われた時といえば、占いの儀が終わり国王が触れを出した直後、突如として魔物の軍団の襲撃に遭ったと聞いている。まさか、ローレス」
「ああ、当初からそのことが引っ掛かっていたんだ。突如魔物が襲撃するなど結界がある限りあり得ないことだと。半信半疑だったが、王の異常な命令や粛清を聞き、確信したよ」
ローレスは深く瞳を閉じた。
「この国の王は魔物が姿を変えている。この国は災いの日のあの時、既に落ちていたんだ」
「まさか! そんなことが!」
ブラストが目を剥いた。
魔物との戦いが始まる前に、少なくとも始まる前だと思い込んでいた時既に、インガドル王国中枢は魔神軍に落とされていたなど俄には信じられない。
だが、魔物が王に成り代わっているのだとしたら、理解不能な王の命令も説明が付く。
「だとすれば、俺は急ぎ北の港へ向かう。将軍シルキード殿がドミディ大陸に渡る前に真実を伝え、何としてもその進軍を止めねば!」
ヨハンは頷き「ブラスト殿、シルキード殿への早馬頼みます。俺とローレスは急ぎ王都に向かいます。王に成りすましている魔物を討ち、王の安否を確かめます」
「うむ。武運を祈るぞ! ヨハン!」
「ブラスト殿もご武運を」
ブラストと生き残った数騎が港への道を駆けていき、ヨハンとローレスの二人はいよいよインガドル王国の王都、インガドル城に迫ろうとしていた。
王都にて、遂に国の存亡を掛けた一大決戦が巻き起ころうとしていた。