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決意を再び

 薄っすらと白みだした空の下、気が付けば三人は馬房にいた。

 昔から事あるごとに溜まり場になっていた場所だが、今や壁には魔物によって空けられた大穴がぽっかり口を開き、心休まる空間だった面影はない。

 それでもこの場所に足を運んだのは、変わり果てた故郷に懐かしみを覚えたかったからなのか、はたまたこの場所だけは変わらずあの日のままを期待したからなのか、それは各々の心の中。


「みんな少しでも安らかに眠ってくれるといいな」 

 

 ヨハンが静かに言った。

 村人たちの遺体は夜を徹して掘り続けた穴に土葬し、冥福を祈り別れを告げた。

 ヨハンはパウルの様子を伺う。

 いつものお調子者の顔は一切鳴りを潜め、遠い目をして宙を眺めている。

 隣に座るユリアに目配せすると、ユリアはヨハンの意図を察して頷く。

 ヨハンも頷き返し、樫の木の椅子から立ち上がった。


「ちょっと歩いてくる」


 そう告げて、ヨハンは馬房を後にした。

 残ったパウルとユリアはただ静かに無言で同じ空間を共有している。

 ややあって「母さんはさ」とパウルが切り出した。


「俺みたいな息子をもって苦労したと思うんだ。俺のせいで村のみんなからも疎まれて、生きていきにくかったんじゃないかって。母さんはそんな雰囲気見せなかったけど、たぶん、そうだったと思うんだ」

 

 ユリアはただ黙って聞きに徹する。

 パウルの抱える想いを全て吐き出させてあげて、少しでも心を軽くしてあげたいと願う。


「母さんは会うたびに言ってたよ。少しはヨハンを見習え、そんなんじゃ一人前の男になれない、って」


 自嘲気味に笑うパウルが寂しかった。

 罪悪感というものは記憶を脳や心にべったりと貼り付ける糊のようなもので、パウルは愚かな過去と、力の無い今のどちらにも苛まれている。

 そして、ユリアもまた忘れられない罪の意識を呼び起こしていた。

 それは十年前の悪魔の月の出来事だった。


◇◆◇◆◇◆


「わあっ! パウル見て見て! 雪よ!」


「そりゃあ、雪ぐらい降るだろ。今は冬なんだから。全く雪なんかにはしゃいで、ユリアはおこちゃまだなぁ」


「何よー、パウルだって雪好きでしょ? それっ!」


「うわっ! やったなぁ? そりゃぁっ!」


 十年前の悪魔の月の八日早朝。

 深夜から降り出した雪が、田畑や禿げた草原を白銀世界に変えていた。

 いつもの様に幼馴染三人で遊ぶはずだったのだが、この日ヨハンは、剣の稽古をつけてもらうと言って、遊びには加わらなかった。


 三年振りに積もった雪に心高鳴ったユリアは、村から少し行った所にある密林にパウルを誘った。

 パウルも快く応じて付いてきてくれたが、言い出したのはユリアだった。

 今では女性らしさというものが板についてきたユリアだが、幼い頃はなかなかのお転婆っぷりで、こうと言い出したら梃子でも動かず、ヨハンやパウル周りの大人たちを一番困らせていたかもしれない。


「森の中を探検しましょうよ!」


「探検? ……でも、じっちゃんはこの森には狼もいるから近づくなって言ってたぜ? まして入って行ったなんて知られたら、鬼の様に怒るよ」

 

 パウルは雑貨屋の店主に怒られることを心配しているようだったが、本心は違っていたのかもしれない。

 狼が出たら、今は二人きりなのだからあまりにも危険だと。子供ながらに警戒していたのだろう。

 なのに、ユリアは楽観していた。過ちに過ちを重ねてしまったのだ。

 

「大丈夫よ! それに本で読んだんだけど、雪の精霊さんが現れるのは今日みたいな雪が積もってる森の中なんですって」


 ユリアはやはり引く事はせず、自分の意見、意思を押し通した。

 ため息をつきながらも、パウルは笑って。


「絶対にみんなには秘密だからな!」


 と、言った。

 この瞬間に何度戻りたいと思い、願ったことだろうか。


「きゃああっ!」


「ゆ、ユリア! ちくしょう!」


 密林に入って間もなく、一匹の狼が襲い掛かってきた。

 へたり込んだユリアを庇うように、パウルは前に立ち塞がった。

 そして、パウルは懸命に狼を追い払おうと闘い、大怪我を負ったのだ。


 幸い、いつも遊んでいる場所に二人がいないことを訝しんだヨハンが、密林へと続く二人分の足跡を見つけて駆けつけてくれた事で、パウルとユリアは命からがら村に帰ることができた。


 だが、パウルが足に負った怪我の具合は酷く、実に半年もの間歩くことすら出来ず、元の状態に戻るには二年間の歳月を要した。

 そして、パウルは劣等感を抱くことになったのはこの後。

 その無駄にした二年間で、幼馴染でライバルと思っていたヨハンとの差が大きく開いてしまい、喧嘩をすれば二人揃って大怪我をしていたのが、ヨハンに軽くあしらわれるようになり、その次には殴り合いの喧嘩に発展することすらなくなった。


 何時しか三人で遊んでいた所にパウルの姿はなくなり、ギャンブルに手を染め、盗みや詐欺などを繰り返す悪童として、村では煙たがられる存在となってしまった。


 狼に襲われたあの日、村に戻ったパウルは出血多量で顔面蒼白になりながらも。


「ユリアは大丈夫なのか? ユリアは怪我してないか?」


 と、身を案じてくれ、挙げ句の果てには密林に誘ったのは自分だと言い張っていた。

 ユリアはショックで頭が真っ白になり、真実を話すこともできず、その嘘は今もずっと真実となっている。

 そして、もう打ち明ける事はない。

 そう、永遠にないのだ。


◇◆◇◆◇◆

 

「母さんに窘められてた時の俺はさ、反発心から聞く耳持たず、言われれば言われるほどろくでもない行動をしてた。ユリアにも何度か窘められたよな。まあ、ユリアの言い方は優しかったけどさ」


 ユリアはちらっと笑う。

 そんなことを言う資格は自分にはないのに、と自嘲の笑み。


「本当、今になっては後悔しかないよな。俺がヨハンと同じだけの修行をしてたら。いや、半分だけでもいいからやっていたら、あの時」 声が震える。「魔物をぶった斬って、母さんを助けられたのに」

 

 その余りにも弱々しい背中をユリアはそっと撫でる。

 心が落ち着くようにと、気持ちを込めてゆっくりと。

 パウルは二の腕で目をごしごしと擦り、「わりぃ」と小声で詫び「かっこ悪いとこばっかり見せちまってるよな」とはにかんでみせた。


「あいつら言ってたじゃねえか?」


「うん?」


「ほら、戦意のない奴は足手まといだからいらねえって」


「ああ……うん」


 ユリアはクリストとグレンの冷徹な言葉を思い出した。

 悲しむ事すら許さないような物言いが腹立たしかった。


「つまりあれは俺なんかはついてくるな。邪魔だって言われたんだよな」


 神妙な面持ちで、真摯に受け止めているかのようなパウル。

 ユリアはあの人たちの言うことなんて気にしないで。あんなの聞き入れる必要ないよ、と励ましたく、パウルの肩に手を添えようとした。


「全然納得いかねえ」


 予想とは違った、憤然としたパウルの態度にユリアはきょとんとする。


「あいつら好き勝手ぬかしやがって。ムカつくったらねえぜ! 俺なんかについてきて欲しくないんだろうが、思い通りにさせねえ。何が何でも意地でもついて行ってやる!」



「ふふっ、あははっ、ははっ」

 

 ユリアはお腹を抱えて笑う。

 パウルにらしさが戻った気がして嬉しかった。


「パウル急すぎるよ。でも、パウルらしいよ。そうやって反発して頑張ろうとするの」


「へへっ、悲しみ尽くしたし、散々弱音も吐いたからな。ちくしょう、戻れるならヨハンに言った弱音を全て回収してきてえ」

 

 パウルは頭を掻きむしり、恥じる。

 その記憶を払うかのように頭を振り、顔を両手で叩いた。


「失ったものは大きいけど、俺にはまだ果たさなきゃいけない誓いが残ってるからな」


「誓い?」

 

「ああ、昔にヨハンと交した誓いだ。俺はその誓いだけは死んでも果たすって決めてんだ!」


「どんな誓いかしら? パウルならきっと果たせるよ」


「本当はよ、その果たさなきゃいけない誓いもヨハン一人いれば済む話なんじゃないかって投げやりになってた部分もあるんだ。でもそんなことじゃいけねえよな。ヨハンの野郎だけに任せるなんて、そんな格好悪いことごめんだぜ」 


 置かれたパウルの手にそっと手を添えて、優しく微笑むユリア。

 びくっと一瞬緊張し、手を引っ込めそうになったパウルは気恥ずかしそうに笑った。


「そろそろ戻ろうぜ。あいつらもヨハンの家に集まってる頃だろう」


「そうだね」 


 ユリアはパウルの背中を見つめて思う。

 パウル、私はあなたの優しいところが大好きだよ。あなたは本当は誰よりも優しい人。パウルはいつも私を支えてくれるけど、私もパウルを支えたい。


 二人は馬房を後にした。

 

 

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