脅かされし故郷
ヴィデトの塔で一夜を明かしたヨハンたちはハーキュリーズの村への帰路についた。
僅か数日の旅路ではあったが、その間に自分たちの置かれた立場が全く別のものに変わってしまった。
その運命を完全に受け入れたわけではないが、己の信念に従い成すべきことを成す。
その思いを胸に、三人は忘却されし歴史的建造物に背を向け、もと来た道を辿って行くのだった。
「あ、ちょっと待ってて!」
ユリアは何かを思い出したように振り返ると、馬が繋がれていた粗末な馬房へ向かった。
「さあ、あなたたちはこれから自由に生きていくのよ。助け合いながら精一杯生きてね」
主人を失い、馬房に取り残された馬たちを解き放つユリア。
人の往来もないこの地に繋がれたままでは、いずれこの馬たちは死んでしまう。
そう思っての行動だった。
様々なことが起き、事態の急速な変化に悩まされる時でも、彼女の慈愛に満ちた優しさは翳ることがないようだ。
馬たちは戸惑ったように辺りを見渡していたが、結局五頭が寄り添い、森の方へと消えていった。
「お待たせ。さあ、私達も村へ帰りましょう」
ヴィデトの塔に向かう際に通った森は、まるで別の場所かのように静まり返っていた。
精霊水を使うまではあれほど頻繁に魔物の襲撃を受けていたというのに、この道中に至っては全く魔物たちは姿を見せない。
ヨハンのマナを纏う姿に恐れをなして隠れているのか、とにかく順調に進み森の切れ目が見える所まで来たのは、辺りが暗くなりだした夕暮れ時だった。
実にヴィデトの塔に向かった時の半分程度の時間で森を抜けることができ、三人はとりあえず安堵のため息を漏らす。
「この調子なら、真っ暗になる前には宿屋に着けそうだな!」
パウルが嬉しそうに声を弾ませる。
厄介な森を抜けてようやく帰ってきた気持ちになったのだろう。
すっかり油断しているその姿勢はいただけないが、あの怠け者パウルが過酷な今回の旅をよく付いて来たものだ。
魔物も何匹か討ち取り、正直ヨハンの想像以上に活躍した。
なのでその油断し切った姿勢、今回は目を瞑ってやろうと、ヨハンは「そうだな」とだけ返した。
南へ伸びるスメロスト街道を横目にインガドル街道を突き進むヨハンたち。
もうすぐ、あのガレスの宿屋が視界に入るだろう。
遠くに小さく見える建物がそれだ。
街道脇にぽつんと佇む宿屋が、次第に大きくなり、もうすぐガレスの豪快な笑い声が聞こえてきそうだった。
突然血相を変えて馬を走らせたのはヨハンだった。
パウルとユリアは何事かとその行動に一瞬驚いたが、二人も目を見開きヨハンに続いた。
「おっさーん!!」
宿屋の手前で力付きたようにうつ伏せで倒れていたのは、宿屋の主人ガレスに相違なかった。
全身血だらけで意識を失っているガレスはどこから這ってきたのか、血の跡を残しながらここまでやってきたようだ。
ヨハンは下馬して近づくとガレスを仰向けに寝かせ、気道を確保する。
「おい! おっさん! 生きてんだろうな!」
「ヨハン! うっ!? これはひでぇ」
「そんな! ガレスさん!?」
ガレスの惨状にパウルは息を呑み、ユリアは口を手で覆い驚愕する。
それほどにガレスの身体は血塗れで酷い有様だった。
特に右肩の傷は一層酷く、頑強な身体つきのガレスだが、その一部が吹き飛ばされたようになくなっている。
「ヨハン、まさかガレスさんは……」
「黙っとけ! このくらいでくたばるオヤジじゃねえ!」
「うっ」
ガレスの閉じられた瞼がピクリと動き、僅かだか声も発した。
「おっさん!」
薄っすらと開かれたガレスの目は焦点が定まらず、細かく震えるように瞳が動いている。
何とかヨハンの顔に焦点が定まったところで、ガレスは力なく笑った。
「お、おう……お前ら、無事に帰ってきたかぁ……」
「一体何があったんだ!? おっさんがどうしてこんな目に?」
ガレスは大きく息を吸い、深く長く吐き出した。
瀕死の重傷かと思われたが、僅かに目の光が力を帯びたようだ。
それは体力、生命力が人並み以上に優れているためだろう。
「突然、宙に浮く女が現れたんだ」
「女?」
ガレスは頷いた。
「妖艶な美女で、俺は思わずその女に見惚れていたんだ。だが、その女は魔物の軍団を引き連れてやがった。しかも見たこともねえ、いかにも凶悪そうな軍団だ。魔物どもは北東の方角に進軍していき、思わず物音を立てちまった俺は女に見つかった」
「北東……」
後ろで聞いていたパウルがぼそっと呟いた。
パウルの考えていることがヨハンにはわかった。
というよりは同じことを危惧している。
ここから北東とは、つまりハーキュリーズの村の方角。
全身から冷たい汗が吹き出すのを感じながらも、ヨハンは冷静になれと自分に言い聞かせていた。
魔物にしてみたって襲う価値もないような村のはずだ。
戦略的要地になるはずもなければ、重要な遺跡や史跡も何もない。
だが、次のガレスの言葉は必死に繕うヨハンの心を砕くには十分過ぎるものだった。
「女は俺を殺そうとする前に奇妙な質問をしやがった。この辺りで黒衣のローブを纏った魔道士を見なかったか、とな」
エルザエヴォス。
黒衣のローブの人物とはエルザエヴォスに違いない。
その所在を確かめたということは、まさかその女の狙いは。
ヨハンのただならぬ雰囲気を察したガレスは、大怪我をしている身体を起こし、苦痛に顔を歪めながらも毅然と立ち上がった。
「ガ、ガレスさん、まだ動いちゃだめだぜ! とても動けるような状態じゃねえって!」
パウルが慌てて静止するが、ガレスはにやっと笑ってみせる。
「動けちまうんだから仕方ねえだろ? それに北東の方角はお前たちの故郷のある方だろう。俺に構わねえで急いでそっちに向かいやがれ」
「馬鹿言うなおっさん! おっさんじゃなかったら死んでてもおかしくないような大怪我だぞ!?」
「俺なんだから問題ねえだろ? 心配するな。宿屋には薬草も置いてある。あとは自分でなんとかできらぁ。それに俺はどれほど気を失っていたかはっきり分からねえが、やられた時は夕方だった。で今も夕方ってことは少なくともまる一日経ってやがる」
まる一日。
魔物の軍団が間違いなく北東へ進軍しているのだとしたら既にハーキュリーズの村に相当接近しているかもしれない。
事態は一刻を争う。
「くっ、すまねえ、おっさん。悪いが村へ向かうよ。間違ってもくたばるんじゃねえぞ!」
「誰に物言ってやがる。とっとと行ってこい!」
ガレスの発破を受け、ヨハンは力強く頷く。
「パウル、ユリア行くぞ!」
三人は馬の腹を蹴りハーキュリーズの村へ疾走した。




