エルザエヴォス
ヴィデトの塔に入った三人は取り敢えず適当に腰を下ろした。
塔内は山賊の住処になっていたこともあり、散乱したゴミや食べ物。
そして何より目を引くのが盗品と見られる大量の品の数々。
こんな辺境な地を縄張りにしつつも山賊稼業は順調だったと見える。
もっとも、その山賊たちも既にこの世にはいないが。
「待っててねヨハン。直ぐに薬草で塗り薬を作るわ」
そう言ってユリアは、その盗品の中からお椀型の陶器を拝借し、パウルに薬草をと手を伸ばす。
パウルは一瞬、持っていないと焦ったが、村を出発する前日に道具屋の主人から薬草を貰い受けたことを思い出した。
ユリアは受け取った薬草の葉と実を陶器に入れ、レイピアの柄の部分ですり潰していく。
薬草はそのまま経口摂取しても体力回復の効果があるが、より効果を高めるにはすり潰し塗り薬にして、患部を直接治療することが望ましい。
「本当は流水で十分に冷やしてからがいいんだけど……」
「いや、あれだけ動き回ったあとじゃもう遅いさ。薬草があっただけ有り難い。パウルまだ何枚か残ってるか?」
パウルは数枚残っていた薬草をこれで全部だ、とヨハンに手渡す。
受け取った薬草を苦々しい表情でむしゃむしゃと噛み、その間にユリアは重傷の右足を重点的に、両手や顔にも薬草を塗った。
薬草を飲みこんだヨハンの身体は中から熱くなり、傷によって頭に篭っていた熱を洗い流すように払拭していく。
疲労感も幾分か和らぎ、完全回復とまではいかないまでも動けるくらいにはなったと感じる。
足に塗られた部分も今は焼けるように熱いが、これも薬草が治癒効果を発揮しているためだ。
仕上げに包帯で患部をぐるぐると巻き、これで応急処置は済んだ。
「よし、これでだいぶマシに動ける。二人ともすまなかったな」
「ううん、これくらい。……私は無力な自分が悔しくって堪らないわ。さっきは本当にヨハンが死んじゃうかと思った。……あれ?」
突然ユリアの視界がぐにゃりと歪んだ。
酷い目眩のような症状が起き、まともに座っていることすらできずユリアは倒れ込んでしまった。
「ユリア!!」
二人は慌ててユリアを仰向けに寝かせる。
苦しげに表情を歪め、顔中にじっとりと汗をかいており、パウルが額に手を当てた。
「凄い熱だ! なんで急に!?」
「だ、大丈夫よ。ちょっと疲れちゃっただけだから。ヨハンの方が大変な思いをしたのにごめんなさい」
「そんなこと気にするな。くそっ! さっきの薬草使っちまうんじゃなかったぜ。パウル! あの中に薬草がないか見てきてくれ!」
「おう!」
ヨハンに促され、パウルは山賊の盗品を漁る。
武器や鎧の他に食器や陶器など様々なものがあるが、お目当ての品は見つからない。
「だめだヨハン! ねえよ!」
「よく探せ! 山賊たちだって薬草の一つも持たずにこんなとこにいるはずはない!」
ヨハンは自分が言っていることは希望的観測に過ぎないとわかりつつも、淡い期待に縋っていた。
この世界において薬草は自生している植物ではない。
薬師が特別に調合したものであり、周辺を探して見つけるということはできないのだ。
乱暴に盗品を漁っていたパウルがやっぱり駄目だと二人の方を今にも泣き出しそうな顔で振り向いた。
「よ、ヨハン! 後ろ!」
突然のパウルの叫び声を聞き、慌ててヨハンは振り向く。
するとそこには黒衣のローブを身に纏ったあの予言者が立っていた。
相変わらず音も気配も無く現れ、味方なのか敵なのかもわからない。
ヨハンはユリアの前に身を挺し、パウルもユリアの前に立ち塞がった。
「先程の闘い、見事であった。マナも扱えぬお前たちがあの魔獣ディエゴを打ち倒すとはな」
嗄れた老人を思わせる声は、やはりあの予言者のもの。
ヨハンとパウルの後ろで苦しげに横たわるユリアを見やり。
「まあ、扱えぬというのは語弊があるかもしれぬな」
と呟くと、予言者はローブの内側から小瓶を取り出した。
中は透き通った翡翠色の液体で満たされており、それをヨハンに向けて放った。
「それを娘に飲ませてやるとよい。すぐに回復するだろう」
素性の知れない相手から受け取った物をおいそれと飲ませる気にはなれなかったが、今はこの謎の人物を信用するしかなさそうだった。
高熱にうなされるユリアの身体を起こして支えてやり、小瓶をユリアに手渡す。
ユリアは躊躇うことなく、翡翠色の液体を飲み干した。
「あら?」
ユリアの身体は液体と同じ色のヴェールに包まれ、顔からは苦悶の表情が一切抜け落ち、熱を持っていた頭も嘘のようにすっきりする。
三人はその不思議な力に驚いていたが、ユリアはすぐに立ち上がり謎の予言者に頭を下げた。
「ありがとうございます。凄いですね……まるでおとぎ話に出てくる魔法みたい」
「魔法のようか。しかし先程の闘いでお前も魔法を使っていたのだぞ?」
くっくと喉を鳴らし予言者は事も無げに言った。
「え?」
ユリアは口元を手で覆って絶句し、ヨハンとパウルも同じく言葉を失う。
「信じられぬか。まあ、魔法の研究が廃されたのは遥か昔のこと。お前たちにとって寓話の産物と認識されているのも頷ける」
深々と被ったフードで相変わらず顔が明らかにならない予言者は続ける。
「だが、その昔人間たちは自然界の力、マナをその身に宿し魔法を使いこなしていた。そして長い年月を経た今では人間にはマナを溜める器だけが残り、扱う能力を失ってしまったのだ」
予言者が語っていることは正に絵本の物語である。
物語では、勇者は傷付いたその身を魔法で癒やし、雷や炎の魔法で敵を攻撃し、遂には魔王を討ち果たしたと語られている。
ラー大陸の子供たちなら誰もが憧れる英雄譚であり、その中に登場する魔法。
それはあくまで物語を彩る脚色であり、現実にはありえないものだと今の今まで思っていた。
予言者はユリアを指差す。
「お前のマナを扱う為の器は大きく深い。ディエゴに致命傷を与えた理由もその器の大きさにある。だが本来魔法を扱うには並々ならぬ鍛錬と修練が必要であり、先程のようにただ守りたい一心で魔法を放つことは本来できぬ。しかしお前はできてしまった。マナの存在すら知らぬのにだ。己の持てる全てのマナを放出した為、副作用こそ被りはしたが、間違いなく天賦の才と言える」
ユリアを覆っていた翡翠色のヴェールが消えた。
「回復しきったようだな。何はともあれ、お前たちがディエゴを倒してくれて助かった。すぐには結界を突破できずともいずれは破られ、この塔は魔の手に落ちていたかもしれぬ」
「別にあんたが自分で倒しちまえば済む話じゃねえかよ」
パウルが毒吐く。
命がけで闘っていたというのに、それを傍観されていたと思うと憤りが込み上げてきたのだろう。
「残念ながら、私の実体はここにはないのだ。お前たちに見えているのは思念で作り出している虚像に過ぎぬ。とにかく、お前たちはこれからこの塔を登りそこでウラノス島をその目に焼き付けるのだ。今はなんの意味があるのか分からぬであろうが、いずれその答えは出る。さらなる過酷な戦いの旅が控えているが、忘れるな。お前たちはこの世界を背負っているのだ」
「あんたの名前は?」
ヨハンは鋭い眼差しを向けて問う。この予言者が只者ではないことはわかるが、唐突に告げられた内容は世迷い事としか思えないほど飛躍した話だった。
「私の名か? ふむ、しかし聞き馴染みはなかろう。私の名はエルザエヴォスだ。ではまたな。勇者たちよ」
エルザエヴォスと名乗った謎の人物は一瞬にして消え去った。
世界を背負い戦うという使命を言い残し、多くの謎を残したままに。
「訳が分からねえぜ」
パウルが苛ついた口調で呟いたが、それは三人の総意だった。
なぜ自分たちが戦う使命を課せられたのか。一介の村人に過ぎない自分たちが。
「屋上へ出よう。まずはできることをやるしかない」
とにかく今は塔に登り、ウラノス島を見る必要があることしかわからない。
ヨハンたちは屋上へと続く螺旋階段を登った。