パウルの奮起
「ユリア! こっちに走れ!」
ヨハンが叫んだ。
気を抜かず身構えていたユリアは、鬼気迫る叫びに即座に反応し馬を前方へ走らせる。
ユリアの乗る馬が走り出したのとほぼ同時に、茂みの中から弧を描き跳躍してきたのは獰猛なウルフだった。
ウルフを迎撃すべくヨハンも走り出し、ユリアとすれ違う。安全な場所に退避しようとしたユリアだったが、その先には周囲の緑に擬態したゴブリンが待ち構えている。
この時パウルは危険を感じた。
ユリアの乗る馬がそのまま倒木近くまで走ってしまえば、隠れているあのゴブリンが襲い掛かるだろう。
竦んでいた身体はユリアの危機を感じた途端、勇敢に動いた。
「ユリア! そこで止まれ!」
「え!? パウル?」
ユリアを制してパウルは倒木に向け走りだす。
獲物の接近にゴブリンも倒木を飛び越え、大きな口を開け涎を撒き散らしながら突進してくる。
手にしている棍棒をまともに受ければ無事では済まない。
この時パウルは狂暴で恐ろしい魔物が襲い掛かってくるのではなく、標的が急所を晒して無防備に近づいてくると捉えていた。
互いの武器が届く間合いに入った時。
パウルは大きく開かれた口内にロングソードを伸ばした。
狂い無く突き出された剣刃は貫通してゴブリンの後頭部から飛び出し、振り上げられた棍棒もその場で止まる。
動かなくなったゴブリンの腹に足を当てて踏ん張り、勢い良く剣を引き抜くと、ぶしゅっ! と嫌な音と共に血が吹き出した。
仰向けに倒れたゴブリンを見下ろし、肩で大きく息をするパウルの頭の中は真っ白になっていた。
「パウル」
ユリアの呼ぶ声ではっと我に返るパウル。
振り向けば既にウルフを仕留めたヨハンもすぐ側まで来ている。
「凄かったわパウル。叫んで止めてくれなかったら危なかった。ヨハンもありがとう。足手まといになってごめんなさい」
助けられてばかりの状況に唇を噛み締め申し訳なさそうに詫びるユリア。
「気にするなユリア。普段生活の面で助けられてばかりは俺達の方だからお互い様さ。で、お前はいつまで呆けてるんだ?」
「え? あ、ああ。えっと……ふ、ふふふ。はっはっはっはっ! おうユリア! 気にするな! 守ってやるのが当然だろ!?」
「あ、うん。ありがと」
「情緒不安定だな、こいつ」
高揚感と達成感が時間を置いて一気に脳内に分泌されたパウルは異常なテンションに陥っているようだ。
戸惑うユリアと呆れるヨハンをよそに一人高笑いしている。
「いい加減進むぞ」
「おう! がんがん行こうぜ!」
有頂天のパウルも馬に跨り三人は先を急ぐ。
しかし、周囲の状況が三人に味方しないことは変わりなく、鬱蒼とした暗い森林地帯は気を抜く事を許さない。
街道を進んでいた時とは比べ物にならない緊張感。
そして襲い来る魔物たち。
幾度目かの襲撃を撃退したところで、ヨハンは前方を指し示した。
そこは周りを木々に囲まれながらもぽっかりと空間ができており、人が座れるように配置された丸太や、焚き火の跡が残されている。
おそらく、宿屋の主人ガレスの言っていた山賊たちがキャンプをした跡だろう。
「今日はあそこで野宿するぞ。今日この森を抜けるのは無理だろう」
生い茂る葉の隙間から赤く染まる空を見上げるヨハン。
日没までの時間も迫っている現状で先に進むのは吉ではないと判断したのだ。
明るい日中ならば対応できた奇襲も暗闇の中ではそうもいかない。二人もヨハンの決定に異論はないようだ。
先程まで元気一杯張り切っていたパウルもへとへとに疲れている。何度も魔物と対峙し、闘ってきたのだから無理もない。
火を焚いて丸太の椅子に腰を下ろしたのも束の間、ヨハンは剣を手に、休むことなく周囲への警戒を怠らない。
ユリアはそんなヨハンの姿を見て何も手助けできない自分が情けなく、白く華奢な手をぎゅっと握りしめる。
安易な言葉は掛けられない。
見張りは絶対に必要だが、それは自分には務まらないことは重々承知しているのだ。
「人間できることとできない事があるのは当然さ。俺やヨハンにはユリアが作る美味い飯は作れない。今こういう状況であいつが見張りに立つのは務めみたいなもんだ」
ユリアの歯痒い思いを汲み取ったパウルが言った。
乾いた枝を数本持ち、それを折りながら続ける。
ユリアは消沈した瞳でパウルを見つめている。
「だから俺達は休める時にしっかり休んで、いざ進むって時に疲れてちゃいけないのさ。今は休む時! それが俺とユリアの責務だ」
束になった枝を火に焚べ、手のひらをはたくパウル。
確かにパウルの言うとおりなのかもしれない。いざと言うとき足手まといにならない為に、今はしっかり休息を取るべきだろう。
だが今になってみれば、軽い気持ちでこの旅に付いてきたことを反省している。
覚悟はしていたつもりだったが、甘かった。
見張りに立つヨハンの後ろ姿に視線を向け、ユリアは心の中で詫びた。
「ありがとう。パウル」
「あ! そうだ!」
突然パウルは何かを思い出したように大きな声を発する。
自前の道具袋を漁り、中から澄み切った青い液体の入った小瓶を取り出した。
「おいヨハン! ちょっと来てくれ」
パウルの呼ぶ声を聞き、ヨハンは周囲に魔物がいないことを確認してから戻る。
「その液体は何?」
「ああ、これは精霊水とかいう珍しい代物さ」
と、パウルは得意気に言う。
「精霊水?」
ヨハンとユリアは声を揃えた。
見慣れない液体であることは間違いなく、その美しい青色は神々しさすら感じさせる。
「何でもこれは精霊アテナの力が宿った水で、これを振りかけると魔物が寄り付かなくなるらしいんだ」
「俄には信じ難いな。それはどこで手に入れたんだ?」眉間に皺を寄せ、訝しげにヨハンは訊ねた。
「護衛の仕事をしている時に商人が自慢気に見せびらかせてやがったのよ。高く売れる気もしたし、隙を見てくすねてやったのさ」
パウルが栓を開けると、仄かに甘い香りが立ち込めた。
「眉唾な話ではあるけどよ、これが本当に効果あるんだとしたら心強いしラッキーだろ? だからとりあえず撒いてみようぜ」
パウルは自分たちのいる周りに円を描く様に少しずつ精霊水を撒いていった。
甘い匂いが一段と強さを増し、撒き終えた頃には瓶の中身は半分ほどになっていた。
しかしこれで安心とは当然ならず、効力があるのか怪しい現状ではヨハンが警戒に立たなければならないのは至極当然であった。
が、効果の程はすぐに表れた。
ゴブリン二匹が茂みから姿を現し、ヨハンと視線も合いこちらに向かって来たのだが、突然何かを嫌う様な素振りを見せ、その場から立ち去っていったのだ。
それはゴブリンがこちらに気が付かなかった訳でも偶然でもなく、その後もウルフや毒を持つ蝶の魔物ポイズンバタフライなどが姿を見せては近づくことなく去っていった。
「どうやら効力にそれなりの期待はしてよさそうだな」
ヨハンはそう言うと丸太の椅子に腰掛け、持参した乾パンを口にした。
剣を手放せるわけでも眠りにつけるわけでもないが、こうして小休止ができるだけでも精霊水の果たす役割は大きいと言える。
「夜明けとともに出発する。明日の昼過ぎくらいにはヴィデトの塔に着けるはずだ」
パウルとユリアは頷き、三人はそれぞれ明日の為に休息に入った。




