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秘計  作者: 大平篤志
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罪人の家

 後藤家では、家の中のことは美和と道代がなし、外への使いは幸助の役割になった。


 幸助は外で様々な話を仕入れてくるが、そのどれもが芳しいものではない。

 城では、鶴松の失踪に関しては、厳重な緘口令を敷いたが、この類いの話はどこからともなく漏れてしまうものである。

 いつの間にか、巷では鶴松を龍之進が殺害したという話が定着してしまった。


 それまで同情的であり、何かかと融通してくれた近所の家も後藤家を白眼視するようになり、完全に付き合いが切れた。

 八百屋や米屋なども、後藤家への品物の配達をやめた。


 幸助は、仕方なく自ら籠を下げて買い物に出たが、そこでも改めて後藤の家が置かれている状況が厳しいものであると思い知らされる。


「すみません、米を分けていただきたいのですが……」


 幸助が声をかけると、米屋の者はそそくさと顔を背けた。


「あの……、お米を……」


 幸助が重ねて声をかけても、振り向く者は誰もいない。


「すみませんっ、お米をください!」


 目を瞑り大声で、幸助が叫ぶと、店の奥から中年の番頭らしき男が目を瞬かせながら出てきた。


 男はしきりに瞬きを繰り返しながら、手に持っている帳簿から目を話さずに幸助に応える。


「すみませんなぁ、米はもう品切れでございましてな」


「な、なぜだ。ここに米はあるではないか」


 男が目を上げて、じろりと幸助を見る。その侮蔑に満ち満ちた視線に、幸助は気後れを感じ、思わず唾を飲んだ。


「ここにある米は、既に全て行き先が決まっておりましてな。今日は売り切れでございます」


「そ、そのようなことがあるわけがなかろう」


「いえ、今日はもう売り切れでございます」


 男が帳簿をぴしゃりと閉じて、幸助に背を向けた。


「ま、待ってくれ。金ならある。少しでも構わぬから米を売ってくれぬか」


 幸助の懇願が耳に入らぬかのように、男は無言で奥に姿を消した。


「お、おのれ……」


 握り締めた拳を細かく震わせながら立ち尽くしていると、どこからか小声で呟く声が耳に入った。


「若君を殺した家の奴に、米を売るわけがねぇだろ」


 幸助が声のした方に目を向けると、数名の若い者が下を向いて声を殺して笑っている。


 あまりの屈辱に、文句を言うこともできず、幸助は真っ赤な顔で店を飛び出した。


 道に出た幸助が、今しがた受けた拭いがたい恥辱に対する怒りで、思わず振り向くと、新しい客が米屋に入っていく。


「いらっしゃいませ」


 米屋の者たちは先ほどとは打って変わってにこやかに来客を迎えている。


「お米を一升お願いします」


 若い女の客が袋を差し出した。


「はいはい、ただいま。少々お待ちくださいませ」


 店の若い者が、一升枡に米を入れ、正確に測って袋に移す。


 その様を見て、幸助は憤怒に我を忘れた。


「ぶっ殺してやる」


 小さく呟くと、幸助は再び米屋に足を向けた。


 幸助が米屋の前に立つ。

 その顔は怒りで紅潮し、目は血走っている。


 米屋の中にいた人々が、尋常でない様子で店の前に立ち尽くす幸助に、不審の目を向ける。


「まだ、何か御用で……」


 先ほどの若い店者が、眉間に皺を寄せて幸助の前に立つ。


「米を、……米を売っておるではないか、あの客に」


 幸助が若い女の客を指差す。

 すると女は、突然現れた武家奉公の男の異常な剣幕に驚き、目に一杯涙を溜めて身体を堅くしている。


 その女の姿を見て、幸助の脳裏にひとりの女の姿が浮かんだ。

 それは、身の毛のよだつような運命の陥穽に嵌まり込んでも、なお健気さを失わず、懸命に家を守り続ける美和の姿であった。


 幸助は俯き、奥歯を強く噛み締めた。


「お客様、他に何か……」


 揶揄を含んだ店の者の言葉を聞きながら、幸助は再び米屋に背を向けて歩き始めた。


 八百屋や魚屋も似たり寄ったりで、幸助にまともに物を売ってくれる店はほとんどない。

 仕方なく幸助は、自分の親類筋の家に密かに頭を下げ、米や野菜を分けてもらって後藤に家に運んだ。

 しかし、その親類も龍之進の悪評が次第に高まってくると共に幸助が出入りすることにいい顔をしなくなった。

 幸助は、市価よりも高い値段を払って、必死で食べ物を分けてもらったが、紙よりも薄い人情というもの心底思い知った。

 しかし、世間の冷たい風は、同時に後藤の家中にいる人間の結束を高めた。




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