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秘計  作者: 大平篤志
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松添藩騒然

 その頃、松添藩の城内でも想像を絶するとてつもない騒動が起きていた。

 藩主・松平信茂の長子・鶴松が行方不明になっていたのである。

 江戸への出府を控えた鶴松の周りには、様々な不穏な動きがあり、城内でも警戒を怠ることはなかったのであるが、鶴松の姿はこの日の朝に忽然と消えうせていた。


 松添松平は、神君・徳川家康の父親である松平信康の時代より徳川の家に仕える生粋の譜代大名であり、多くの戦功により松平の姓を賜った。

 そして、信茂は既に四十半ばを過ぎた年齢であるが、正室である徳姫との間に子供がいなかった。

 無論、この後徳姫との間に子を成す可能性が皆無とはいえない。

 しかし、徳姫も三十代の終わりに差し掛かる年齢であり、やはり跡継ぎを生むことは難しいといわざるを得ない。

 そして、ちょうど一年前に信茂が病で床に就いた。

 病そのものは性質の悪いものではなく、既に回復してはいるが、やはり藩の未来のことも考慮し、跡継ぎの問題は解決しておくべきことであった。


 松添藩の国許には、信茂の子である男子が二人いる。

 一人は、中老職である田口広泰の血縁であるお菊の方の子である音松。

 そして、もう一人は、身分の低い腰元から信茂の手が付き、子を成して側室の立場に上ったお利根の方の子である鶴松である。

 鶴松のほうが、音松よりも一歳年長で、長子相続の原則から考えれば、当然鶴松が嫡男の地位にあるはずであったが、お利根の方の出自の低さと、お菊の方の後ろ盾の強さから、二人の子供の立場は微妙なものになっている。


 中老の田口の家も、松添松平の徳川家に対する立場と同様、江戸幕府開闢以前からの松平家の家臣である。

 現在の田口家の当主の広泰は中老職にあるが、先代の田口忠泰は城代家老にまでその位を上げた。

 そして、お菊の方はこの忠泰の孫に当たり、広泰の姪である。

 音松が松平家の嫡男と確定するようなことがあれば、広泰の発言力は強くなる。

 既に高齢の現在の城代家老、樋口兵部の後の城代の地位も、目前に迫っているといっても過言ではない。


 対する鶴松の周りには、有力な後ろ盾はない。

 信茂の寵愛はお利根の方に厚く注がれてはいるものの、藩主は参勤で生活の半分は江戸で過ごしている。

 信茂は、鶴松とお利根の方の微妙な立場を承知していて、自分が江戸にいる期間は心利いた者にこの母子の周りを警護させてはいたが、それも奥向きの隅々にまで目が届くわけではない。


 鶴松とお利根の方は、敵ばかりの城内で、針の筵に座るような毎日を過ごしていた。


 信茂は熟考の末鶴松を跡継ぎに決め、江戸に上るようにとの指示を国許に出した。

 大名の世子は将軍に拝謁するまで正式な嫡男とは認められない。

 逆に言えば将軍に謁見することを阻止すれば、鶴松はいつまでも世子として認められないことになる。

 音松を次代の藩主にと企む家老の田口広泰一派が、鶴松の江戸行きを妨害することは想定できたし、鶴松を害することも十分に考えられることであった。


 当然、信茂の指示で、鶴松の身の周りには厳重な警護がしかれていたが、その監視の目を掻い潜ってこの幼い子供の身柄をかどわかして行った者がいる。


 城代家老の樋口兵部は徹底した鶴松の探索を行ったが、その姿は杳として知れなかった。


 藩にとっての一大事件の出来に、龍之進の病気療養の届出は誰の注目も集めることはなかった。



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