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秘計  作者: 大平篤志
19/19

罪と罰

 時間は少し遡る。


 龍之進と佐々一徹の試合の後、藩主信茂と田口広泰、そして大野格兵衛と樋口兵部が城内の一室に集まり、その日の勝負についての談義が行われていた。


 まず広泰が口を開く。


「あの、嶋田一角という男、実に見事な腕前でございましたな」


 信茂の口辺に笑みが浮かぶ。


「佐々には、生意気な江戸者を叩きのめした上で追い返せと命じてあったゆえ、手加減などは一切なかったはずでございます」


 兵部が信茂に向って言い添える。

 信茂は頷き、喜色を満面に湛えながら格兵衛を見た。

 格兵衛はなぜ自分がこの場に呼ばれたのか理解できず、戸惑った表情を浮かべている。


「まだ分からぬか、格兵衛」


 格兵衛は、尚も戸惑いの表情を浮かべている。


「…………」


「おぬしの婿であるぞ、あの武芸者は」


「…………」


 格兵衛の脳裏に、試合の様子がありありと描き出された。

 そして、江戸より連れてきたという兵法者の顔をまざまざと思い出し、はたと膝を打った。


「生きておりましたのですな」


「うむ」


 広泰が信茂の顔を見る。


「ま、まさか…………」


「そうじゃ、嶋田一角とは、後藤龍之進じゃ。奴はどうしても切腹をすると譲らぬし、放って置くと勝手に腹を切る恐れもあったので、暫く大小を取り上げて江戸藩邸の座敷牢に幽閉しておった。すると、存外毛深い体質であったらしく、顔面が髭だらけになり、別人のような顔になりおった。そこで、わしは今回の計画を思いついたというわけだ。龍之進は一応承諾はしたが、その条件として佐々一徹との試合を行い、勝利の暁には帰参をお許し願いたいと望んだ。龍之進は過去、一徹との試合で、勝利したことはなかったそうだの」


「はい、歯が立たなかったと申しても過言ではありません」


 藩の剣術界に詳しい兵部が応える。


「よほどの気迫をもって臨んだということか」


「それだけではございますまい。無論、龍之進は負ければ腹を切るつもりでいたでございましょうが、やはりそれよりも生きて藩に戻りたいという気持ちが強かったのでございましょう」


「一徹が、それを感じとてわざと負けてやったというようなことはないのか」


 兵部が珍しく笑顔を浮かべる。


「殿。あの男、そのような優しげな神経は一本も通っておりませんな。角が生えればそのまま鬼になるような男。それが佐々一徹にございます」


 信茂が満足げに頷いた。


「うむ。ならば、嶋田一角は、晴れて後藤龍之進に戻り、後藤家が旧に復するのに誰に憚ることもないの」


「はい。龍之進めの蟠りも解けたと存じます」


「龍之進めには死してその名を残すより、まだまだ藩のために生きて役に立ってもらわねばならぬ。龍之進の命を救えたことは本人のためというよりも、藩のためじゃ。これからは、たっぷりと藩のために役に立ってもらう。無論この場にいる者も皆同じぞ」


「はい」


 格兵衛は拳を震わせ、ただ只管に感涙に咽んでいる。

 この老武士は己の犯した罪よりも、罪なき龍之進の死とその妻である娘の美和の不幸が何よりも大きな罰となっていたのだ。

 その重圧が、今突然に取り払われたのである。感情が激して思わず涙が溢れたこともやむを得ないことであった。


 広泰は、権力の魅力に淫し、己の進退を誤った過去を、信茂と龍之進に救われた。

 その罪は生涯消えぬが、汚名を雪ぐ機会はあることを感じている。

 陰惨なお家騒動が、無残な結果を残さず、逆に藩に明るい未来を与えたと感じながら、信茂はもう一度深く頷いた。


                           《完》


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