江戸からの知らせ
――そしてひと月がたった頃、江戸表から国許に早飛脚が届いた。
江戸からの知らせは恐るべきもので、城内は騒然となった。
早飛脚は、姿を消していた鶴松と後藤龍之進が、突然松添藩の江戸藩邸に現れたとの手紙を運んできたのだ。
手紙は藩主・信茂直筆のもので、後藤龍之進に伴われて長子の鶴松が江戸に到着し、そのまま鶴松は将軍へのお目通りをした後、松添藩の嫡男としての届出を済ませたと知らせていた。
そしてこの後、鶴松は江戸常在するようになるので、お利根の方を江戸に送るようにとの指示があった。
ここに、松添藩のお家騒動は、ついに決着をみることになった。
龍之進は、騒動決着の大立者として多くのお利根派の武士にその功をたたえられた。
それでも、後藤家の閉門は解かれなかった。
中老の田口広泰が鶴松を無断で連れ去った罪は許しがたいと、龍之進に厳罰を望むと主張したのである。
しかし、重ねて江戸から恐ろしい知らせが下ってきた――。
龍之進の切腹である。
後藤龍之進は、お家騒動の責めを負い、腹を切って死亡したとその知らせは伝えていた。
後藤家はおろか、松添藩全体に重い衝撃が走った。
お利根派にもお菊派にも龍之進切腹の報は隅々まで伝えられ、その衝撃に悲しみを露わにするものはいたが、快哉を叫ぶ者はいなかった。
ひとりの人間の死によって、各々の派閥は自分たちの争いの愚かさを思い知ったのである。




