新婚初夜
美和は、新婚初夜を過ごした寝屋の中でひとり呆然となり、自失の体で座り込んでいた。
初夏にしては少し肌寒い朝に、美和は額にべっとりと汗を滲ませている。
後藤家の屋敷は騒然となっていた。後藤家は松添藩の城下にある坂入町の武家である。
その後藤家で、つい昨夜祝言を挙げたこの屋敷の当主、後藤龍之進が、朝になってみると忽然と姿を消していたのだ。
初めにそのことに気がついたのは、当然美和であった。
仕来りもわからぬ他家での初めての朝であれば、多少の不信があっても口には出せない。
当然隣にいるはずの龍之進が目を覚ました時に見えなかった時も、美和は緊張と疲れでうかうかと眠りこけていた自分を恥じて、ただ夜具の上で小さな身体をさらに小さく縮め、正座をしながら事の成り行きを待った。
汗を含んだ白い敷布はひんやりと冷たさを伝えている。
だが、事態は意外な方向に進んでいく。
一刻ほどの時がたって、女中頭の道代が呼びに来たのは、美和ではなく龍之進であった。
「旦那様、お目覚めでございますか」
道代の呼びかけに、美和は応えられずにただ座っていた。
「旦那様、お疲れだとは存じますが、そろそろお目覚めになりませんと」
龍之進は、謹直な武士で、家の者は未だ嘗て朝寝坊をしているところなど見たことがなかった。
「あ、あの……」
か細く、美和が声を上げるが、道代には聞こえていない。
「旦那様、お体の具合でもお悪いようでしたら、お医者様を呼びますが、いかがなさいますか」
道代は本気で心配しているようである。美和は意を決して大きく声を張った。
「旦那様は、ここにはいらっしゃいません」
「えっ」
道代が驚きの声を上げると、美和は羞恥心に全身が覆われ、居た堪れない気持ちになった。
「奥様、ここをお開けしても構いませんか」
美和の返事を聞き道代が襖を開けると、そこには夜具の上で正座をし、独りじっと拳を握り締めている新妻の姿があった。
「こ、これは一体……」
道代が呆然として尋ねるが、何が起きているのか尋ねたいのは美和も一緒だった。
「た、大変だ、旦那様がいなくなってる」
道代が真っ青な顔になって立ち上がるのを見て、美和もこれが後藤家だけの仕来りなどではなく、やはり特別な事態が出来しているのだと理解した。
家中を調べてみると、龍之進の差料も消えうせている。
誰かに連れ去られたのではなく、自らの意思で姿を消していることは明らかであった。
さらに確認すると、下働きの小女である小夜も姿を消している。
二人は、同じ夜に何も言い残さず、何の書き置きも残さずに忽然と姿を消していた。