4匹目 2次元世界で嫁探し?タニシでござる
店を休業してから今日で何日目だろう?
窓から射し込む、温かな光を浴びて利眞守は1人碧羅の天を仰ぎ考える。
そして壁に張り付いたプレ子と天を交互に見ながらキャップのポジションを直す・・・そろそろ本題を切り出すか。
重い腰を上げ、ゆっくり彼女に向き直り──
「そろそろお前を、元にもどしてやらなばな」
「おぉやっとその気になったか!」
その一言を聞いたプレ子がヒラリと空中を泳ぐようにして降りてきた。
「そんじゃま"願い"を聞かせてくれ。ソレが叶えば、お前は元のプレコストムスにもどれるハズだ」
「・・・」
「どうした?」
プレ子は俯き黙りこむ。
その表情はどこか曇っているようにも見える。
「オーナーは私に・・・元にもどってほしい?」
「あぁ?元にもどせって言ってきたのはお前だろ?」
「そうじゃなくて!」
どうもプレ子の意を(い)とする事が読み取れない。
何を伝えようとしてるのか?
もしかしたらコイツは、自分がいなくなったら俺が寂しくなるんじゃないかと心配しているのか?
思い上がりかも知れないがなんとなく、そんな気がした利眞守は、今思ってる事をそのまま口に出す。
「お前がいなくなったら俺が寂しがるんじゃないかって事を心配してるのか?まぁそんなモン・・・寂しくなるに決まってるわな。イレギュラーと言えど、なんだかんだ半月近くを一緒に過ごしてるんだ。少なくともお前がいた半月の間、俺は独りではなかった・・・でも心配する事はない。お前は消えるわけじゃなくて水槽の中のプレコストムス、本来の姿にもどるだけで、いつでも会える事に変わりはない」
「もー!そういう事じゃないんだってばぁ!!」
どうやら利眞守の考えは的ハズれだったらしい。
ここまで決めてハズしたとなれば言わずもがな、利眞守としても、やっちまった感を覚えるのは必然。
故に少々ムキになり──
「ぬくくっ・・・解せぬ!その方の真意申してみよ!」
「あぁあぁぁ!もういい!」
"ガチャッ!──バダンッ!"
プレ子は怒りながら店を飛び出して行ってしまった。
"なんだアイツ?"と、しばらく呆気に取られていた利眞守だが、状況を理解した時その表情は一気に青ざめた。
「ちょっ、アイツ外に出てっちまった!?おいヤベェって、もどって来ーーい!お前は色んな意味で外来種なんだぞ!?」
今の今まで彼女を店の外に出した事は、1度たりとてなかった。
それは彼女を危険に晒さない為であり、外の世界は24時間365日360度の角度で常に何が起こるか、わからない危険に満ちている。
急ぎ店を飛び出して辺りを見渡すが、そこにプレ子の姿はなかった。
外見こそ普通の少女だが、その正体は熱帯魚プレコストムス・・・彼女にとって世間の風は冷たすぎる!
大至急見つけ出し保護しなければ取り返しの付かない事にも、なり兼ない!
多少の事でムキなってしまった自分を恥じれば、やるべき事も見えてくる。
一刻をあらそう事態を前に利眞守は走り出し、プレ子探索を開始した。
「うぉおおおおぉぉぉぉおおぉぉぉぉ!」
風と共に去り行く、彼の姿と雄叫びは一瞬のうちに消え去った。
時刻は昼時だというのに人も車も一切通らない立地条件の悪さが生み出す、恐怖を感じるほどの静寂が辺りを包み込んだ時──
"スタッ"
店の屋根に置かれたアクアリウム・バックヤード大看板の裏からプレ子が降ってきた!
彼女はドコに行く分けでもなく、ただ店の外に飛び出しただけに過ぎなかった。
そうとは知らない利眞守は人の集まりそうな所から路地裏や森林区といった所まで、隈なく爆走しているに違いない。
その間に、当のプレ子は走り去った彼の背を見つめながら店内にもどっていった。
何か思うところがあったのか入り口付近に置いてある棚に腰掛け、反省したような表情で待機する事、約2時間後。
「ぜぇ・・・うぅえっ!・・・もう・・・ダメだ」
店内に戻って来たと同時に利眞守は力尽きた。
前にも、こんな光景を見た気がする。
薄れゆく意識の中でコチラに駆け寄るプレ子の姿を見た彼は──
「なんだ・・・もどって・・・か・・・よ・・・」
「オーナー・・・」
「・・・」
最後に何かを言おうとしたのかプレ子に向けて、手を伸ばしている途中で利眞守は落ちてしまったようだ。
しかしバイタリティの塊とでも言うべきこの男は、すぐ復活するに違いない。
そして何事もなかったかのように普段通り、彼女に接する事だろう。
それから3分のクールタイムを経て案の定利眞守は復活した。
若干気だるそうにしているが特に問題はない。
「あぁプレ・・・無事か?」
「その言葉そのまま返す」
「ふっ、ナメられたモノだな。かつて軽トラに突っ込まれたが右肩脱臼、左足骨折、リブ2本にヒビ程度で助かった俺だぜ?この程度がなんだってんだ。あの事故に比べれば生ぬるいわ」
「・・・何やってんの」
華麗なラバーハンドで、ぴょんっと跳ね起きた利眞守は、ぎこちないラジオ体操のような動きを見せつけ自身の復活をアピールする。
まったく身に染み付いていない屈伸運動や深呼吸をミーハーな知識で演じる彼の形は、どちらかというと少林拳の修行僧を彷彿とさせる。
ラジオ体操の存在を知らないプレ子にすら"その動きは違うだろ"とツッコミを食らい、店内に緩やかな風が抜けていった。
利眞守にとっては自分の身より、彼女の事が優先らしい。
勝手に店を出ていっても怒るわけじゃなく、無事に戻って来てくれた事に安心しているのだ。
これ以上プレ子に余計な心配を掛けるわけにもいかない利眞守は、フラフラしながらも日課である生体達の世話を始める。
"カラカラ・・・シャカッ──シャッシャッ!"
何を言わずともプレ子は自分を気遣う彼の優しさを汲み取り、これ以上何も言わない事にした。
そして彼女もまた日課である利眞守観察を開始する。
彼の姿はいつもと何も変わらない。
いつもと同じように鼻歌交じりに水槽のフタを開けて、いつもと同じようにエサを与え・・・ん?
「ちょっ!オーナーソレ!!」
「あぁん?」
慌ただしく叫ぶプレ子に指摘され、手に持ったエサを確認する。
そこに書いてあったのは──
「食い付きバツグン、ゆっくり沈む極小サイズ。淡水魚の必要とする栄養素を全て含んだドリームタブ・・・」
一瞬が1分にも10分にも感じる沈黙のあと、利眞守は絶叫した。
「はあぁああぁぁぁ!ドリームタブ!?」
無意識の内に手にしていたのは悪の枢軸ドリームタブ!
慌てて水槽を確認するも時既に遅し!
ソレは焦らすように、ゆっくりと沈みながら生体達の生活する層に到達している!!
その水槽に住まう生体は──
「コ、コレレ日本の淡水魚を集めた水槽って、うぉわあぁあぁやめろぉ"ギンブナ"ヤメい!お前は食欲の塊と言うか、食い意地張った怪物と言うか、とにかくお前が擬人化したら見境なく全てを食い荒らすマッドモンスターになる事、間違いなしじゃねぇか!!」
水族館に襲来した幼児が如く、水槽に張り付き大声をあげる利眞守。
それに驚いたのか生体達もドリームタブから離れて行く。
この水槽にはギンブナの他にも"モツゴ"、"アブラハヤ"、"ウグイ"といったコイ目コイ科の日本原産の淡水魚が入っている。
その中でも随一の大食漢ギンブナは、動物プランクトンから付着藻類、果てには底生動物など、口に入るモノなら何でも食べる超雑食性。
特にアカムシやイトミミズ、水生節足動物(主にヤゴやカワゲラなど)を好む肉食性が強く目立った種でもあり、そう言う意味でも植物性プランクトンを主食にしている"ゲンゴロウブナ"ならまだしも"ギンブナ"が擬人化する事に恐れたのだ。
「ギンブナもそうだが他のヤツらが食う前にドリームタブを回収しなければ!」
大至急網を用意してドリームタブ回収に取り掛かる。
まだ生体達がソレを食べていない今がチャンスだ!
むしろチャンスは今しかない!
この機を逃せば、再び悪夢が甦る!
"──カシャカシャッ!"
水槽を掻き回すようにして辺りの砂利ごとドリームタブを網に入れる。
なんとか間に合いそうだ・・・利眞守が安堵の表情を浮かべた刹那──
"パアアァァァアアァァ!"
「この光・・・うそぉ!なんでぇ!?」
水槽が眩い光を放ち始め、悪夢の再来を1発告知。
あの一瞬で既に手遅れだったのか?
そもそも何がドリームタブを食べたのか!?
知りたい事は1億コくらいあるが、考える暇もなく店内に謎の声が響き渡る。
「シエル・ザ・メタモルフォーゼ!」
"パアアァァァアアァァ!!"
「な、なんか光の強さが今までの比じゃねぇぞ!?何がどうなってんだ!」
水槽はさらに強く激しく輝き始める!
最早目を閉じていても眩しさを抑えられない!
網を手放し利眞守は腕で、プレ子は両手で目を覆い隠したがソレでも光を防げない。
そんな中、再び謎の声が響き渡る。
「地を這い、壁這い、骸を這う!鋼の鎧に包まれた神出鬼没のグレイザー!安眠震わす鐵の咆哮が通った後には"無"あるのみ!変幻自在の技巧派!絶望と共に我が名を刻め──」
"──バシャアッ!"
眩い閃光を放ち、水槽から何かが飛び出した!
コレで3回目だが毎度の如く、この瞬間には驚かされる。
噛み付きひんぬ〜少女に純潔美少女、悪ぶっていたが実は良い子なピュアラッパーときて、お次は一体何が出る?
ドSなイケメン教師?
それとも謎の覆面レスラー?
まさか普通のサラリーマン?
はたまた古の錬金術士か!?
光のベールに包まれた彼の者の姿が次第にハッキリ見えてくる・・・さぁて答え合わせの時間だ。
「クソォ!来やがれってんだ!」
"──ガチャンッ!"
「漆黒の竜騎士"シュラート・フォン・エーデルグラース"見参!!」
威風堂々たる佇まいに禍々しい漆黒の鎧。
ボロボロの赤いマフラーを靡かせ、その手には細身の長剣を握っている。
その姿はまるで──
「・・・ファンタスティックな・・・勇者様・・・?はぁ!?この水槽に勇者様要素あるヤツなんて居たか!?おお、お前!お前誰だよ!?」
「何度も言わせるな。漆黒の竜騎士──」
「だぁ!そう言う事を言ってんじゃねぇのよ!"種族"の話をしてんだ種族の!」
「種族・・・ふむ、良い響きだ」
予想の斜め上どころか螺旋を描きながら墜落する形で裏切られた利眞守はプチパニックを起こしていた。
一方の漆黒の竜騎士は大振りなモーションで長剣を腰の鞘に納めると腕を組み、種族という響きを染々堪能しているようだ。
その時利眞守は"ある事"に気付く。
竜騎士の正体と関係あるかは、わからないがソレはとにかく半端ない違和感を醸し出している。
「お前・・・なんか小さくねぇ?いや、なんつーかその見た目の鎧にしちゃバランスが合ってないような?」
「な、何を言うかと思えば・・・くだらぬ!」
「それに全体的に安っぽかねぇか?」
利眞守の気付いたモノとは雰囲気。
禍々しい見た目に反して、身長は彼の半分ちょい程度。
最初は遠近法か何かかと思ったが、遠目でプレ子と比べてもやはり小さい。
例えるなら以前現れたネオンより若干大きいくらいである。
そして持っている剣も鎧も、どことなく安っぽいし・・・なんて表現したら良いか、わからないがコスプレと言ったら通じるのではなかろうか?
「我を疑うか・・・良いだろう。ならばこの太刀筋を以てして我が名を、その身に刻み込んでやろう」
"──チャッ!"
利眞守の無礼な態度に憤慨した竜騎士が剣を抜いた!
どこか安っぽいがキラリと輝く刀身は一抹の恐怖感を植え付ける。
「オーナー!」
「心配しなさんな。ならば俺も禁じ手殺法の神髄を以って応えねばなるまい」
"──ササッ"
間の抜けた展開から一転、今度は妙に張り詰めた空気が店内に漂い始める。
竜騎士VSアクアリストの勝負は一体どちらが制するのか?
先手必勝の声を上げ、先に動いたのは竜騎士!
「月光よ!闇に潜み、闇に生きる者を照らし抗う邪念を打ち砕け!!」
それを見てから利眞守もワンテンポ遅れて動く!
「禁じ手殺法が1つ!」
"──バッ!"
プレ子の見つめる中、2人はダッシュで一気に間合いを詰め、同時に技を出す!
「虚式月閃陽炎!!」
「ギュンター式タイラント・スイープ!!」
竜騎士は僅かに跳躍して中段攻撃を狙い、対する利眞守は地面を滑るような超低空ダッシュで下段攻撃を狙う。
しかし選んだ技が悪い!
竜騎士は空中で身を翻していた為、利眞守の下段攻撃は、かすりもしない。
「もらったぁ!」
"シャッ!"
前方斜め下に、その姿を捉えて袈裟斬りを放つ竜騎士だが──
「お、やるねぇ?でもコレ実はフェイクなんだよなぁ。本当の狙いはコッチな分けだったりしちゃったりと──」
"ササッ──シュバッ!"
低姿勢のまま、その場で180度ターン。
相手に背を向けた利眞守はダッシュの勢い殺さずにマーシャルアーツさながらのバク宙を決める!
そこからオーバーヘッドキックをさらに90度傾けたような体勢で相手を飛び越え、力強くしならせた右脚を竜騎士の後頭部に叩き込む!
「禁じ手殺法が1つ!ギュンター式ドロップ・バンカー!」
"──ドゴォッ!!"
「うぐぅあぁっ!」
フェイントからのドロップ・バンカーがクリーンヒット!
プレ子が目を輝かせ賞賛と拍手を贈る中、吹き飛ばされた竜騎士は剣を手放し、ひれ伏した。
その姿は最早学園祭の出し物か、3流映画のワンシーンを見ているかのようだ。
大ダメージを受けながらも何か訴えようとしているのか、単に悶えているだけなのかモゴモゴと蚊の鳴くような声が聞こえる。
とりあえず何を言っているのか聞き取るべく利眞守は竜騎士に耳を近づけた。
「どうした竜騎士さんよ?何か言いたそうだな」
「い・・で・ざ・・・」
やはり蚊の鳴くようなウィスパーボイスを上手く聞き取るのは至難の技。
全神経を集中して、もう少し耳を近づけたその時──
「ぬぅあぁああぁぁぁぁ痛いでござるうぅ!」
「ご、ござる!?」
「何をするでござるかオーナー殿!」
突然の絶叫と"ござる"発言に目を点にする利眞守とプレ子。
そんな2人を放置して竜騎士が漆黒の鎧を脱ぎ捨てた。
"カチャカチャ・・・パサッ"
「ぷはあぁ!窒息するかと思ったでござる!う~む・・・見た目を重視しすぎたが挙句、通気性を──」
「ま、待て待て待て1人で話を進めるな!そもそも、お前は誰なんだ!それに何だ"ござる"って!?」
漆黒の鎧の中から出てきたのは黒いシャツにピンクのジャケット、それに合わせたピンクのハーフパンツとピンク地に黒のラインが入ったブーツ。
何とも言えないデザインの帽子からは左右均等に飛び出た淡いクリーム色の外ハネヘア。
おまけに赤いアンダーリムのメガネを掛けている。
「お前は・・・」
「オーナーわかったの?」
その姿を見た彼の脳裏に1匹の生物が・・・浮かばなかった。
コイツは一体何なんだ?
あの時ドリームタブを食べた生体はいなかったハズ。
見逃した?いや、それはあり得ない。
だとすると見えなかった?
そう考えるとコイツの正体は水中に潜む微生物──
「・・・"ミズミミズ"?」
「むきゃあぁぁそんなわけないでござろうが!よりによってミズミミズ殿と間違われるとは"ターニュン"憤慨でござるよ!」
「ターニュン?」
それを聞いて利眞守の脳裏に1匹の生物が・・・浮かんだ!
最初に聞こえたグレイザーと漆黒の竜騎士。
竜騎士は置いといて漆黒というワード。
それからその何とも言えないデザインの帽子。
コレは見ようによっては螺旋状の貝殻に見えない事もない。
さらにドリームタブを食べる瞬間が見えなかったのは砂利に同化していたからと考えれば?
最後に自らを"ターニュン"と名乗った事。
これが一人称で濃いキャラ特有のアレだとしたら?
以上のヒントを元に、導き出した答えは──
「・・・"タニシ"?」
「惜しい!ターニュンは"ヒメタニシ"でござる」
「ヒメタニシ?なんか可愛い!」
プレ子が目をキラキラさせてタニ・・・もといターニュンを見つめている。
「でも漢字で書くと姫田螺になるからどちらかと言うと戦国時代の姫君って感じだな」
タニシ。
それは"日本の淡水貝と言えば?"と聞かれた際、真っ先に名前が上がる程馴染み深い生物であり腹足綱原始紐舌目タニシ科に分類される巻貝の総称である。
南米と南極を除く各大陸とその周辺地域の淡水に生息し、一般的に殻口をピッタリと塞げるフタを持つ。
その1種であるヒメタニシは全長約3cmで北海道から九州に分布し、水田、池沼、用水路など日本のタニシ科ではもっとも多様な環境に棲み、汚染にも比較的強く大量発生する事もしばしば。
その外見はザ・タニシとでも呼ぶべきタニシらしい見た目ですぐに分かるだろう。
ヒメタニシに似たオオタニシと言う種類もいるがコチラは約6cmと倍近く大きい。
なので大きければオオタニシ、小さければヒメタニシ、丸っこければマルタニシと大雑把に覚えても良いかも知れない。
日本以外では海外のミンダナオ島・ラナオ湖の固有種で、殻に沿って螺旋状にトゲの生えた"トゲタニシ"。
雲南省雲南高地の湖沼群には"コブタニシ"と言った、ちょっと珍しい種類もいる。
そして最後に間違えちゃならない事が1つ。
個人や施設(学校など)の水槽内で、いつの間にか大繁殖して水面を逆さまになって移動する小さな巻貝。
アレはタニシではなく"モノアラガイ"や"サカマキガイ"といった別の種類になるので混同してはならない事。
正体もわかってところで改めてタニシに聞いてみる。
「そんな事よりもだタニシ。さっきの勇者様装備は──」
「ターニュン」
「あ?」
「ターニュンと呼ぶでござる」
「・・・」
いきなり出鼻を挫かれた利眞守。
コイツは、かなりの曲者であると同時に重度のオタク。
さっきのコスプレやセリフを聞く限り、おそらくはアニメオタクか何かだろう。
利眞守は渋い表情で"なんでタニシがオタク化してるんだ?この水槽にそんな要素あったっけ?"と考えてみる・・・しかし心当たりは当然ない。
そもそも利眞守自身アニメどころかテレビすら見ないし、書籍も読んだところで図鑑やその程度。
巷で話題のライトノベルやアニメ、有名な声優なども一切知らない。
そんな中でのタニシの登場は、生体擬人化現象+オタクとの遭遇というダブルの重圧が、のし掛かる事になる。
隠せぬ不安を虚勢で塗り潰し、オタニシに再び問い掛ける。
「タニ・・・ターニュンっつったか?ドコでそんなオタクチックな知識を仕入れたんだ?」
「おぉよくぞ聞いてくれたてござるよオーナー殿!アレはターニュンが砂利に紛れてココに潜入する以前の──」
「待て!やっぱり砂利に紛れてたのか・・・たまにあるんだよなぁそういうの。タニシとか"プラナリア"とかが水草やら砂利に紛れて入って来る事がさぁ」
1つの疑問を解決した利眞守はキャップのポジションを直して"あ~ぁ"と言いたげな態度で座り込んだ。
刹那、タニシがブランチャー気味のタックルをかまして来た!
「そこまで気付いておきながらターニュンを放置してたでござるか!?あの水槽で何度ギンブナ殿に食べられそうになった事か!!この恨み晴らさでおくものかぁ!!」
積年の恨み?を晴らすべく振り上げた怒りの鉄拳を振るうが、その小さな拳で繰り出す攻撃など、いくら受けたところでダメージは皆無。
むしろ、ただただ面倒な絡みにしか思えない。
"ポカポカ──ゲシゲシ"
「わかったわかった俺のミスだ」
「むきゃあぁあぁぁ!その態度赦すまじ!」
"──ベゴッ!"
パンチやキックが効かないと分かると、今度はヘッドバッドをかまして来た!
硬い殻に守られたタニシのヘッドバッドは、利眞守思いもよらぬダメージを与えた。
脳天を押さえながら悶え、のたうち回る彼をドヤ顔で見下したタニシは続け様に言い放つ。
「しかしターニュンは現在機嫌なのでござる!なぜなら水槽の噂で耳にした"願いが叶う粒"を手に入れたからでござる!」
「ね、願いが叶う粒だぁ?オイオイまさかドリームタブが生体達の噂になって・・・つーか水槽の噂ってなんだよ!風の噂じゃねぇのかよ!?」
これはマズい・・・ドリームタブを食べれば願いが叶うなんて噂が店内に蔓延しているだって?
感情を持つのは人間だけじゃない。
つまりソレを求めて生体達が暴動を起こすんじゃないかと考えた利眞守にヘッドバットのダメーシと、不安から来るダメージがダブルで襲い掛かる。
「かあぁ〜・・・こりゃ参ったな。そんたら近い内に、ココで生物災害が起ころうとしてるって事なんでねぇのか?」
「ようやく状況を理解したでござるなオーナー殿?わかったらターニュンの願いを叶えてもらおうではござらんか」
「ったく!泥にまみれたタニシってのはわかるが欲にまみれたタニシってどうなんよ?」
「・・・血にまみれたオーナー殿に言われたくないでござる」
「うぉーい!マジなトーンでそういう発言はやめぃ!俺の印象が悪くなるだろ!?」
「ならもっと言ってやるでござる!オーナー殿が変人なのは学歴が無いからでござる!」
「関係ねぇよ!つーかこの御時世で学歴無しって俺は生粋の裏路地育ちか!?」
「職歴も無しでござる!」
「じゃあ今のコレは何なんだ!?」
「死角も無いでござる!」
「資格の間違いだろ!死角がねぇって俺は無敵か!」
「逮捕歴あり!」
「ンなモンあるかぁ!」
「彼女いない歴年齢と同じ!」
「・・・あえて否定しないでやる」
「そしてショタコン!」
「違うロリコン・・・ってソレも違うッ!」
「このダメ人間!わかったらターニュンの願いを叶えるでござる!」
ある種の形式美?を、やり切った利眞守に対し、タニシは乱暴にメモ帳の切れ端を押し付けてきた。
ムカムカしながら中を見てみると、このような事が書いてあった。
"ターニュンの願い事ベスト399!"
その1 アフレコ現場に行きたい
その2 ギンブナ殿の居ない水槽に行きたい
その3 劇場版 デジタル戦争黙示録を観たい
その4 声優と喋りたい
その5 ソールズアーマーVer2,30が欲しい
etc. ・・・
その5、を見た時点で利眞守はメモ帳を握り潰す。
「お前は欲の塊か!何個書いてあるんだよ!」
「ターニュンがターニュンの夢を何個書こうとも良いではござらんか!それに願いは1つだけ、だなんて聞いてないでござるよ!!」
「くっ!真理的なのか屁理屈なのか・・・よくわからねぇ発言をしやがって!ま、まぁ夢を語るは自由ったか?しゃあねぇなクソ!どっち道やるしかねぇってんなら、出来そうなのからやってってやるよ!それに"デジ戦"なら確か政宗が全巻持ってたハズだしな」
「なんと!オーナー殿の、お知り合いにそのような方が居られたとなれば早速取り寄せるでござるよ!」
利眞守の袖をグイグイ引っ張りながらタニシが急かす。
主導権を握られた、胸糞悪い流れではあるが致し方ない。
こうなりゃプレ子も誘ってデジ戦鑑賞でもすっか!と彼女を探すが──
「プレ子?」
姿が見当たらない。
そう言えば彼女を長らく放置していた。
ヤツは一体ドコに?店内を見渡すと・・・いた!
お気に入りの柱に張り付き、眠っているではないか。
どうやら彼女は長時間放置されたり、興味のない話題になると寝てしまうようだ。
とりあえずプレ子を起こすべく遠巻きに声を掛ける。
「おーいプレ、起きろー」
「・・・ふぇ?」
「お前その顔、完全に寝てたな」
「・・・オーナーおはよ」
己のミスが引き金と言えど、その日からタニシの願いを叶える為の苦行が始まった。
プレ子に確認したところ、自身は後でも良いとの事だったので、さっさとタニシの願いを叶えてから次に移る事にした。
しかし、この量の願い事を叶えるのに一体何日かかる事やら・・・それにドリームタブが生体達の噂になっているのも気になる。
果たして利眞守は平穏な日常を取りもどせるのか?
そしてプレ子は元の姿にもどれるのか?
彼の心配を他所に当人達は──
「そうなんでござるよプレ子殿!!」
「えぇ!それじゃターニュンはギンブナに100回も食べられそうになったの!?」
「ギンブナ殿は見境なしに動くモノ全てを食べようとするからターニュンは常に命懸けでござった!」
「それはオーナーに言ってなんとかしなくちゃだね!」
「ぉん・・・呼んだか?・・・は~ぁ・・・」
すっかり意気投合していた。
やたらとハイテンションな2匹に付き合うこと既に5時間。
利眞守の疲労と眠気はピークを超え、半ば極限状態でタニシの願いの1つ、ノットギンブナを願いを叶えようとした結果──
"ガシッ!"
「わわっ!何するでござるか!!」
タニシをセカンドバッグよろしく脇に抱え、メダカの水槽の前に連れて来ると、利眞守はフラフラと水槽のフタを開け──
「ヤ、ヤバイでござる!何やらターニュンの死亡フラグが──」
"バシャアァン!"
あろうことかタニシを頭から水槽へと沈めてしまった!
バタバタともがくタニシを他所に利眞守は無意識にソレを、奥へ奥へと押し込める!
「ガバババッ!オ、オーナー殿!!ガババッ!やめるでござバババッ!し、死んでしまうでござるうぅ!!」
「ぉん・・・?」
「ちょっオーナー!ストップ、ストーーップ!!」
プレ子がカットに入るが利眞守はビクともしない!
それどころか目すら開けていない!
このままではタニシが溺死してしまう!
そこでプレ子のとった行動は──
「えぇ・・・えぇい!"政宗流奥義"!」
"──バサッ──ブシャアァアァァ!"
「ぉ・・・?から・・・うぉおおぉぉぉ!?」
西部開拓時代のガンマンよろしく腰のポーチから小さなマヨネーズをファストドローで取り出し、利眞守の顔面にぶちまけた!
これは以前政宗から教わった利眞守唯一の弱点で、なぜか彼はマヨネーズの匂いを嗅いだだけでも身心共に致命傷を負ってしまうらしい。
なんとかタニシの救出は成功したが、今度は利眞守が死にそうになっている。
「ぬぅあぁえぇぇええぇぇぇ!!」
「じっとしてないと拭き取れないよ!」
"──べちゃべちゃ──ふきふき"
ガンアクションならぬマヨアクションをしながら被弾したマヨネーズを拭き取るプレ子。
その間にタニシは息を吹き返し、涙ながらに率直な心境を語った。
「さ、三途の川が見えたでござるよ・・・さすがのターニュンでも、その川だけには・・・住めないでござる」
「あっ、今のちょっと上手いかも」
「さ、三途のマヨネーズが見えたぜ・・・さすがのトーシュンでも、そのマヨネーズだけには住めないぜ」
「オーナーのは、なんにも掛かってないじゃん!雰囲気だけで言ってもダメ!」
プレ子の手厳しい意見を受け利眞守は、しょんぼりしている。
しかしおかげで目が覚めた。
399あるタニシの願い、その中でも簡単なモノなら叶えてやれそうだ。
利眞守的には15秒に1つのペースで終わらせて、さっさと次へ行きたいのだ。
そこでタニシの様子を窺うと、なぜか目を閉じ頬を赤らめている・・・何してるんだ?
地雷覚悟で利眞守が語りかけるとタニシは目を閉じたまま、このような注文を言ってきた。
「オーナー殿?"正義だとか愛なんてモンの為に剣を振るった事はねぇ・・・俺は俺の信じたモノの為に剣を振ってんだ!!"って言ってみて欲しいのでござる」
「あんだって?」
「いいから言ってみて欲しいのでござる!」
両ポケットに手を突っ込み、イラッとしながらも言われた通りに、そのセリフを言ってみる。
「正義だとか愛なんてモンの為に──」
「流さないでもっと感情を込めて言って欲しいでござる!ちょっと弱った感じを出しながら!」
「うるせぇなぁったくよ!え~と・・・んん、"正義だとか愛なんてモンの為に剣を振るった事はねぇ・・・俺は俺の信じたモノの為に剣を振ってんだ!!"・・・ハイ、これで良いよな?」
何が何がなんだか、わからない内に言われた通りに感情を込めてセリフを言ってみた。
コイツの考えてる事は、よくわからん・・・そんな事を思っているとタニシは、ゆっくり目を開け利眞守に言い寄って来る。
「オーナー殿・・・素晴らしいでござるよ!いつも喧しく叫んでいるオーナー殿からは想像も出来ない程のクオリティでごさる!!」
「お前にだきゃあ喧しいなんざ言われたかねぇよ」
「ちょっと弱った時のオーナー殿の声は魅力的でござる!若干ハスキーなオーナー殿から力みが抜けてシブい系なイケボが強調される・・・ちと発音にクセが残るでござるが、これは思わぬ原石を発見したでごさる!」
「なんの原石だよ!?」
「あー怒鳴ったらダメでごさる!オーナー殿は傷付き満身創痍なCVをやらせれば、そこそこのクオリティを発揮出来ると、たった今教えたばかりではござらんか」
「ンなピンポイントな役柄なんてあるか!」
「ん?という事はオーナー殿が声優としてデビューすればターニュンの目的が1つ叶うと・・・よしオーナー殿は今すぐオーディションを──」
「人の話を聞けえぇ!!」
"ガシッ!"
暴走するタニシにヘッドロックを掛け、無理やり黙らせようとする利眞守。
「ぎゃあぁあぁぁやめるでござる!ターニュンはコストMAX帯にも関わらず耐久値280の紙装甲なのでござる!!」
「うるせぇ!!」
「ぎゃあぁぁプ、プレ子殿ー!ヘルプでござる!」
こうして新たな問題児タニシの登場によりアクアリウム・バックヤードは再び混沌に包まれていった。
悪気がないから余計に質が悪い・・・そんな言葉が彼の頭を過ったが、悩んでいても始まらない。
退いても混沌、進んでも混沌なら進んだ先に待ち受けるモノを受け止めようと決心して今日は寝る事にした。
そう言えば最近、自宅にすら帰れてないなぁ・・・ずっと地下倉庫で寝泊まりしている利眞守は、いっそ我が家から布団や食器等の生活用品一式を持ってこようかと考えた。
それから4時間後の午前6時。
早起きプレ子が目を覚まし、日課と化した利眞守探索に向かう為、新メンバーのタニシを引き連れ、さっそく地下倉庫に足を踏み入れると──
「ほほう・・・性懲りもせずまた来やがったな?毎朝毎朝、人が寝ているところを襲撃しては腹立たしさの限りを尽くしていく探検家共め・・・と言ってやりたいところだが、今日は初めての来客という事で歓迎してやるぞ?今からココは俺の家だ。プチ引っ越しってヤツだ」
優雅に足を組み、椅子に腰掛けた利眞守が出迎えた。
数時間前まで僅かな資材と大量のクモの巣が占領していた地下フロアは、生活感溢れる利眞守の私物で埋め尽くされていた。
この異常事態は何事か!とプレ子隊長が詰め寄れば、利眞守は椅子の上で、臀部を軸にクルクルと回転しながら、事の真相を語り始めた。
それは遡る事、6時間前。
「そう言う事だから頼むよ!」
「俺は引っ越し屋じゃねぇんだ。そんなモンどこぞの引っ越し社にでも頼め」
「ガチの業者を呼ぶほどの荷物じゃないんですよ!それにお前の宅配ポリシーって何だったっけ?」
「・・・こういう時だけ頼んじゃねぇよ!」
「"形のない、人の想いを運び届ける政宗運輸"が謳い文句じゃありませんこと?」
「だが断る!」
「と、言いつつも?」
「・・・」
「異議無き場合は、沈黙を以って答えよ・・・」
「・・・うるせぇなぁ分かったよ!この借りは800倍にして返せよ!!」
「さすがは仕事一筋、万年平社員様ありがたや!」
「800貸しだぞコラァ!」
深夜0時を少し過ぎた辺りで、利眞守のしつこさに折れた政宗は、車のエンジンを掛ける。
こうしてプチ引っ越し計画は始まった。
"──ブォオオォォォン!!"
「おーお、頑張るねポンコツ3号!」
「へっ!俺の頼もしい愛車だからな。そんじょそこらの660エンジンと一緒にしてもらっちゃあ困るぜ」
実家から荷物を運び出した2人は、夜の静けさが支配する大通りをポンコツ3号と共に疾走する。
唸りを上げ、闇を切り裂くポンコツ4気筒エンジンがアクアリウム・バックヤードへ彼らをと誘う。
"──キキィーイッ!──ブフォオン"
「オラ着いたぞ。さっさと荷物を運べ」
「焦りなさんなって。今頃プレ子達は夢の中だろうから静かにやりましょい」
「本当に泊まり込みで働いてんのか?」
「さっきも説明したろ?だから俺が面倒見なきゃならんのよ」
「まぁ確かに10代半ばくらいか?そんな美少女をお前のプライベート空間と言うか、野獣の園に連れてく分けにもいかねぇしな。そもそもお前の親御さんは、この事知ってんのか?」
「さぁな?つーか何が野獣の園だコラァ!?」
「ほらほら静かにしねぇと起きちまうぜ?ほんじゃまぁ、さっさと運んで姫君の寝顔でも拝ませてもらいましょうか」
「・・・写メるなよ?」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「てな感じの事が・・・って、聞いてんの?」
臨場感たっぷりに説明してやったにも拘らず、プレ子とタニシは彼の私物に興味津々(きょうみしんしん)でソレどころではないようだ。
「聞いてたでこざるよ?つまりオーナー殿のお知り合いはプレ子殿の熱心なストーカーと言うわけでござるな?」
「まぁ否定はしねぇが他に注目する点は無かったのか?」
明らかに、どうでもよさそうな返事をするとタニシは段ボールをひっくり返し、何か面白いモノがないかと物色を開始する。
もちろんソレを利眞守が黙って見逃す分けもなく、すぐさまカットされるが、そうなると今度はプレ子がまた別の段ボールをひっくり返し、そっちを止めるとタニシが・・・目を離した隙にプレ子が・・・一瞬にして利眞守邸は世紀末を迎えた。
「しかし、これだけ探したにも拘らず御両親殿の写真が見たらないでござるな?」
「そんなモン要らねぇだろ?実家に行きゃ、いつでも嫌ってくらい拝めんだからさ」
ソレを聞いたタニシは利眞守に向き直り"えっ?何コイツ、ヤバい・・・"的な表情をしている。
その真意は──
「ちょっと良いでござるかオーナー殿!?男主人公たるモノは基本的に、自分ではモテないとか言っておきながら周りの女生徒や幼なじみ、妹(義理)にはムチャクチャモテる(全員美少女)とか──」
「はぁ?いや、俺学生じゃねぇし妹いねぇし幼なじみは政宗と千春しか──」
「シャーラップ!黙って聞くでござるよ!!オーナー殿は今"主人公"としての危機を迎えているのでござるよ!?わかってるでござるか!?」
「つーか、なんの話を──」
「ウガァアアッ!いいから聞くでござる!!」
いきなり暴走し始めたオタニシの熱量に若干押され気味な利眞守は、ひとまず彼女の言い分を聞く事にした。
そうすればオタクが何を思い、何を考えているのか神秘のベールに包まれたソレを理解する事が出来るかも知れないと・・・。
「最初に言ったように男主人公は基本的に美少女達からモテモテとか、他にも最弱という名の最強の能力を持っていたり、両親とは生き別れか長期海外出張などで近くに居ない、が大前提なのでござるよ!!」
「はぁ・・・?」
「あと日本の普通の高校生って設定のハズなのに、なぜかヒロインは金髪青眼とかオレンジヘアーにオッドアイとか!主人公も、ただの高校生なのにイケメンすぎるとかぁ!!自分と周りも含めて、今のオーナー殿に当てはまった条件があったでござるか!?」
「俺は黒髪だけど政宗は少し茶っぽいよな。ンで千春も黒っぽいし・・・あっ、千春が青とかに染めりゃ良いのか?」
「バカーーー!!」
オタニシ魂のシャウトが利眞守の鼓膜をダイレクトに殴りつける。
「こんな事・・・ターニュンも言いたくないでござるが、オーナー殿は近代主人公の条件を何1つクリアしてないでござる!!」
「だぁねその主人公ってなによ!?それにアクアリウムの──」
「そんなモノあったところでクソの役にも立たないでござるよぉ!!とにかく近代主人公の条件は"イケメン、ハーレム、最弱と書いて最強、元○○とかの最強設定"が無いと話にならんのでござる!!」
「・・・でも俺はアクアリスト──」
「まだ言うでござるか!?アクアリウムとかアクアリストなんてモン掲げた主人公が、ドコにいるでござるか!?前代未聞でござるよ!!」
なんだか分からないが自分は主人公足り得なかったとして怒られてる。
そう感じた利眞守少し、しょんぼりしてみる。
やはりオタクにはオタクなりのディープの世界があるらしく、とてもじゃないが1日2日で理解できるモノではなかった。
主役だろうと脇役だろうと自分の人生、演じるのなら"脇役という名の主人公"でも良いじゃないか・・・そう言った途端タニシの怒号が飛んで来そうだったので、利眞守は黙り込んだ。
しょぼくれる利眞守を見かねたのか、突撃プレ子が彼の背中に張り付き、かまってアピールを開始する。
「プレ・・・って酒臭!!」
「・・・ひっく」
タダならぬ異変を感じた利眞守は急ぎプレ子の手を取り、背負い投げの要領で自身の前面に送り出し、ちょうどお姫様抱っこのような体勢をとる。
ほんのり頬を赤らめた彼女が持っていたモノは案の定、利眞守が秘蔵っ子として大切に保管していた白ワインだった。
ぶどうの皮が生きた贅沢な甘みと、ふんわり漂う上品な香りは一切のクセもなく非常に飲みやすい仕上がりとなっており、まさしく至高の一時を過ごす為の大人のぶどうジュースと表現するに相応しい。
その完成度の高さにアルコール初体験のプレ子でさえ一滴残さず飲み干していた。
瓶を取り上げた利眞守はショックのあまり、思わずソレを握り潰して"これ1本いくらすると思ってんだ!!"などと彼女に文句を垂れる。
「おぉ!良いでござるオーナー殿!!異性との、そういうハプニングからハーレムに持ってければ、まだ希望はあるでござるよ!!」
「・・・」
"ブチッ!"
それから10分後。
「いや~でも久々に自分の布団に寝転がると落ち着くな。物言わぬ包容力って言うの?はぁ~・・・何か眠くなってきやがったぜ」
「んおぉ・・・おぉおぉぉ!」
「・・・痴れ者の声など聞こえんな」
肘枕しながら見つめる先には麻のロープを全身に食い込ませながら、手首を外向きに合わせたエロティックな縛り方をした上でさらに目隠し、猿轡を付けられたプレ子とタニシがいた。
水槽用のブラックフィルムを改良した目隠しは視界を完全に奪い、猿轡はまず口腔内にタオルを放り込み、その上から別のタオルで口を塞ぐ"正しい猿轡のやり方"を実践している為、呼吸音や文句の声なども全て"んおぉ"としか聞き取れない。
おまけにロープは天井に括り付けてあるので、2匹は強制的に両腕を頭上高くで縛り上げられ、つま先と膝だけで体を支えた状態なのだから、それはそれは素晴らしくエロい事になっている。
縛らた熱帯魚と淡水貝を傍らに、愛着ある自分の布団と究極の背徳感に抱かれて利眞守は目を閉じる。
怒りを覚えるほど寝苦しかった枕でさえも、今は懐かしい・・・利眞守は次第に無我の境地へと落ちていく。
その耳は音を聴く事を拒絶し、その眼はモノを見る事を放棄する。
そして上も下も、前も後ろも存在しない世界で静寂だけが彼を優しく包み込んだ。
「Zzz・・・」
「んんぉ?」
(訳:寝た?)
「んんっ・・・んおぉおお、んぉお・・・んぁっ・・・ん、おぉ──」
(訳:んんっ・・・オーナー殿、できれば・・・んぁっ・・・も、もう少し強めに縛って──)
「んん?」
(訳:ターニュン?)
「んぁっ!?んぉおぉおぉぉ!!)
(訳:ハッ!?ついサービス精神溢れるマゾ発言をしてしまったでござる!!)
奇妙な会話を成立させた2匹は、さっそく行動を開始する。
まずプレ子が自慢の八重歯で猿轡とロープを喰いちぎり脱出。
その後、タニシを縛っていたロープも喰いちぎり自由となった2匹は──
「今日はイベントに行くと約束していたのに、その場のノリと勢いで誤魔化そうとするとは、なんたる確信犯!!」
怒りに満ちた表情でタニシは、ポケットから利眞守の天敵マヨネーズを取り出し、一切の躊躇なくぶちまけた!
ゆるい放物線を描きながら致死量?のマヨネーズが着弾!
すると、どうだろう?
先ほどまで深き眠りの世界を彷徨っていた眠り人は、苦悶の表情と共に現世にもどってきた。
「うぉおおぉぉぉ!なんじゃこりゃあぁぁ!!」
"カチャカチャッ!──シュッ──バサッ!"
某刑事さながらの絶叫と共に被弾した服を脱ぎ捨て、モノの数秒でパンツ+キャップのみという変態装備が出来上がる。
その姿に思わず目を背けるプレ子と、逆に食い入るように見つめるタニシ。
「バカァ!何やってんの!!」
「コッチのセリフじゃボケェ!いきなりマヨネーズぶっかけとか殺す気か!!」
「ほぉ~オーナー殿は意外と、いい肉体をしているでござるなぁ。しかもキャップだけは取らないところを見ると、何やらフラグのようなモノを感じずにはいられないのでござる」
「じゃかぁしゃあ!つーかどうやって脱出したんだよ!?クソタニシめ・・・やはりお前だけでも即刻"つぶ汁"にするべきだったなぁ!」
「オ、オーナー殿はターニュンを食べる気でござるか!?」
「つぶ汁・・・?」
「あ?つぶ汁ってぇのはタニシの味噌汁の事だ。昔はタニシも立派な食糧として茶の間を飾ってた時代があったんだよなぁ・・・ターニュン?」
不謹慎にも本人を目の前にして食糧呼ばわりする利眞守。
皮肉を込めた言い回しに、当のタニシは──
「オーナー殿に剥かれて、おいしく食べられる・・・なんか良いでござる!興奮不可避なシチュエーション!種を越えた禁断の関係は最早2人だけが織り成す異世界ファンタジー!想像しただけでも、たまらないでこざるうぅぅ!!」
満更でもなさそうだった。
「お前は何でも良いのかよ!?」
「ノンノンノン!今のは候補の1つに過ぎないでこざる。ターニュンには嫁探しをするという最大の目的があるのでござるよ」
「はぁ!?」
「ターニュンは嫁文化と言うモノに大変興味があるのでござるよ。ある筋からの話によると、ココから数km行った先に嫁探しの聖地であり戦場とも言える、とあるイベントが開幕されるとの情報を得たのでござる!なのでソコに連れてってもらいたのでこざる!!」
タニシの言いたい事には若干ながら心当たりがあった。
おそらく同人やプロなどが自分の作品を出店する"コミケ"の事を言っているんだろうと。
けっこうな規模のソレを行う為の会場・・・ともなれば場所は自ずと限られてくる。
つまり、その聖地とやらはココから数十km行った所にあるアリーナの事で間違いない。
「ふざけんな!その会場まで、どんだけあると思ってんだ!深夜アニメでも観て我慢しろ!」
「えぇ~今期のアニメは全部出来損ないと言うか何を目指しているのか、よくわからない微妙な作品ばかりではござらんか」
「うぉーい!なんて事言ってんだ!?今すぐ原作者やスタッフに謝れ!!」
なぜか慌てた様子でタニシの暴言をカットする。
きっと見えない力か何かを感じ取ったのだろう。
「・・・嫁文化って何?」
そして際どいタイミングで際どいワードにプレ子が食い付いて来た。
コレ以上ややこしくされても収集がつかなくなりそうなので、利眞守はキッパリと"そんな文化は存在しない!"と否定するが、ハイテンションなタニシがこの話題を見逃すハズもなく、プレ子に"嫁とは何か?"の説明を始めてしまった。
「プレ子殿も気になるでござるか!然らばターニュンが答えてしんぜよう!嫁と言うのは自分の好きなキャラクターに、愛を持って接する場合に使う、究極の誉め言葉でござる!!」
「あぁ・・・タニシやめてくれ・・・」
利眞守が頭を抱えて悲痛な訴えをするがタニシには届かない。
それどころかテンションを上げて、さらにヒートアップしていく。
「つまりはその原作者並びに絵師、声優等の──」
「やめぃ!プレ子に変な知識を教えるなぁぁ!!」
"──バチゴォンッ!"
有無を言わせずタニシの脳天にフルパワーモンゴリアンチョップ!
パンツ1丁で野性的な攻撃を放ち、タニシを1発KOしたその姿は最早狂戦士の如き気迫に満ちていた。
「何が嫁探しだ!そもそもお前は女だろうが!とにかくコレ以上プレ子に変な知識を教えるな!」
「何するでござるか!ターニュンは耐久値280の紙装甲だと言ったではござらんか!しかしターニュンはそんなにセクシーでござったか?オーナー殿には1度も性別の事は教えてないでござるよ?さらに言うならばターニュンが男なのか女なのかを示唆する表現も1度たりとて出てきてないでござる」
確かに言われてみればタニシが男なのか女なのかを明確に表現した場面は存在しない。
服装こそピンクを基調としているが格好的にはボーイッシュ。
さらに体格や中性的な見た目と、少し高めの声も相まって男と言われればそう見えるし、女と言われてもそう見える。
なんなら男の娘と言われれば、ソレこそ違和感なんてモノは存在しない程しっくり来る。
「ところがどっこい!お前がタニシである以上、外見だけでも性別は分かっちゃうんだなぁ。しかもソレを示唆する表現も、ちゃんと出てたんだぜ?お前の言葉を借りれば伏線やフラグとでも言いましょうかね?」
「な、なんと1級フラグ建築士たるターニュンですら気付けなかった伏線があった事に驚きでござる!」
だが利眞守には確証があるらしく"お前は女だ!"と断言する事が出来るらしい。
久々のしてやったり感に満足そうな表情を浮かべると同時に、ココからアクアリストとしての知識を遺憾なく発揮し、全てのフラグを看破する。
「ではヒントをやろう。お前の性別を示唆する表現は、あの鎧を脱いだ直後に出てきてるぜ?」
「むむむ・・・」
「次、外見で性別を判断する部位はズバリ頭部だ」
「・・・」
「ラスト!その帽子が貝殻で左右に飛び出た髪が触覚だとしたら?」
「・・・しまった!あの時──」
「ようやく分かったかね?では正解発表!タニシの性別を判断する部分は触覚だ!オスは右の触覚が左に比べて短かったり先端がカールしている。それに対してメスの触覚は左右とも均一になっている。なぜこのような違いがあるのか?それはオスの右触覚には生殖器としての機能があるからだ。つまり"何とも言えないデザインの帽子からは左右均等に飛び出た外ハネヘア"と言うのが、お前が女である事を示唆する表現だったって分けよ!!」
見事な名推理を披露した利眞守は腕を組み、高らかに勝利の笑い声をあげる。
対するタニシは膝から崩れ落ち、床をドンドンと叩きながら悔しがっている。
「このまま中性キャラを貫く事が出来れば両方から支持されると思ったのにいぃぃ!悔しいでござる悔しいでござるうぅ!!」
「はーはははっ!アクアリストの眼を誤魔化そうったって、そうは問屋が卸さねぇぜ!」
「そんな事どうでもいいから早く服着てよぉ!!」
「あっ・・・」
プレ子の一言で我に返った利眞守は己の姿を思い出す。
パンツ1丁にトレードマークのキャップを被り腕を組みながらの高笑い・・・まさに向かう所敵なし、紛うことなき変態がソコにいた。
しかもこの場にいるのは自分以外、全員女の子というプチハーレム。
例えソレが水生生物の擬人化したモノであったとしても、冷静に考えればあり得ない姿を晒している。
しばしの沈黙の後、彼は何かが訴え掛けてきているような気がしてきた・・・"愚か者め!"と
「いやあぁあぁぁ!?俺は変態かあぁあぁぁ!!」
「このぉ──」
"シュッ"
「バカバカバカバカバカァ!!」
"──バシュウゥ!──ドグォッ!"
「うげっ!」
メジャーリーガーばりの投球フォームでプレ子が目覚まし時計を全力投球してきた!
その威力たるや直撃したアナログベルが砕け散るレベル、普通に痛い!
しかしソレ以上に、この場の空気が痛い!
「さっさと服を着ろ変態め!」
「は、はいっ!」
数分後。
「ったく!冷静に考えればマヨネーズぶっかけられた俺が被害者だろ?その上で目覚まし時計をぶん投げられるってどういう事よ」
「まさか一張羅を貫くオーナー殿に2Pカラーが存在していたとは思わぬ隠し要素でござる」
いつもの服から2Pカラーもとい予備の服に着替えた利眞守。
黒いシャツに緑色のズボンと緑のジャケットを合わせた寒色系ツートーンカラーから、赤いシャツに黒いズボンと黒のジャケットを合わせた、彼らしくないスタイルへ変貌を遂げる。
たったコレだけの事でも人の印象は、ずいぶんと変わるモノだ。
赤と黒の組み合わせは、セクシーな印象を与えると同時に郷愁的なイメージを思い出させるらしい。
幼き日に見た夕暮れのコントラストという事だろうか?
「はぁ~朝っぱらから騒いで・・・また眠くなってきたぜ」
着替えた矢先、大きく伸びをして再び布団に寝転がる。
「こらぁ!また寝る気でござるか!」
「少しくらいええでねぇの・・・起きたら連れてってやっからさぁ」
「むむっ・・・1時間たったら連れてってもらうでござるよ!でなきゃ勝手に出てってしまうでござるよ」
「分ぁりまひあよ・・・」
どうしてコイツは、こんなに元気なんだ?
そんな事を考えながら利眞守は布団と熱い抱擁を交わす。
人間とは寝ている時以外、常に眠気と闘っている生き物である・・・誰か有名な偉人が残したであろう名言のような違うような・・・言ってたような言ってなかったような・・・Zzz・・・。
「う~む、やはりオーナー殿は寝る時もキャップを外さないでござるな?これを見てしまっては1級フラグ建築士たるターニュンには、何やら重大なフラグを感じずにはいられないでござるよ」
「ターニュン、ターニュン!さっきから言ってるフラグって何?」
「よくぞ聞いてくれたでござる!せっかく時間も余っているのでプレ子殿にはターニュンの知識の全てを伝授しようと思っていたところでござる。ではフラグとは何かを、ご説明させていただくでござる」
楽しい時間は、あっという間に過ぎていく(少なくともタニシにとっては)。
気付けば既に1時間が経過していた。
さっそく利眞守を起こすべくタニシがペチペチッと彼の頬を引っ叩くが起きる気配はない。
なればと揺さぶってみるが、これまた反応なし。
困った顔を浮かべ、互いに見つめ合う2匹は考えた末に、のし掛かり攻撃を行うが、完全無意識下でのみ反撃を可能にした禁じ手殺法、ギュンター式牙影幻桜刺により、あえなく返り討ちにあってしまう。
それでも果敢に挑み続ける2匹は、時に時刻が正午を迎えている事に気付く。
「ぬおぉおぉ!?既に1日の半分が終わってしまったではござらんか!いつまでも、こんな負けイベントに時間を使っている場合ではござらん!こうなったらターニュンは自力で会場に殴り込みに行くでござる!」
「本当に!?」
「・・・正直言ってみただけにござる。しかーし!中に入れずとも会場までならギリギリ歩いて行ける距離でござるよ!」
「また言ってみただけ?」
「チチチッ!今のは本気でござる!ターニュンの行動力を侮ってはイカンのでござる!それに最初に言ったではござらんか?勝手に行くって」
タニシは店内に貼られた地図を確認すると、帽子を被り直して気合いを入れた。
どうやら本気らしい。
この時プレ子には止めるか、一緒に付いていくか、この場に残るかの3つの選択肢があった。
いつもは"外に行くな!"と規制線を張る利眞守が、今は爆睡中でいないも同じ状況。
彼女は外の世界に興味があった。
このタイミングならタニシを監視するという名目で外に出れるのでは?
そこでプレ子の選んだ選択肢は──
「ターニュンを放っておく事も出来ないから私も付いて行く!」
「プレ子殿・・・大丈夫でござるか?ターニュンに付いて来ればプレ子殿までオーナー殿に怒られてしまうのでは?」
「大丈夫!起きないオーナーが悪い!」
「・・・わかったでござる!もし何かあったらターニュンがプレ子殿をお守りするでござる!」
こうして利眞守の恐れていた生体達の単独外出が現実のモノとなってしまった。
だが夢の世界を彷徨う眠り人が、この一大事に気付く術もなく、プレ子とタニシは太陽が照らす天下の地を突き進む。
「くぅ~!太陽が眩しいでござる!では会場目指して進軍開始!」
「おぉ~!」
臆する事なく2匹はイベント会場に向かって歩き始めるが、店からその会場までは徒歩で約3時間かかる距離・・・果たして大丈夫か?
「イベント目指して進め~♪」
「進め~♪」
やや遠回りではあるものの順調に歩を進め、店から約3km地点に差し掛かった時である。
1台のポンコツ車両が赤信号で2匹の横に止まった。
そして車内からジロジロとプレ子達を見てくる気持ち悪い視線が1つ・・・しかし2匹は気付かずにポンコツ車両の視界から、そのまま消えていった。
「オイオイありゃプレ子ちゃんじゃねぇか?さすが、この人混みの中でも目立っちまうたぁ華があるねぇ。あんなバカ野郎の所なんざ居ねぇで俺の所に来てほしいくらいだぜ!」
"──ブオォォン!"
ポンコツ車両の主人は例に漏れず政宗だった。
ちょうど配達の途中で偶然出くわしたのだろう。
この日の彼は朝の占いを見て"思わぬタイミングで思わぬ人物から頼られる"と出ていたので、それがプレ子ならなぁ・・・と淡い願いを抱いていた。
「占いってぇのは良い事しか信じねぇ質なんだ。もし今回があれば信じてやっても良いぜ?占いってヤツをよ」
それから数十分後。
場面は、もどってタニシ達へ。
「うーむ・・・プレ子殿?」
「なに?」
「迷ったでござる」
「えぇ!?」
大通りから裏路地に入り込み、迷っていた。
そのまま真っ直ぐ歩き続ければ着いたモノを"ショートカットでござる!"とタニシが調子に乗った結果がこの様である。
ココはドコだろう?
四方を壁に囲まれてこそいるが、雲1つない晴天を見上げれば時刻は午後1時30分前だと言うのに、人の気配すらない。
人が居るのか居ないのか寂れた板金塗装屋に右手に、対面には長年雨風に晒された挙句の末路か?穴だらけとなったトタンの物置。
その傍らには外装を剥がされ必要なパーツだけを盗み取られた125ccスクーター。
路地裏と言えどこの荒みっぷりは、さながらフィクションに登場する壊滅都市のようであった。
「な、なんか嫌な予感がするでござる・・・遠回りになるでござるが、来た道を戻るでござるよ」
「う、うん分かった」
2匹が来た道を戻ろうとした、その時──
「ダメじゃないか・・・か弱い女の子だけでこんな所に来ちゃねぇ?」
帰り道を塞ぐようにして、いつの間にか5人の男達が背後を取って待ち構えていた!
金髪のオールバックに顔中ピアスで飾った極悪面は誰がどうみても普通ではない・・・チンピラだ!
ココはチンピラ共のたまり場になっていて、それが原因で人の気配が無かったんだ!
"へへへっ"と不気味な笑い声を漏らしながら2匹に近付いてくる。
「わ、悪い予感が的中・・・はっ!もしやターニュンの一言がフラグになっていたのでは!?」
「・・・こっち!」
本能で危険を察知したプレ子は、タニシの手を取り走り出した。
「ひゅ~追いかけっこか?なら鬼は追っかけなくちゃだよねぇ~?」
男が余裕をかましている間にプレ子達の姿は見えなくなっていた。
果たして、この危険すぎる追いかけっこから逃げ切る事は出来るのか?
「わわわっ!ごめんでござるプレ子殿!ターニュンが余計な事を言ってしまったせいで──」
「大丈夫!あんなヤツら、すぐに撒けるから!」
T字路を抜け曲がり角を曲がると──
「み~つけたっ!」
「っ!!」
死角からヒョイッと飛び出て来たチンピラは、わさわさと2匹を挑発する。
それを避け、もう一方の路地へと逃げ込むが──
「プレ子殿!やっぱり地の利は向こうの方が圧倒的有利でござる!逃げ切るのは不可能でござるよぉ!」
「まだ大丈夫!」
「でもないかもなぁ〜残念だけど、この先は行き止まりだぜぇお嬢ちゃん?」
そちらの路地にも待ち伏せが!
しかも前後の道を塞がれ、退路を断たれてしまった!
「ぎゃあぁあぁぁ囲まれたでござる!」
「くっ!」
ジリジリ詰め寄る極悪面に囲まれ八方塞がりとなったプレ子とタニシ。
膝から崩れ落ち、今にも泣き出しそうなタニシと重心を落として身構えながら、まだ何か手立てはあるハズと考えるプレ子。
こんな時、彼がいてくれれば必殺の禁じ手殺法であんなヤツら一瞬なのに・・・!
だけど今、タニシを守れるのは自分しかいない。
それに彼がいたならきっと今の自分と同じ事をしただろう・・・覚悟を決めたプレ子はチンピラ共の前に立ち塞がる!
「ターニュン・・・私が守るから・・・大丈夫だよ」
「・・・っ!!」
(ターニュンは・・・無様でござる・・・プレ子殿をお守りすると言ったのはターニュンの方ではござらんか!なのに・・・なのに・・・!!)
ギュッ!と拳握りしめ、大粒の涙を流しながらタニシは立ち上がる。
その小さな身体が震えていても、恐怖に支配されていても臆する事なくヤツらに向かって行く。
そして──
「プレ子殿はターニュンが守る!だから、これ以上ターニュンを怒らせるな!」
「なんだぁこのちっこいの?悪いけど、おいちゃんガキにゃ興味ないんだよ。10年たったら、またおいでぇ~♪へへへっ・・・」
「・・・」
"──ベキッ!"
恐怖を振り払うべく、タニシは必殺のヘッドバッドを放った!
本当は腹部を打ち抜きたかったのだが、身長差のせいでヘッドバッドはチンピラの股間に炸裂する事となった。
骨盤ごと砕かれたような常軌を逸したダメージに、のたうち回り悶絶する。
事実、金的は医学的観点から見ても"内臓へのダイレクトアタック"とみなされている為、この反応も決して大袈裟なモノではないのだ。
「こ、このぉ~クソガキャア!!」
ぷるぷると震えながら、股間を押さえ立ち上がったチンピラの余裕面は一転、鬼のような形相でタニシの胸ぐらを乱暴に掴み、引き寄せる。
何が出来るとも分からないが遮二無二彼女を助けようとプレ子が1歩踏み出した瞬間、タニシは左手をプレ子に突き出し"来るな!"の合図を出す。
その後、振り返ったタニシは穏やかな表情と共に、プレ子を諭すかの如く言い聞かせる。
「言ったではござらんか、プレ子殿はターニュンがお守りすると」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「Zzz・・・」
「お・・・ろ・・・いて・・か」
「Zzz・・・」
ココはアクアリウム・バックヤード。
寝ている利眞守に誰かが声をかける。
うっすらと何かが聞こえるような気はするが、誰が何を言ってるかは分からない。
彼は、さらに深い眠りに入ろうと布団に潜り込んだ。
「こ・・・ま・・・か・・に・・・・ろ」
「Zzz・・・」
「いつまで寝てんだ!さっさと起きろ!!」
"──シュッ!──グガッ!"
「うぅえぇ!?げほっうぅえげぼっ!!」
無防備な首をギロチンドロップが容赦なく攻め立てる!
さすがの利眞守もコレを食らってしまっては狸寝入りなど出来きるハズもなく、寝起きのダルさも、どこ吹く風!
怒りのボルテージをMAXにして飛び起きた!!
「だ、誰だゴラァ!げほっ!!」
「この時間を指定してきたのはお前だろ?さっさとサインしてくれよ」
そこにいたのは大きな荷物を持った政宗だった。
「うぅえ・・・寝起きバズーカは知ってるが寝起きギロチンなんて聞いた事ねぇぞ」
「心配すんな!お前にしかやんねぇから」
「テメェにゃいつか寝起きロメロしてやっからな!」
受取書にサインを書く次いでに空白の部分に赤いペンでロメロスペシャルの絵を描いた利眞守。
"お前を血祭りにしてやる!"というメッセージが込められている・・・かも知れない。
「しかし静かだな?まだプレ子ちゃんは、まだもどって来てないのか」
「プレ子?」
政宗の一言で、改めてプレ子とタニシがいない事に気づいた利眞守は"まだもどって来てない"という発言に引っ掛かるモノを感じ、疑問を抱きながらその意味を聞いてみる。
「アイツを見たのか?」
「あぁ。ちょい先の大通りにピンクの服着た小さいのと一緒にいたぜ」
「ちょい先の・・・!?」
そのワードに絶句した。
姿が見当たらなかったのは店の外に出ていってしまっていた事に加え、ちょい先の大通りと言えば地元民なら誰もが数km先のエリアを想像する。
遠すぎる・・・利眞守の表情は一気に青ざめる。
「まさか本当にイベントに行こうとしたのか!?そ、それは何時くらいだ!」
「えぇ~と・・・1時くらいだったかな?」
現在時刻は午後3時・・・嫌な予感がする。
「お前プレ子達に声は掛けたか!?」
「いや車からチラッと見ただけだからな。それより血相変えて、どうしたんだ?」
「そこ!そこまで俺を運んでってくれないか!?」
「はぁ!?ふざけんなっての!まだ2件配達先が残ってんだよ!しかも場所は2件とも正反対だし、つーかこの前も無茶ぶり聞いてやったばっかだろ?何があったかは知らねぇが諦めな」
奇妙な偶然か?それとも必然か?
場面は、その大通りへ。
人々でごった返す歩行者天国を、1人の男性が困った表情で歩いている。
まるで超1流モデルのようなプロポーションに待ち行く奥様方や女学生が2度見、3度見を繰り返す中、困り果てた男はドコかに電話を掛け始める。
"──プルルルル・・・ガチャ"
「お電話ありがとうございます。水生生物専門店"オージラズィマー"です」
「Справка」
(訳:助けてください)
「Менеджер?」
(訳:店長?)
その正体は以前ディスカスのラストフリースタイルを見届け、利眞守の数少ない知り合いの1人にして同業者のミハイルだった。
その彼がこんな所で何をしているのか?
「・・・бродячих ребенка──」
(訳:・・・迷子──)
「Да」
(訳:はい)
相手の言葉を最後まで聞かず、妙にキリッとした表情で威勢の良い返事をする。
実はこの男かなりの方向音痴で、その実力たるや最早神の領域と言っても過言ではない。
彼は大通り沿いに"冬の湖"という店を構えているのだが、ある日の昼休み。
店から130mの所に新しいパン屋が出来たと聞いて買いに出かけた彼は2時間経っても帰って来なかった。
不安に思った従業員が電話をすると、なぜか県境を越えた山奥で遭難していたり、近所のスーパーに行こうとしてなぜかボランティアに保護されたり・・・最早伝説と呼ばれる事件を数多起こしてきた。
故に面識ある従業員曰く方向音痴の世界大会があれば、金メダルどころかプラチナメダルを総なめ出来る程の猛者らしい。
その為ミハイルがいつ迷子になってもいいように、営業時間中は常に従業員の誰かがGPSで監視しているという徹底ぶり。
完璧なルックスに万人が認める人格者。
その反面、日本語を覚えようとしなかったり神なる方向音痴というステータスが付いていたりと・・・それが原因で見せる困った表情も、また人々を魅了していたりするのだが全ては無自覚の産物。
「Менеджер находится в станция теперь」
(訳:店長は現在駅前にいます)
「Хотите чтобы перейти к новой пекарни──」
(訳:新しく出来たパン屋に行きたいのですが──)
「Это противоположное направление」
(訳:逆方向ですね)
またまた困った表情を見せるミハイル。
すれ違う女性人達が、うっとりした顔で彼を見つめるが本人はそれどころではないようだ。
一応のルート案内を受けた後、電話を切って自信ありげに歩き出したのだが大丈夫だろうか?
そんな不安を他所に彼は、なぜか裏路地へ入ってしまう。
コレが神なる方向音痴の原因の1つ、直感で道を選んでしまうミハイルの悪癖。
そして案の定迷った・・・迷路のような裏路地を探索している内にミハイルは、あるモノを見つけすぐさまソレに駆け寄り確認する。
「Что произошло!?」
(訳:どうしました!?)
「うぅっ・・・」
「Тяжелая рана」
(訳:酷い怪我だ)
「プレ子殿・・・」
ミハイルの見つけたソレの正体は全身に傷を負ったタニシだった。
朦朧とする意識の中でタニシはミハイルの顔を確認する・・・さっきのチンピラ共じゃない。
目の前にいたのは絵に描いたようなスタイル抜群のスーパーイケメン。
ヤツらじゃなければ誰でもいいと、ボロボロになりながらも決して手放さなかった髪飾りをミハイルに差し出した。
「誰だか・・・知りませんが・・・コ、コレを・・・プレ・・・助・・・ほ・・・」
「Этот украшение волос!」
(訳:この髪飾りは!)
時同じくしてアクアリウム・バックヤード。
「とにかくお前に付き合ってる暇はないんだ。悪いが他を当たってくれ」
"テーテテテーテー♪テテテテテー♪"
張り詰めた空気の中、利眞守の携帯に着信が入る。
本当はそんな余裕も、ないのだが発信元を確認してから着信を取る。
"──ブン"
「Вы・・・」
(訳:お前か・・・)
「ТОСИ!Чрезвычайная ситуация!!」
(訳:利!緊急事態です!!)
「Что касается меня чрезвычайная ситуация так или иначе теперь──」
(訳:コッチも緊急事態だ。とにかく今は──)
「она──」
(訳:彼女が──)
彼女?
利眞守が真っ先に思い浮かべた相手はもちろんプレ子とタニシ。
まるで狙ったかのようなタイミングに、おそるおそる彼女とは誰の事なのかを問い掛ける。
その答えは想像していたパターンの内、もっとも聞きたくないモノが現実となっている事を知らせるモノだった。
声を荒げ切羽詰まった表情の利眞守は、政宗を放置し電話越しに怒鳴り続ける。
その内容は全てロシア語の為、政宗には理解出来ないが雰囲気だけでもコレが緊急事態である事は容易に察しが付く。
しばらくすると電話を切り、ゆっくりと重い口を開き政宗に事の全てを伝える。
「・・・プレ子が拉致られた」
「なに!?」
「最悪だ・・・俺が寝転けてる間に・・・クソォ!」
急ぎ店を飛び出した利眞守はミハイルの待つ裏路地へと走り出す!
彼の迅速を持ってしてもソコへたどり着くには最低でも30分。
その後ろ姿を見送る政宗は、ただただ黙ってタバコを吹かし始めた。
「己が責任は己で償えってか上等だコラァ!全部受け止めて、なおかつ釣り銭が貰えるくらい償ってやるよ!だから・・・無事でいてくれ!」
路地裏へ向かい爆走する利眞守。
ジョギングしているランナーを追い抜き、アスリートのような自転車を追い抜き、法定速度を無視して走る自動車を追い抜き風と共に駆け抜ける!
あまりのスピードに靴は常軌を逸した熱量を持ち始め、巻き上がる砂煙でさえもスピードに付いて行けず、彼が通り過ぎた後に虚しく舞い上がる。
最早その姿を肉眼で捉える事は不可能。
足音が遅れて聞こえてくる迅速を超えた神速の領域まで加速している!
"シュンッ──ズバゥオォアァアアァァァン!!"
しかし人間が極限を超えた力を行使するには必ず代償を支払わなければならない。
そのスピード故に彼の周囲だけ普通なら起こり得ない"ある事"が起きていた。
例えばロケットやジェット機などを思い出して欲しい。
時速3桁を超えるコレらの機体は殆どが鋭いフォルムをしているのだが、その理由は"スピードと空気抵抗"の関係による所が大きい。
空気抵抗とは速度の2乗に比例し、前面積にも比例する。
また、その形状が流線型の方が抵抗が少なくなり、気圧の高い地上よりも気圧の低い上空の方が抵抗は少なくなる。
つまりどういう事かと言うと、人間の体は前面に広く空気抵抗を全て受け止めてしまう。
さらにココは気圧が高く空気密度も濃い為、さらに抵抗が増す。
そしてスピードに比例して2乗されていく。
その結果、彼の周囲では空気の流れる速度にズレが生じ、そこには圧力抵抗が発生する。
コレが俗に衝撃波、或いはソニックブームと呼ばれるモノの正体であり、彼が神速で大気中を駆け抜ける行為自体がイコールで自ら生み出した衝撃波で自らを斬る、諸刃の剣である事に他ならないのだ。
だが、そんな危険を犯してまでも急ぐ理由は1つ。
自分の身体以上に彼女達が大切だからに決まっている。
危険なぐらいが丁度良い、安全なモノ程つまらない!
そんな言葉を己に投げかけ走り続ける。
「──────!!」
空気を振動させる事で伝わる"音"も神速により歪められた周囲の空気が遮断し、虚空の彼方へと消し去ってしまう。
その頃、路地裏でも動きがあった。
「うぅ・・・」
「Через себя не перепрыгнешь」
(訳:無理をしてはいけません)
「プ・・・プレ子殿・・・!」
激しい目眩に耐えながらヨロヨロと立ち上がり、プレ子を助けに行こうとするが、その1歩を踏み出す事が出来ず、すぐに倒れ込んでしまう。
それをミハイルが優しく抱きかかえ彼女をゆっくりと、お姫様だっこの態勢で担ぎ上げる。
ボヤける視界の中にタニシが見たモノは、白にうっすらと金色の混じったような頭髪、絵に描いたようなイケメン面。
パーフェクトとしか表現できないプロポーション。
まさに王子様と呼ぶに相応しい男の腕の中に自分はいる・・・そう理解した途端、瀕死状態だったタニシは身体の奥底から込み上げてくる熱い"何か"を感じた。
「な、なんと・・・現実世界で、このようなシチュエーションを・・・」
タニシの顔が、みるみる真っ赤に染まっていく。
全身が熱い・・・心臓が力強く、鼓動を打つのが伝わってくる。
まるで身体の中で核融合が起きているかの如き感覚だ!
「Поторопись・・・」
(訳:急いで・・・)
焦った表情で祈る姿さえ、彼女には魅力的に見えた。
入り組んだ路地裏特有の風切り音が止んだ刹那、遠くの方から何か聞こえてくる。
"──ブォオォォン・・・──キュイー・・・"
何やら自動車が急発進、急ブレーキ、急旋回を繰り返しているような相当荒い運転だ。
しかしこの路地裏には大通りを走る車の音は聞こえてこないハズ・・・だとすると暴走車両はドコを走っているのだろう?
ミハイルが耳を澄ませると、その音は次第に近付いて来ているような気がする。
さっきよりも荒れ狂うエンジンの怒りがハッキリと。
さっきよりも酷使されるタイヤの悲鳴がハッキリと。
さっきよりも確実に、暴走車両は近付いて来ているとハッキリ分かる!
"ブァンッ!──ブォオォォォォン!!キュイーーッ!"
タニシを庇うようにミハイルは身構える。
その表情はいつもの優しさに満ち溢れた目付きから、触れただけでも怪我をしかねない程の鋭いモノへと変わっている。
"キュイーーーーッ!──ブァアァァン!!"
「どけどけどけぇゴラァ!邪魔だ邪魔だ邪魔だぁ!!」
ヒドい騒音を引き連れてミハイルの前に現れたのは、砂煙を巻き上げながら片輪走行で走る、スクラップ寸前のポンコツ車両だった。
そのハンドルを握るのは、もちろん政宗に他ならない。
"ドスン!──ガシャアァァ──スタッ!"
浮いていた片輪を着地させると同時にポンコツ3号はエンジンストールを起こす。
そんな事は、お構い無しとばかりに運転席から飛び降りてきた政宗は、後部座席を開放すると中から現れたのは全身傷だらけの利眞守だった。
それは数分前の事。
「ド、ドコに・・・げほっ!い、いるんだ・・・」
周辺地域のありとあらゆる路地裏を探したがプレ子どころかミハイルすら見つからない。
さらに神速の代償として服はボロボロに引き裂かれ全身は切り傷だらけ、おまけに熱を蓄えすぎた肉体はシュウ~と音を立て体内を巡る血液さえも蒸発させようとしていた。
それでも空元気を振りしぼり1歩、また1歩と地面を蹴るが、とうとう倒れ込んでしまう。
ピクピクッと震える肉体が嫌でも限界を告げる中、どこかで聞いたポンコツエンジンの雄々しき咆哮が彼の身体を揺さぶり起こす。
音のする方向へ目線だけ移すと、コチラに向かって突っ込んで来る1台のポンコツ車両が華麗なドリフトを決めて急停止した。
「ったく、お前は人力ミサイルか?生身で走りましたってスピードじゃねぇぞソレ。おかげで探し出すのに時間食っちまったじゃねぇか」
「お前・・・ど、どう・・・して」
「へっ、忘れちまったのかよ?"形のない、人の想いを運び届ける政宗運輸"がモットーだぜ?わかったら乗れよ。お前を運んでってやる」
「・・・ったく・・・お、遅ぇよ・・・」
千芭政宗は裏切らない。
なんだかんだ言いつつも友情を酌み交わした仲間の為なら、地の獄までも駆け付ける。
それが漢の生き様であり彼のポリシーでもある。
瀕死の悪友に肩を貸そうと政宗が触れた瞬間──
"ジュウッ!"
「うぉわ熱っちゃあぁ!?おまっ、コレ人間の体温かよ!目玉焼きどころか煮物が作れるレベルだぞ!?」
人間発熱機と化した利眞守にビックリしながらも、彼を後部座席に放り込むと政宗はポンコツ3号を走らせた。
そのハンドルさばきに迷いは見られず、あたかもミハイルの居場所を知っているかのように狭い路地裏へと入って行く。
気になった利眞守が行き先を聞く前に、政宗は自ら口を開いた。
「途切れ途切れだったがロシアンが場所を教えてくれたからな!とりあえず飛ばすぜ!!」
「なに?ロ、ロシア語が・・・分かるのか」
"その一言を待ってました!"とばかりのドヤ顔をルームミラーに映して政宗が決める。
「ならお前に聞いてやる!この俺を誰だと思ってやがる!! 政宗運輸代表にして地元の道という道を知り尽くした、喧嘩倶楽部総本山魔罹死天13代目頭千芭政宗様たぁ俺の事よ!!」
"ガガガガガッ!──ジャアァァアァァ!!"
言い終えると同時に車体を傾け火花を散らし、鉄粉舞上げポンコツ3号は疾走する。
「あれから少しロシア語ってのを調べてみたらよぉ、単語程度なら何個か聞き取れるようになったんだよ」
なんと政宗は利眞守達の会話の内容が気になるあまり、独学でロシア語を勉強していたのだ。
勉強して無駄な事はないと教育者達は言うが、まさにその通りだと実感する。
「ТуннельってのはトンネルでТаксиは、まんまタクシーだろ?」
「マジかよ・・・あってるぜ・・・」
「でпространствоは広場だったよな?それから最後のкрасная とорехてのは、さっき調べたら赤って単語と木の実って意味らしいな。トンネルがあってタクシーが停まってて周りに赤い木の実・・・つまり、この辺りで言えばヤマモモが生えてる広場。そんな場所この地域の路地裏にゃ1ヵ所しかねぇ!政宗運輸ナメんなよ!!」
"──キュイィイィィ!!"
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「てなわけだ。今回ばかりは万年平社員パワーに感謝せねばならんな」
「それよりターニュンはオーナー殿の覚醒についての話を聞きたいのでござるよ!やはり、そのキャップがリミッターになっていたと──」
「ンなわきゃねぇだろ!このキャップはリミッターじゃなくて御神木みたいなモンなんだよ。なんて説明したら良いかアレだけど、とにかくありがた~い代物なんだぞ?」
意味不明な反論をする利眞守に、ぽか〜んとした表情のタニシ。
今の会話をまとめると彼にとって、そのキャップは守り神のようなモノと解釈すれば良いのか?
なんとも間の抜けた空気に喝を入れるべく政宗が本題を切り出した。
「そんな事よりプレ子ちゃんは!?」
必死の形相で語り掛ける政宗を見て、今という状況を思い出す。
タニシはミハイルの腕の中で地面を指差し、悲痛な思いで顔を上げた。
指差す先を見てみると、そこにはヤツらが付けたであろうタイヤ跡がくっきりと残っていた。
政宗はポンコツ3号のハンドルを握りしめ、利眞守とミハイルは後部座席に乗り込む。
スペース的な問題と彼女の体力も考え、タニシはミハイルの膝の上に座らされている。
その後は曲がり角を越えた先にも点々と残されたソレをたどり、狭い路地裏を疾走する。
ポンコツエンジンは今まさに最高の輝きと共に正義の雄叫びを上げている!
「飛ばすぜ!掴まる所はねぇけど掴まってな!!」
"ブオォオォォォン!──キュルルルガァアァァ!"
「うぉっ!」
「うわぁあぁぁ!!」
「Ай!」
(訳:いたっ!)
重力を無視した上下左右の動きが一同を"これでもか!"とばかりに容赦なく揺さぶり倒す。
ポンコツ加減も相まったその迫力たるや至極の恐怖を心身共にじっくりと味わわせてくれる。
だがミハイルに包み込まれるようにして護られていたタニシにダメージは無かった。
見た目に反してガッチリとした柔軟な筋肉を持つ彼に抱かれて思わず彼女は赤くなる。
自分も同じくらいダメージ負ってんのに!と天井に頭をぶつけながら文句を垂れる利眞守を横目にミハイルは悪い表情を見せながら彼の叫びを嘲笑う。
ヒールな表情さえも、その魅力を引き立てるエッセンスになるから不可思議極まりない・・・やはり世の中イケメンばかりが特をするのは仕方のない事なのか?
「あぁ・・・ターニュンは萌え殺される寸前でござるヤバイでござるヤバイでござる」
「じゃかぁしゃあぁゴラァ!」
「そんな事より、どうやら目的地が見えてきたぜ!」
ハンドルを握る政宗の一言で3人は身を乗り出す。
その痕跡をたどり行き着いた先は、取り壊しの途中で破棄されたと思わしき廃墟の中だった。
半開きのゲートを抜けると様々な改造を施した、いわゆるイカ車と呼ばれる車が停まっている。
華麗なシフトチェンジでポンコツ3号をドリフトさせながらピッタリ横付けすると、付近に屯していたガラの悪いヤツらがメンチを切りながら集まってきた。
タニシを襲いプレ子をさらったヤツらに間違いない!
一同はポンコツ3号から飛び降り、チンピラ共と対面する。
「おぉ!?なんだてめぇらコラァ!!」
「麗しの姫君を救いに来たヒーローとでも言っておこうか?あぁ?」
政宗が啖呵を切って噛み付くと、たださえ沸点の低いチンピラ共は、火に油を注がれ早くも炎上し、ワーワーと騒ぎ始める。
だが周りには住居もなければ大通りからも離れている為、誰が何を叫ぼうが通報される事はないだろうけど、逆に言えば助けも来ないという事になる。
万が一通報されたとしても、この街の警察は"人助け"程度じゃ動かない。
しかし腐敗した警察組織というのも、時と場合によって非常にありがたいモノになる。
この一件はチンピラ集団とアクアリスト一行の私的な喧嘩。
そこには"金の匂い"もしなければ"権力者の影"も存在しない。
故に警察にしてみれば、この騒動は"担当外"どころか存在すらしていないのである。
つまりどれだけの事件を起こそうとも、お咎め無しで処理される事を政宗は瞬時に理解した。
それと同時に有無を言わさず凄味を効かせた表情で相手の胸ぐらを掴み、力任せに引き寄せながら吐き掛ける。
「同じ事を何度も言わせんなよコラ?テメェらが、さらった女の子はドコだ」
「何しやがんだオイ!」
"──シュッ!──ガッ!"
相対した男は政宗の顔面めがけ、力任せなストレートを放つも、その一撃は彼を捉える事なく受け止められてしまう。
「チチッ・・・パンチの打ち方がなってねぇなぁ!」
"ベギャッ!"
右手で胸ぐらを掴み、左手で相手の拳を受け止めた状態から渾身のヘッドバッドを決める!
頭蓋のぶつかり合う、渇いた音を奏でながら大の男を一撃で神したその顔は、既に在りし日の悪童"喧嘩倶楽部総本山魔罹死天13代目頭千芭政宗"のモノになっていた。
騒ぎを聞き付けた仲間達がドコからともなくゾロゾロと集まり、瞬く間に利眞守達を取り囲んだ。
その手に鉄パイプやバール、工事現場で使うピッケルなどを握り、ジリジリと包囲網を狭めてくる極悪面にタニシは震えている。
アニメや漫画では何度も見たシチュエーションだが、フィクションとノンフィクションとでは伝わってくるモノが違いすぎる。
アニメでこの殺気と緊張感は伝わらない。
漫画でこの恐怖と絶望感は伝わらない。
本物だからこそ伝わるプレッシャーに、この臭い。
イージーモードもコンテニューも、最強の魔法もチートな武器も何も存在しない本物の戦い。
さらには無数のチンピラに対してコチラは僅か4人だけ。
おまけに自分は居るだけでマイナスになり兼ねないというのに挙句はミハイルに庇ってもらい彼の行動まで封じている為、実質利眞守と政宗の2人のみ。
どう足掻いたって勝ち目は無いとしか言えないし"お約束の逆転劇が──"などとは口が裂けても言える状況ではなかった。
それは"ボロボロになりながらも最後は必ず勝つ"というアニメや漫画のお決まりパターンが、この場面を以ってして想像できなかったからに他ならない。
1度でも劣勢になれば、あとは寄って集っての集団リンチ・・・いつもの愉快な想像力も今回ばかりは現実を見据えてしまう。
その眼に光を失ったタニシとは対照的に、久々の喧嘩相手を前にした政宗が先陣を切ろうとする。
ところが、わざわざソレを止めてまで利眞守が割り込んできた。
「正直に答えろ。お前らが拉致った女はドコにいる?」
「はぁ?しーらねぇ」
鉄パイプを片手にナメきった表情を見せながら当然の如く白を切る男は、利眞守めがけツバを吹きかけた。
刹那、利眞守のキャップに隠されたその眼が凶悪な光りを放つ。
"──ドシュウゥゥ!!"
その直後、悪態をついた男は吹き飛ばされた。
あまりに一瞬・・・時間に直せば数兆分の0コンマ数秒以下。
先ほどまで、その男がいたハズの空間に存在すべき、男の姿は見当たらない。
代わりに重心を落とし、右腕を突き出した利眞守がソコにいる。
何が起こった?
辺りが妙な、ざわつきに包まれる中、両手を左右に広げた典型的な"あ〜ぁポーズ"をとりながら政宗が口を開く。
「それ見たことか。テメェらがナメ腐った事ほざくから眠れる核弾頭がキレちまったぜ?俺は知らねぇぞ」
その一言を皮切りにチンピラ共が一斉に利眞守へ襲い掛かる!!
「オーナー殿!!」
「心配いらねぇよ。たかだかチンピラ程度にアイツをヤれるわけねぇだろ?むしろ指一本でも触れる事が出来れば奇跡ってモンだな。なんつっても、この俺ですらマジのアイツに打ち込めるかって言われれば、せいぜい紛れ当たりの一発が関の山なんだからよ」
「えっ?」
「論より証拠、まぁ見とけ。ちなみにさっきのアレはギュンター式迅駆翔拳って言うらしいぜ」
"──ドッ!──シュッ!──ガギッ!"
政宗の言葉通り利眞守は目にも止まらぬスピードで、群がる悪党共を薙ぎ倒していく。
手も足も出ないとは、まさにこの事。
例えるなら積み上げた空きカンを蹴散らすが如き光景に一抹の清々しささえ覚える。
そしてタニシは思い知る。
アニメや漫画を基準に物事を考えていた自らの想像力の貧困さと現実に於ける可能性を。
圧倒的な数の差を、ひっくり返す為のセオリーなんてモノは存在しない。
確かに逆転劇で締め括れれば、絵的にもバッチリ決まるが、そもそも殴られてやる必要なんてないし逆転劇なんかも必要ない。
ソレを物ともしない実力があるのなら一方的に叩き潰してしまっても、何も問題はないのだ。
それとは別に以前、利眞守に対して"主人公の条件を何1つクリアしていない"と言った事を後悔した。
両親は御健在、学生でもないし本当にモテないし、過去を探れば元ブリーダー、魔法も使えないし最強能力だって持ち合わせていない、あるのは少しの体術とアクアリウムの知識だけ。
顔もイケメンどころかキャップの所為で、目元すら確認できない変質者っぷりだけど・・・それで良いんだ。
昨今のインフレの影響で、主人公が主人公足り得るにあたって"最も大切な事"を忘れていた・・・。
それは設定云々などではなく"戦場利眞守として存在している"だけで彼は主人公たる資格を得ているという事だ。
そんな男がアクアリウムがなんだと言えば、それだけで十分話は成立する。
俺はアクアリストだ!と言えば前代未聞のソレを掲げた主人公が誕生するだけの事。
彼の姿に、自らの思い描いていたヒーロー像を見たタニシの目から、一筋の涙が溢れ落ちる。
改めて辺りを見渡すと、倒れたチンピラの山の頂きに利眞守ただ1人だけが立っていた。
「オイ!全員伸しちまったらプレ子ちゃんの居場所は誰に聞くんだよ!?」
「・・・全員耳は聞こえてるよな」
容赦無くチンピラ共を踏みつけながら利眞守は彼らのモノであろう車を、じーっとを見つめている。
「コイツの持ち主は?」
問い掛けるが返答はない。
すると利眞守はフロントガラスを指で、なぞりながら徐々(じょじょ)に力を加え──
"ピキッ──ビジジイィィン!!"
強烈な指圧でフロントガラスを突き破る!
普通に考えて、あり得ない光景を前に1人の男が立ち上がり、声を荒げながら近付いてきた。
「ちょっ!やめろぉ!!俺のセル──」
「・・・ラァッ!」
"ガンッ!ベキベキベキッ!"
今度はフロント部を拳で打ち貫き、力任せにボンネットをこじ開ける
「や、やめろぉ!やめてくれぇ!!」
「・・・」
半泣き状態の持ち主を無視して、そのままエンジンルームに手を突っ込む。
「大切なモノが目の前で破壊されていくのは辛いよな?苦痛だよな?勘弁願いたいよな?」
「やめろやめてくれ!やめてください!お願いします!!」
涙と鼻水で顔面崩壊したソイツは両手を合わせ、必死に頭を地面に擦り付けながら許しを請うている。
「やめてほしいか?」
「や、やめ──」
「ダメだ!アイツらが受けた苦痛は、こんなモンじゃねぇんだよ!!」
"──ギギッ・・・ベゴッ──ベチンッ!"
「待ってくれ!俺はただ言われただけで──」
「今さら媚びるな!言われただけと戯れるなら、その責くらいテメェで償え!!」
金属が伸び切れた時特有の甲高い音を響かせエンジンを引き抜き、持ち主のスレスレめがけ投げ付ける。
常軌を逸した光景を前に車の所有者は失神してしまう。
「オーナー殿・・・カッコいいでござるが、ちと鬼過ぎる・・・と言うより闇堕ちしてはござらんか?」
タニシがジトッした目で指摘する。
何と言うか今の彼は、怒りの赴くままに行動しているように見える。
プレ子救出の事などすっかり忘れているのでは?と少し不安になる。
怒れる利眞守は無言のまま残りの車両を目指し歩き始めた。
たった今、車1台が大破する現場を見せ付けられた持ち主達は"愛車を廃車にされては堪ったモノではない!"と先回りして、迫り来る彼に対しなんとか許しを請うが利眞守は止まらない。
その時、持ち主の1人が遂にプレ子の居場所を白状した。
話によれば敷地内にある1番大きな廃墟の地下に幽閉しているとの事である。
それを聞いた政宗とミハイル(タニシを背負って)は一足先に廃墟の地下へと走り出し、一方の利眞守は──
「ようやっと正直に喋ってくれたなぁ・・・最初からそう言ってくれりゃ良かったんだよ。罪を憎んで人を憎まずってな」
諭すような言葉を投げ掛けると土下座する2人に背を向け、自身も廃墟へと向かい歩き始めた。
(バカが余裕こいてんじゃねぇ・・・ぶち殺してやる!)
だがこの機を逃すまいと男の1人が落ちていた鉄パイプを拾い上げ、静かに利眞守の背後へ忍び寄る。
そして音もなく鉄パイプを振り上げると、勢いよく利眞守の脳天めがけ兜割りを放つ!
「だがなぁ──」
"ササッ"
男が鉄パイプを振り下ろしたと同時に利眞守も振り返り、右足を1歩後ろへ下げ左手を前に軽く突き出し、右脇を締めながら重心を落とし両の眼でしっかりと相手の動きを捉える!
「テメェらみてぇな畜生以下のクズ野郎!赦せるわきゃねぇだろうがぁ!!」
"ドゴォッ!──メキメキメキ・・・──グヂャッ!"
「ピンチになったら誰に言われただのと泣き噦りながら土下座でごめんなさいだぁ!?俺の仲間に手ぇ出しといてのケジメがコレか!!あぁっ!?」
「て、てめぇっ!」
強烈すぎるアッパーカットで卑劣な愚策もろとも返り討ちにした利眞守の怒りは今頂点に達している!!
だが残りの1人もチンピラの意地なのか落ちている鉄パイプを拾い上げ、無謀にも彼に挑むつもりらしい。
「遠慮するな使えよ。なんなら、そこのツルハシでもいいぜ?拾うまで待ってやるからさ」
「てめぇマジ死んだわ。もう殺っちゃいます、はい決定」
利眞守の挑発を受けて、おかしなテンションになった男は鉄パイプを持って突進!
そのまま利眞守めがけ全力で振り下ろす!
「あ"ぁあ"ぁ"ぁ!!」
「・・・」
"バシッ!──ギュウゥ・・・ぐにゃぁ"
適度な質量、適度な密度を誇る鉄パイプを片手で受け止め、その手の中だけで飴細工のように軽々と、ひん曲げた。
今ようやく理解した・・・自分と利眞守との戦闘力の差に。
信じ難い絶望を前にした男は鉄パイプを手放し、ズボンを濡らしながら腰を抜かす。
目を逸らしたらヤられる!逃げなきゃヤられる!
動いてもヤられる!次の瞬間にはヤられる!!
「・・・マジで殺んぞ?」
「うぅうわぁあぁはあぁはぁあぁぁ!!」
情けない声を上げながら一目散に逃げ出す、背をめがけて"への字"に曲がった鉄パイプを全力投球。
彼の手を離れたソレは、クルクルと回転しながら吸い込まれるようにして男の後頭部に直撃した。
「ガラにもねぇ事を・・・いや、こんな時に出たんならそれが俺の本心って事なのか」
最後の1人を片付け、今度こそ急ぎ地下へと向かう。
政宗とミハイルがいるから大丈夫だとは思うが、今ごろプレ子は心細い思いをしているに違いない。
待ってろプレ子!すぐに助け出してやるからな!!
「おーいプレ子ちゃん!!」
「プレ子殿!ドコでござるか!!」
「ПУРЭКО!」
(訳:プレ子さん!)
先に地下へ降りた3人はプレ子の捜索に手間取っていた。
やたらと声が反響する薄暗く埃っぽい地下は、お世辞にも良い環境とは言えない。
元々この建物はホテルだったらしく無数の扉が点在している。
それらを片っ端から開けるもプレ子の姿は未だ見当たらない。
「クソ!ドコにいるんだ!まさかあの野郎、土壇場で嘘こきやがったんじゃねぇだろうな!?」
「文句を言ってる暇があったらプレ子を探すでござるよ!」
「そ、そうだな・・・プレ子ちゃん!!」
彼女の名前を叫びながらフロアの隅々まで調べるが結局プレ子は見つからず一同は行き止まりまで来てしまった。
「クソなんでだ!もう部屋は全部調べただろ!!」
「嫌でござるよぉ!プレ子殿と会えないなんて嫌でござる!!プレ子殿ぉ・・・うぅ・・・ぐすっ・・・」
「・・・?」
ミハイルが人差し指を口の前にかざし2人に対して"静かに"の合図を送る。
そして、ある方向を指差し聞き耳を立てる。
それは行き止まりとなっている壁だった。
政宗が壁に耳を当て、全神経を集中させると壁の向こうから微かに何かが聞こえる。
そこで辺りを調べてみると、壁の一画に蝶番を発見する。
行き止まりだと思っていた場所は、チンピラ達によって後付けされた隠し扉だったのだ。
さらによく見ると御丁寧にも壁には指を入れる、くぼみが掘ってある。
政宗とミハイルがタイミングを合わせて壁を引っ張ると──
"ザザザザザッ"
「これは!」
「誰!?」
扉が隠していたその奥からさらに扉が現れ、その中からはハッキリと彼女の声がする!
「プレ子殿!助けに来たでござるよ!!」
「ターニュン!?」
「へっ、俺もいるぜ!」
「えっ・・・え~と・・・」
「俺だよ!ま──」
「んねん平社員!!」
「ズドォー!!」
予想外な返答をされ豪快にスッこける政宗。
角度、スピード、タイミング、どれを取っても完璧なコケ方だ!
「ま、まぁそういう所も魅力的だぜプレ子ちゃん」
(あの野郎今すぐにでも、ぶん殴ってやる!)
「さぁプレ子殿!今、開けるでござるよ!」
ペチペチとミハイルの肩を叩き急かすタニシ。
さっそく扉を開けようとするが──
"ガチャガチャ"
「н?」
(訳:ん?)
"ガチャ──ガチャガチャガチャ!"
何度やってもドアノブが回らない。
しかし鍵穴らしきモノも見当たらない・・・。
「Этот трюк・・・」
(訳:この仕掛けは・・・)
そこへ遅れてやって来た利眞守が合流、ミハイルが扉の謎について説明する。
さっそく利眞守も扉を弄ってみるが、やはり上手くいかない。
業を煮やした彼はシンプル・イズ・ベストな手段を取る事にした。
それは扉を破壊するという最終最強の手段なのだが問題が1つ。
扉を破壊した際にプレ子を巻き込んでしまわないかだ。
そこでプレ子に部屋の広さや形状を聞き、もっとも安全な場所に避難するよう指示を出す。
その場所とは──
「よし!天井に避難してろ!」
「天井って忍者じゃあるまいし──」
「分かった!」
「分かっちゃったのかよ!?」
扉から1歩下がり体を横向きにして左半身を前へ出し狙いを定める。
ロックされた扉を蹴破るにはドアノブ付近を扉と垂直になるようにして蹴るとイケる!そんなテクニックを映画で学んだ利眞守は今こそソレを実践する!
「禁じ手殺法が1つ!ギュンター式アイアン・スティンガー!!」
"──タッ!──シュバアァアァァン!!"
鋭い踏み込みから渾身の893キックを放つ!
すると鉄壁の守備を誇っていた扉は、ギギギバギバギッ!と物凄い悲鳴を上げながら一瞬にして吹き飛んだ。
そもそも禁じ手殺法ならドコを蹴っても変わらなかったのでは?
そんなツッコミを敢えて入れない政宗とタニシであった。
「プレ!」
「オーナー!」
"──シュタッ!"
「お、おいおいマジかよ?今、本当に天井から降って来なかったか?」
そんな政宗の呟きを無視してプレ子は利眞守に飛び付いた。
その衝撃で一瞬仰け反るが、すぐに体勢を立て直し、彼女を強く強く抱きしめる。
その様子を見た一同からは、さっそく安堵のヤジが飛ぶ。
「へっ、此れ見よがしに見せ付けてくれちゃってよぉ。あ~ぁやれやれだぜ!!」
「まったくでござる!リア充爆発しろ!!」
「Цель была закончена давайте возвратимся」
(訳:目的は果たせませたし帰りましょうか)
ミハイルは、ゆっくりと屈み背負っていたタニシを降ろすと腰に手を当て体勢を反らす。
タニシをずっと背負いながら地下を走り回っていたのだから、この男の体力も大したモノだ。
利眞守にも責任がない分けではないが突然のイレギュラーにより始まった今回の騒動も、ようやく終止符が打てそうだ。
チンピラ共の言い分には、多少なりとも引っかかるモノを感じるがプレ子も救出できた今、そんな事はどうでも良いし、こんなカビ臭い所に長居は無用。
一同が戻ろうとした矢先──
「あ、あの!」
タニシがミハイルを呼び止めた。
「あの・・・お名前を・・・あ、あなた様の、お名前を・・・教えていただけないでしょうか?」
「・・・?」
首を傾げるミハイルの様子を見てタニシは"あの事"を思い出す。
「しまった言葉が!・・・ならばオーナー殿!」
「誰がバイリンガルだコラァ!俺は通訳じゃねぇぞ!」
「あの方の・・・お名前を教えてもらっても良いか聞いてほしいでござる」
「その前に俺の訴えを聞いてほしいでござる。アイツの名前はミハ──」
"ドゴッ!"
「オーナー殿の口からではなく、あの方の口から聞きたいのでござる!」
満身創痍な利眞守の肉体にタニシのヘッドバッドが炸裂する!
やはりコイツの考えている事は、よくわからん。
渋々ミハイルに事情を説明をしてタニシの所へ向かわせる。
そして彼女と目線を合わせ彼は笑顔で語りかける。
「Мое имя──」
(訳:私の名は──)
「・・・」
言葉の意味は分からないが、なんとなくニュアンスは分かる。
きっと名前を教えてくれているんだろう。
タニシはゴクリと息を飲む。
「михаил ростиславович драгунова」
(訳:ミハイル ロスティスラーヴォヴィチ ドラグノフ)
「・・・!!」
それから数日後。
心身共に傷を負ったプレ子とタニシのケアに明け暮れる利眞守の元に1通の手紙が届いた。
差出人はロシア語で書かれているので、あの男に間違いないだろう。
宛先は・・・タニシだ!
「おーいタニシ。愛しのイケメソから手紙だぜ?」
「なんと!!」
マッハで飛んできたタニシは、うっとりした表情で手紙を鑑賞し名残惜しそうに封を開けた。
そして内容を確認するが、なぜか渋い顔をしている。
「オーナー殿?読めないでござる」
元々キリル文字が分からない事に加え、その筆記体は全て"mmmmm"と表記される為、ロシア人ですら読めないとも言われている。
悔しそうな表情のタニシを見かねた利眞守は出来る限りを尽くして"mmm文字"を解読してみようと助け舟を出す。
「ほれ、代わりに読んでやるよ貸してみんしゃい?え~と・・・先日は──」
「ストーープ!」
「なんだよ!?」
「そういうモノは最後の1行に全てが集約されているのが世の常でござる。だから最後だけを読んでほしいのでござる」
「・・・分ぁりましたよ。お前のポリシーは分かんねぇけどソレで良いってんなら良いんでねぇの?」
言われた通り、最後の1行だけに目を通し読み上げる。
「До свидания」
(訳:また会いましょう)
"──パアァアアァァァ!!"
その一言を読み上げた瞬間タニシの体は光に包まれた。
この光は生体が元の体にもどる時のアレだが、なぜこのタイミングで?
不思議に思う利眞守に、彼女は最後の言葉を残し始める。
「・・・ターニュンの最大の願いが叶ってしまったでござるな」
「最大の願いだぁ?」
「むきゃあぁぁ!リストの399番目に書いてあったではござらんか!」
「・・・ンなトコまで見てねぇよ」
「くすっ・・・でも良いでござる。そのくらい"ずぼら"な方がオーナー殿らしくて魅力的でござる。しかし予想だにしなかった裏エンディングを迎えてしまったでござるな。コレは1級フラグ建築士たるターニュンですら見抜けなかったでござる」
"──パアァアアァァァ!!"
さらに激しく光に包まれるタニシ。
そろそろ擬人化を維持するのも限界だろう。
刹那、利眞守はニヤリッと笑って利眞守なりの最後の言葉を残し始める。
「なーんてな!リストは1から399まで全部覚えてるよ。ほんで最後に書かれてたのは"現実で素敵な相手と巡り会いたい!"だったよな?喧しいヤツだったがお前も可愛いトコあるじゃねぇか?」
まさに予想外!
利眞守の一言は彼女の想定していた全てのパターンを裏切り、計り知れない衝撃を与えた。
ずぼらで、いい加減だと思っていた男の抜かりない発言にタニシの目頭は思わず熱くなる。
崩壊したダムが如く大粒の涙が頬を伝い落ちる。
「オーナ"ー殿"・・・最後の最後に・・・涙を誘う、ような事"を・・・言わな"いで・・・ほじいでござる・・・やっばりオ"ーナー殿は・・・本物の主人公でござっだよ!!」
"パアァアァァン!!"
嬉しさ、悔しさ、その他溢れ出る感情を胸にタニシは水槽へと、もどって行った。
「・・・ま、それも悪かぁねぇな。主人公が必要な時が来たら、またいつでも俺の名を叫んでくれよ」