7匹目 狙いは1つ!水中の狙撃手テッポウウオ
「よぅ待たせちまったか?」
「うんん。私も、さっき来たところよ」
昼下がり某所の喫茶店に集いし男女が1組。
女性は悪ガキ軍団の紅一点こと千春と、対する男性は利眞守・・・ではなく政宗だ。
この日は珍しく"聞きたい事がある"と千春の方から政宗を呼び出していた。
いつもとは違うシチュエーションに、若干アガリ気味の強面宅配員。
「で、聞きたい事ってのは何だ?」
「うん、プレ子ちゃんの事なんだけど・・・」
それを聞いた政宗が真っ先に思った事は"アイツに聞け!"という率直なモノだったが、千春がわざわざ自分に聞いてくる事には何か、わけがある。
そんな気がした政宗は、答えられる事は全て答えようと小さな誓いを立てる。
もしかしたら毎度の不思議ちゃん補正かも知れないが、それはそれで悪くない。
どんな理由にしろ、今は2人っきりの時間を楽しもう。
「あなたがあの娘に初めて会ったのって、いつだったか覚えてる?」
「え~と確か野郎の引っ越し・・・いやいや、もうちょい前・・・あっ!あのラッパーが来た時だったな」
「本当にその日が初めて?」
「なに疑ってんだよ?」
「いえ・・・その・・・彼女って本当はドコの誰なのかなぁって思って」
千春の言っている事の意味が、わからなかった。
プレ子がドコの誰なのか?
そんなモン、アクアリウム・バックヤードに住み込みで働く従業員だろ?
単純熱血石頭な政宗には、それ以外の何者でもなかった。
「だって彼女、言ってたのよ?政とは店で何度も会った事があるって。その言葉もなんかウソには聞こえなくて・・・」
「俺に何度も会ってる?アイツのトコで?んんっ?」
「それにおかしいと思わない?そもそも利が見ず知らずの女の子を、住み込みで雇うかしら?」
「確かにアイツの性格を考えると自分の世界を他人に触らせるとは思えねぇよな・・・だとするとアイツにとって、プレ子ちゃんは何か"特別な存在"って事か?たぶん恋人とか、そんな関係じゃないだろうけど」
「どうして恋人じゃないって、わかるの?」
「例え恋人だろうとアイツは自分の世界には触れさせねぇハズだ。これでも腐れ縁だから嫌でも、そこら辺には詳しくなるさ。それにアイツは、てんでモテねぇ」
(恋人以外で特別な存在・・・あの娘は一体何者なのかしら?)
千春達が次第にプレ子の正体に勘付き始めているなどと予想もしていない当人達は、この日もドリームタブを片手に店内を駆け回っていた。
「テッポウウオか・・・」
「それってどんな魚?」
「書いて字の如く"鉄砲魚"は口から勢いよく水を発射して、水面近くの枝とかにいる昆虫を撃ち落として捕食する珍しい魚だ」
「おぉ!なんかカッコいい!!」
「では問おう。もし昆虫の代わりに俺達をターゲットとして狙ってきたらどうする?」
なにもテッポウウオが捕食するのは昆虫だけではない。
枝の先にヤモリがいれば、それを撃ち落として食べようとするし、水面で何か獲物が踠いていれば、それに喰らい付く。
なんなら他の小型魚類や甲殻類だって食べる。
要はテッポウウオにとって昆虫とは、あくまで"餌の1つ"に過ぎず、特別なこだわりがあって昆虫しか狙わないという、わけではないのだ。
その事をプレ子に説明してやると彼女はシラけた表情を浮かべながら利眞守に背を向けて──
「じゃ、あとはオーナー頑張って」
「ココまで知ってしまった貴様を易々逃がすとでも思っておるのか!!」
「嫌だぁ!撃たれたくない!!」
壁に張り付き逃走を謀ろうとするプレ子を捕まえて、無理矢理にでも引っぺがしにかかる。
その姿は新米レスラーがスープレックスの練習をしているかのようなシュールな光景だ。
「この変態!ドコ触ってんだ!!」
「喧しゃあコラァ!魚の腹を触って何が悪い!?」
"──スポッ"
「あっ・・・」
プレ子の予想外な文句に思わず力んでしまった利眞守は、力加減を誤ってしまう。
正直、力ずくで引っぺがそうとすれば簡単に出来るのだが、それでは後々(あとあと)プレ子ないし自分自身或いは、その両方がケガをする可能性がある。
要は安全且つ確実に、無理矢理引っぺがそうとしていたのだが──
「おぉーっ!?」
勢い余った利眞守は後方に仰け反りスープレックスの体勢に・・・否!
その美しいフォームは、ジャーマンスープレックスと呼ぶに相応しい!
つま先から腰にかけてのアーチ。
腰から首にかけてのアーチから、全体のブリッジの美しさが見てとれるが、今はそんな事どうでもいい!!
このままでは本当にプレ子を脳天からスープレックスで叩き落としてしまう!どうする!?
選択肢その1、ブレーキを掛ける。
そもそもスープレックスとは、自身のつま先と相手の脳天ないし両肩付近にかけてのブリッジを描くようにして投げる技であり、今の利眞守の体勢を考えると地面と接している部分は、つま先のみ。
つまりこの状態からブレーキを掛ける事など物理的に不可能。
よって却下!
選択肢その2、手を離す。
これなら少なくとも脳天からの垂直落下は回避できるだろう。
しかし手を離す事はイコールで"投げっぱなしスープレックス"という別の技に変形させただけで、プレ子へのダメージは免れない。
よって却下!
選択肢その3、あきらめて奇跡が起きるのを待つ。
人生には詰みと呼ばれるシチュエーションが幾度となく訪れるが、人はソレをどうにかして乗り切るモノだ。
例えば突如重力が反転し2人共、無事に生還・・・あるかもしれない。
例えば6秒だけ時間が巻きもどる・・・あるかもしれない。
例えば床の1ヶ所が四次元に繋がっていて、この状況事態がなかった事になる・・・あるかもしれない!
(ぬおぉおぉぉ!奇跡を起こせえぇ!!)
"──クルクルッ──スッ"
その刹那、なんとプレ子が利眞守の腕を器用にすり抜け、後転しながら彼の顔面に座り込んだ!
"──ドサッ!"
そのまま利眞守を文字通り尻に敷き、クッション代わりにしてダメージを免れる。
「にゃははっ!今のは中々に面白かったぞ!!」
「・・・これがリングの上なら褒めてやる。まさかスープレックスをそんな手段で回避するヤツがいるとはな」
蝶々と謳われ、華麗な動きで観客を魅了するルチャドール(メキシカンプロレスにおけるレスラーの総称)でも、この動きをマネ出来る者はおるまい・・・これでまた1つ、利眞守はプレ子の可能性を知る事が出来た。
それと同時に彼は手にしていたドリームタブが、ドコかに飛んでいってしまった事に気付かされる。
「はあぁあぁぁ!ドリームタブはドコいった!?」
急いで店内を見渡すとフタが取れて中身をぶちまけた状態のドリームタブを発見する!
しかし不幸中の幸いか、ソレは床に転がり生体達の口に入る事はなかった。
「あ、危ねぇ・・・コイツが丸々水槽にダイブしてたら混沌どころか混沌の星が降臨するところだったぜ」
散らばったタブを回収して、地道にケースの中にもどしていく。
今現状ドリームタブについて分かってる事は"強い願いを持った生体を擬人化させる"という事だけであり、これをヘタに処分しようモノならドコで何が起こるか想像すら出来ない。
最悪は世界規模の生物災害が起こる可能性だって考えられる。
故に利眞守には小さな1粒の破片レベルでさえ、これを徹底的に管理する責任があるのだ。
「しゃあねぇ・・・ちゃっちゃとやっちまうか」
"カラカラ・・・シャカッ──シャッシャッ!"
「撃たれないよね?」
「知らん」
"──パアァアァァァ!!"
毎度お馴染みの閃光が店内を眩く照らし出す。
「くっ・・・」
「今度サングラス買ってよ!」
"テテテ!テテテ!テッテテーテテテテッテッテ!!"
次の瞬間にはドコからともなく、勇ましい音楽が聞こえてきた。
この独特のリズムにキレ渡るドラムロール・・・まさか軍隊の行進曲か!?
驚きも束の間、その曲に合わせて水槽から大量の光が飛び出してくる!
それは水槽と利眞守達を一直線に結ぶかのような列を作り、左右均等に5体づつ並んだ。
「ちょっ!待て待て待て何匹出てくんだよ!?」
"テーテー!テテテー!テテテテテー!テテテテテテ!"
呆気にとられる2人の前に、さらに1体飛び出してくる!
それを合図とばかりに、光に包まれていた生体達の姿が見えてきた。
"──バッ!"
「えっ・・・?えぇえぇぇ!?」
左右均等に散開する生体達を見てみると、白地に黒のパターンが入った野戦服に、頑丈そうなブーツ。
上半身にはゴツいベストと、ハイテクそうなヘルメット。
おそらくタクティカルギアと呼ばれるモノを装備したその姿は、まさに正規軍!
水生生物専門店には、おおよそ似つかわしくない兵士達がビシッ!と敬礼をしているではないか!!
その兵士達を横目に、最後に出てきた1匹が徐々(じょじょ)にその姿を現しながら、歩み寄ってくる。
「全体直れ!」
"──サッ!"
「楽に休め!」
"──バサッ!"
1匹の合図で左右の兵士達が、一糸乱れぬ動きを魅せる。
目を細め、その1匹を凝視すると周りの兵士達とは違う軍服に身を包んでいる事が、わかる。
白を基調としているところは同じだが、タクティカルベストは装備しておらず、代わりに灰色のコートと金色の軍章が付いた黒いベレー帽を被り、左目に眼帯、背中には使い込まれたライフルのようなモノを背負っている。
「これより作戦規定に則り"オペレーションBE"を開始する!以後、我輩の指示なく配置を変更する事を断固禁ずる!!」
「ハッ!」
"──パアァアァァァン!!"
再び敬礼をすると、左右の兵士達は水槽の中へともどって行った・・・ヤツらは一体何しに出てきたんだ?
なんかもう人間の頭では処理できない事が、超絶ハイペースで巻き起こっている!
兵士達がオペレーションBEで我輩が禁じて軍隊が敬礼・・・あれ?敬礼がオペレーション我輩だっけ?
利眞守は夢の中で夢を見ているような不思議な感覚に支配されていた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「いつまで我輩の眼前で立ち尽くしているつもりだ!さっさと己の使命を全うせよ!!」
テッポウウオの怒号で頭の中に漂っていた、全てのモヤが消し飛んだ。
まずは状況を理解するところから始めなくては、わけがわからなくなる一方だ。
とりあえずコイツが何者なのかを聞き出さなければ。
「お前!お前はテッポウウオなんだろうが何者だ!」
「我輩はパーチフォームス軍トクソテス部隊指揮官"アーチャー大尉"である!現時刻を以って、このエリアは我輩の指揮下に入る!以後、我輩の許可なく勝手な行動を断固禁じ、軍務規定違反は軍法会議を待たずして、我輩の権限により即罰し、死罪であると心得よ!」
声と態度が大きく、やたらと古風な言い回し。
それはまさしくザ・軍人と呼ぶに相応しい・・・いや軍魚か?
パーチフォームス軍?トクソテス部隊??
一見聞きなれない単語のようにも思えるが、そこは史上最強のアクアリスト戦場利眞守。
何となくだが、それらの意味は理解できた。
パーチフォームスとは分類学で言うスズキ目を意味し、トクソテスも分類学ではテッポウウオ科を意味する。
つまりスズキ目テッポウウオ科に分類されている一員だという事だろう。
それにアーチャー大尉という名前も、テッポウウオの英名である"アーチャーフィッシュ"から来ているモノと推測できる・・・紛らわしいヤツめ!
「ふふふっ・・・貴様についての情報は、水槽の噂にて我輩の耳にも届いておるぞ」
(コイツまで水槽の噂とか言うのかよ・・・)
後ろに手を組みながら足を90度まで上げ、ゆっくりと歩き出すアーチャー大尉。
その歩き方をドラマや映画の中でしか見た事のなかった利眞守は、若干テンションが上がった。
実際に軍人・・・いやいや軍魚がソレをやっていると、意外と様になるなぁ・・・そんな事を考えながら目だけで彼の動きを追う。
「少なくとも貴様と我輩は敵同士ではないと考えている。しかしそれも"今は"というだけであり、貴様の返答次第ではすぐにでも我輩は軍を動かす事が出来る」
「・・・」
「これより貴様にはトクソテス部隊の非戦闘要員として"オペレーションBE"の遂行に協力してもらおう」
「はいはいはい!オペレーションBEってなに?」
いつもの好奇心からプレ子がアーチャー大尉に問い掛ける。
すると後ろに手を組んだまま、大尉が凄味を効かせた顔で彼女を睨みつける。
物言わぬ迫力にプレ子はゾゾッ!とした感覚を覚え、本能的に柱の影に張り付き避難した。
「むっ!貴様は壁に張り付く事が出来るのか?その能力、いずれオペレーションBE達成の為に役立つであろう・・・よろしい!貴様もトクソテス部隊への入隊を許可しよう!!」
「だぁちょっと待て!さっきから言ってるオペレーションBEってなんだよ!?」
それが今回のキーポイントとなる事は一目瞭然。
アーチャー大尉の願いは、オペレーションBEを達成する事と考えて間違いないハズだ。
しかしその内容が分からない事には協力のしようがない。
そもそも"BE"とは一体何を意味するのか?
これは偏見かも知れないが、アーチャー大尉は軍の将校であり、顔の傷や風格から察するに、相手を撃つ事に躊躇いなど毛頭もないだろう。
もしオペレーションBEが悪しき願いだった場合、俺はどうすればいいのか?
願いとは千差万別であり、他人や世界の平和を願うモノから、己の欲望のままに全てを破壊するのもまた願い。
今までは"たまたま"平和な願いを叶えて来たが、今回のコレはどうなんだ?
仮にBEと言うのが"Blood Elimination(血の抹殺)"の略で、この世界から人間の血を1滴残らず排除する事が目的だとしたら、それでも俺はその願いを叶えるべきなのか?
アクアリストとして?
それとも戦場利眞守として?
いや・・・迷う必要なんてない。
もしアーチャー大尉の願いが悪しきモノだった場合、俺にはソレを止める義務がある!
なぜなら生体達が誤った道を進もうとした時に、アクアリストたるこの俺が止めずして誰が止める!!
大胆不敵でスマートに、不条理な程にスタイリッシュ。その身に余多の視線を受けて、背負った想いは幾星霜。森羅万象を以てして測れる規格のない男。それがこの俺、戦場利眞守!
彼は最悪の事態も覚悟の上と、アーチャー大尉の言葉を一語一句、全て聞く事を決意した。
「よかろう貴様等に語ってくれる!!オペレーションBEとは兵士達による理想の国家の建設である!!」
「・・・」
(アーチャー大尉・・・俺に禁じ手を振るわせるな!)
「国を治めるモノは時の権力者だが、実際に戦場に赴き戦うのは常に兵士達である!!つまりは兵無き国、また兵を持たぬ権力などカスも同じである!!しかしその事実に目を背け、兵士達の血と涙を糧に肥え太った上層部のブタ共は一向に動こうともしなかった!!」
ギュゥッ!と握り拳を震わせながらアーチャー大尉の演説は続く。
「それはヤツ等の中に"兵士は戦うべくして生まれてきた存在である"という認識が根付いている事に他ならない!確かにその考えも間違いではない!我輩も武器を持ち、戦場を駆け回っている!だが兵士達は使い捨ての駒などではない事も、また事実である!武器を持ち戦うのが兵士の務めなら、上層部のブタ共の務めとは、その血によって肥える事なのか!?否!断じて否!!」
「・・・」
「そこで我輩は部隊を指揮し、オペレーションBEを実行する事を決意した!それは戦う事を定められた兵士達が、己の為に戦う事の出来る理想の国家!!」
"──バサッ!──ダンッ!"
コートを翻しアーチャー大尉は天を仰ぐ。
そしてオペレーションBEの実態が、その口より語られる。
「オペレーションBEとは"バグズ・イーター"!!つまり兵士達は己の為に虫を撃ち、己の為に撃った虫を喰う!!その自由を賭けた戦いで勝利を得る事こそが、我輩の願いであり兵士達の願いである!!」
「・・・はっ??」
壮大な前フリから語られたのは何とも、しょうもない願いであった。
要するにコレをまとめると"水槽の中だと虫がいないから自由に虫を撃って喰える環境を作ってくれ"という事になる。
「それに水回りから虫がいなくなれば、世の奥様方も喜ぶであろう?」
「い、いきなり路線変更しやがった!?厳つい見た目と、中身にギャップがありすぎるんだよ!!」
「我輩の目的は語った!後は貴様の返答だけだ!!」
「あっ、はい。協力します・・・はい」
まさに拍子抜けとはこの事か?
少なくともアーチャー大尉が今後、敵になる可能性は0%と言っていいだろう。
「よろしい!!では我輩の指揮の元、貴様には存分に働いてもらおう!!」
キビキビと動くアーチャー大尉の決断力と行動力に感化された利眞守達は、早速大尉の指揮の元、せっせと走り回る事を余儀なくされる。
この日から理想国家建設作戦オペレーションBEが始まった。
時刻は午後4時をすぎた頃、アクアリウム・バックヤード内では簡素なテーブルを囲み、3人が意見交換をしている。
場所は、いつもの店内と変わらないのに若干の薄暗さとアーチャー大尉の存在感も相まって、なんだか仮設の駐屯地でブリーフィングを行なっているような、奇妙な高揚感を感じる。
利眞守は参謀補佐にでもなった気分で、アーチャー大尉の横に着く。
「まずは水槽のサイズ・・・いっそ180がいいのかな?ンで枝とかも入れるから・・・あぁ、こりゃ爬虫類用のヤツの方が良いかも知れねぇ。金網ねぇと虫が逃げっちまうよなぁ・・・となるとコレか?」
様々な水槽を見ながらアーチャー大尉と相談するが、なかなかどうして首を縦には振ってくれない。
理想国家に妥協なしと言ったところか?
そんな中、せっかくの軍隊的雰囲気を可愛らしい声でハイテンションを地で行くプレ子が、ぶち壊しながら割り込んできた。
「オーナー、オーナー!これどう!?」
「あ?これどうって・・・お前これバスタブじゃねぇかよ!?こんなん置いちまったら──」
「ふむ。素晴らしい!!このサイズならば兵達も納得するであろう!!」
「うぉいコラァ!バスタブに熱帯魚入れたアクアリウムなんて聞いた事ねぇよ!!」
「じゃオーナーが1番乗りだ!」
「その前に貴様をバスタブに沈めてやろうか!?」
例えアーチャー大尉が気に入ったとしても、アクアリストとしてバスタブだけは遠慮願いたい。
こうなったら、なんとか大尉を言いくるめ、別のモノで納得してもらおう。
「ちょいと待ちな!理想国家の建設を目指す大尉ともあろう御方が、こんなモノで満足なのか?」
「どういう意味だ?」
「水槽とは言わば国家の礎、それを自分達の手で創らずして、果たしてソレが理想の国家と言えるのか?」
「む?」
利眞守は僅かに口角を上げ、無言のまま携帯の画面をカツカツと叩く。
そこに表示されていたモノは巨大なアクリル板だった。
「・・・なるほど。貴様は0から国家の基礎を創るべきだと言いたいのだな?確かにその通りである!理想とは己の願いであり、ソレを100%そのまま形にしたモノなど存在しない!そう自らの手で創り上げる以外は!!よろしいその提案を許可しよう!!」
ある意味プレ子のおかげとも言えなくもないが、ひとまず水槽は決まった。
ならば善は急げと、頼れるアイツに連絡する。
「よう、相変わらず万年平社員やってるか?」
「・・・忙しいんだ切るぞ」
「待てよ!注文だよ注文!!今回は、かなりの大物を運んで欲しいんだよ」
「うるせぇな・・・で?何を何個だ?」
「え~とアクリル板の──」
利眞守が政宗とのやり取りをしている中、プレ子は大尉の軍服に付着した"あるモノ"に気付く。
「あっ・・・大尉ケガしてるの?」
「ただの古傷である!!」
「でも血が・・・」
「古傷とは何度でも同じように血を流すモノであり、この傷が疼くからこそ、我輩は己の信念を忘れずに今を生き抜ける!!例え今日を諦めた者にでも明日は平等にやってくる!だからこそ、この世は不公平で残酷なモノと心得よ!!」
この時プレ子にはアーチャー大尉の言葉の意味が分からなかったが、もしかするとそれは大尉が見せた、最初で最後の"優しさ"だったのかも知れない。
「さーて、お次はレイアウトだ!こればっかしは大尉の意見が9割だからな。要望があるなら今の内だぜ?」
「自ら率先して我輩の意見を聞こうとする姿勢!良い心掛けだ!!」
注文を終えた利眞守は大尉の細かい要望を聞いて、プランの第1段階を終える。
しかし前半戦で飛ばし過ぎてしまった為、アクリル板が届くまでの間が暇になってしまった。
そこでアーチャー大尉を、より詳しく知る為に2人は大尉と何気ない会話をしてみる事にした。
最初に動いたのはプレ子。
「そう言えば大尉の持ってるソレなに?」
大きな背中に隠れるようにして、僅かに見えているバレルとストックを指差しプレ子が質問する。
「兵士にとって命とも言える"AAレンジライフル"である!!」
"──ガチャッ!"
無駄のない動きで背負っていたライフルを手前に持ってくると同時に、左手で銃の中央部を持ちながら引き上げる。
それを体の中央で構え、右手で銃の下部を持つ。
これは軍隊や自衛隊が行う"捧げ銃"と呼ばれる行動。
2人は大尉のキレのある動きに感心しながら、改めて彼のライフルをまじまじと眺めてみる。
細身でハンドルが、ほぼ真下を向いている所を見ると旧ソ連製のボルトアクション式ライフル"モシン・ナガン"に似ているような気がする。
テッポウウオは東南アジアを中心に分布するのだが、なぜそれが北の大国の銃を持っているのか?
あとになってわかった事だが当時、鹵獲されたモシン・ナガンは東南アジアにおいて広く使われ、後の紛争などでも使用されていた歴史があるらしい。
ましてアーチャー大尉は軍の将校。
そういった歴史的な影響を受けていると考えれば、なんとなく説明は付く。
こうなると嫌でも、そのライフルに興味が湧く。
キラキラした目でプレ子が大尉のソレを"貸してくれと!"と、ねだるが──
「我輩の言葉を聞いていなかったのかバカ者!!銃は兵士の命も同然!!それを貸せと申すは愚の骨頂である!!貴様は第三者に命を貸せと言われたら、そのまま差し出すのか!!」
「あーっ!そんな怒鳴らなくても良いじゃん!!」
「うらぁ!魚同士でケンカすんな!!」
「ケンカなどではない!!この無礼者に、兵士にとって銃とは何かを説いてるだけである!!」
「じゃ兵士にとって銃とは何かを聞かせてよ!!」
「良かろう!!」
その後アーチャー大尉は怒号共に"兵士にとって銃とは何ぞや?"を説き始めた。
その内容をまとめると、銃を背負う事は即ち、戦う使命を背負う事も同じらしい・・・なんだか腑に落ちない感覚を覚えながらも、プレ子は適当に頷きながら話の9割を受け流していた。
実際のところ、テッポウウオがなぜ水鉄砲を撃つのかは未だに解明されていないのだが、大尉の主張を聞く限り、その答えを人間が理解する日は永遠に来ないだろう。
こうして着実にオペレーションBEを遂行して行く一同。
これより2日後にはアクリル板とレイアウト材も手に入り、いよいよ国家建設は佳境を迎える。
「さぁてやってまいりました!プレ子と──」
「アクア・ザ・クリエイターの──」
「レッツ水槽クリエイション!!」
「レッツ水槽クリエイション!!」
「さてプレ子さん。今回創るモノは一体なんでしょうか?」
「おぉー!今回は、この巨大なアクリル板を使って理想国家を創りたいと思います!!」
「まぁ素敵ですわ!でしたらゲストの方にも登場していただきませんと!今回のゲストはこの方です、どうぞ!!」
「パーチフォームス軍トクソテス部隊指揮官アーチャー大尉である!!」
やたらとハイテンションな利眞守とプレ子。
その理由は"工作が楽しみだ!"というシンプルな理由以外にも、アーチャー大尉と共に2日を過ごした結果、彼は厳つい見かけによらず実はフランクな性格である事が判明。
その為、ある程度の悪ノリなら付き合ってくれる事が2人のテンションを、うなぎ登りに上昇させていた。
もしかしたらソレも将校として、兵達の士気を上げる為の嗜みなのかも知れない。
どちらにせよ周りの兵士達は、指揮官だからとか将校だからではなく"アーチャー大尉だからこそ"慕い集まって来たのだと感じずにはいられない。
「いくぜ!理想国家建設は目の前だ!!」
「おぉー!」
「その心意気や良し!さっそく作業に掛かれ!!」
それからの作業は早いのなんのと1人と2匹は悪ノリを挟みつつも、瞬く間に巨大な水槽を創り上げた。
細かい木の枝や蔦は昆虫に立体的な動きをさせる為、敢えて複雑に絡ませてある。
その上で水面から確実に狙えるスナイピング・ポイントも確保した、絶妙な仕上がり。
これには、さしものアーチャー大尉──
「・・・見事!!その手際の良さと、完成度を以ってすればトクソテス部隊技術部にも遅れを取るまい!」
「後はシリコンボンドが完全に乾くまで待機だな」
利眞守は大きく伸びをしながら、アーチャー大尉に"どうしても聞いておきたい事"があったのを思い出した。
実を言えばオペレーションBEがバグズ・イーターの略で、ただ虫を撃って食べる環境を作る事だけが目的ではないような気がしていたからだ。
アーチャー大尉は一見すると堅物な将校というイメージしかないが、その一方で"何か裏があるのでは?"と思えるような発言をする時もあった。
それは大尉だけが抱える"深い悲しみ"とでも言うのだろうか?
言葉では上手く表せないが、きっとまだ何かあるハズだ。
そう確信した利眞守は、意を決して直接聞いてみる。
「・・・大尉。そろそろオペレーションBEの本当の意味を教えてくれないか?」
「む?何を言っておるのだ?」
「バグズ・イーターってのも意味としては、あってるんだろうけどもよ・・・それが本当の意味じゃないよなって事」
「・・・」
初めてアーチャー大尉が黙った。
ある意味ソレが答えなのだろうが、利眞守が知りたいのはその先にあるモノ。
「大尉・・・触れちゃならん事かも知れないが俺は──」
「構わぬ。遅かれ早かれ、いずれ貴様は気付く事だと思っていた。ならばこの場で語たらぬ通りはない」
その場で180度ターンして利眞守達に背中を向けると、後ろに手を組み大きな背中で語り始めた。
「我輩にも家族がいた。もちろん部隊の兵士達も家族と同じく尊い存在だが・・・我輩には妻と娘がいた」
家族がいた・・・その表現は過去形だ。
つまりアーチャー大尉の妻と娘は、もう既に・・・。
「あれは今から半年前、我輩はいつもと変わらぬ戦場で、いつもと変わらぬ武器を持ち、いつもと変わらぬ激戦を繰り広げていた。しかし・・・その日だけは違った」
"タッ・・・タッ・・・"
「我輩が兵士達を連れ、駐屯地へもどった時・・・そこは既に死屍累々の地獄と化していた。皮肉な事に死地へ赴き、常に死と隣り合わせの我輩達だけが生き残り、安全なハズであった駐屯地にいた者達が死んだのだ」
「・・・」
「その時我輩は初めて絶望なるモノを味わった・・・今まで如何なる敵も一撃で射ぬいてきた我輩にとって、ある意味で敗北、絶望、死というモノは無縁の存在と化していた。だからこそ目の前に広がる現実を受け入れられなかったのだ。我輩はまだ息のある者に、何があったかを問い質した。するとその者は薄れいく意識の中で"異形の怪物"が現れた事と、国民を残して一目散に逃げ出した権力者共の愚行を語り息絶えた。それを我輩に語らねばならぬ苦しみは想像を絶するモノであっただろう」
「"異形の怪物"・・・?」
テッポウウオの生息地域は東南アジアから周辺の熱帯地域である。
我が国では1980年に沖縄で発見されるなど、そのエリアは幅広く、アーチャー大尉のいた正確なエリアを特定する事は難しい。
しかし古くより、その地に住まうテッポウウオが異形の怪物と表現すると言う事は、その生物は"本来そこにいるハズのない生物"だと言える。
昨今の温暖化や異常気象のせいで、その異形の怪物がテッポウウオの生息地域、或いはアーチャー大尉のいた地域に入ってきたと考えるのが妥当だ。
だが、それもこれも元凶は全て人間にあると言い切れる・・・利眞守は胸を締め付けられる思いで話の続きを聞く。
「その直後、我輩達も異形の怪物と遭遇した。アレはまさしく怪物と呼ぶに相応しかった。我輩は左目を抉られ、癒える事のない傷を負わされ・・・否、この程度で助かったと表現すべきであるな」
「・・・その怪物とは何だったんだ?」
「我輩もハッキリとは覚えておらぬ。全長は2mを超え、如何なる攻撃にも怯まぬ圧倒的な防御力を誇り、その一撃で余多の兵士達を切り裂いた。その時、我輩は死というモノを強くハッキリと意識した。しかし戦いが終わってみれば瀕死の状態とは言えど、我輩は生き延びていた。それは我輩が生き延びるべくして生き延びたモノであると今は思える。何故なら最愛の妻が死の間際、我輩に一言"生きろ"と残したのだ」
「・・・」
「我輩は生き延びた者共、全員を連れ異形の怪物から逃れるべく指揮を取り・・・そして誓った!これ以上誰もムダ死にさせるわけにはいかぬと!!そして我輩は1つのプランを考えた!それこそがオペレーションBE・・・その真の意味は我輩の妻と娘、それから大勢の兵士達の、最愛の相手が託した思いを実現させる "Beloved Engagement(最愛の相手との約束)"生きる為に生きる道である!!」
生きる為に生きる・・・その言葉はアーチャー大尉の口から出る事によって、意味を成すモノである事を利眞守はすぐに理解した。
水槽の中で、敵に襲われる事なく一生を過ごす事もまた生きる事には違いないのだろうが、そうじゃない。
彼らは戦場で戦ってきた兵士であり、それが戦う事を・・・武器を捨てて生きる道を選択した時、果たしてそれが彼らの"生きる"に価するのかと言われれば怪しいモノだ。
だからこそアーチャー大尉は、周りの兵士達が知っている"パーチフォームス軍トクソテス部隊指揮官アーチャー大尉"であり続けなければならないのだ。
"CSR"や"PTSD"と呼ばれる精神病に犯される兵士は少なくない。
そんな中"皆の知っているアーチャー大尉"がいれば、そこに見失いかけた自分の姿を見出だす事も出来るハズ。
本当は大尉だって死ぬ程辛い思い・・・いや、死んで楽になりたいと思った事だろう。
しかしアーチャー大尉は、兵士として戦い抜く事を選んだのだ!
だとするとオペレーションBEは大尉が兵士達にしてやれる最後の手向け・・・。
Beloved Engagement。
それはまさに史上最大の作戦であり、絶対に成功させなければならない生きる事への道標!!
利眞守はシリコンボンドが乾いたのを確認すると水槽に水を入れ、フィルターを稼働させエアーのスイッチを入れる。
そしてアーチャー大尉に準備完了の敬礼をした。
「ふむ。全体!整列!!」
"──パチャパチャ!"
水槽の中のテッポウウオ達が、息の合った動きで綺麗に整列する。
「進め!!」
"──バシャッ!──バシャッ!──バシャッ!"
大尉の号令を合図に、列の先頭から勢いよく飛び跳ねBE水槽へと入って行く。
テッポウウオの跳躍力は高く、水面から1m以上もジャンプして、直接昆虫を食べる事もある。
また揺らぐ水面から見あげた時の、目標との屈折率も計算してピンポイントで狙撃したりジャンプしたりもする彼らにとって、この程度の芸当など朝飯前だ。
「此度の貴様等の活躍は、トクソテス十字勲章モノである!!以後、我輩の許可なくしての理想国家への介入を認めよう!!」
"──バッ!"
背筋を伸ばしたキレのある敬礼を利眞守とプレ子に贈るアーチャー大尉。
"──パアァアァァン!!"
最後の1匹が移動したのを確認するとアーチャー大尉も光に包まれながらBE水槽へと飛び込んで行った。
後腐れない別れの潔さは、さすが兵士と感服してしまう。
そして利眞守とプレ子は互いに目線で合図してから呼吸を整え、声を揃えて再度敬礼した。
「アーチャー大尉に敬礼!!」
"──バッ!"