6匹目 内気なあの娘はヒットマン?ピラニア登場
「おい入間門左衛門コーヒー取ってくれよ」
「・・・おらよ」
「入間門左衛門、黒の油性ペンってドコかしら?」
「・・・ココだよ」
「オー・・・じゃなくて入間門左衛門!スムージまだぁ?」
「・・・できたよ」
「ИЛУМАМОНЗАЭМОН・・・хи-хи」
(訳:入間門左衛門・・・ぷぷ)
「だあぁあぁぁテメェらいい加減にしろ!なんで俺の名前が入間門左衛門って事になってんだよ!?最初の"い"しか合ってねぇじゃねぇか!」
ココは現在休業中の水生生物専門店アクアリウム・バックヤード。
そこに集いし、不思議な縁の元に導かれた4人と1匹が何をしているかと言うと──
「へっ、負け犬の分際で何ほざいてんだぁ?悔しかったら来年の誕生会でリベンジしな!」
これは仲間内(利眞守、政宗、千春)の恒例行事で、3人の内の誰かが誕生日を迎えたら"その日はココを貸切状態にして盛大に祝おう!"という一大イベントの真っ最中なのだ。
しかも今年から新たにプレ子とミハイルも参戦している。
来年の誕生日会は、さらに騒がしくなりそうだ!
そして今日は政宗の誕生日で、利眞守曰く"ヤツはまた1つジジィへの階段を登って行った"らしい。
3人は同級生として共に青春を過ごしていたが、実は利眞守だけ年齢が1つ下となっている。
彼は1月の早生まれで、コレが数年ないし数ヵ月でもズレていたら、この3人が出会う事はなかったかも知れない。
まさに不思議な縁と言えよう。
だがそんな仲間達にさえ、打ち明けられぬ秘密と苦悩を抱えた利眞守は、頭の片隅を過る不安に毎晩魘されていた。
「そろそろケーキなんてどうかしら?今回のケーキは、あの名店が誕生日限定で創ってくれるスペシャルな一品よ」
「うぉマジで!?千春が俺の為に・・・くうぅうぅぅ泣けてくるぜぇ!」
「テメェは毎年、同じ事しか言えねぇのか?これだからいつまで経っても万年平社員は万年平社員なんだよ!!」
千春がテーブルの上に豪華な装飾が施された箱を置くと、焦らす事なく中からスペシャルケーキを取り出した。
美し過ぎるクリームの造形、艶やかに彩られたフルーツは、まるで白き大地に散りばめられた宝石が如し!
その中央には"happybirthday"と書かれたチョコ板が圧倒的存在感を醸し出しながらも繊細に、全体のバランスや雰囲気を壊す事なく存在していた。
「・・・こりゃスゲェな」
「おぉ!ケーキだ、ケーキだぁ!!」
「Это уровень искусства」
(訳:最早芸術の域ですね)
「いくら俺の誕生日ケーキと言えど、喰っちまうには勿体なさ過ぎるレベルの代物だぜ」
「あらそう?なら代わりに俺が貰って──」
"バシッ!"
「待てやコラァ。入間門左衛門風情がケーキを頂こうなんざ1億年早ぇんだよ」
政宗が利眞守の手をブロッキングすると、2人は目線を交差させる。
刹那バチバチッ!と火花を立てて互いの眼力がぶつかり合い、一触即発の均衡状態にまで発展した!
「政宗・・・どうやらケーキを頂く前に、貴様を屠らねばならんようだな。今日という日を命日に、黄泉の國への片道切符をくれてやる」
「遺言は終わりか?なら貴様には、アクアリストに相応しい最期として、水槽の藻屑になる権利をくれてやる」
"──ササッ!──タスッ!"
2人は素早くバックステップで距離を開ける。
利眞守は重心を落として左半身を1歩前へ出しながら、両手の親指から順に人差し指と中指を曲げ、薬指と小指をさらに深く曲げた独特の構えを取る。
これはまさしく禁じ手殺法の構えに他ならない!
対する政宗は右半身を後ろに隠すようにステップでリズムを刻む。
この時、相手を正面にして自身の体が、その垂直のラインに来るように構えれば399戦398勝1敗という武勇伝を生み出した、政宗必殺の構え魔罹死天流喧嘩殺法の完成だ。
斯くして利眞守VS政宗の一騎討ちが始まった!
そんな事はお構い無しと、千春は慣れた手付きで1ホールのケーキを5等分にして小皿に取り分ける。
メッセージの書かれたチョコ板が乗っているのが政宗のケーキだろう。
「あの2人の事はディナーショーだと思って気にしないで。はい、大きなフルーツの乗ったコレはプレ子ちゃんので──」
「やったぁー!委員長ありがと!!」
「Это ваш」
(訳:コレがあなたのよ)
「Поблагодарите вас любезно」
(訳:親切にありがとうございます)
激しいバトルを繰り広げる2人を余興に、3人は早速スペシャルケーキを食べてみる。
フワッとしたクリームの濃厚な舌触りと甘さと香りが口の中一杯に広がると同時に、丹念に濾されたスポンジケーキの優しい食感が味覚、嗅覚を介して脳を刺激する。
さらに追い打ちを掛けるように、フルーツの甘酸っぱさがソレらを極限の領域でフルシンクロさせる。
まさに芸術!
その衝撃たるや無辜なる喜びと叫ぶに相応しい!!
旧約聖書創世記で人類の祖、アダムとイブは神が設けた楽園で、その命令に背き"善悪の知識の実"を食べて楽園から追放されたと聞く。
その実は、さぞ甘く瑞々しく狂おしき香りだったであろう・・・3人はそんな事を考えながらケーキを食べ進める。
「オラァ!殺劇鉄拳制裁!!」
"──ドガガガッ!バヂゴオォオォォン!!"
「禁じ手殺法が1つ!ギュンター式スイッチ・プラスター!!」
"──バシュウゥンオワァアァァン!!"
「普通にケーキを食べれば良いのに、あの2人は毎年ああやって戦ってるのよ」
「うん。なんとなく、みてたからわかる。だから、このあとにどうなるかも、なんとなくわかる」
プレ子はお行儀悪く、ケーキを口一杯に放り込みながら千春の言葉に返答する。
しかし千春はその返答に違和感を感じた・・・"なんとなく見てた"とは、どういう意味なのか?
何気なくプレ子は言葉を返したが、その真意は"水槽の中から見てた"という前提条件があって、初めて意味を成す。
千春や政宗、ミハイルからすれば彼女はアクアリウム・バックヤードに住み込みで働く"人間の女の子"であり、その正体が熱帯魚プレコストムスである事など考えもしないし、思い付きもしない。
だからこそ千春は違和感を感じずにはいられなかった。
利眞守からは"コイツは俺の店で働いているプレ子だ!"とは説明されたが、ソレ以外の事は何も聞かされていない。
今まではソレで十分だったのだが、ちょっと考えれば千春を含め、この場にいる人間の中でプレ子という存在について"詳しく知っている"のは利眞守と当人だけである事に気付かされる。
だから何だと言うわけではないが、自分達はプレ子の事を知らなさ過ぎるのでは?
その疑問こそが彼女の感じた違和感の正体である。
「プレ子ちゃんは利とドコで知り合ったの?」
「オーナーとはココでしりあった。わたしが、はじめてココにきたときオーナーが、でむかえてくれたんだ」
(出迎えた・・・あの利が初めて合った相手にそんな事するかしら?)
「それから、まんねんひらしゃいんが、いろんなモノを、はこんできて──」
「え?プレ子ちゃんは政を知ってたの?」
「うん。ココでなんどもあってる。いいんちょうとイケメンは、さいきんしったけど」
相変わらず口にケーキを詰め込みながら何気なく返答するプレ子。
しかし彼女は、この会話に微妙なズレが生じている事には気付いてはいない。
なぜなら彼女は"ありのまま"を素直に喋っているからだ。
例え真実のみを語っていたとしても、それが求める結論に達するかと言われれば、そうではない。
大切なのは結論に至るまでの過程であり、見るべき点もソコにある。
アクアリウム・バックヤードでは現在プレ子という女の子が住み込みで働いている。
ココまでは理解出来た。
ではこのプレ子という少女は"ドコの誰で、いつからココにいるのか?"
本当は聞く必要のない事なのかも知れないが、意を決して千春はプレ子に聞いてみる。
「プレ子ちゃんって元々ドコに住んでたの?」
「んあ?"沖縄"に住んでた」
「ちょっと待てえぇえぇぇ!!」
突然バトルを中断した利眞守が、プレ子の座る席の前へ飛んで来る!
「プレ・・・お前、今何て言った?」
「沖縄に住んでた?」
「・・・」
"──ガシッ!"
無言のまま彼女の両脇に手を入れると、仔犬を持ち上げるかのようにして店の片隅に走って行った。
そして誰にも聞かれまいと、プレ子にひそひそ声で問い掛ける
「お前アマゾン川原産じゃないのか?」
「誰もアマゾン川から来たなんて言ってないぞ。私は沖縄の川から来たんだ!だから私は日本生まれのプレコストムスなのだ!」
「・・・」
予想だにしなかった衝撃的カミングアウト!
なんとプレ子は草木の生い茂る亜熱帯、南米はアマゾン川から来たのではなく、日本の最南端沖縄の川から来たと言うのだ!
つまりプレ子は沖縄という環境に適応して野生化した外来種だという事になる。
「おまっ!お前はこのタイミングで、なに核爆弾を投下してくれてんだあ!?沖縄生まれだなんて初めて聞いたぞ!」
プレ子が野生化した外来種・・・。
とんでもない衝撃だが冷静に考えれば、その原因は人間にある。
そうか・・・だから彼女は南米を原産とする熱帯魚ネオンテトラとカージナルテトラの違いが分からなかったのか。
そういう事なら説明は付くし、理にかなっている。
彼女《プレ子》は悪くない・・・ただ、あまりに突然で少々取り乱しただけだ。
利眞守はキャップに手を当てポジションを直すと、彼女の肩を掴み言い放つ。
「ヤーはワッコーネーンドー・・・ヤシガ、アンスカシカマサンケー?エェアンマサン・・・イーバチュン」
(訳:お前は悪くないんだ・・・だけど、あんまし驚かすなよ?あぁ頭痛が・・・吐きそうだ)
「シワサンケー!ナンクルナイサー!」
(訳:心配するな!何とかなるさ!)
ニカッ!と笑ってプレ子が利眞守の手を握り返す。
その後2人は各々(おのおの)着席して誕生日会を再開した。
結局利眞守VS政宗のバトルは今年も引き分け。
内容こそ違えど、毎年バトルのオチはコレである。
「プレが沖縄生まれだった事を今さっき知ったんだが・・・まさに衝撃だった」
「今まで彼女をドコ出身だと思ってたの?」
「・・・南米のジャングル」
「ブーッ!お、お前そりゃねぇぜ!プレ子ちゃんはアマゾネスかよ!?」
口に含んでいたコーヒーを、豪快に吹き出す政宗。
利眞守の発言は、この場にきた全員がギャグだと捉えて爆笑しているが、当の本人は本気でプレ子は南米から来たと思っていた。
こうして年に3度の誕生日会は幕を閉じ、アクアリウム・バックヤードは再び静けさを取りもどした。
しかし利眞守は知っている・・・これが嵐の前の静けさである事を。
だが引き退るわけにはいかない!俺にはやらねばならぬ事がある!
その誓いを胸に1人とある水槽の前に立ち、中を泳ぐ生体を見つめている。
「なぁプレ?お前・・・ケガとかしてないよな?」
「してないよ?どして??」
「"ピラニア"ってのは本来臆病な生体なんだが血の臭いなんかを察知すると興奮状態になっちまうんだ。つまりどんな姿で擬人化するかは知らねぇが、ヘタすっといきなり手が付けられない状態で出てくるかも知れないって事だ」
「・・・なんか言い方が恐いぞ」
「備えあれば患いなし、屍山血河なんてお断りだぜ!」
"カラカラ・・・シャカッ──シャッシャッ!"
ピラニアが鋭い牙を見せびらかしてドリームタブに食らい付く。
映画やアニメでは度々"殺人魚"として登場する事もあるピラニア。
その凶悪なイメージと知名度から名前を知っている人は大勢いると思うが、その実態についてはどうだろう?あまり知らない人も多いのでは?
ピラニアはアマゾン川などの熱帯地方に生息する肉食の淡水魚の総称であり、基本的にはカラシン目セルラサルムス科セルラサルムス亜科に属する種を言うのだが、その分類は曖昧でいい加減な所もある。
実はピラニアとは特定の淡水魚に付けられた名前ではなく、現地の言葉でピラは魚、アーニャは歯。
つまりピラニアとは"歯を持つ魚"という意味になる。
他にも南米には"魚"と名の付く淡水魚がいて"ピラルク"や"ピライーバ"や"ピラーラ"などが例に上がる。
さらに言うなれば"ピラシカバ"と言う地名があり、その意味は"魚の集まる場所"らしい。
要は"歯を持つ魚"はイコールで、全てピラニアと言う事になってしまうのだ。
イメージだけで想像すると飼育は難しそうと感じてしまうかも知れないが、先述の通り基本は臆病な性格なので、数匹から数十匹単位の群を作り一日中、流木の陰などに隠れている事も多い。
エサは小型の魚など活き餌がベストだが、鶏肉や人工フードといったモノも、しっかり食べてくれるので飼育難易度自体は、そこまで高くもない。
だが噛み付かれればケガをする可能性はあるので、むやみやたらと水槽の中に手を突っ込んだりするのは控えるが吉。
"──パアァアアァァァァッ!"
「くっ・・・」
「今回も眩しいぃ!!」
もう何が出て来ても驚かない!
だってコレで6匹目になるんだぞ!
物事は常に最悪のパターンを想像していれば、大抵の事は"あれ?この程度ですか?"くらいの余裕を持って切り返せる!
例えば扉を開けたと瞬間ワサワサと数億匹のゴキブリが出て来たとしよう。
普通なら悶絶必須なシチュエーションだが、これが最悪のパターンを予想して扉を開けたとしたら?
この扉を開けたら、チェーンソーを持った血まみれの大男が唸を上げ、襲い掛かってくる・・・そう思って扉を開ける!
しかし出て来たのは、たかだか数億匹のゴキブリじゃないか。
なーんだ心配して損した!ってな具合よ!!
しかし世の中、そう上手く行かないのが常であり、結局利眞守は絶叫する事になるのだが、今回ばかりはニュアンスが違っていた。
光に包まれていた生体の姿が徐々(じょじょ)に見えてくる。
ソレは先日のヤマトと比べれば小さいが、プレ子と比べると頭1つ分ほど大きい。
以前プレ子の身長を測ったら158cmだったので、ピラニアの身長170cm前後が妥当なラインか?
そして何より気になるのは、そのシルエット。
全体的にスラリとしているが前面、特に上半身にあたる部分が妙に膨らみを帯びている。
ピラニアは、ずんぐりむっくりした体型の淡水魚なのだが何か関係があるのか?
「・・・なんだ?」
光は消え去り、その姿を肉眼でハッキリと捉える事が出来るようになった。
それを見た利眞守の第一声は──
「おっ・・・おぉおぉぉぉ!?」
「・・・」
目の前に現れたのは全体的に黒を基調としたカラーリングの服に身を包み、目元を前髪で隠したボブヘアが何とも言えない"いじらしさ"を演出する。
その見た目からイメージ出来るのは、教室の隅で1人読書をしながら物静かに休み時間を過ごす、コミュニケーション能力皆無な女学生と言ったところか。
なぜなら足元は黒いローファーに黒いニーソックス、赤と黒のチェッカリング模様のスカートに、上はグレーより黒に近い色のYシャツ。
しかも第2ボタンまで開けたセクシーオプション付き。
パッと見で学校指定の制服にも見えるがコレは、なんちゃって制服の類い。
よく10代から20代の女性アイドルが着ているアレだろうと推測できる。
だがしかーし!そんな事はどうでも良い!
なぜなら──
「あんりまぁ!いやはや、これはまた何とも御立派な乳・・・いやいやいや!生体が出て来たもんでねぇの!!」
擬人化を果たしたピラニアの少女は、今まで現れた生体の中でも群を抜いての巨乳ちゃん!!
そもそも今まで女性として現れたプレ子、ネオン、タニシが体格的な意味も踏まえて、全員控えめボディだった反動もあってか利眞守の目線はピラニアの豊満なバストに首ったけなのだ!
もしバストサイズ・ランキングを作るとしたら1位はピラニアで異論はない・・・のだが2位がヤマトという、とんでもないランキングが出来上がってしまう。
鍛え上げた大胸筋が2位にランクインしている混沌状態に、長い間浸かっていた利眞守がソレを求めてしまうのも、わからないでもない・・・気もする。
だからと言って浮かれすぎてはイケない。
1つの事に集中しすぎると、周囲に潜む危険への対応が疎かになってしまう。
例えば、このように──
"ガブリッ!"
「・・・?なんか超痛いぃぃいやあぁあぁぁ!?」
「死ねえぇぇこのド変態!そんなに巨乳が魅力的か!そんなに肉塊が好きか!?」
「ま、ま待てプレ・・・!こ、これは誰かが俺に禁断の黒魔術"make it o-pai own"を掛けたに違いない!!」
「そんなわけあるかぁ!!汚れた血は滅せ──」
「血!?お、おい待てそれはマジでダメだ!!」
血と言うワードで思い出す。
目の前に現れたおっぱ・・・もとい少女がピラニアである事を。
今の彼女は、へっぴり腰で小刻みに震えながら、両腕で顔を隠すような仕草を取っているが、それはピラニア本来の臆病で内気な性格が出ているからにすぎない。
だが一度血の烙印を解放すれば、その性格は豹変する。
例え相手が歳いかぬ赤子であろうと、獰猛な暴れ牛であろうと、純血の殺し屋と化したピラニアは、無慈悲にソレらを貪り喰い散らかす。
それは空腹だとか防衛の為だとかではなく、血によって解放された本能の赴くまま冷酷に、そして冷血に、まるで相手を殺す為だけに存在するマシンが如く冷徹に。
その牙を獲物へと食い込ませながら肉を抉り、アマゾン川を真っ赤に染め上げ、あとに残るモノは無惨にも喰い尽くされた獲物の骨だけとなる。
この極端な性格を分かりやすく例えるなら"覚醒"とでも言えばイメージしやすいだろう。
他にも大きな物音を立てても覚醒する場合があるので、ピラニアの生息する川に入った状態でバシャバシャと水面を叩くようなマネもよろしくない。
なぜなら獲物を求める無数の殺し屋がターゲットを狙っているかも知れないからだ・・・。
だからこそプレ子に噛み付かれて出血なんてしたらマジでシャレにならん!
利眞守は噛み付いたプレ子をそのままの体勢で抱えながら急ぎ、地下の自宅へと避難する。
「ピ、ピラニアさんよ!ちょっと待っててくれ、すぐにもどって来っから!!」
「あ、あのっ・・・」
彼を呼び止めようとするピラニアに左手で"待っててくれ"の合図を出し、大急ぎで自宅へと走って行った。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
「いやあぁあぁぁ!ま、待て──うぉおぉぉ!?──あ"あ"ぁ"!マジで死ぬって!!──ちょ、待──があ"ぁあ"ぁ"ぁ!!──や、やめれぇって──ぬおぉ!?──お前それはアカンぞ!!マジでアカ──」
"──グギッ!"
「あ"ぁあ"ぁ"ぁ!!」
「わ、わわわ・・・」
地下から聞こえてくる利眞守の悲鳴にピラニアは震え上がった。
その場で踞り耳を押さえてガタガタと怯えている。
その断末魔からは、浮気がバレて修羅と化した妻を相手に、バッチバチにされている夫の絵を想像せずにはいられない・・・。
その後、地下ではこのような押し問答が繰り広げられていた。
「・・・実は俺あんまり、おっぱいとかに興味ないんだ」
「・・・」
"──ガブリッ!"
「・・・とか何とか言ってんけどもよ?実はお前のが好きなんだ」
「・・・」
"──ガブリッ!"
「・・・と言いつつも実はヤマトみたいな大胸筋が好きなんだ」
「・・・」
"──ガブリッ!"
何を言ってもプレ子は噛み付いてくる。
その怒りは当分静まりそうもない。
確か前にもこんな事あったっけ?
アレはまだドリームタブで擬人化した生体達の登場に戸惑い、それが現実だと受け入れられなかった時だった。
突然現れたプレ子を筆頭にネオン、ディスカス・・・なんだかあの頃が、やけに懐かしく感じる。
初めてプレ子に噛み付かれた時は、それこそ殺意すら覚えたが、今では噛み付かれる事にも慣れ日常化してる・・・ような気がする。
それはそれでダメだけど彼は妙な充実感に浸っていた。
そう・・・まるで過去の出来事を走馬灯のように一気に振り返っ・・・走馬灯?
「破邪滅殺!」
"──ガブリッ!"
「このフワフワした感覚に走馬灯って・・・マジで死にそうになった時のアレじゃねぇかよ!」
"──ガシッ!──シュバッ!"
死の瀬戸際から現世にもどって来た利眞守は、背後から噛み付くプレ子の腕を取り、そのまま一本背負いの要領で彼女を投げ飛ばす!
しかしプレ子も空中でクルクル回りながら体勢を立て直し、無傷で着地。
そのまま狼ないし狂犬よろしく四つん這いとなり、髪を逆立て"ガルルルルッ!"と利眞守を威嚇する。
「お前は狂犬か!なんでピラニアを前にしてプレコストムスに噛み殺されそうになってんだ俺は!この流れは色々と間違ってるぞ!!」
「ガルルルルッ!ウガアァ!!」
それから数分後。
ピラニアの待つ水槽前に利眞守とプレ子はもどって来た。
「ま、待たせたな・・・」
「え、えぇっ!?あ・・・あの・・・」
ワナワナと落ち着かない様子のピラニア。
それはもどって来た2人に対して、どう反応して良いか分からないと言った仕草だった。
それもそのハズ。
そこに現れたのは全身包帯でグルグル巻きのミイラ男と、麻のロープでグルグル巻きに縛られたプレ子だった。
しかもプレ子に至っては、手も足も出ない状態なのにガシッ!ガシッ!と牙を打ち鳴らして彼に噛み付こうとしている。
「さて、お前の願いとやらを──」
「いやぁあぁぁ!!」
「あっ・・・」
ピラニア逃走・・・確かに、この姿で"願いを叶えよう"なんて言われても誰が信じるか?
逃げ出すのも当然。
しかし物事、急いては事を仕損じるとも言うので、一旦包帯が取れるまで、おとなしくしていよう。
その間にプレ子を落ち着かせるのも悪くない。
「"死灰また燃ゆ"という諺を知っているか?意味は燃え尽きた灰が再び激しく燃え上がる様に例えて、昔の事を蒸し返すって意味だ」
「ガルル?」
「要は、さっきのおっぱい騒動を今後お前に蒸し返えされないように、納得してもらう為の言い訳するから聞いてくれって事だよ」
「ガルルッ!!」
話題は何でもいい。
とりあえず包帯が取れるまでプレ子の注意を引き付ける時間稼ぎをせねば!
しかしコイツは本当に狂犬か?
髪を逆立てるのはプレコストムスの特徴的な背鰭をイメージしているといえば、わかるのだが牙を剥き出してガルルルルッ!と威嚇するその姿は、人間でもなければ熱帯魚ですらない・・・それとも単純に彼女は怒るとこうなるのか?
最近、悩みと疑問の尽きない利眞守である。
「良いかプレ?人間は猿が進化モノだと言われている。そして進化の過程にこそ、人間とおっぱいの密な関係があるんだ」
「ガル?」
「人間と猿の違いで、まず思い出すのは2足歩行か4足歩行かってところだ。猿は4足歩行・・・つまり、おケツを突き出して歩いているよな?そうなるとメスがオスを誘惑する部位は、もっとも目立つ"尻"という事になる。わかるか?」
「・・・?」
「ところが人間は2足歩行で、おケツ突き出して歩くようなマネはしない。つまりメスがオスを誘惑する部位を変えなければならない。だってケツが目立たなくなっちまったからな」
「・・・」
「人間はどうやって歩いてる?2足歩行で胸を張って歩いてるだろ?そうなると自然と目立つ部位は──」
「・・・おっぱい?」
「そうだ!つまり俺が一瞬でもピラニアの巨乳に目を奪われたのは、人間としての本能だったんだ!全ての生命は本能に従順であり、それが摂理である!」
"──ベリベリッ!──バサァ!"
ここぞとばかりに胸元から包帯を引きちぎり、往年の名レスラーが如き出で立ちで己の持論を説く。
禁じ手殺法にはギュンター式集気治癒術なるモノがあり、ある程度の傷なら常人を遥かに凌ぐ速度で回復するらしい。
「本能なら・・・仕方ない!」
「・・・お前ならきっと分かってくれる信じてたぜ!」
さすが野生個体、本能と言うモノに対しての理解はあるようだ。
だいぶ寄り道をしたが、これでようやく本題に行けそうだ。
さて彼女はドコに行ったんだ?
店内を軽く見渡すと・・・いた!
水槽犇めく店内の片隅で踞り、うっ・・・うっ・・・と呻き声を上げながら震えていた。
本当は水槽を置いてある棚の下に逃げ込みたかったのだろうか、片足だけを隙間に入れている。
きっと身長がありすぎて(約170cm)全身を入れる事が出来なかったのだろう。
なんだか、その姿を見ていると昔見たホラー映画を思い出す。
主人公達が廃墟と化したホテルのベッドの下に隠れる場面。
一緒にいた大柄な男だけが体格のせいで逃げ込めず、そのまま怪物にバリバリと喰われるシーンがあった。
その時は映画だしフィクションだしと思っていたがピラニアを見ていると、その男の心境を想像せずにはいられない。
利眞守はゆっくりと怯えるピラニアに近付き、目線を合わせて問い掛ける。
「あぁピラニアよ、驚かせてすまなかった。知ってるだろうが改めて言わせてもらうぜ。俺こそが水槽の噂で名を馳せる、天覆地裁のアクアリストにして背負った想いは幾星霜。色即是空、空即是色、森羅万象を以てしてもその心意、測る規格のない男。それがこの俺──」
謎の文言を唱えながら足をがに股に広げ、左手を突き出し、首を物凄い勢いでグルグルと回す。
やたらと古風な言動・・・まさか傾奇者のつもりか?
"──いよ~!・・・カカンッ!"
「い──」
「入間門左衛門だ!!」
「ちがーう!人がカッコ良く決めてたってのに乱入してくんな!!」
「カッコ良くって・・・今のドコがカッコ良いの?オーナーのセンスは理解できないぞ!!」
「あぁ?これだから傾奇御免を知らぬ痴れ者は!!」
「・・・くすっ」
毎度の如く言い争う1人と1匹を見て、ピラニアは小さく可愛らしい笑い声を上げた。
これこそ狙い通りの展開。
彼は怯えるピラニアに笑って欲しかったのだ。
いつか誰かが言っていた。
世界共通の言語は存在しないし共通の価値観も存在しないが、笑いだけは世界どころか宇宙共通だと。
しかし、ちと頑張りすぎた・・・首を回し過ぎて吐き気がする。
「あ、あのっ・・・利眞守・・・さん?オーナー・・・さん・・・どう呼んだら・・・いいでしょうか・・・?」
「オーナーでいいぞ!」
「俺が言う前にお前が答えるのかよ?」
「いつも・・・水槽から見てた・・・オーナーさんと・・・やっぱり変わらない・・・くすっ」
「変わる必要なんてないからな。なんたって俺は常に5世紀先を行く男だぜ?時代が俺に追い付くまで変わらんよ」
相も変わらず、わけのわからない返しをする利眞守。
そのわけのわからなさが、ある意味で相手に安心感を与えるのかも知れない。
ピラニアはゆっくり立ち上がり改めて自己紹介をする。
「あ、あの・・・私は・・・"ニア"・・・って呼ばれてます・・・はい」
モジモジと恥ずかしそうに自らを"ニア"と名乗るピラニアの少女。
仕草の1つ1つが"いじらしく"て魅力的な彼女を改めて、まじまじと見る・・・そのスタイルはパーフェクトとしか表現する言葉が思い当たらない程のナイスバディ。
そんなパーフェクトボディに見とれるのは本能だから仕方ないとプレ子から許可?をもらった利眞守は、イケない事と知りながらも禁じ手殺法"左方の奥義"を使ってみる。
なぜなら・・・それが本能だから!
(禁じ手殺法が左方の奥義!ギュンター式三千界眼!)
"──シュー・・・キュピンッ!"
キャップに隠された、その眼が怪しく光る。
突然だが説明しよう"ギュンター式三千界眼"とは!?
禁じ手殺法には"四方の奥義"と呼ばれる禁じ手中の禁じ手の中の、さらに禁じ手が存在する!
それは前方の奥義"天地破断拳"から時計回りに、右方の奥義"愛染逢魔浄化拳"。
前方と対を成す、後方の奥義"凰翼飛水翔"。
そして右方の対となる、左方の奥義こそが"三千界眼"である。
三千界眼は通常では認識えないモノを認識る事が出来る奥義であり、その他にも眼から取り入れた情報を瞬時に脳内で具現化、360度あらゆる角度からソレを認識る事が出来る。
これ即ち!
一時的に、ある種の魔眼や邪眼といった力を行使する事が出来るのだ!
そしてコレを少々"けしからん"方向に使うと、例え鋼鉄の鎧に身を包み、絶対防御された相手でも、その使い手の脳内では丸裸にされた挙句、ありとあらゆる情報を認識られてしまうのである!
そして利眞守がニアの"肉体"を三千界眼で見た結果──
(こ、これは!その美しいRと張りを維持しながらバスト85のEカップ・・・だと?コイツはとんでもねぇ殺し屋だ!!)
思わず鼻血が噴き出そうになるが、ここは我慢。
ニアの前で鼻血を出す事はイコールで、彼女を覚醒させてしまうかも知れない危険性を秘めている。
故に一度、三千界眼を解除しようと精神を統一して、ゆっくり眼を閉じる・・・たが──
「オーナー!!」
プレ子の呼び掛けに思わず眼を開いて彼女を認識てしまった刹那、利眞守の脳内で神秘のぺったんこボディ・・・プレ子さんのヴィーナス・ウォールの情報が360度余す事なく入ってくる!
それは最早神の領域・・・否!彼女こそが"神"であった事を証明する神々しいまでのイメージが一気に押し寄せる!
(な、なんだコレは!?バスト65のAAAカップがこれ程までに神秘的な輝きを!?ヤ・・・ヤバい!もう・・・ダメだ!!)
利眞守の認識ている至極の絶景。
この眼福三昧を三千界眼を会得してない人達にも詳しく説明すると、そもそもカップサイズとはトップバストとアンダーバストとの差で決まるモノであり単純に"大きいから○○カップだ!"というわけではない。
なのでAとかBとかCとかのアルファベットがそのまま、おっぱいの大きさを表しているという考えはノットイコールである。
例えばトップバスト130cm、アンダーバスト120cmの人がいたとしよう。
その場合トップとアンダーの差は10cmでコレをカップに直すと、なんとAカップに分類されてしまう!
その基準はAAAAAカップ(トップとアンダーの差が0cm)という理論上のサイズからスタートして2,5cmを境に1つ上ないし下のカップへと変動する。
つまり利眞守の言っていた"ニアのバストは85!"というのを正確な数値で表すとトップとアンダーの差が20cmのE85となり、そのサイズは約105cmとなる。
そしてプレ子はトップとアンダーの差が5cmのAAA65となり、そのサイズは約70cmとなる。
そんな女神達を脳内で具現化してしまったからさぁ大変。
最早我慢の限界を超え、その溢れ出る"男気"が、ついにオーバーフローを迎えてしまう。
「ぬうぅああえぇえぇぇ!!」
"──ブシャァ!"
豪快に鼻血を噴き出しながら、仰け反り吹っ飛んだ利眞守。
突然の事にプレ子とニアは何が起きた理解出来ないでいた・・・と言うよりドン引きしている。
しかーし!重要なのはそんな事ではない!
欲深き愚鈍の軽率な行動が、ニアの封印されていた"血の烙印"を解放するカラミティ・トリガーとなってしまった!
"──ドクンッ!"
「ああっ・・・あぁ・・・!!」
両腕を交差させ自らの肩を抱きながらニアは震え膝から崩れ落ち、呼吸を乱しながら苦しそうにしている。
「なにやってんだよバカ!!」
「クソッ俺とした事がぁ!!大丈夫かニア!?」
「はぁっ・・・うっ・・・に、逃げて・・・はやく!!」
"──ドクンッ!──ドッ!"
「ニ、ニアの顔を見て!凄い汗だよ!!」
「ニア!しっかりしろニア!!」
安易な言葉で彼女を心配する事は出来るが、具体的に何をどうしたら良いかが、わからない!
そもそも何が起きているのかさえ、わからない!
「は、はやく・・・逃げ・・・"彼女"が・・・来る!!」
"──ドクンッ!ドクンッ!──ドクンッ!"
「"彼女"?」
"──ドッ!・・・"
ニアの震えはピタッ止まり、先ほどまで聞こえていた苦しそうな息づかいも聞こえなくなったが、依然として彼女は膝から崩れた体勢のまま動かない。
自らの顔に付着した鼻血を拭き取り、利眞守はニアの様子を確認する。
念の為、プレ子には離れるよう指示を出し、ゆっくりと覗き込むように彼女に近いた刹那──
"ドォゴオォオォォォ!!"
突如としてニアの全身からドス黒い邪気のようなモノが発せられる!!
それをいち早く察知した利眞守は腕をクロスさせ、本能的に防御の体勢を取る。
「くっ・・・ニア!」
邪気に包まれたニアは、俯いたまま立ち上がる。
元々前髪で顔の半分が隠れている為、その表情は窺い知れないが明らかに様子がおかしい。
「き・・く・・・な・・ん・・・・ねぇ・・・」
「・・・ニア?」
「気安く、その名を呼ぶんじゃねぇ!!」
"──ザシュッ!"
「うぉっ!?」
突然ニアが鋭い斬撃を放ってきた!
それはナイフにも引けを取らないレベルの手刀によるモノで、確実に利眞守の首筋を、かっ切ろうと狙って放たれた事を瞬時に理解し、彼は冷や汗をかく。
だが驚いた最大の理由はソコではなかった。
「この俺が・・・避けきれなかった・・・」
右頬から首筋にかけてタラリと、血が流れ落ちる。
超至近距離からの予想外な攻撃だったとしても、禁じ手殺法の使い手たる利眞守が、相手の攻撃を本気で回避し損ねたのはコレが初めてであった。
「消え失せろ!この障害があぁ!!」
"──ザシュッ!──ズサッ!──シャ!"
「うはぁ!?やめろニア!!」
「テメェごときが軽々しくニアの名を口にしてんじゃねぇ!」
"──シュパッ!"
「どうしたんだよニア!?」
状況を理解する為の時間すら与えてくれそうにない、鋭い斬撃を前に後退りするしか選択肢がない利眞守の背後には気付けば壁が!
追い詰められた彼に"緋色の瞳"をしたニアが渾身の手刀を打ち放つ!
「こ、こなクソォッ!」
"──バシッ!"
しかし利眞守としても、わけもわからずに殺されてたまるか!と白刃取りの要領でニアの一撃を受け止めるが、彼女も戦況を瞬時に判断して、止められた右手を軸に跳躍。
そのまま利眞守の腹部に強烈な蹴りを打ち込み、その反動を利用し後方へバク宙して距離を開けた。
硬い壁と強烈な蹴りに挟まれた利眞守は腹部及び内臓系に、ギュウゥッという鈍い痛みを覚えながら斬撃の猛攻から解放される。
「があぁっ・・・ニア・・・!!」
「チッ死に損ないが・・・まぁいい。次で確実に仕止めてやる」
「うぅおぇっ・・・お、お前は・・・誰だ?」
激しい吐き気を押さえながら問い掛ける。
沸き立つ邪気で髪と、着ている服がフワフワと靡き、隠れていた目元と表情がハッキリ見える。
実は三千界眼でニアを認識た時に彼女の隠れていた表情も、ちゃっかり確認していた利眞守だからこそ、わかる事がある。
その素顔は争いを拒み、優しさに満ちた"青い瞳"をしていたのに、今の彼女はまるで血に染まってしまったかのような"緋色の瞳"をしている。
「誰だぁ?ククッ・・・死に逝く獲物の遺言か?まぁ時間を掛けて、じっくり嬲り殺すってのも悪くねぇ・・・教えてやる。オレは"ラーニャ"だ!」
迫り来る、緋色の瞳をしたニアは自らを"ラーニャ"と名乗った。
これは血によって解き放たれたピラニアもう1つの顔・・・覚醒状態に違いない!
つい数秒前までオドオドしていた内気で臆病なニアはもういない。
目の前にいるのは五指をナイフのように扱う、鮮血の殺し屋ラーニャだ!
「まずはテメェの右腕が気に入らねぇ。切り落としてやるよ」
「・・・やむを得んか。アクアリストとして出来れば、お前達を傷付けたくはなかったんだがな」
体勢を立て直した利眞守はキャップのポジションを直すと、両の眼で迫り来るラーニャを捉えて身構える。
「よく喋る口だな!先にその口ごとツラの皮を剥いでやる!!」
"──シャァッ!"
振り下ろされた手刀の太刀筋を瞬時に見切り、手首から受け流し背後を取る。
そのままラーニャの腕をなぞるようにして、脇から自身の腕を通し変形チキンウィングフェイスロックで固め、彼女の自由を奪った。
「なにっ!?」
「ラーニャ、お前に俺は殺せない」
"──ギッ!"
「うっ!」
少し強めに首、肩、肘、手首を締め上げると、ラーニャは苦しそうな声を漏らす。
利眞守がその気になれば彼女の関節を破壊し、腕をへし折る事など造作もないがソレが狙いのフェイスロックじゃない。
もっと言うなれば熱帯魚だとしても女の子の、か弱い腕や関節がギシギシッと悲鳴を上げ、その感覚が自らの手に伝わってくる、この瞬間こそ本当は辛くて堪らない。
だがアクアリストたる者、時に非情を掲げよ!
生体に対する中途半端な優しさが水槽全体を死に至らしめる事もある、アクアリウムの世界を生き抜いてきた利眞守は、今こそ鬼となる!
その為にラーニャの肉体に"しっかりと痛みを覚えさせる"必要があった。
直後、彼女が体勢を崩すように乱暴に投げ捨て、またすぐに背後を取る。
纏わりつくような痛みから解放されたその一瞬、生物の肉体は本人の意思に反して"一切の言う事を聞かなくなる"タイミングがある。
それを見切った利眞守はラーニャの両脚めがけ技を放つ。
「禁じ手殺法が1つ!ギュンター式落凰呪縛鎖!」
"──ドシュッ!"
「があぁあぁぁ!!」
「落凰呪縛鎖・・・天駆ける鳳凰すらも地に落とし、その呪縛に縛り付ける呪いの鎖。お前は最早その場から1歩も動く事は出来ない」
「し、障害が・・・!!」
よろめきながら片膝を着き、殺意に満ちた眼で利眞守を睨みつけるが、その意思に反して脚が言う事を聞かない。
苛立ちと屈辱の念が募る彼女の頭の中に"誰か"が直接語り掛ける。
(ラーニャもう止めて!!)
「な、何言ってやがるニア!コイツは障害だ!」
(その人は私達に危害を加えたりしない!)
「そんなモン信じられるか!お前は優しすぎるんだよ!そうやって周り庇って傷付くのは、いつもお前じゃねぇか!!」
突然取り乱したかのように"独り言"を叫び続けるラーニャを見て利眞守は言葉を失った。
なぜなら彼の耳に"ニア"の声は届いていなかったからだ。
「やっぱりテメェは障害だ!これ以上ニアを・・・傷付けるなあぁあぁぁ!!」
落凰呪縛鎖により自由を奪われた体で、再び襲い掛かろうとするラーニャだが、結果として体勢を崩しその場に倒れ込むだけとなった。
(ラーニャ!!)
「うるせぇ!お前を護れるのはオレしかいないんだ!誰であろうとお前を傷付けるヤツは・・・皆殺しにしてやる!!」
「・・・ラーニャ!!」
倒れたラーニャの前で片膝を着き、彼女の目線に合わせた利眞守が両手を差し伸べる。
"──スス・・・パンッ!"
「っ!?」
「なんだか、わからないが今は眠れ」
差し伸べた両手を擦り合わせたかと思ったら、今度はいきなり手を叩く。
すると先ほどまで発狂していたラーニャは目を閉じ死んでしまったかの如く動かなくなった。
だが本当に死んだ分けではなく、コレはただ眠っているだけ。
禁じ手殺法が1つギュンター式ルーラビィ・ノック。
音を介して直接相手の脳を深い眠りへと誘い、対象を一切傷付ける事なく無力化する非殺傷技であり、まさに今のような状況下でこそ真価を発揮する慈悲の禁じ手。
「オーナー・・・大丈夫?」
「ん?あぁ大丈夫だ」
危険はないと判断したのか、隠れていたプレ子が駆け足で利眞守と合流する。
やはり彼女を避難させておいて正解だった・・・もしラーニャがプレ子に襲い掛かろうとしたら、きっと手加減なんて出来なかっただろう。
複雑な思いで眠るラーニャを見つめていると、彼女を包み込んでいた禍々しい邪気が消えてゆくのが確認できた。
「ニア・・・それともラーニャ・・・本当のお前はどっちなんだ?」
眠る彼女を優しく抱き上げ自宅の布団に運び終え、一息ついた利眞守はラーニャに付けられた切り傷を親指でなぞりながら、あの瞬間を思い出す。
「・・・」
「・・・痛い?」
「まさか」
「・・・」
"──ドッ"
「っ!?」
突然プレ子が利眞守の背中に抱き付いてきた。
「・・・オーナーはバカだから痛くても痛いって言えないんでしょ?」
「誰がバカだってコラァ!」
喧嘩腰な利眞守の返しに、普段なら噛み付いてくるプレ子が今は何もしてこない。
それどころか彼のジャケットをギュッと掴み、その背中に顔を密着させてきた。
なんだか彼女の声のトーンは小馬鹿にした物言いと言うより彼を心配して問い掛けている・・・そんなニュアンスだ。
「オーナーがどんなに強くたって痛いモノは痛いだろうし、辛いモノ辛いと思う。でも本当にオーナーが辛い思いをしてる時って必ず、虚勢を張って誤魔化してるじゃん・・・私にだってわかるよ。ずっとオーナーと一緒にいるんだから」
「プレ?」
「でもそれって私達に心配かけないようにしてる、つもりなんだろうけどさ・・・余計心配になるんだよ。だってオーナーなんでもかんでも自分1人で抱え込んで私達を頼ってくれないじゃん。少しくらいさ・・・誰かに頼っても良いんじゃないの?」
彼の心境を覚ったのかプレ子は優しすぎるくらいに声を掛ける。
確かに利眞守はラーニャの一撃によりダメージを負っていたが、ソレは物理的な意味ではない。
むしろこの程度ただのかすり傷。
それよりもメンタル的な意味でダメージを負っていたのだ。
今まで利眞守にとって禁じ手殺法は"絶対"の象徴であり、彼の根本にある自信であり支え。
それが音を立てて崩れ落ちる・・・このダメージは当人にしか、わからない事だろうが致命傷となり得る程の出来事だった。
「それにオーナーは相手が水生生物だったから本気になれなかった・・・そうでしょ?」
図星だ・・・プレ子の言葉はどれも的確に彼の心境を射ぬいてくる。
痛くても痛いと言えない?
相手が水生生物だから?
ここまで言い当てられると泣きたくもなってくる。
しかしその目から涙が溢れ落ちる事はなかった。
それは意地でもある。
ちょっと優しくされただけで誰が泣いてやるモノか。
「お前に心配されるたぁ俺も落ちたモンだな。誰かに頼っても良い・・・か」
抱き付くプレ子を優しく払って彼女に正面から向き直る。
「だったら・・・お前が頼もしいくらい立派な熱帯魚になってくれよ?そしたら俺にも・・・俺にも本気で甘えられる相手が出来るってモンだ」
「私はもう立派なプレコストムだぞ。オーナーの1人や2人いつでも受け入れてやる!」
「プレ・・・」
「オーナー・・・」
なんとも言えない時間が2人を包み込む。
こんな感覚は生まれて初めてだ・・・どう表現して良いか分からないが、一言で例えるなら"悪くない"とでも言っておこう。
視線同士が絡み合い、2人はどちらからともなく自然に手を取り合う。
「優しさってのは"人を憂う"と書くんだぜ?」
「・・・知ってる」
「・・・」
「・・・」
その会話を最後に無言のまま2人は互いに見つめ合う。
その時、どこからか視線を感じた利眞守が振り返ると、そこには上体を起こしたラーニャが・・・いや、その瞳は綺麗な青色をしている・・・ニアだ!
頬を赤らめキラッキラッした眼差しでニアがコチラを見つめている。
「あっ・・・あの・・・どうぞ・・・続けてください」
「・・・」
「・・・」
「ドキドキ・・・ドキドキ・・・」
利眞守は思い出す。
ルーラビィ・ノックで眠らせた相手は5分ジャストで目を覚ます事を。
彼女を布団まで運ぶのに約3分。
その後感傷に浸っていた時間は約1分。
プレ子が抱き付いてきたのは、その1分後。
つまり──
「ニ、ニアいつから見てたの!?」
「さ、最初から・・・です・・・はい・・・」
「いやあぁあぁぁ!ただの公開処刑だぁ!!」
利眞守とプレ子は、先ほどまでの自分達がなんだか急に恥ずかしく思えてきた。
しかも何かを期待しているかのような眼差しでニアがコチラを見つめている事が、さらに追い打ちをかける!
「ニアャアァ!変に勘繰るなよ!別に何もねぇからな!発展なんざしねぇからな!!」
「ドキドキ・・・」
「わざとらしく擬音を奏でるなぁ!!プレお前からも何とか言ってや・・・れ?」
そこにプレ子の姿はなかった。
彼女は顔を真っ赤にしながら一足先に逃走していた。
相も変わらず本題の"願いを叶える"というスタートラインに立つまで寄り道をしたが、これで落ち着いて話が聞けそうだ。
さっさとプレ子を見つけ出した利眞守は改めてニアの願いを聞いてみる。
「んん!いいかニアさっきの事は忘・れ・て!!願いを聞かせてもらおうじゃないの」
「で、では・・・その・・・あっ・・・でも・・・」
"いいよ"と言われた事でも自分の願い事を叶えてもらうのは"わがまま"だと考えてしまうのか、言い出すのを躊躇っているようだ。
そういう性分だから仕方ないと言えば仕方ないのだろうがソレでは埒が開かないので、利眞守は助け船を出す事にした。
「大胆不敵でスマートに、不条理な程にスタイリッシュ。その身に余多の視線を受けて、背負った想いは幾星霜。森羅万象を以てして測れる規格のない男。それがこの俺、戦場利眞守」
前回、言いそびれたセリフを文言を変えて再度言い放つ。
以後コレが密かに利眞守の決めゼリフとなった事を知るモノは誰もいなかった。
「あの・・・」
きょとんとするニアに対して決めゼリフを言い終えてから微動だにしない利眞守。
それを見兼ねたプレ子が、さらに助け船を出す。
「俺はそのくらい凄い男だから、遠慮せずに願いを聞かせてくれって意味だと思うよ?」
(コク・・・コク・・・)
無言のまま頷く彼を、呆れた表情で受け流すプレ子。
それを聞いて水槽の中から、普段の利眞守達を見ていたニアもなんとなく理解した。
決心したのかオドオドしながらも自らの願いを語り始める。
内気な彼女にしては上出来だ!
「わ、私の願いは・・・そ、その・・・私じゃなくて・・・あの・・・ラーニャの事・・・です・・・はい」
「ラーニャ?でもラーニャってのはニア──」
「あっ・・・いえ・・・違うんです・・・ラーニャは・・・その・・・」
「お?お??」
「こらぁ!話が進んでないぞメカクレ共!!」
プレ子の性格上、ニアのオドオドした態度は焦れったさ以外の何物でもないのだろう。
それに加えて利眞守も、ずけずけと踏み込んで行かないから、さらに焦れったいのだ。
そんな2人を叱咤すべく口を挟もうとしたのだが1人ずつ言っていては面倒だ。
そこで利眞守とニアの共通点である、目元が見えない事を引っ括めてメカクレ共と略して急かしてきた。
だがニアは前髪の隙間からチラチラと片目が見えているの対し、利眞守はキャップの影で完全に目元が隠れているので、正確に言えば2人のメカクレというジャンルは別の扱いとなる。
「あうぅ・・・メカクレ・・・」
「俺は違うだろ!目ぇ見えてるだろ!!」
申し訳なさそうに縮こまるニアとは対照的に"俺の目はココだ!"と指差す利眞守。
しかしキャップの鐔が作る影に隠れて、相変わらず彼の目元は見えない。
おそらく未来永劫何があってもこの先、利眞守の目元がお披露目される事はないだろう。
無論片目であろうとも。
「まぁ急かすなよ。全員がお前みたく溌剌な性格じゃないんだ。ニアにはニアのペースってモンがあるんでねぇの?なぁ?」
利眞守のフォローを受けてニアは語り始める。
「オーナーさん・・・いえ・・・はい・・・え~と・・・私とラーニャは・・・その・・・別々なんです」
「別々?どういう意味だ?」
「あ、はい・・・え~・・・私とラーニャは2つで1つ・・・え~と・・・」
「・・・つまりニアとラーニャは1つの身体を互いに共有しあってるって事か?」
「あっ!それです、はい!」
こいつは驚いた!
あり得ないと思いつつも可能性の1つとして考えていた事が、まさかのビンゴだったとは。
彼女の豹変ぶりと、自らをラーニャと名乗った事などを踏まえてニアは"解離性同一性障害"と呼ばれる多重人格・・・いや"多重魚格"とでも言うのか?
とにかく、その類いかと思っていたのだが、事はそんな単純な事ではなかった。
言うなれば1つの身体に2つの心・・・ニアとラーニャは"別々の意思"を持った生命として確実に存在している。
そんな"彼女達"の願いを叶える・・・もしかしたら今までとは比べ物にならない程の内容になるかも知れない。
しかし利眞守は怯まない!
「な、なるほど・・・つまり今もラーニャは見てるって事か?」
「あ、はい・・・その・・・暴れてます・・・」
「ったく・・・度しがたいヤツだな」
「ち、違うんです!彼女は・・・そんな悪い子じゃないんです!!悪いのは・・・私なんです・・・」
何気ない文句に対して、ニアが珍しく強い口調で反論してきた。
彼女の食い気味な反応は何かある・・・利眞守はさらに1歩踏み込んだ。
「そりゃまた、どういう意味で?」
「彼女が攻撃的になったのは・・・全部・・・私のせいなんです・・・私が・・・自分の意見も言えないような・・・臆病者だから・・・」
「ニアを護れるのはオレしかいない・・・アイツもそんな事を言ってたな。もしかして願いってぇのは、自分の事は大丈夫だからアイツには安心して自由になってほしいとか、そういう事か?」
「は、はい!でもラーニャは・・・その・・・私の言う事を聞いてくれなくて・・・だから──」
「要するにラーニャは、お前の為に尽くそうとしてる分けだ。それを煩わしいと思っているのか?」
少々キツい言い方にも聞こえるが、なんとなく2匹の関係性、その本質が見えてきた利眞守には考えがあった。
「もっとも身近にいる存在だからこそ伝わらない事だってある。ニアの願いはラーニャの為に・・・そこまではわかった。じゃあラーニャの願いって何だと思う?もし、お前の為に生きる事がアイツの願いだったらどうする?」
「えっ・・・」
「考えた事もなかったか?そりゃお前達は一心同体と言っても差し支えない関係性だ。互いの事を探索するようなヤボなマネなどするまいて。だからこそ俺がいるんだよ」
その言葉を残すと、店の奥から大量のチラシを持ち出して簡素なテーブルの上に広げ、黙々と何かを作り始めた。
大きく固いチラシを折ったり広げたり、利眞守はなぜかこのタイミングで折り紙をしているのだ。
その様子を黙って見つめるプレ子とニアは初めて見る、折り紙に興味深々(きょうみしんしん)身を乗り出して作業を見つめている。
"──ペリッカシャカシャ"
「え~と・・・こうだったかな?ほんでもってココを広げて折り目を付けて・・・こうだよな?」
「オーナー、オーナー!なに作ってんの?」
「ちーと待ちんしゃい。最後にココを折って・・・出来た!」
数分で完成した利眞守の作品は、三角形に取手を付けたような珍妙な物体であった。
本人が完成と言っている以上コレが完成形なのだろう。
しかしニアとの会話を中断してまで、この三角形を作った目的が分からない。
そんなプレ子達の疑問など気にも止めず、満足そうに三角形をクルクルと回しながら投げては掴み、投げては掴みを繰り返している。
「それなに?」
「ん?おぉ説明するのを忘れてた!コイツは失敬。これぞ話題の超絶グレイトフル刺激的アルティメット完璧エキセントリック究極マスター無双マックス真ファイナル無敵スーパーノヴァ竜王サイクロン大蛇アームストロング白虎フルスロットル雷神ジェット神裂ダークネス最強ゴッドインフェルノ森羅万象ハーデス天上天下アヴァロン一撃必殺オーバードライブ阿修羅メテオストライク明鏡止水エクスプロージョン覇王ドラゴンテイル百式エメラルドソード超粒子ディメンション焔オブレジェンド三日月バスター山茶花ハウリング──」
「いつまで引っ張る気だ!!」
この瞬間を待っていた!
業を煮やしたプレ子が文句を言ってくるこの瞬間を!
その為にわざわざ長い"フリ"をした甲斐があったと言うモノ。
プレ子とニアの注意が、完全に自分に向いている事を確認して利眞守は次なる1手に打って出る。
「アスタロ・・・って、おい後ろ!」
突然大声でプレ子達の背後を指差し、驚きの表情を浮かべる利眞守。
何事かと2匹が背後を振り向いたその時、あの三角形を大きく振りかぶり、勢いよく振り下ろす!!
(さぁ上手くいってくれよ!!)
"スッ・・・パァンッ!!"
「きゃあぁぁ!!」
「にゃあぁぁ!!」
振り下ろされた謎の三角形は渇いた破裂音を店内に轟かせながら破れ散り、己の使命を全うした。
それと同時にプレ子とニアが悲鳴をあげながらビクッ!となるのが見てとれる。
この三角形の正体は通称、紙鉄砲と呼ばれる古き良き時代の玩具の1種である。
しかし本題はなぜ紙鉄砲を作り、2匹の不意を打ってソレを鳴らしたのか?
その答えは至って単純なモノだった。
「と、言うわけだ。聞いてたよな"ラーニャ"?」
「・・・」
無言のまま振り返ったニアの瞳は緋色をしている。
間違いないラーニャだ!
ピラニアが覚醒する条件の1つに大きな物音を立てるというモノがある。
そしてラーニャはニアを護る為に表れる事もわかっている。
全部のピラニアが、そうなのかは知らないが少なくともニアの場合、血や物音で覚醒する最大の原因は、どちらも"争い"をイメージする事があげられる。
内気で気弱で優しいニアが争いに巻き込まれれば被害を被るのは目に見えている。
だからこそ強気で攻撃的で戦闘能力の高いラーニャが表に出てくるのだろう。
「気に入らねぇ・・・」
「何がだ?」
「うるせぇ!!」
"──シュパッ!"
いきなり鋭い手刀で襲い掛かるラーニャだが、2度も同じ手を食う利眞守ではない。
余裕とばかりに受け流し、彼女と会話をしようとするがラーニャはお構い無しに攻撃してくる。
まずは話を聞いてもらわない事には発展のさせようがない。
この日からラーニャとコミュニケーションを取る為の日々が始まった。
1日目。
"シュパッ!──ズサッ!──シャッ!"
「はーはははっ!かすりもせんぞ!!」
「クソッ!障害風情が!!」
相変わらず邪気を放出しながら襲い掛かるラーニャ。
「一流のアクアリストとは1度犯したミスは2度としないモンだぜ?はい右、か〜ら〜の左回し蹴り、ほんで左手刀の突き、最後に右手刀の振り下ろしだな」
「くっ・・・!!」
「右からの振り下ろしってのは実を言うと右側が、がら空きになるんだぜ?だから腕を上げて下ろすまでの僅か1秒以下のタイミングでソコをすり抜ける事が出来るのよ」
「うるせぇ!テメェに言われなくても分かってんだよ!」
「素直じゃないな。はーはははっ!」
3日目。
「・・・」
「ラーニャ・・・そろそろ話を──」
"──ザシュッ!"
「うぉっほ!危ねぇ!!」
最近のラーニャは利眞守を急襲しなくなっていた。
これは大きな進歩だが、声をかけると相変わらずだ。
しかしなにより、他を寄せ付けようとしなかった、あの邪気が僅かながら、その勢いを落としつつある。
もう少し・・・もう少しでラーニャとコミュニケーションが取れる!
利眞守は気合いを入れて彼女に語り続けた。
5日目。
「・・・」
「ラーニャ」
「なんだよ」
「片膝を立てて座るな」
「うるせぇ」
「パンツ見えてるぞ?」
「黙れ」
「・・・白の──」
「い、色まで言ってんじゃねぇよ!テメェは変態か!?」
5日目ともなると邪気は完全に消え去り、距離を置きつつもラーニャは利眞守達の前でベタッと座るようになった。
これが意味するモノ即ち、警戒心が薄れている証拠である。
ベタッと地面に座るという行為はイコールで次の行動を起こすまでのタイムロスを意味していた。
つまり"敵"を前にして、この体勢を取ると攻め時を逃したり或いは相手の攻撃に対して防御ないし、反撃するまでに遅れを取る事になる。
身近な存在としてネコを思い出してほしい。
ネコは、ぐで~っと無気力に寝転がる時と両腕両足を折り畳んで、ちょこんと座ってる時がある。
ぐで〜っ状態はイコールで安心している時。
逆に、ちょこんと座っている時は警戒心を持っている時で、これもすぐに次の行動に移す為の体勢なのだ。
他にも戦国時代の武士達は宴の場であろうとも、僅かに腰を浮かせていたという。
"──ガブリッ!"
「いやあぁあぁぁ!なんでぇ!?」
「変態には死あるのみ!」
たが予想外の展開として突然プレ子に噛み付かれた!
最近の彼女は妙にヒステリックだ。
おそらく、その原因はニア&ラーニャに対する強烈な劣等感(身体的な意味で)だろう。
背後から利眞守を羽交い締めにしながら容赦なくプレ子は噛み付いている。
それを見たラーニャはニヤッと凶悪な笑みを浮かべ、おもむろに立ち上がる。
「ククッ・・・おいプレ!そのままソイツを押さえておけ!今度こそ息の音止めてやる!!」
"──スタッ!"
この機を逃すまいとラーニャが一気に迫り来る!
その光景に危機感を覚えながらも、利眞守は嬉しさを感じていた。
なぜなら孤高の1匹狼として誰とも、つるまなかったラーニャが初めて自分からプレ子に声をかけ、さらに名前まで呼んだのだ!
しかーし!今はそんな状況ではない!
さっさと逃げなければ、ラーニャの手刀で八つ裂きにされてしまう!
その上ヘタな逃げ方をすればプレ子に誤爆する可能性もある!
「ぬぬくっ・・・エスケープ!!」
そこで利眞守の取った行動はプレ子を背後に庇いながらギリギリまでラーニャを引き付け一気に跳躍!
そのまま側宙のような体勢でクルクルと回りながら胡座の体勢で見事に着地した。
「その方の心意気見事なり!大義であった!!」
"──パンッパンッ"
両腕を縛られてる為、靴底をパンパンと打ち鳴らしてラーニャの進歩に敬意を払う。
10日目。
「・・・」
「オーナー、オーナー!あの本棚には何入れるの?」
「本棚に入れるモノ?ん~・・・やっぱり本だな」
「・・・」
「オーナー、オーナー!買ってきた戦車が汚れてるよ!」
「それじゃ、さっそく戦車を洗車しましょうかね」
「・・・」
「オーナー、オーナー!虫が鳴いてるよ!」
「虫が鳴いてんの?たまには笑えば良いのにね」
「・・・ぶふっ」
「あっ!ラーニャが笑った!!」
「わ、笑ってねぇよ!」
「ぶふっ言うて吹き出してんじゃねぇかよ」
「だから笑ってねぇっつってんだろ!だいたい、なんなだよ!?くだらねぇシャレを言ってたかと思ったら、いきなり鳴いてるなら笑えば良いってテメェの感想になってんじゃねぇかよ!?普通虫が鳴いてんなら無視しとけ、とかそんなんだろ!?笑えば良いってそんなもんシャレでもなんでもねぇだろ!!」
顔を真っ赤にしながら全力の否定をするラーニャ。
普段が普段だけに必死になって誤魔化そうとする彼女の姿は、非常に可愛らしい。
利眞守とプレ子の不意を打ったコンビ技に思わず吹き出してしまったのが、相当恥ずかしかったのだろう。
そして10日目ともなるとラーニャは物理的な攻撃をして来なくなった。
それどころか必殺の間合い(確実に相手を仕止められる距離)に入っても、彼女は何をしてこない。
これは非常に大きな進歩だ!!
その証拠にプレ子に至ってはラーニャにペチペチッと、じゃれつく事さえ出来るようになった。
女同士というのもあるとは思うが、以前のラーニャからは想像も出来ない事である。
利眞守は10日という長い時間をかけて彼女の心を開いたのだ。
ならば、そろそろ本題を出す頃合いか?
ラーニャに向き直り、彼女の願いを聞いてみる。
「さぁて俺達の距離も、だいぶ縮まって来たと思わないかラーニャよ?」
「死ね」
「お前にはお前らしく生きてほしい・・・それがニアの願いだ。じゃあニアがそう願っているお前の願いは何なのか?教えてくれないか」
「・・・」
「ラーニャ」
「オレの・・・願い・・・」
考え込んでいるのか、俯いて目を閉じるラーニャ。
自分の願いは何なのか?いくら考えても彼女の頭の中に浮かぶのはニアの笑顔だけだった。
つまり──
「・・・ニア」
「ふ~む・・・ある意味予想通りと言うかなんと言うか」
互いが互いを思い願っている・・・それはある意味で矛盾した願いでもある。
ニアの願いはラーニャの為に、ラーニャの願いはニアの為に。
この捩れた願いを叶えられる存在は、後にも先にもこの世に利眞守ただ1人!
なぜなら彼こそが──
「大胆不敵でスマートに、不条理な程にスタイリッシュ。その身に余多の視線を受けて、背負った想いは幾星霜。森羅万象を以てして測れる規格のない男。それがこの俺、戦場利眞守」
気合いの決めゼリフを吐きながら2匹の願いを同時進行で叶えてしまおうと、利眞守は"あるプラン"を立てていた。
それは互いの事を強く思うニアとラーニャだからこそ出来る事であり、彼自身も根拠はないが上手く行くような気がしてならなかった。
それと同時に利眞守自身も、自分の願いって何かなぁと考えてみる。
その結論は、決めゼリフの際どこからともなくイナズマないしプラズマのエフェクトが出てくれればなぁ・・・と非常に平和な願いだった。
「で、どうするの?」
「簡単ではないが単純な事だよ。ニアには自分の力でラーニャに安心してもらえるように強くなってもらう。そんでラーニャには自分の力でニアを笑顔にしてもらう。そして俺達は2匹の為に全力でサポートをするってわけよ」
「願いを叶えるのはオーナー1人の力じゃないって事だね」
「ほう、鋭いじゃないか」
「つまりオーナー1人じゃ何も出来ないから協力してくれって事だ!」
「目の付け所がシャープ過ぎるな・・・若干引っ掛かる言い方だが結論としては、ほぼ同じ意味か」
別に意地を張るわけではないがプレ子の一言に渋い顔をする利眞守。
テンションの下がらない内に、さっそくプランの段取りに取り掛かろうと、腰を上げたその時──
「オーナーさん・・・」
「ラー・・・じゃなくてニア?あら?アイツはどったの?」
そこにいたのは、いつの間にかラーニャと入れ替わり表に出てきていたニアだった。
相変わらずモジモジしているが、その表情はとても嬉しそうである。
何があったのか聞いてみると彼女は微笑みながら、その理由を教えてくれた。
「ラーニャが・・・笑ってるんです・・・私は・・・彼女が笑ってるところを初めて見ました。きっとオーナーさんやプレ子さんに出会わなければ彼女は・・・純粋に笑う事なんてなかったと思います」
もしや、さっきの"笑えば良いのにね"がツボに入っているのか?
咄嗟に思い付いたネタと言えど、そんなにウケてくれるのならこれ以上に嬉しい事はない。
そしてラーニャが笑えばニアも笑う・・・これは最高の連鎖じゃないか!
見えたぞ!ニアとラーニャの願いを叶える為に成すべき事が!
それは"笑顔"だ!
確かな手応えを感じた利眞守は、力強く拳を握る。
そして今だからわかる。
ラーニャを安心してもらう為に、ニアに必要な強さとは笑顔であり、その笑顔を護る為にはラーニャにも笑ってもらうのだ!
「見てみろよラーニャ。これがお前の護ろうとしていたニアの笑顔ってヤツじゃねぇのか?その心身が血に染まるまで、必死こいて牙を振り回さなくても、ただお前は純粋に笑ってるだけで良いんだ。さむいセリフになるかも知れんが、大切な相手を護る為の剣は血に染まった牙なんかじゃない・・・お前の笑顔なんだよ」
(・・・)
「・・・私も・・・ラーニャに安心してもらえるように・・・強くなる・・・だから・・・!ラーニャにも・・・笑ってほしい!」
(・・・!!)
"──ドサッ"
突如俯き片手で顔を覆いながら片膝を着くニア。
しかし覆った手の隙間から見えるのは緋色の瞳・・・今度はラーニャが表に出てきたようだ。
その時、彼女の異変に気付いたプレ子がラーニャに歩み寄り、腰を落として同じ目線になる。
背の高い利眞守からでは、ちょうど影になって見えないが彼女の瞳からは──
「ラーニャ・・・泣いてるの?」
「ニアが・・・オレに笑ってほしいって・・・自分の事すら何も言えなかった・・・ニアが」
緋色の瞳から、止めどなく涙が溢れてくる。
頬を伝い、指の隙間を潜り抜け1つ、また1つと大粒の涙が無機質なタイルに吸い込まれていく。
「オレは・・・間違ってたのか?オレが今までしてきた事がニアを苦しめてたのか?」
「・・・」
「ニアを護る・・・その思いすらも全部オレの自己満足だったのか?ニアが本当に求めてるモノ、願っている事さえ分からなかった・・・いや、分かろうとしなかったオレの・・・!」
「・・・かもな。だが自己満足だったとしてソイツの何が悪い?そんなモン問い掛けたところで誰も答えられまいよ」
「うるせぇ・・・」
「だけど大切な事には気付けただろ?ニアの本当の気持ちってヤツがさ。それに気付いたから止めどなく涙が溢れてくるんじゃないか?」
「・・・?」
「その涙は今までの自分の行いがムダだとか、愚考だったとかに対する後悔や苛立ちの涙なんかじゃない。ニアが自分の意思で意見して、お前に対して笑ってほしいって初めて思いを伝えて来た・・・その嬉しさが涙の正体だろ」
「・・・!!」
利眞守の言葉は彼女の真意を射抜いていた。
だからこそラーニャは悔しかった。
決壊したダムが如く感情が、思いが、涙が溢れてくる。
「チクショウ・・・!結局テメェの事すら何も知らなかったのはオレの方だったってわけかよ!!」
(ラーニャ・・・)
「・・・ほぉらラーニャ!ニアの願いを忘れたか?」
誰が泣き顔を見せてくれと言ったか。
ニアは一言だけ、笑ってほしいと言ったのだ。
ならばラーニャには"あのフレーズ"で笑っていただこう!
「オーナー、オーナー!ラーニャが泣いてるよ!」
「ラーニャが泣いてんの?たまには笑えば良いのにね」
「・・・2度も同じセリフで笑うかバカ野郎」
文句を言いつつもラーニャは笑った・・・真っ赤な返り血滴る殺し屋が、今は綺麗な涙で頬を濡らしながら微笑んでいる。
その表情たるや、なんと良いモノか。
これがニアとラーニャの絆をより強固に結びつける笑顔の架け橋であり、最強の剣となるのだ。
(ニア・・・すまない・・・そして、ありがとう)
(ラーニャが謝る事なんて何もない・・・だから・・・いつまでも、その笑顔を忘れないで)
"──パアァアァァァ!!"
激しい光に包まれながらもラーニャの微笑みはハッキリと見える。
「おい利眞守とか言ったな。最後の最後まで、よくわからねぇヤツだったが少しは認めてやるよ・・・お前の事」
「お?ラーニャにもデレ属性があったのか。素直じゃないねぇ」
「・・・オーナーさん、プレ子さん・・・その・・・ラーニャの事・・・ありがとうございました」
「ラーニャだけじゃなくニアもだ。まぁアクアリストとして、このくらいは当然の事よ!」
"──パアァアァァァン!!"
光に包まれ2匹は水槽へと、もどっていた。
「ちと変わったタイプだったが友情ってのは悪くないモンだな」
1つの身体に2つの心を持ったピラニアの少女、ニアとラーニャ。
今までの彼女達は、互いに最も近い存在だったが故に、互いを理解する事が出来なかった。
しかし今後は、そんな杞憂を抱く必要もあるまい。
どちらからともなく笑顔で手を取りあい、一方的な思いではなくニアはラーニャの、ラーニャはニアの本当の気持ちを理解する事が出来た。
その証こそ彼女達の笑顔だなどと、そんな事は最早語るまでもない。