8.
昨日、一緒に帰っていた天羽さんと別れて帰宅してから、僕はずっと気分が高揚していた。きっと今までろくに女の子と話したことがなかったので、彼女との会話が新鮮に感じられたのだろう。
現に今朝も、目が覚めてから、昨日の帰り道のことを思い出しては心臓がどきどきと鳴っていた。朝ごはんを食べている時も、僕がぽーっとしてので、しまいには母親に「何ぼうっとしてるの」と怒られる始末だった。
とにもかくにも、僕はその日から彼女のことが気になって仕方がなくなっていた。
「今から文化祭の出し物を決めたいと思います」
さて、いくら実行委員で天羽さんと会えることが嬉しくて、これからの学校生活が楽しみになったとはいえ、委員としての任務をほっぽりだすわけにはいかない。来週の金曜日までにはクラスでやる出し物を決めておかなければならないのだ。
「何か案がある人は挙手してください」
クラス会で僕が教壇に立ってクラスメイトに呼びかけてみたものの、予想通り手を挙げる人はいなかった。普段から前に立つことに慣れていなかった僕は、「はあ」とため息をつきながら、昨日一人で予め考えておいた案を黒板に書こうと思ったがその時。
「はいはーい」
驚いて声がした方を見ると、三宅君がぴしりと手を挙げていた。
「三宅君、何か案がありますか?」
アイスブレイクをしてくれた彼に感謝しながら、彼に発言を促すと、彼は持ち前の明るい声でこう言った。
「メイド喫茶やろうぜ!」
「……」
彼の提案に、一瞬教室の空気が凍りつく。だが、流石はクラスの人気者、すぐに彼に賛同する人たちが現れた。(支持者のほとんどが男子だったが)
「メイド喫茶やろう!」
「俺も賛成」
「女子の可愛い姿見れるしな」
口々に賛成の声をあげる野郎どもを見ていると、君たちぶっちゃけ他の案を考えるのが面倒なだけじゃないかと疑いたくもなったが、皆がやりたいと言うならこれほど楽なことはない。
クラスの女子も、最初は「えー」とか、「男子最低」と悪態をついていたが、最後には男子の押しに負けて、「仕方ないなあ」と渋々了解した。そうはいっても、彼女たちのワクワクした様子を見ると、内心メイド喫茶をやりたがっていることがバレバレだったし、何はともあれ一件落着したようだ。
「では、2年A組の出し物はメイド喫茶にします」
その日の放課後、クラス会でまとまった案を担任の先生に報告するために、僕は職員室を訪れた。
「失礼します」
職員室に入ると、誰か先生が飲んでいるのか、コーヒーのいい匂いが鼻をかすめた。
僕はざっと室内を見回して二階堂先生の姿を探す。すると、すぐに先生を見つけたが、先生は女子生徒と話している最中だった。しかもその女子生徒が天羽夏音だと分かった途端、僕は胸の鼓動が高まるのを感じた。
彼女はこちらに背を向けており、僕の存在には全く気付いていないようだ。反対に、二階堂先生の方は自分を見ていた僕に気が付き、
「おう水瀬」
とまるで友達であるかのように声をかけてきた。
先生の呼びかけで、天羽さんも僕に気づいて、振り返って「やっほー」と手を振ってくれた。
彼女の、たったそれだけの仕草にどきどきして、僕は彼女の顔を直視できなかった。
「水瀬、俺に何か用か?」
天羽さんが二階堂先生と話していたので、今先生に話し合いの結果を報告しに行くのを躊躇っていたのだが、彼の方から話しかけてきたので、天羽さんに悪いと思いながらも先生に今日の話し合いの結果を伝えた。
「おーメイド喫茶か、やるな~」
出し物の話をすると、先生は完全に高校生のノリで賛成してくれた。僕はてっきりメイド喫茶なんて不純だからだめだとでも言われると思っていたので、先生の楽しそうな反応に拍子抜けしてしまった。
「いいんですか?」
「おう、やっとけやっとけ。学生のうちはやしたいことを思い切りやるに限るさ」
「ありがとうございます」
それから彼は「はっはっは」と良い声で笑う。どうやら今日の二階堂先生はいささかご機嫌のようだ。
「へぇ、メイド喫茶やるんだ」
僕らの話を横から聞いていた天羽さんも、楽し気にニコニコ笑っていた。
「不純だろ」
僕もわざとらしくおどけて言ってみせる。それが彼女には可笑しかったらしく、またふふっと笑った。
「不純ですねえ。でも楽しそう」
彼女は僕に乗ってそう言った。
「そうだな、僕もなんだかんだ楽しみになってきたよ」
それから僕は二階堂先生に出し物案提出の許可をもらい、職員室を後にした。天羽さんも、
「また聞きに来ます」
と言って先生に頭を下げていた。どうやら今日は国語の質問をしに来ていたようだ。つくづく彼女は真面目だと感心する。
二人で職員室を出た僕たちは、何とはなしに昨日と同じように一緒に帰ることになった。僕はまた彼女と一緒に帰れるだけで舞い上がりそうなほど嬉しかったが、チラリと横目に見た彼女はいつもと変わらない様子だった。
僕と天羽さんは学校を出てずっと直進したところの、小さな公園まで通学路が一緒だった。小さな滑り台と椅子が置いてあるだけの公園。そこから僕の家は東方面に、彼女の家は南方面に位置するので、僕たちが一緒に帰れるのはそこまでだった。
学校を出て5分程歩いたところ、大通りに面した場所に僕が初めて彼女を見かけた書店がある。その書店を通り過ぎた頃、僕は彼女に、クラスの出し物を何にするか聞いた。
「私のクラスは、クラスの皆がそれぞれ自分の展示したいものを持ち寄って展示することにしたの。『なんでも展示店』って感じかな」
「へえ、それ、すごい面白そうだね。天羽さんはやっぱり絵を展示するの?」
「うん、そうするつもり。私は絵ぐらいしか出せるものがないから」
彼女はそう言うが、僕には誇れるものが何もないので、絵が描けるというだけでも十分な取柄だと思う。まして彼女は頭も良くて容姿端麗で、その上人からの信頼も厚いのだから、これ以上ないくらい素敵なものを持っている気がする。
「天羽さんには、絵だけじゃなくて色んな強みがあると思うよ」
彼女に対して、これまで抱いていた印象を正直に伝えた。すると彼女は、怒っているような、泣いているような複雑な表情で何度か目を瞬かせた。西日が、顔の半分を焼き尽くす。彼女の足元に落ちた影が、一歩足を踏み出すごとにずんと大きく揺れた。
「私に、色んな強みがあるって?」
何故だろう、彼女の声がいつもと違って僅かに低く、張りつめたように聞こえる。
「うん、僕はきみが羨ましいよ」
「羨ましい、かな」
「きっと皆が思ってることだよ。僕も、きみみたいに才能があったらいいのにって」
影はそこで止まる。小さな公園の約20メートル手前。
彼女がなぜそんなところで立ち止まったのか分からない僕は、思わず「どうしたの」と声をかけた。
でも、今考えればその行動は間違いだったのかもしれない。
立ちすくんでいた彼女は、俯いて震えながら——泣いていた。




