7.
***
「水瀬、今日5時から委員会な」
「はい」
二階堂先生の口車にいいように乗せられた僕は、翌々日から早速「雪の舞祭」の実行委員として放課後の会議に参加しなければならなくなった。
「あれ、水瀬、お前実行委員になったの?」
後ろの席の三宅君が僕の肩をトントンと叩いて訊いてきた。
「まあ、そんなところ」
「ふーん。水瀬が実行委員なんてやると思わなかったよ」
……僕も思わなかったよ。
「頑張れよ」と他人事のように僕の背中をバンバン叩く彼は、どこか楽し気だった。まあ実際他人事なんだが。
こういう時、サッカー部でバリバリ活動している三宅君が羨ましくなる。僕も、何でもいいから部活動に入っておけば良かった。
とはいえ、一度引き受けた仕事を放棄する気にもなれないので、その日の放課後、僕はいそいそと実行員会のある教室に向かった。
教室には、3学年のA組からH組までの実行委員一人が集まることになっていた。僕が教室に着いた時、すでにほとんどの実行委員が着席していて、まだ来ていないのは2年D組の実行委員だけだった。
ざっと実行委員の顔を見ても、部活動に入っていない僕は、先輩や後輩はおろか、2年生も去年同じクラスだった人は一人もおらず、完全に知り合いがいない状態だった。周りの皆は誰かしら友達がいて何人かで喋っていたので、僕は疎外感を覚えると同時にこの先の実行委員の集まりが思いやられた。
それから10分程経って、文化祭の実行委員長がやって来た。3年生の男の先輩だった。その人がそろそろ委員会始めようとして時計を見た時、教室の扉が勢いよく開かれた。
「遅くなってすみません」
開かれた扉の向こうから聞き覚えのある女子生徒の声がして、僕ははっとして扉の方を見つめた。
「大丈夫、今から始めるから」
実行委員長がそう言うと、その人はほっと胸を撫で下ろし、つかつかと席の方まで歩いて椅子に座った。
僕は無意識のうちに、彼女が——天羽夏音が自分の席のすぐ傍を通り過ぎるのを目で追っていたのだった。
「……というわけで、各クラスの実行委員は来週の金曜日までにクラスでやりたい出し物を考えておいてください」
雪の舞祭の概略や、実行委員の仕事についての説明があったあと、委員長がそう言ってその日の実行委員会は終わった。
「天羽さん」
集まった委員会の人たちがぱらぱらと教室から出ていく中、僕は思いきって彼女に声をかけた。いつもなら、見ているだけで何もできないはずなのに、その日はなぜか、考えるより先に行動していた。
「え、水瀬君」
どうやら彼女は今の今まで僕が委員会にいることに気が付かなかったらしい。委員会に遅刻して周りを見る余裕がなかったのだろう。
「お疲れ。天羽さんも実行委員だったんだ」
「うん、そうなの。先生に頼まれちゃってさぁ。水瀬君も実行委員だなんてびっくりした」
「僕も、きみと同じようなもんだよ」
そう言うと、彼女は「そっかそっかー」と可笑しそうにくすくす笑った。それにつられて僕も頬が緩んでしまう。
「あのさ」
「うん」
「今日一緒に帰らない?」
「うん」
かなり緊張して提案したのに、彼女の返事はあまりに素っ気なくて、拍子抜けしてしまった。
「そう、じゃあ帰ろっか」
「うんうん」
とても他愛もない会話なのに、彼女はいちいち楽しそうに頷いてみせた。
いつか三宅君が言っていた。天羽夏音は愛想がないとかなんとか。でも、僕の目に映る彼女は、彼の言う彼女とは全然違って見えた。
それから二人で校舎から出ると外はもう薄暗くなっていて、通り過ぎる公園で小さい子供は誰も遊んでいなかった。
「天羽さんってさ」
「何で遅刻したかって?」
僕が話しかけようとしたところ、彼女は僕の質問を予測したのか、僕が言い終える前にそう訊いてきた。
「え、いや、そのことじゃなくて」
「そうなの」
どうやら彼女には独特のペースみたいなものがあって、彼女と会話するにはそのペースに上手くのる必要があるようだ。
「何で、僕の名前知ってたの?」
僕が以前彼女と会った時に不思議に思ったことを訊いてみたところ、彼女は「なんだ、そんなこと」と言って答えてくれた。
「職員室で、二階堂先生が水瀬君の名前呼んでたの聞いたから」
言われてみれば単純なことで、疑問に思うほどのことでもなかった。
「そうだったんだ。急に名前呼ばれたからびっくりしたよ」
「ごめんね。でも、びっくりしたのは私も同じだよ。話したこともない人から知られてたんだもの」
「それもそうだな」
僕らはお互いに顔を見合わせて笑った。思えば書店で彼女を初めて見かけてから、彼女と鉢合わせする機会が多くて、こんな偶然も重なるものだなと感じる。
「そういえばこの前会った時、天羽さんは職員室で何してたの?」
「うーん、あの日は数学の問題で分からないところがあったから先生に聞きに行ってたかなぁ。実は今日も、どうしても分からない問題があってね。それを聞いてたら委員会に遅刻しちゃって」
「へぇ、さすが主席だ。真面目なんだね」
「遅刻しちゃったけどね」
「ははっ。やっぱり遅刻はダメだな」
「もう水瀬君、私のこと褒めてるのかバカにしてるのか分かんない」
そう言って頬を膨らませる彼女は、三宅君や皆が言うように愛想がなくて近寄りがたい女の子ではない。
「夕日、綺麗ね」
「ああ、綺麗だ」
「呑みこまれそうなくらい」
学校からの帰り道、沈んでいく夕日を見て瞳を輝かせながら感動できる女の子を、彼女以外で僕は知らない。
「キャンバスないから、目に焼き付けとこ」
「美術部、なんだっけ?」
「うん、そうよ。よく知ってたね」
「友達がそう言ってたんだ」
「ふふっ、何か知らないところで色々言われちゃってるのね」
「あ、ごめん。気悪くしたよね」
言った後に、「しまった」と思って謝る。僕が彼女の立場だったら、自分の知らないところで自分の個人的な情報が知られていたら嫌だ。
「ううん、全然。むしろちょっとドキドキした」
「ドキドキ?」
「うん、自分のこと知ってくれてたら嬉しいかなって」
「そうかな? 僕だったら気分悪くなるかも……」
「……水瀬君だからだよ」
「え」
不意に、つい本音が漏れてしまったようにポツリと呟いた彼女の言葉に、僕は驚いてその場に立ち止まってしまった。
「なんてね」
立ち止まったままの僕に向かっていたずらっぽく笑う彼女の姿は、夕暮れのまばゆい光の中に溶けて、美術部でなくとも、まっさらなキャンバスに描き留めておきたいと思うほど美しかった。