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君の声が聞こえない  作者: 葉方萌生
第1章 再会
5/43

4.

***


「もう一度やり直さない?」


大学二年生の夏。

一点の曇りもない瞳をして彼女は言った。


今更そのような言葉を放つ彼女が理解できず、しばらく返事ができないでいた。しかし彼女は僕の目をじっと見つめたまま決して離しはしなかった。僕は、蛇に睨まれた蛙のような心地がして、それでも何とか口を開いてしどろもどろに答えた。


「……そんなの、できるわけ、ないだろ」


これでも精一杯だった。2年ぶりに彼女に再会したことだけでも充分驚くべきことなのに、それ以上のことを要求してくる彼女に僕はついていけない。彼女はどうして、終わってしまった二人の関係を再び動かしたいなんて思うのだろう。


「どうして?」


「どうしてって」


彼女の大きく澄んだ瞳は、依然として輝きを失っていない。初めて出会った時から僕が憧れ続けていたそれのままだった。


でも、そのことが余計に僕の判断を鈍らせた。あの時と変わらない彼女。いや、もしかしたら2年前最後に見た彼女より、魅力的になった現在の彼女。その事実が僕の理性と、欲望とをぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。


「私のことが嫌いだから?」


「何でまたそういうふうになるんだ」


「だって、友一は私のことずっと嫌いなんだと思ってたから」


「……そんなんじゃない」


「じゃあ、好き?」


そう訊いてくる彼女の眼は先程と違い、何か請い求めるような必死さを纏っていた。女っていう生き物は本当、目まぐるしい。嫌いなのとか本当に好きなのかとか、常にそんなことばかり考えているのだろうか。


「だから、僕はもう——」


「……分かってる。変なこと訊いてごめんなさい。あなたと久しぶりに会えたから、ちょっと意地悪言ってみたかっただけなの。さっき私が言ったこと、全部忘れて」


今度は開き直ったようにそう言うと、脇に置いておいた鞄を手に取り、立ち上がった。つられて僕も席を立つ。


「おおきにー」


喫茶店「来夢」を出ると、僕たちはそこで分かれることにした。


「今日は久しぶりに話せて良かったわ」


「僕も、きみが元気だと分かって良かったよ」


「うん。じゃあ、またね」


「ああ、また」


僕らはもう会うこともないだろうと思いながらも、別れの言葉を口にしてぎこちなく手を振った。そして僕が先に彼女に背を向けて歩き出そうとした時、彼女はポツリと、呟いたのだ。


「……私だって、もう好きじゃないよ」


その時彼女がどんな目をしていたのか、彼女に背を向けたままの僕には分からなかった。でも、彼女が時々強がって本心と逆のことを言うのを、僕は決して忘れてはいなかった。


家に帰ると、いつにも増して疲労感がどっと溢れ出し、僕はそのままベッドに突っ伏してしまった。彼女のことを何も考えないように必死になって、心を無にしようと努めた。しかし、大抵そういう時に限って無心になれないもので、何時間経っても、2年ぶりに再会した彼女のことが頭から離れなかった。


「ああ、もう!」


煮え切らない自分の心にむしゃくしゃする。

ベッドからがばっと起き上がると、何か気を紛らわすものはないかと、テレビをつけた。


ゴールデンタイム前のテレビはローカルな旅番組やグルメ番組ぐらいしかやっていなくて、そのことになぜかイライラが募り、乱暴にリモコンを放り投げた。完全に八つ当たりだ。そんなことは分かっている。しかし、おさまらない激情が、波のように心をさらってゆく。


「続いてのニュースです。

今日午前2時28分、東京発大阪行きの夜行バスが巻き込まれた落石事故によって、運転手、乗客16名が死亡しました。軽傷者も8名出ており、当局では死亡した乗客の身元の確認を急いでいます。また、乗客のうち意識不明の重体である——」


リモコンを放り投げたことで切り変わったニュースの画面を、僕はプツリと消した。今の鬱々とした気分で暗い事故のニュースなんて聞きたくない。


それにしても、夜行バスの事故か。自分の身にも起こりうる事故の知らせに、僕はちょっと身震いした。バスで帰省する時は充分気を付けよう。


それから僕は冷蔵庫にあったなけなしの食材で晩ご飯を作り、時間がある時に時々見ているバラエティー番組を見ながら夕食をとった。食事をしてテレビを見ていると、次第に彼女のことも考えなくなって、夜眠るころには今日の出来事について意識をしなくても済むくらいになった。



翌朝、目を覚まして最初に思ったのは、今日の予定はなんだったかということだ。


今日は何限からだっけ……?

いや、この間やっとテストが終わったから今は夏休みじゃないか!

ということは、家でのんびり本でも読みながらグウタラできるな、うん。


そう思い至って再びしばらく寝ていよう、と考えたが。


「って、今日バイトじゃないか!」


重大なことを思い出し、ベッドから這い上がって急いで出掛ける準備をした。ただ今午前9時50分。バイトは午前10時から。

ああ、絶対間に合わない……。



バイト先のカフェは僕が到着した時、平日の午前ということもあって、街中にもかかわらずそれほど混んではいなかった。

そのことに少しほっとしながらも、急いで更衣室に行って着替えを済ませた。バイトの同僚たちは皆優しいので、僕の遅刻を軽く笑い飛ばす程度でそれほど怒られずに済んだ。


「おはようございます……」


同僚に怒られないからと言って、遅刻したことに罪悪感を感じずにはいられなかったので、僕は精一杯申し訳なさそうにシフトインする。


「おう水瀬、遅刻だな」


「本当にすみません」


「まあいいけどさ、次は気をつけろよ」


「はい……」


こんなふうに注意されるのが普通だったのだが、中には違う反応をした人もいた。


「なんだ水瀬、昨日何かあったのか」


半分からかう気持ちでそう言ってきたのは、僕と一緒にカフェバイトを始めた友人の後藤彬だ。彼とは大学も一緒で、京都に来てから一番親しくさせてもらっていた。


「まあ、そんなところ」


彼とはまだ1年の付き合いだが、既に僕のことをよく理解してくれており、嘘をついてもばれてしまうので、僕は正直に頷いた。


「そうかそうか。今日バイト終わったら飲み行かね?」


「ああ。僕も、そうしてくれると助かるよ」


気の利く後藤は、僕が話を聞いてほしいということを察してくれたのだろう。我ながら良き友人を持ったものだ。

彼は僕の返事を聞くと、満足そうにニカっと笑った。


「さ、そうと決まれば早く仕事に取りかかれ」


「はい」


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