9.
初めは僕の見間違いではないかと思った。
けれど、僕のいるところから20メートルほど離れた場所で楽しそうに話している彼らは、紛れもなく、僕の親友と彼女だった。
夏音が、自分以外の男と二人で出かけることなんて、一度も想定したことがなかった。しかも、相手は僕のよく知っている三宅創だ。一体なぜ三宅君と夏音が一緒にいるんだ。夏音は受験勉強で僕とでさえ最近遊びに行っていないというのに、どうして彼と……?
見れば二人はきちっと外出用の私服を身に纏い、学校とは違う、完全にプライベートな時間を楽しんでいる様子だった。
その上、学年一容姿端麗と謳われている夏音と、スポーツ万能で人気者の三宅君が並んでいると、とても絵になっていた。僕なんかよりもずっと。
二人は一体どんな話をしているのだろうか。
自分のいる位置からは全然聞こえなかったが、少なくとも夏音が笑顔で彼の話を聞いている、というだけで何故だか無性に焦りとも怒りとも言い表せない気持ちにさせられた。
今考えると、この時の僕はただ二人の仲が良さそうな様子に嫉妬していただけだし、そもそもなぜこれだけのことで、彼女に疑いの目を向けるようになってしまったか分からない。
多分僕は、先程まで心を弾ませながら二人の記念日の計画を立てていたため、その落差でどん底まで気分が落ち込み、判断力が鈍くなっていたのだろう。
それと、単純に僕が子供だったということは言うまでもない。
「何なんだよ」
放心状態のまま家に帰ると、僕は「ただいま」も言わずに二階の部屋まで駆け上がり、鞄を放り投げてベッドに身をうずめた。
風に靡く黒髪を手で抑えながら微笑む夏音と、普段と同じ明るい笑顔を浮かべる三宅創。
先程目に飛び込んできた二人の姿が、僕の胸をがんじがらめに締め付ける。
今日はもうこの場から動きたくない。
勉強をする気も起きない。
本来ならこの日のことを彼女にちゃんと説明してもらうべきだった。でも僕はもうすっかり気が動転してしまい、翌日から、彼女のことを避けるようになってしまったのだ。
「待ってよ友一」
翌日の放課後、彼女は久しぶりに僕のクラスの教室の前で僕を待っていた。恐らく一緒に帰ろうと思っていたのだろう。ここ最近僕たちはお互いの時間が合わず、一緒に下校することも少なくなっていたので、僕は昨日の今日で教室の外に彼女が立っていることに驚く。
こんな時、普通なら「久しぶりに待ってくれてありがとう。帰ろうか」と喜んで声をかけるはずなのに、その日は彼女がそこにいることさえ、白々しいと感じてしまった。
だから僕は、健気に待っていてくれた彼女を後目に、クラスが解散するとそそくさと彼女を置いて下駄箱へと向かった。
僕は自分がここまで冷たい人間だっただろうかと自分でも戸惑いを覚える。夏音を無視して自分一人で先に行ってしまうことなど、以前は考えられなかったから。
「友一?」
当然のことながら、彼女には僕の行動の意味が理解できず、「ねえ」と僕のことを追いかけてきた。夏音はきっと、僕が昨日三宅創と一緒にいたところを目撃したということを知らない。だから僕がなぜ夏音のことを無視しているのかも分からないはずだ。
「待ってよ、待ってってば」
下靴を履きながら、必死に僕のことを追いかけてくる彼女。
依然として無視して学校の外へと進み続ける僕。
周りには同じように部活動に行かずに真っ直ぐ家に帰る生徒がチラホラ見受けられる。皆、「今日は○○先生がね……」とか、「今からカラオケ行こうよ」とか、いかにも高校生らしい会話を繰り広げながら一日の終わりを実感しているようだ。
「きゃっ」
不意に、後ろで夏音の短い悲鳴が聞こえて、それからバタっという音がした。その音に咄嗟に振り返った僕は、数メートル後ろでつまずいてしまった様子の彼女を目にした。どうやら急ぐあまりにちゃんと靴を履けていなかったらしい。
僕は一瞬どうしようかと迷ったが、流石に転んでしまった彼女をそのまま放置しておくわけにもいかず、彼女の方にゆっくりと歩み寄って、
「はい」
と手を差し伸べた。
すると夏音は、気まずそうに「ありがとう…」と小さく呟いて僕の手に摑まった。そして、そのままゆっくりと腰を浮かせて立ち上がる。制服についた砂をパンパンと払いのけることも忘れずに。
「あの、友一」
一刻も早く口を開かないと、僕がまた逃げてしまうと思ったのだろうか。彼女は咄嗟に、という感じで僕にこう訊いてきた。
「さっきから何で先に行っちゃうの?」
夏音は、「自分が何か悪いことをしたのなら教えてほしい」とでも言うかのように、不安そうに僕の目を見つめている。
「……それは」
僕は、昨日自分が目撃したことを彼女に言うべきか否か迷った。もし言ってしまえば、今後の彼女との関係にひびが入ってしまうかもしれない。いや、でもそもそも昨日の出来事が僕の勘違いだったら……? それなら早いとこ誤解を解いてもらった方が良いのではないだろうか。
頭の中であれこれと考えて、結局僕は昨日夏音と三宅君が一緒にいたところを見たという事実をそのまま伝えることにした。僕の悪い想像が全て、間違いであると否定してくれることを信じて。
「昨日きみが、三宅君と一緒に出掛けているところを見たんだ」
どきどきしながら、僕は夏音にそのことを打ち明けた。
きっと彼女は、「なんだ、そのことか~」とほっと胸を撫で下ろしながら昨日のことをきちんと説明してくれるはずだ。それから、二人が一緒にいたくだらない理由を聞き、僕も「なんだよ、そんなことか。誤解させなんなよな」と軽く悪態をつきながらも内心安堵して、また彼女と今まで通りの生活を送れるのだと信じた。
その時は、本気でそうなると信じていたんだ。
しかし、僕の目の前にいる彼女は、「えっ」と目を丸くして僕の言葉にたじろいだ。それから、
「昨日、見てたんだ」
と、ばつが悪そうにゆっくりと視線を足もとに落とした。
「……夏音?」
予想外の彼女の反応に、僕もどう返せば良いか分からない。
「あれは、その……」
言葉を濁らせながら、彼女は事実を話そうかと迷っている様子だった。
「三宅君と、僕には言えないようなことをしてたのか?」
たまらなくなって僕は直球勝負に出た。
どうか早く、早く、早く。
一刻も早く、僕の言葉を否定してくれ。
「そんなんじゃ、ないけど」
それでも相変わらず彼女の返事は曖昧で、その態度が僕を余計苛立たせた。
「じゃあ何をしてたんだよ」
「それは、言えない」
「何だよそれっ」
僕はつい、声を荒げてしまう。
夏音が、肩を震わせて「信じられない」というような目で僕を見ていた。
「僕に言えないような、やましいことをしてたんだな。分かったよ……とりあえず今日はもう帰るわ」
「ま、待ってよ……!」
僕は速足で彼女の側からどんどん遠ざかる。
彼女が後ろで僕の名前を呼びながら追いかけて来るのが分かった。
けれど、しばらくすると諦めたのか、次第に彼女の足音も聞こえなくなる。
逃げ出したい気持ちが、彼女と僕の距離をどんどん遠ざけてゆく。やがて心が鎮まり、熱を帯びていた頭が冷えて冷静になる。
僕はそこで、ようやく一人になった。




