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君の声が聞こえない  作者: 葉方萌生
第3章 異変
23/43

4.

***


「元気にしてるかなあ……夏音」


ビールを片手に枝豆をつまみながら、目を細めて昔を懐かしみながら沢田さんが放った言葉に、僕は耳を疑った。


「今なんて……?」


お酒が入っているから聞き間違えたのかもしれない。

隠しきれない動揺を露わにしながら目の前のショートカットの彼女を凝視した。


「やだ、そんなに見つめないでよ」


「ご、ごめん」


どうやら自分で思っている以上に彼女を食い入るように見つめてしまっていたらしい。これは反省。


「で、さっきなんて言ったのか、もう一度教えてくれる? 酔ってて聞き間違えたみたいなんだ」


僕はすっとぼけた様子で沢田さんにそう訊き返した。すると彼女は、「水瀬君って意外と抜けてるのねぇ」と呆れながら、もう一度先程の台詞を繰り返してくれた。


「さっき言ってた、めちゃくちゃ真面目で努力家な友達のこと。夏音っていうんだけど、中学校を卒業して以来全然会ってないの」

 

ナツネ……夏音。

確かに今、彼女はそう言った。


「なつね」なんて名前、あまり多い方じゃない。僕は「もしかして」と想像を膨らませては心の中で、「そんなはずないよな」と否定した。でも、“その可能性”は全くゼロなわけではない。だから僕は、乾いた口の中で生唾をゴクンと飲み込んで彼女にこう質問した。


「沢田さん、出身は?」


「え、出身? 東京だけど」


……やっぱりそうか。


僕はいったん傍らにあったビールをひとくち口に含み、しばらく何が起こっているのか考えた。当然のことながら目の前にいる沢田さんは、僕がなぜ黙り込んだのか分からず不思議そうな顔をしている。


今思い返せば、彼女は一昨日僕に自己紹介をしてくれた時、こう言っていた。


——沢田さんは、何回生だっけ?


——S大学の2()です。


——お、それじゃあ俺たちと一緒じゃん。


——そうなんですね。


——そう。俺も水瀬も2回生(・・)なんだ。


よく聞いていないと、聞き流してしまうぐらいのちょっとした違和感。

関西では、ほとんどの大学生が「〇年生」という言い方をせず、「〇回生」と表現する。

でも、例えば僕や沢田さんのように関東から関西にやって来た人の中には、地元に帰ると、友達には「〇年生」と言うようにしている人が、若干名いるのではないだろうか。僕も、大学に入学したばかりの頃は地元の友達にも「〇回生」と言っていたが、前に一度、関東の友達に「〇回生」というと首を傾げられたことがあった。それからは、関西以外ではあまり「〇回生」という表現をしないように注意している。恐らく彼女もその一人で、自己紹介の時に「2年生」と言う癖がついているのだろう。


「あの、水瀬君。どうして突然あたしの出身地なんか聞いたの?」


僕が一人で思考を巡らせている間、僕の質問の意図が分からない沢田さんは依然として不思議がっている。

それもそのはず。それまでは自分の友達の話をしていたのに、急に出身地なんて聞かれた上に、酒を酌み交わしている相手であった僕が、一人悶々と考え込んでいるのだから。

しかし、これはどうしたものか。

一度冷静になろうと考え、店員さんを呼び、とりあえず追加のビールと塩味のつくねのおかわりを頼んでおいた。


「あれ、また塩味頼むの?」


「あ、ああ。美味しかったから」


「そう」


店員さんに注文をしている間も、一体何から彼女に確認するべきかと頭を悩ませていた。

しばらく頭をひねり続けたけど、結局は事実を伝えるしかないのだと思い至る。


「驚かないでほしいんだけど」


「どうしたの?」


先ほどから何を考えているか分からなかった僕の口から、ようやく「答え」が聞けると思ったからか、沢田さんは身を乗り出して必死に僕の次の言葉を拾い上げようとしていた。


「僕の彼女も、“夏音”っていう名前なんだ」


「え、そうなの!?」


「驚かないでほしい」という僕のお願いをよそに、気持ち良いぐらい綺麗にびっくりしてくれる沢田さん。


「ああ」


「そうなんだ、びっくりしたー。“夏音”なんて珍しい名前なのに、よく同じ名前の知り合いがいるもんだね。しかも旧友と彼女だなんて、これって運命?」


そう言う沢田さんは、お互いの知り合いである「夏音」という人物を介して、僕たちが不思議な出会いをしたのだと解釈しているようだ。まあ、普通の人ならそう考える。いくら「夏音」という名前が珍しい名前だったとしても、同じ名前の人が知り合いにいる確率は決してゼロではない。


でも、恐らく違う。

そうじゃないんだ。


「実はさ、僕も東京出身なんだ」


「え?」


今度は先程よりもいっそう驚いた様子で、沢田さんが目を瞬かせた。


「それで、僕の彼女も——夏音も、東京出身なんだよ」


「……」


僕の度重なるカミングアウトに、彼女はまるで絵に描いたかのように唖然としている。

「驚きすぎて何も言えない」と戸惑う様子が伝わってきて、僕らの間に何となく気まずい空気が流れ始める。


その時、


「失礼いたします。ご注文のビールとつくね塩味をお持ちいたしました!」


沈黙が続いていた僕らの間に割って入ってきた店員さんが、良い意味で空気を読まずに威勢の良い声で、先程注文した料理を持ってきてくれた。

この時ばかりは、普段からせわしなく注文をとって、時々間違えながらも元気よく料理を運んでいる居酒屋のお姉さんにとても感謝した。


「……東京出身の同世代の女の子に、“夏音”なんて名前の子、結構いたんだ」


 沢田さんが、「自分の解釈」の中におさめた上での見解を述べてくれる。


「いや、そうじゃなくて」


ああ、何と伝えればいいのだろう。

もしかして、もしかしたら、いや、ほとんど僕の予想が正しいのだけれど、頑なに「第二の解釈」を認めようとしない沢田さんに、どうすれば別の可能性を想像してもらえるだろうか。


「……分かってるよ、水瀬君が言いたいこと」

お……?

これは、僕の想像がテレパシーか何かで伝わったのだろうか!


「同一人物かもしれないってことでしょう」


ようやく彼女が、僕の聞きたかった言葉を口にしてくれた。


「そう! そうなんだ。僕はその可能性を疑っている……というか、ほとんどそうなんじゃないかと思う。きみの言う“夏音”と、僕の知っている夏音の像が、全く一緒だったから」


「それって、例えばどんな?」


「めちゃくちゃ真面目で」


「うん」


「傍から見れば“何でも持ってる人”に思えるところとか」


「うん」


「でも本当は陰で人一倍努力してるところが」


僕がそこまで言った時、沢田さんが「ふふっ」と笑った。


「な、なんだよ」


「だって、水瀬君が何だか嬉しそうだったから」


「そうか?」


「ええ。水瀬君、夏音のこと本当に好きなんだね」


「それは……そうだな」


女の子の前でこんなことを面と向かって言うのは恥ずかしい。でも、彼女に対する気持ちは、二年前以上に本気だったので、臆せず答えた。


「僕は本気で、夏音のことが好きだよ」


「それはとっても嬉しい。ありがとう、夏音のこと好きになってくれて」


沢田さんが、今までにないくらい素直な気持ちを口から漏らした。

何だか急に改まった会話になったような気がして、僕らはお互いに可笑しくて笑った。


「それにしても、夏音の中学の友達が同じバイト先に来てくれるなんてなあ」


「あたしだってびっくりしてるよ。夏音とはずっと会ってなくて、気にしてたから」


沢田さんはそう言いながら、先程店員さんが持ってきてくれた新しいビールに口を付けた。同じタイミングで、僕も二回目の塩つくねを頬張る。うん、やっぱり塩味もなかなか捨てたもんじゃないな。これからは積極的に注文することにしよう。


「そういえばさ、夏音、今京都に遊びに来てるんだけど、中学の時の友達に会いに来たって言ってたんだ。それは、きみのことではないんだね」


僕は、今まで沢田さんから聞いた話と夏音から実際に聞いた話を繋ぎ合わせて生まれた、何気ない疑問を口にした……はずだった。


「え……」


けれど、なぜか沢田さんは、つくねを口に入れようとした瞬間で動作を止めていた。


「どうしたの沢田さん?」


不思議に思った僕がそう訊くと、彼女は瞳をキョロキョロさせながら、伏し目がちに「そんなはずない」と漏らした。


「どういうこと?」


僕には、彼女の言うことの意味がよく分からなかった。だって、夏音が沢田さん以外の中学時代の友達に会いに来たって、不思議じゃないと思ったからだ。


でも、そんな僕の考えも、沢田さんの次の発言によって打ち砕かれた。



「だって夏音は……中学では虐められていて、あたし以外に仲の良い友達なんていないはずだもの」




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