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君の声が聞こえない  作者: 葉方萌生
第3章 異変
22/43

3.

***


文化祭2日目も、1日目同様慌ただしく過ぎ去っていった。

2年A組のメイド喫茶は2日間とても盛況で、文化祭委員の僕がほとんど休憩をとれないぐらいにお客さんが来てくれた。

一日中シフトに入らなければならないのは大変だったが、それだけ自分たちの企画したものが一般の人に受け入れてもらえるのはありがたいことだ。


「あー終わった終わった!」


雪の舞祭閉会式が終了し、ひと通り教室の片づけまでし終えると、クラスの中心人物である三宅君が大きく伸びをしてそう言った。

それが何かの合図であるかのように皆の肩の力が一気に抜けて、教室中で「お疲れ様」の声が飛び交った。それにしても、文化祭というものは準備にはすごく時間がかかる割に、片づけは一瞬で終わってしまうものだ。なんだかとてもあっけない気がする。


「水瀬もお疲れ様。いろいろありがとな」


A組の皆が個別に声をかけてくれた。最初は先生に押し付けられていやいや始めた文化祭委員だったけれど、こうして「ありがとう」を言われると、面倒臭いと思いながらやった委員の仕事のことなんか全部忘れて、ただひたすら「やって良かったな」という清々しい気持ちにさせられた。


「こちらこそ、皆のおかげでクラス企画を無事に終えられたんだ。ありがとう」


高校2年生の文化祭なんて、きっと何でもない青春の1ページ。

いつか大人になって、同僚や自分の家族と文化祭の話をする日が訪れることさえないかもしれない。

それでも、僕がちょっとだけ成長したこの一か月間を、忘れないようにそっと胸の奥にしまっておこうと思う。



彼女とはクラスが解散した後、校門の前で待ち合わせしていた。

クラスメイトに「お疲れさま」を言われて僕が校舎を出た時、もうほとんど日が暮れてしまっていた。いつの間にこんなに時間が経ったんだろうと、慌てて校門まで向かう。


「友一」


校門脇の塀にぴたっと背中を押しつけて待っていた彼女が、僕の方を振り返って淡く微笑んだ。

彼女に名前を呼ばれた時、好きな人に初めて名前で呼ばれたことに対するこそばゆさと、昨日の今日で彼女がちゃんと学校に来られたことへの安堵の気持ちがない交ぜになっていた。


「お疲れ、夏音。だいぶ待った?」


「ううん」


首を横に振る彼女の肩には、校門の所に生えている桜の木の葉がはらはらとのっていた。それから通学鞄やローファーにも。


「そっか、なら良かった」


本当は長い時間、ここで待っていたに違いない。彼女は随分とお人好しで、優しい。その優しさを、僕はそっと心で受け止めておいた。


「じゃあ帰ろっか」


「ええ」


僕はぎこちない足取りで彼女の隣を歩き始めた。今までだって何度も二人並んで歩いていたはずなのに、「恋人同士」という関係を意識すると、なぜか無性に緊張してしまう。

そんな僕の様子があまりに可笑しかったのか、隣で夏音が笑いをこらえているのが分かった。


「ふ、ふふっ」


「な、なんだよ。そんなにおかしいか?」


「おかしいわよ、いつもの友一じゃないみたい」


「僕がおかしいんじゃなくて、きみが“友達”じゃなくなったんだろ」


「それもそうね」


この異常な状況下で彼女の方が僕より数倍落ち着いていて、大人な気がするのが何だか悔しい。


「今に見てろ、僕だって一週間後にはきみを動揺させるくらいスマートな男になってるからさ」


「何それ、友一ったら面白いこと言うのね」


「その余裕も一週間後にはなくなってるよ」


「そう。それはとっても期待しています」


冗談を言い合いながら歩く帰り道。たったそれだけの時間なのに、とても満ち足りた気分になる。


「そういえば、昨日お母さんとちゃんと話せた?」


彼女が今日学校に来ていたことからすると、恐らく無事に話し合うことはできたのだろうが、夏音の口からきちんと話を聞きたかった。

夏音は僕の質問にすぐには答えてくれなかった。彼女の中で、母親との一件は長年の家族のわだかまりを解消するための特別な出来事に違いない。僕が背中を押してからも、母親と話をするのには相当な勇気がいっただろう。

隣を歩く彼女がすうっと息を吸う音が聞こえた。


「友一、ちょっとお腹すかない?」


「え?」


予想していたものとは随分違う言葉が返ってきたため、僕は一瞬戸惑ったが、彼女なりに思うところがあるのだろう。僕も「そういえば」と思い出したようにお腹をさすった。実際、文化祭の仕事が忙しくて今日一日まともな食事がとれていかったことに気がつく。そうすると不思議なことに、一気にお腹の減りを実感して、僕の腹の虫が盛大に鳴いた。


「ふふっ、身体は正直なものね。ちょっと何か食べて帰らない?」


「うん、そうしよう」


僕たちは丁度通りがかりの場所にあったファミレスに足を踏み入れることにした。


チリーン


扉を開けると来客を知らせるための軽快な音が鳴り、ウェイトレスの人が出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ、2名様ですね。こちらへどうぞ」


席に案内されながらざっと店内を見渡すと、さすがは文化祭終わりの食事時とでも言うべきだろうか、僕たちの通う六花高校の生徒がチラホラ座っていた。

僕は、「どうか知り合いに会いませんように」と心の中で祈りながら所定の席まで歩いた。


「何頼む?」


席に着くやいなや、夏音はメニュー表を広げてご飯を選び出す。どうやらよっぽどお腹がすいていたらしい。僕も人のことは言えないので、彼女に負けず劣らず、割とボリュームのあるものを選んだ。結局、彼女は王道のミートソーススパゲティ、僕はハンバーグ定食を頼むことに。

店員さんに注文し終えると、僕は彼女に思いきって先程の話の続きを振った。


「それで、さっき訊いたことなんだけど……」


夏音にとって、決して楽しい話ではないと分かっていた。だから、ゆっくりでいい。彼女の心が許す限り、母親とどんなふうに話をしたのか知りたかった。

僕の心配をよそに、彼女は意外にも「あ、そのことね」という風に軽く頷いて話し始めた。


「お母さんとはとりあえず、ちょっとずつやり直していこうってことになりました」


「そっか。それはとても安心したよ」


彼女の言葉を聞いて、僕はふうと安堵する。もし家族との関係が余計にもつれていたら、彼女をどう慰めようかと思案しているところだった。


「うん、たくさん心配かけてごめんなさい。昨日あの後、家に帰ったらお母さん、玄関のところに座ってた。多分私が帰るのをずっと待ってたんだと思う。それから遅くに帰ってきた私を見て、何度も何度も謝ってた。私、てっきり怒られるかぶたれるかのどっちかだと思ってたから、拍子抜けっていうか……ちょっと怖くなった。さっきはあんなに私のこと殴ったり物を投げつけてきたりしたのに、今度は狂ったように『ごめんねごめんね』って謝るんだもの。同じだったの、お父さんと。私の本当のお父さんも、初めてお母さんに暴力を振るった時はすごく謝ってたの。でも、それがだんだんエスカレートして、自分でも収拾がつけられなくなったんだと思う。最終的には私とお母さんを置いてどこかに行ってしまったわ。だからもしかしたら、お母さんもお父さんみたいに、いずれ私を捨ててしまうんじゃないかって思って怖くなった。だから私言ったの。『お母さんと距離を置きたい』って。そうしたらお母さんも、寂しそうに納得してくれた。『そうね、それが良いわね。ごめんね……』って謝りながら」


「そんなことがあったのか。辛かったよな」


夏音が昨日のお母さんとの出来事をひと通り話し終えたところで、注文していた料理が運ばれてくる。でも、すぐには食事に手を伸ばす気持ちにもなれず、夏音の気が済むまで話の続きを聞くことにした。


「私、多分自分が思っている以上に怖いんだと思う……。自分の大事な人が、突然目の前からいなくなっちゃうこと。だから、昨日もお母さんに自分から『距離を置きたい』なんて言っちゃって。お父さんみたいに、お母さんも私の前からいなくなるかもしれないから、これ以上お母さんのこと『どっか行ってほしい』って強く思わなくて済むように遠ざけようって。……ふふ、今の私ってかなり弱ってるかも」


「そんなの、弱いとは言わないだろ」


僕は目の前で、視線を落として下唇をぎゅっと噛んでいた彼女を見ると、少しでも「助けになりたい」という気持ちにさせられた。


「そうかな」


「ああ。夏音は夏音なりに、前に進んでると思う。だってちゃんと昨日家に帰っただろう? もしかしたらあのまま家の外でずっと縮こまってたかもしれないのに。だから、ちゃんと進んでるよ」


途中で自分が何を言いたいのか分からなくなりながらも、必死で言葉を紡いだ。ただ彼女を励ましたいという気持ちしかなかった。

すると、彼女の表情も先程より柔らいで、「ありがとう」と結んでいた唇を緩めて言った。


「さ、早く食べないと、せっかくのご飯が冷めちゃうよ」


「それもそうね。いただきます」


くるくると上手にパスタをフォークに巻き付けて、パスタを口に運ぶ彼女。きっと今日のこの外食も、母親との「距離を置く」時間なのだろう。

僕はそのことに気づきながら、まるで何でもない1日の出来事として、この先も彼女と彼女の母親との関係が少しでも上手くいくようにと祈りながら、黙って側にいようと思った。



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