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君の声が聞こえない  作者: 葉方萌生
第3章 異変
20/43

1.

大学2年生の夏休み、僕は高校時代の元カノである天羽夏音と偶然再会した。そこで互いの気持ちが再び重なったため、もう一度交際することになった。いわゆる復縁というやつだ。


彼女と再会してから一週間、付き合い始めてさらに一週間と、たいした時間は経過していないのに、彼女が隣にいるという感覚はすぐに僕のもとに戻って来た。二年前まで当たり前だった感覚。でも今は、その時から成長してさらに美しくなった彼女がそこにいる。


「そういえばさ」


僕の家で彼女が作った豚肉の生姜焼きと、お味噌汁、白ご飯を食べながら僕は彼女に尋ねた。


「夏音はいつまで京都にいるの?」


少し味の濃い生姜焼きは、白ご飯と一緒に食べると絶妙にマッチしていた。


「うーん、多分今月末までかなぁ」


猫舌な夏音が、味噌汁に息をふーふーと吹きかけるのをやめてそう答えた。


「今月末? そんなに長くこっちにいるんだ。てか、友達のところに遊びに来てるんだよな。ずっと僕の家にいて大丈夫なのか?」


そう、夏音は僕と付き合い出してから一週間の間ずっとこの家に泊まっている。でも、彼女は中学校の友達に会うために京都に来たと言っていた。そんなに長い間友達のことを放っておいて良いのだろうか。


「元からずっとその子の家に泊まる予定でもなかったから大丈夫よ」


彼女はお味噌汁を食べることを一旦諦め、ご飯とおかずに手を伸ばす。自分でも出来が良かったと感じたらしく、とても満足そうな笑みをこぼしていた。


「そうか。それなら良いんだけど」


彼女の言うことが、僕にはどうしても腑に落ちない。

そもそも、京都にいる間友達の家にずっと泊まるわけでないとすれば、彼女はどこに泊まるつもりだったのだろうか。


僕と再会したのは偶然も偶然だし、ましてどこか宿泊施設に泊まるとすればかなりの宿泊代がかかるため、あまり現実的じゃない。

僕はこれらの疑問の全てを彼女にぶつけてみたかったが、些細なことまで気になって詮索するようなことはしたくない。


彼女の方も、あまり触れてほしくない話題なのか、それ以上何か僕に対して言ってくることもなかった。

黙々とご飯を食べる夏音。少しだけ気まずい空気が流れる。僕は咄嗟にテレビのリモコンに手を伸ばし電源を入れた。


さして見たい番組があるわけでもない。適当に流行のバラエティ番組に切り替えておく。

二人してその番組を何となく見ながら食事を続けた。時々彼女がふふっと声を上げて笑ったり、出演者の発言にツッコんだりして、その場も和やかになった。

時間が経つにつれ、お味噌汁から湯気が立たなくなると、夏音はようやくお椀を手にしてそれを啜り始めた。温かい方が絶対に美味しいはずなのに、猫舌の彼女は少し冷めてしまった味噌汁を美味しそうに何度も口に含んだ。


「友一、明日はどうする?」


味噌汁を食べ終えた彼女が僕にそう訊いてきた。

この夏僕らが一緒にいられる時間は限られている。だからこそ、二人でいられる今は一日一日の予定を大切にしなきゃと互いに思っていた。


「えっと、ごめん。明日は一日バイトなんだよなあ……」


とはいえアルバイトのシフトを一か月前に出してしまった僕は、明日一日働かなければならない。


「そう、それなら仕方ないわ。バイト頑張ってね」


夏音は少し残念そうな表情をしたが、そこで駄々をこねるほど子供ではなかった。快くバイトに行かせてくれる彼女に心の中で感謝とお詫びをした。


「じゃあ、明日も何かご飯作って待ってる」


「ありがとう」



翌朝、夏音を家に残して僕はバイト先に向かった。

ここ最近は晴れの日が続いていて、必死に自転車をこいで店に着いた頃には、全身汗だくになっていた。


「おはよう水瀬」


制服に着替えてシフトインすると、いつものように同期の後藤が声をかけてくれた。


「後藤、おはよう」


普段と変わらないバイト風景。まずは掃除をして今日の持ち場を確認。日によってホール担当やレジ担当など役割が変わるからだ。水瀬友一——ドリンク・レジとなっていたため、レジチェックをし、来るお客様の対応をしようと思った時だった。


「あ、あの!」


不意に後ろから女の子の声がして、僕は咄嗟に振り返る。そこには、茶髪のショートヘアでスタイルの良い女の子が立っていた。こんがりと焼けた肌がスポーツの得意そうな雰囲気を匂わせる。


「紹介するよ、新しく入った沢田さん」


後藤が沢田と呼ばれる女の子の方を見て言った。


「初めまして、沢田桃(さわだもも)といいます。今日からここで働かせていただくことになりました」


沢田さんは僕に向かって礼儀正しく挨拶をしてくれた。僕も自然と背筋がピンと伸びる。


「後藤と同期の水瀬友一です。よろしく」


「水瀬さんですね、よろしくお願いします」


こういう“初めまして”の挨拶は久しぶりで、どこかこそばゆいような感覚だった。


「何だよ水瀬、緊張してんのか」


後藤がそう言って僕をからかってくる。僕の心のうちまで悟ってしまう彼には到底敵わない。


「沢田さんは、何回生だっけ?」


「S大学の2年です」


「お、それじゃあ俺たちと一緒じゃん」


「そうなんですね」


「そう。俺も水瀬も2回生なんだ。大学はS大じゃなくてH大だけどな! 2回生は俺たちしかいないから、3人仲良くしようぜ」


「はい、よろしくお願いします」


僕たちが同級生だと分かって、沢田さんはほっとした様子だった。新しく入る環境に馴染めるかどうか分からなくて、不安になる気持ちはよく分かる。だから、沢田さんの初出勤の日が、僕たちの出勤日と重なって良かったと思う。


「んじゃ沢田さん、今日の教育係は水瀬だから、基本的なことは水瀬に教えてもらって。もちろん、仕事してて分からないことがあったら俺に聞いてくれても良いよ」


「分かりました。後藤さんと水瀬さん、今日からよろしくお願いします」


「よろしく、一緒に頑張ろう」


自己紹介を終えると、沢田さんの教育係を任された僕はまず、レギュラーメニューのドリンクの種類と作り方を教えた。

朝早くということもあって、店を訪れるお客さんはそれほど多くなく、教え終わったドリンクを沢田さんが提供するのに良い練習となった。


「いらっしゃいませ」

 

1時間も教えていると、最初は自信なさげだった彼女の接客時の挨拶も、次第に歯切れのよいものに変わっていった。

彼女は研修に対してとても真面目で、僕がドリンクの作り方を教えると即座にメモを取って熱心に聞いてくれた。

こんな新人なら、教える側も楽だ。時々聞き取れない箇所があると、「あ、もう一度言ってもらえますか」と正直に言ってくれるところも好感が持てた。


「沢田さんは偉いね」


「え、そんなことないですよ。こうでもしないと仕事覚えられないですから」


「いやいや。僕なんか、最初の頃全くメモを取ってなくて、何度も作り方間違えたなぁ。後藤なんてメモとらなくても覚えてやがるけど」


「ふふっ。水瀬さんって真面目そうに見えて意外とそうでもないんですね」


小悪魔っぽい笑みを浮かべて彼女がそう言う。


「僕は全然真面目なんかじゃないよ。彼女は真面目なんだけどね」


「彼女さんいるんですね! 良いこと聞いた」


沢田さんは“彼女”という単語を聞いて、途端に嬉しそうな表情になった。まったく女子という生き物は、なぜこんなにも恋愛ネタに敏感なのだろうか。


「すごく気になるけど、今仕事中なので今度ゆっくり聞かせてくださいね」


語尾に「♥」でも付きそうな勢いで沢田さんがそう言った。


「冗談はさておき、あたしにもすごい真面目な友達がいるんですよ。その友達とおかげというか、“せい”というか、何でもメモとって覚える癖がついちゃって」


「へえ、そうなんだ。よっぽど真面目な子なんだね」


「そうなんです。恋人とか仲の良い友達の癖って、ついつい移っちゃいますよね」


「それはすごくよく分かる」


僕は頭の中で、夏音の癖を思い浮かべてみた。

辛いことがあった時に無理して笑う彼女。

グラスに注がれた冷たい飲み物を、無意識のうちにストローでかき混ぜる彼女。

二年前も今も変わらない彼女の姿が、僕の頭の中にハッキリと浮かんだ。


「あ、今彼女さんのこと考えてますね」


「な、なんだよ全く……きみも隅に置けないね」


「へへっ」


沢田さんとは最初に挨拶を交わした時よりもかなり打ち解けてきて、既にいじったりいじられたりするような仲になっていた。

緊張しながらも初対面にしては和気藹々と仕事をするうちに、いつの間にかシフトの時間が終わっていた。今日のアルバイトの時間はいつにも増して充実していたように思う。


「それじゃ、先に上がらせてもらうね」


「はい、今日は仕事教えてくださってありがとうございました!」


「お疲れ水瀬」


「お疲れ。後はよろしく」


僕は後藤と沢田さんより一足先に仕事を終え、真っ直ぐ家に帰ることにした。



「ただいま」


「お帰りなさい」


家に帰り着くと、彼女がスタスタと玄関まで出てきてくれた。

それから、「早く作りすぎちゃった」と言って、約束していた夕ご飯を配膳してくれた。帰宅して誰かが出迎えてくれるっていいな。一人暮らし2年目にもなるとこういう些細なことが嬉しく思う。今日はハンバーグらしい。バイト終わりで空腹だった僕は、美味しそうな匂いに即座にやられてしまう。


「今日さ、バイト先に新人さんが入ってきたんだ」


「へえ、良かったわね」


「ああ。前より活気が出そう」


「女の子?」


夏音は、からかうような、それでいてどこか探っているような調子で問う。

僕はこういう時、彼女の真意を測りかねて何と答えれば良いか迷う。

沢田さんと似たようなからかい方をしているのに、夏音に言われるとドキッとしてしまう。それはきっと、かつて彼女と一度別れるにいたった”あの原因”のせいであることは間違いないのだが。


「女の子。でも、きみが心配するようなことはないから安心して」


夏音に対して、僕はどこまでの安心材料を発すれば良いか分からない。


「なになに、友一ったら。私、そんな心配してないってば」


クスクスと、彼女は笑いながらそう言ってくれた。その言葉に僕もほっと安心して胸を撫で下ろした。


「それより早くご飯食べようよ。冷めちゃうし」


「実は僕も、そうしたいと思っていたよ」


タイミングよく、僕の腹の虫が鳴いた。


「いただきます」


作り立ての温かいご飯に、他愛もない会話。それだけで僕はとても満たされた気分になる。それはきっと彼女も一緒で、鼻歌を歌いながらお茶碗にご飯をよそっていた。

昨日と同じようにテレビを点けて夏音の作ったご飯を食べる。今日のテレビはクイズ番組だ。


「絶品ハンバーグだな、これは」


「そうでしょ! ハンバーグは自信あるのよ」


僕が褒めると、彼女が嬉しそうに頬を染める。そんな彼女がつくづく可愛いと思う。それにしても本当に夏音のハンバーグは美味しくて、何個でも食べられそうだと思った。


高校生の頃から成績優秀だった彼女は、クイズ番組を見ながら出演者の誰よりも早く、回答を導き出す。そんな彼女とクイズ番組を見ていると、とてもじゃないが勝てる気がしない。というか、これは夏音と一緒に見るものじゃないなと苦笑した。


『次の問題です。江戸時代後期の尊王思想家で「寛政の三奇人」の一人とされた人物は——』


「あ、これは僕にも分かる。高山彦九郎だろ」


「わ、早い」


「僕にだって文系の意地というものがあるのさ」


「う~悔しい。よくそんな人知ってるわね」


「実は京都の三条大橋の側に高山彦九郎の銅像があるんだ。御所に向かって頭を下げている姿の像だから、みんな“土下座像”って呼んでるけど」


「あら、そうだったのね。土下座像って面白い」


「だろ。僕も初めて聞いた時は笑っちゃったよ」


高山彦九郎像のある場所はよく待ち合わせ場所にもなるので、京都に住む人にとってはかなり馴染み深い。

テレビを見ると案の定、解説の中で通称“土下座像”が紹介されていた。

高山彦九郎問題が終わると、次は英語の問題になり、今度は圧倒的に夏音の方が強かった。


そうやってクイズ番組を見ながらご飯を食べ終わり、テレビの方も丁度番組が終わった後のCMの時間になったため、僕は「ごちそうさま」と手を合わせてから立ち上がって食器を洗いに行く。


夏音は「私が洗うよ」と言うが、流石にご飯を作ってもらった手前、洗い物ぐらい僕にやらせてくれないと男の名が廃る。

僕はシンクに置いてあった調理器具と、二人分の食器を洗い終え、食卓に戻る。クイズ番組の後、次の番組が始まるまでの間の5分間にニュースが流れていた。


『ニュースの時間です。7月29日午前2時28分に東京発大阪行きの夜行バスが——』


「お疲れ、洗い終わったよ」

 

『……この事故では多数の死傷者が発生しております。意識不明の重体である女性の身元は、現在公表できないとのことです……』


僕が夏音に声をかけた時、彼女はニュースが報道されているテレビ画面を見つめてぼうっとしていた。




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