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君の声が聞こえない  作者: 葉方萌生
第2章 告白

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8.

「そう。だから、僕にちょっと付き合ってくれないか?」


自分でもなぜこんな積極的な行動を取れたのか分からないのだが、ふと思い立った僕は、彼女の腕をグイッと引っ張って彼女を立ち上がらせた。


「ちょ、ちょっと水瀬君……!」


僕が半ば強引に彼女の手を引いて歩き出したので、彼女は何がなんだか分からず、かなり戸惑っている様子だった。

そりゃそうだ。彼女からしたら、突然やってきた僕に何やら説教めいたことを言われ、今まさに拉致られそうになっているのだから。だが、正直に言おう。僕だってこれから自分が何をしようとしているのか考えあぐねている。

ただ、家の前で何かに怯えているように小さくなっている彼女を見て、早く彼女をこの場から遠ざけねば、という使命感を覚えたのだ。


「ねえ」


「何?」


「私たち、どこに行くの?」


「それは今から考える」


「は……」


後ろにいる彼女がいかに今のこの状況を不思議がっているかを十分に分かっている。でも、掴んでいる彼女の手首にふと目をやると、そこに青い痣が浮かんでいるのが見えて、僕は悔しくなってずんずん前に進んだ。


「で、これはどういうこと?」


「どういうことって」


「今の状況よ!」


「二人で電車に乗ってるんじゃないか」


「それは分かってるわ」


「じゃあ何が訊きたいの?」


「だから……!」


隣に座っていた彼女が、手ごたえのない僕の返事にもどかしさを覚えたのか、ムッとした様子で声を上げようとしたが、車内で大声を出せないと思い直して大人しくなった。


「その調子ならもう大丈夫そうだね」


「え……?」


「だって、さっきまですごく辛そうだったから」


そう。自ら実行委員を務める文化祭をすっぽかして家の前で肩を抱えて震えていた彼女は、誰がどう見ても大丈夫ではなかった。


「……水瀬君」


「何?」


「ごめんね」


「なんできみが謝るの」


「だって私、あなたにいっぱい迷惑かけてるから」


彼女は申し訳なさそうに声を静めてそう言った。


「さっきも言ったけど、きみは悪くないって。というか、これは全部僕の自己満足だから、気にしないでほしい」


「そっか、ありがとう」


その時横目で見た彼女は少しだけだけど笑っていて、僕は心底安堵していた。

やっぱり彼女には悲しそうな顔は似合わない。ずっとずっと笑っていてほしい。


「水瀬君さ、さっき私に言ってくれたよね。私の青い絵が綺麗だったって」


彼女が静かな声で話し始めた。その声が先程よりも落ち着いていたので、ざわついていた胸が鎮まり、落ち着いて彼女の話に耳を傾けることができた。


「私ね、赤い色が怖いの」


「赤が、怖い?」


「うん」


彼女は、実の父親が火事に巻き込まれたことがきっかけで暴力的になってしまったことを話してくれた。それから以前にも聞いた通り、父親と同じく優しかった母親までもが暴力を振るうようになってしまったということも。


「だからね、私は私の幸せな日常を奪ったあの日を思い起こさせる赤色が嫌いなの」


「そうか。だからきみの絵はどれも青色をベースに描かれてたんだね」


「うん、青って見てるだけで落ち着くから。赤がなくても、私は絵を描くんだ」


「確かにそうだな。僕は、きみの青い世界が好きだよ」


本当だった。彼女の絵には、見る人を吸い寄せるような魅力があった。あれほど美しい“青”を僕は他に知らない。


「あの人たちはきっと、心が弱かったんだ」


彼女がそう言った時、僕は一瞬彼女の言う「あの人たち」というのが誰のことなのか分からなかった。でも、隣で先程僕が掴んでいた手首をもう片方の手でぎゅっと握りしめている彼女を見て、それが彼女の両親のことだと分かった。


「今日のお母さんは、いつにも増して普通じゃなかった。きっとまた、男に捨てられたんだ。私のこと叩いて、殴って……私がどんなに『やめて』って言っても聞こえてないみたいだった。私、このままじゃ壊れちゃうと思ったの。だから咄嗟に家を飛び出した。でも、家の中で一人取り残されたお母さんのことを考えたら、逃げることもできなくて……」


「それで、家の前にいたのか」


「うん。私もあの人たちと同じだったの。何も捨てらんなかった」


「そうか」


僕は考えた。

きっと彼女も、彼女の両親も決して心が弱かったわけではない。

辛いことが重なったせいで、信じられなくなってしまっただけなんだ。それに彼女が母親を見捨てて飛び出せなかったのは、彼女が弱いからじゃない。


「きみが、優しいからだね」


「え?」


「いや、きみがお母さんを置いてどこにも行けなかったのは、心の中で母親を一人にしたくないと思ったからだろ」


「それは……」


「きみは優しい人だよ」


僕は何度も言い聞かせるように彼女に伝えた。

天羽夏音は誰よりも優しくて強い人だ。

自分が辛い時でも、他人のことを思いやれる人だ。

だからこそ僕は、きみに惹かれたんだよ——。


「ふふっ」


先程まで真剣な表情で語っていた彼女が、突然笑い出したので、僕は「きみに惹かれた」という心の声を漏らしてしまったのではないかと心配になった。けれど実際はそうではなかった。


「何分かったようなこと言うの、水瀬君」


予想外の反応に、僕は戸惑って少しうろたえてしまう。


「え、あ、ごめん……」


「……ううん。嬉しかった、ありがと」


彼女の言葉に安心して、僕はほっと胸を撫で下ろす。彼女を見ると、少し頬が紅潮していて、僕はドキッとした。


ああ、ダメだ。

こんな状況なのに、僕は今すごく幸せだと思ってしまう。

できるならば、彼女に触れたいと思う。

でも、今の僕はそこまでの勇気を持ち合わせていなかった。


「あのさ、水瀬君」


「う、うん、何?」


僕の反応があまりに挙動不審だったためか、彼女は若干訝しそうに僕の事をじっと見たが、やがて口を開いてこう言った。


「私たち、今どこに向かってるの?」


「え?」


彼女の質問は、僕にとっては予想外のもので僕はうまく頭が回らなかった。


「だーかーらー、私たち、電車に乗ってどこに行こうとしてるの?」


ああ、そうか。

彼女の疑問ももっともだ。

だって僕はさっき急に彼女を拉致して電車に飛び乗ったのだから。


「そうだな。天羽さんは、どこに行きたい?」


「は?」


「だから、きみの行きたい場所に行こうかなって」


「何それ」


「たまにはいいじゃん。こういうのも」


まったくもって訳が分からない。彼女はどんどん怪訝そうな表情になってゆく。しかし、「よくよく考えたら面白そう」とでも思ったのか、だんだんと彼女の顔に笑みが広がるのが見てとれた。

そして、彼女は電車内に吊り下げられたある場所の広告を指さして言った。


「あそこに行きたい」


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