第三話『脅迫の真相』
――様々な思惑の中で、武闘大会の日を迎えることとなる。
武闘大会は城から少し歩き、森の中の開かれた場所に作られた特設会場で行われる。
俺が到着する頃には、既に多くの観客が集まっていた。オークの村の住人達や単身赴任中のワイバーンのグルンドラさんの家族もやってきている。魔王城の近くにはオークの村しかないので、観客はオークが八割、後の二割が魔王城で働く者達の家族というところだ。
一週間という短い時間しかなかったが、会場は急ごしらえのものとは思えないほどのしっかりとしたものになっていた。
武闘大会で選手たちが戦うための舞台には、余分な魔力を吸収する石を平らにして地面に敷き詰められている。その材料になっている魔吸石と呼ばれる石は、触れた魔力を吸収し綺麗な空気に変える実に自然に優しい素材でできている。そのまま使えば、足元の石が選手の体内の魔力を吸収してしまう恐れがあるので加工し、選手が使用した魔法が観客席に向かう前に足元の魔吸石が吸い取ってくれるようになっているため、被害が向かわないように特殊な造りになっている。
そんな観客の安全を第一に考慮した匠は、魔王城の大工であるゴーレム達。仕事を任された時の彼らの嬉しそうな顔が今でも目に浮かぶ。ゴーレムは岩や土やレンガの塊なので、表情なんてないが何となく嬉しそうだったはずだ。
彼らの能力の高さはこれだけではない。舞台をぐるりと囲むように屋根付きの段差になっている観客席。席と階段が同じようになっているが、上と下の絶妙な間隔は狭すぎることもなく広すぎることもない。観客たちは無意識に利用しているようだが、大急ぎで作った建造物がここまで不満もなく自然体で利用できるのは間違いなくゴーレム達の職人技が活かされている証拠だ。
魔王用の観覧席は他の建物よりも一回りほど高いが、それは高すぎることもなくやってきた観客達を威圧することもない。実によくできた造りだ。俺の希望以上のものを作るゴーレム達には、後で賞与を弾むことにしよう。
武闘大会を見渡せる自分の席に座れば、楽しそうな魔族達の様子に自然と笑みが漏れる。
「みんな楽しそうだな」
「良かったですね、魔王様。この光景をお望みだったんでしょう?」
「……お前いつもいきなりだな、チュリィ」
後ろから聞こえてきたチュリィの声に振り返ることもなく、俺はその明るい光景を見つめていた。
「本当は魔王様は武闘大会みたいな戦う祭りはお嫌いだけど、勇者を妻として受け入れたことで混乱する魔族達の話題を武闘大会に向けたかったんですよね。同時に、一つでも多く人間の代表である勇者と共に祭りを楽しんだという実績を作りたかった。違いますか?」
「違うね、俺は暴力を前面に押し出した血で血を争う祭りが好きなんだ」
「武闘大会なんて大きな賭けにしてしまって申し訳ございません。勇者を妻にしたことで、溜まっていたであろう勇者に対しての不満を戦闘という形で解消、さらには勇者の力を大衆に見せつけることで、その強大な力が魔王様の手中に収まったことへの安心感と抑止力にご利用なさるつもりなんでしょう」
「誤解だ、アイツを追い出したいだけだよ。俺が何も言い出せなかったから、チュリィに提案を仰いだだけさ」
「……底を見せないお方ですね。あの素直だった貴方をそこまで変えてしまうほどに、『悲劇』は強烈でしたか? それとも、野望が貴方の成長を促しましたか?」
「お前もやるべきことがあるだろ。……余計な詮索をする暇があるなら、そっちを進めろ」
チュリィがクスッと笑った気がした。
「ええ、かしこまいりました。魔王様」
※
『えー……では、これより妻エリンの結婚祝いを兼ねた武闘大会を行う。参加者は己が磨き続けた技と力の数々をこの場にて存分に披露してほしい。以上、これにて開会の挨拶を終わる』
音を響かせる特性を持つ特殊な水晶に語りかければ、ざわつく武闘大会の会場に響き渡る。僅かな時間の静寂の後、先ほどまでの会場内のざわつきの何倍ものの歓声になって返って来た。
大会前の四天魔達の様子はピリピリとした緊張感は今から試合をするというよりも、戦場に赴くそれに近い雰囲気だった。逆に四天魔達とは必然的に戦うこととなる勇者エリンは、体をほぐしておきたいと城の周囲を走り回っている。
大会裏側の綱渡りのような状態を知らない観客達の笑顔が曇らないことを祈るばかりだが、会場の掲示板に目を向ければ、作為的な意思しか感じない内容だ。
エリンが一回勝ち上れば、そこからは四天魔との連戦が控えることになっている。これはエリンを潰すために用意された名ばかりの武闘大会。四天魔と戦う他の選手達にも話は通してある。しかし、もしもここでエリンが勝利し俺と肩を並べる姿を見た観客達はきっと俺の野望に支持してくれるはずだ。
事実、俺の考えに賛同しない魔族は多くいる。だが、エリンが俺の側にいるなら彼らへの抑止力や野望への希望を抱かせるはずだ。
――ワアァ、と観客が湧いた。
ほんの数秒だけ目を離した隙に戦いは終わっていた。
エリンが弓使いのゴブリンを剣も抜かずに圧倒していた。下級魔族とされるゴブリンといえど、魔族の端くれであり他者から奪い取ることで生きていくことが、彼らにとっての日常なのだ。それ故に奪うことに貪欲で、戦う力に長けた生物だ。その中でも、ゴブリンの代表としてこの大会に出場した彼は、それなりの実力を持っていたはずだ。
歓声と罵声が入り混じる武闘大会の注目を集めたエリンは手を掲げて観客の声に応えていた。
人間のエリンにも聞こえる歓声は、『うおおおぉぉぉぉぉ! すげええぇぇぇぇぇ!』的な声だ。
インキュバスである俺にも聞こえる魔族語の罵声は、『銚子乗ってんじゃねえぞ! おらあぁ! 次の試合では血祭だコラアァ!』
まあ罵声八割、歓声二割というところか。まだまだ努力が必要なのだと思い知らされる瞬間である。
「おーい! あなたー!」
眼下から手を振るエリン。
不思議なものだと思う。いつの間にか、この間までとは違った立場になっていた。俺が魔王でありエリンが勇者であることには変わりないが、今ではそれにもう一つ関係が加わっている。
妻と夫、勇者と魔王、宿敵と恋人。ズレた二人だなと思いつつ、先日のゴルガムさんの会話が思い出される――。
※
――あの後、俺はゴルガムさんと私室で話をすることにした。
「……で、俺に何の話があるんだ」
ゴルガムさんは椅子に座ることもなく、扉のすぐ近くから動くことはない。頻繁に異種族が俺の部屋には出入りするので、様々な大きさの椅子を用意していたしゴルガムさんも場所を知っているんだが、そうした動きがないということは手短かつ大事な話なのだろう。
「エレンが魔王様に婚約を申し込む際に、オークの少年を人質にしたと聞いたから、私なりに村に行って少年から話を聞いてみたのよ」
「さらに頭が痛くなりそうなことを言うのはやめてくれよ……?」
「どうかしらね、魔王様が考えているとはまた別の意味で頭が痛くなるかもしれないわね。……その時の脅迫は少年の同意の上だったらしいのよ」
「なに……?」
吐きかけた溜め息を飲み込み、ゴルガムさんを改めて見た。やはり改めて見てもゴルガムさんが冗談を言っているようには見えない。
「人質にされたオークの少年が森で魔獣に襲われていたの。その時に少年を助けたのが偶然転移されて落ちてきたエリンなの。オークの少年は、エリンへのお礼としてあの脅迫に手を貸した。それが、事の真相よ」
「……俺、勘違いしていたってことなのか」
「ええ、魔王様が思っている以上に見どころのある女性かもしれないわね」
「ゴルガムさんは、どう思う?」
「まあ悪いコじゃないとは思うけど――」
俺はこの状況であえて一歩踏み込んで問いかけた。
「――魔族としてのゴルガムさんだ」
開きかけた口の動きを止め、ゴルガムさんは声のトーンを低くして言葉を続けた。
「正直、まだ慣れてない……いや、違和感があるわね。それは魔王様を支持している魔族達も私やチュリィもきっと一緒。でも、私達はこの武闘大会が終わった後に魔王様が決めた未来に従うつもりよ」
「ゴルガムさん……。本当にそれでいいのか……」
張り詰めた空気を緩ませるようにゴルガムさんはクスリと笑う。
「私達、魔王支持派は魔王様に救われた者達がほとんどよ? 前の魔王様の悪政に苦しみ、今の穏やかな時間をくれた貴方にみんな感謝している。魔王様の選択に間違いはなかったことを、私達が全力で証明してあげるわよん」
普段は悪寒を感じさせるゴルガムさんのウインクだが、この時ほど頼もしく感じることはないだろう。だから俺は、そんな彼の希望に応えるように微笑みかけた。