第二話『おバカなキミとうっかりな俺』
魔王城のある客室。やはりそこでも、ドクロやら悪魔の羽を模したような装飾が目立つものの、大きな天蓋付きのベッドに広い部屋は高級宿屋でもなかなかお目にかかれないほどの豪華な空間だといえた。
そんなふんわりと全身を優しく包み込むようなベッドの上で身じろぎしながら目を覚ますのは女勇者。実に心地よく寝ていたせいか口の端にはご丁寧に涎の跡まで付いている。敵の本拠地にて、この無防備な姿……さすがバカゆう……じゃなくて勇者の貫禄か。
「う……ううん……」
「目が覚めたかい? 勇者さん」
ぼんやりとした視界の中で目を開けた女勇者は、ベッドの隣の椅子に腰掛ける魔王を見てぎょっと体を強張らせた。
「なっ……!? どうして、魔王がここに!? ここは私の部屋だったはずだろ!?」
「キミのお宅て変な家なんだね。俺が言うのもおかしいけど」
「はっ!? よく見れば、ここは私の家じゃない!? ま、まさか、幻覚……!?」
「むしろ、俺は勇者と呼ばれるキミを幻覚とすら思えてしまうが。いや、幻想と言った方が正しいかもな」
「むっ!? 幻想とな……。なるほど、薬を一服盛ったな!?」
なっ!? とか、はっ!? とか、むっ!? とか、いちいちリアクションのやかましい勇者だな。
さて、どうしたものかと手をこまねいていると勇者が跳ね上がるようにベッドの上に立ち上がった。
「埃が舞うんだから、もっとゆっくり起きてくれ」
「あ、ごめんなさい……じゃなくて! アンタは魔王、私は勇者、やるべきことは一つしかないでしょう!?」
「互いの仲間達の愚痴を吐いたりとか?」
「――なんでよ!? 戦い! 普通なら、戦うものでしょう!? 剣と魔法で戦闘して、世界の取り合いっこをしにきたのよ!」
「軽いな、簡単に世界を取り合うとか言うのやめてくれる? 勇者としてどうかと思うよ、割と本気で」
嫌悪感を露骨に顔に出す前に、勇者は再び申し訳なさそうに片手を後頭部に置いて頭を傾けた。
「失礼なこと言っちゃった……。なんか本当にごめ――て、何で偉そうに魔王が勇者に説教してんのよ!? 魔王うぜぇ!」
……勇者、超うざいな。
暴言製造機のような女勇者に内心呆れつつ、話題を切り替える。
「いろいろキミの性格について言いたいことはあるが、今は気にしないことにしよう。……とりあえず、名前は何て言うの? ユウシャとかオンナユウシャじゃ呼び辛いよ」
「ぺっ―ー! 誰が魔王なんぞに名前教えてやるか!」
俺の顔面に唾を吐きかける勇者。自分に変態なところがあるとは思っていたが、さすがの俺も異性に唾をかけられた興奮する癖はなかったことに安心する。同時に腹も立つが。
服の袖でごしごしと顔に付着した唾を拭えば、俺は強引に作った笑顔を勇者に向ける。
「教えてくれないなら、こっちで勝手に呼ぶけどいい?」
「どうぞ、ご勝手に!」
「分かった、勝手に呼ぶぞ。――それじゃ、うんこさん」
「……おい」
「まずは、提案なんだけど、これからのうんこさんを――」
「やめろやめろやめろっ――! どれだけ『さん』付けても、その言葉から放つ異臭は隠しきれないのよ!? 私の名前は、エリンよ! 花のような可憐な名前があるんだからっ」
「おう、鼻からカレーなエリンな」
「花のように可憐なよ! 二度も言わせんな! くっそぉ……」
やっぱり言ってて恥ずかしかったのか。
悔しがるエリンの顔を見たところで、やっと本腰で会話に移ることにした。
「――冗談はさておいて、本題に入るぞ。いきなりで驚くかもしれないし、まともに聞いてくれるなんてこれっぽちも思ってないが、俺から一つ提案がある」
「なによ」
「――戦いをやめてもらえないか?」
魔王である俺から出るとは思えない言葉に、エリンは耳を疑った。
「は? また私を罠にはめるつもり?」
「勝手に罠に引っかかったのはお前だろ……。ていうか、そういう風には頭が回るんだな」
「えっへん!」
胸を張るエリンを前に頭痛がしてくるが、いろいろ言いたいことを我慢して言葉を続ける。
「威張るな。それに、戦う気があるならこれだけ一方的に追い詰められてる勇者に対してこんな妙な提案は普通はしないだろう? 本当にお前を倒すつもりなら、こんな回りくどいことはしないで、寝ている内に襲っているはずだ」
淡々と事実だけを告げる俺の口調に落ち着きを取り戻したようで、エリンは頬を膨らませるというおまけ付きで「むぅ」と少しだけ不満そうな声を漏らす。
「……そんなことして、何の得があるのよ」
俺は肩をすくませてみせる。
「得なんてないさ。ただ、俺は戦いが嫌いなだけだ。気づかなかったか? 魔王の城の近くだっていうのに、魔物の数が少なかっただろう? それも魔王城に近づけば近づくほどに少なくなった。……違うか?」
「言われてみれば……確かに……」
「だろ? それが俺のやり方なんだ。……まだこの周囲にしか影響を与えることしかできていないが、俺は――人間と魔族の争いを止めようと考えている」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたエリンだったが、訝しげな視線が刺さる。
「やっぱり、私を騙そうとしているの……? 血も涙もない、女子供にも容赦の欠片すらなく、好きなものは人間の悲鳴と怯えた表情と言われる魔王がそんなことを考えるわけないわよ」
そう簡単には理解してもらえないだろうと予想していたため、自然と苦笑いをした。
「魔王の印象最悪だな。お前の言う通り、過去の歴史とか見てみたら、そういうところは記録に残っている。まさに血で血を洗う歴史てやつだ。……水に流してくれなんて言うつもりはないが、正直、俺は一切関係ない」
無責任とも思われるような一言を耳にしたエリンは、反射的に俺の胸倉を掴んだ。反抗する術もなければ、その気もない俺は怒りに燃えたエリンの瞳を見返すだけだ。
「ふざけるんじゃないわよ! あれは過去の出来事だから、もう忘れてくれなんて言うつもり!? そりゃあ魔王が直接行ったことなんて多くはないわよ! だけどね、今この瞬間もアンタの手下が人間に危害を加えようとしているのよ!?」
勇者らしい顔してるじゃねえか……。初めてこの少女が勇者なんだと実感したよ。そんな風に、勇者然とするエリンの顔を見ながら、どこか他人事のように考えてしまう。
一応、エリンには魔法の類は使えないように細工はしているが、彼女が本来持つ本気の拳を受ければ顔面を粉々にされる危険性は百も承知していた。それでも、ここは踏ん張りどころだった。
なるべく平常心を装いつつ口を開く。
「勘違いが二つある。一つは、俺の部下は人間に危害を加えないように指示を与えている」
「そんなの、信じるわけないでしょう。襲ってくる魔物の数は少なくても、攻撃してくる奴はいたわよ」
「そりゃそうだ。『俺の部下』には、指示を与えているんだからな。魔族も一枚岩じゃいかねえんだよ。詳しいことは、これからの展開次第で教えてやる。……二つ目の勘違い。それは、俺は人間に危害を与えたことはない」
「はあ? 知らないふりをするつもり? 魔族、それも人型の上位種である魔人は人間よりも長い寿命を生きることができる。アンタたち位長生きできるなら、私のお祖母ちゃんの時代で暴れることぐらい難しくはいのよ!」
「……かもな。信用してもらえるかはわからねえが、俺はここで魔王になってからまだ一年しか経過していないし、そもそも俺は強い力を持っていない。ここまで来た勇者なら気づいているんだろ? 俺が人間とほとんど変わらないということに」
「ぐっ……」
図星を突かれて、悔しそうに表情を歪めれば、エリンはその手を離した。俺は軽く咳き込みつつ、喉を撫でる。
「助かったよ、このまま落とされたらどうなるかと思ったぜ」
「……信じたわけじゃないから、だけど無抵抗の奴を攻撃するのが嫌いなだけ」
想像していたよりも真っ直ぐな性格の勇者に小さく笑みを浮かべて会話を続ける。
「そうかい。俺だってすぐに信用してもらおうなんて思っちゃいない。……だから、まずは行動で考えてほしい。信じてくれ、なんて言わないが、少しでも前向きに考えてくれたら嬉しい。――おーい、チュリィ!」
大きな声でチュリィを呼べば、部屋の扉が開く。そこには、頭を垂れるチュリィがいた。
「お呼びでしょうか、魔王様」
「ああ、勇者がお帰りだ。森の出口まで送ってやってくれ」
「え? ぁ? はぁ!?」
開ききった扉を二度見三度見した後に、エリンはもの凄い勢いで俺を見た。
「――ちょっと、どういうことなの!?」
「どういうことも何も御覧の通りだ。例え勇者が俺の宿敵だとしても、どうこうするつもりはない。俺が宝石をやろうが豪華な食事を振る舞おうが、結局は同じだろう? だったら、もっとも単純かつ希望に沿っているであろうお前の望みを叶えたんだ。……送っていくから、後は好きにしろ」
「また、襲いに来るかもしれないわよ……」
「お好きにどうぞ、その時は死なないように努力するさ」
あっけらかんとした様子の俺を前にしてやはり納得できないのか、エリンはベッドから立ち上がる。
「教えて、どうしてそこまでするの?」
今までの会話の中で一番張り詰めた空気がエリンと俺の中で漂う。短い言葉だったが、二人にとってはずっと重たい意味を持っていた。そして、すぐに即答することにした。
「――俺にキミが必要だからだ」
「えぇ!? あぅ、その……それって、つまり……」
顔を耳まで赤くするエリン。
思いもよらぬ魔王の言葉に動揺しているのだと考え、補足するように言葉を続ける。
「たぶん、キミの考えている通りだ。まだちゃんと信用してもらえるまで、俺の計画全てを話すつもりはないけど、俺の未来にエリンが必要なんだ。全然、信じることはできないだろうから、この行動で俺の気持ちを考えてほしい。それに、勇者じゃなかったとしても……できることなら、エリンみたいな女の子を傷つけたくない」
あまり得意ではないが、なるべく優しい笑顔を見せるように努力する。
同時に、何故かエリンの顔が急激に赤くなっていった。
「しょ、しょーゆぅ……ことなのねぇ……。……しゅきぃ……」
呂律の回らないエリンの言葉の意味も理解できずに首を傾げてしまうが、それを黙って見ていたチュリィは「あららー」と諦めたように声を漏らしていた。
チュリィは何に気づいているんだ?
「何眺めているんだよ、チュリィ。早く、外まで送ってやってくれよ」
「了解しました、天然ジゴロの魔王様。まあこの様子では、ご自分の足で歩き出すのはいつになるかわかりませんからね」
顔を赤くしたままで突っ立った状態のエリンの元までチュリィが接近すれば、その背中に手を回して歩き出せば、魔王の部屋を出る前に体を反転させた。
「魔王様、どうなっても知りませんからね。これは魔王様が選んだ道ですから」
「ああ、険しい道は覚悟の上だ」
神妙な様子で頷いた。
「いえ、そういう意味では……。まあ、自ずと気づくでしょう。警告はしましたからね」
ぺこり、と頭を下げればチュリィは部屋を後にした。
「……なんなんだ?」
そして、翌日再びやってきた勇者を目にした魔王は、言葉の大切さ重要さ使いどころの難しさを再認識するのだった。




