第二話『魔王勇者の守りたい世界』
シャッハという青年には、それなりに世界を憎む理由があった。
魔法使いと魔女の間に生まれたことで将来を有力視されていた。そんな両親の期待をあっさりと裏切るように、シャッハは魔法を使うことはできなかった。腕の良い魔法使いの弟子出しても他の弟子達の笑いものにされ、両親の助手に使っても、せっかくできた魔法の研究をシャッハの魔法を打ち消す力によりダメにされる。もしも、その頃にシャッハが魔力阻止の異能を自在に操ることができたら、両親も辛く当たることはなかったかもしれない。しかし、シャッハはことごとく両親の邪魔をしてしまった。
魔法使いや魔女にとって、魔法の研究というのは命よりも重要な目標であり生涯を通して研究し続ける生きる意味とすらも呼べた。
産んだ息子もある意味では研究の一種であり、失敗。
生み出した失敗作が、さらなる失敗を生んだ。
失敗ほど、魔法を生業とする人間が嫌う結果はない。そのため、両親は己が生き辛くなるであろう存在を無くすために、シャッハを凶暴な魔族の住まう洞窟へと捨てた。おそらく、シャッハの魔法阻止の異能がなければ、直接手をかけていたの両親だったのだろう。
シャッハはしばらく泣き叫び、ありとあらゆる方法でどうすればこの状況から脱出できるかを極限まで考え、シャッハは己の魔法阻止を使い洞窟にいる魔族達を――皆殺しにした。
既にその頃には、魔法瓶を作る十分な知識と両親に捨てられるかもしれないという可能性を考えていた。そのため、子供である非力な自分でも使える生物を殺すことに特化した魔法瓶。それと、魔法瓶を調合するためのいくつかの道具。たったそれだけで、魔族も恐れる魔族達をその手で殺した。
洞窟から出たシャッハはまず最初に両親を殺害しに行った――が、既に両親の命は絶たれていた。
エリンの前の勇者が、息子を魔族の住まう洞窟に捨てたという話を聞き、両親を成敗したそうだという話を後で聞いた。
両親に復讐し、それで満足するはずだったシャッハの憎悪は消えることなく、様々なものを傷つけ、奪い、理由のない屍を積み上げた。
気が付けば、四天魔という位置についていた。
それは魔王という存在が、シャッハという狂犬に首輪を付けたといった方が正しいかもしれない。一度はそれで感情を落ち着けたシャッハだったが、強制的に押し付けていた前魔王という存在が消え、再び行き場のない憎悪が蘇った。
どれだけ言葉で固めても、シャッハは憎悪の化身でしかない。世界の憎悪がシャッハという実体を得て、憎しみで全てを食い尽くそうとしていた。
――憎悪の暴走を止めるために、希望が迫る。
※
シャッハは地響きを鳴らして五体の眷属をお供に進行を続けていた。
魔王城は森に囲まれているので、木々をなぎ倒し新たな道を強制的に作り、全てを踏みつぶしながら目的の城を目指して進む。シャッハは先頭の虎型の眷属の頭の上で視界の先にある城を満足そうに見ていた。
「もうすぐで、あの椅子も僕のものになるのか。……ん?」
空へと視線を向ければ、黒い姿をした物体が宙を舞っているのが見えた。
人間の頭なら握りつぶしてしまいそうな太い三本指の腕に、爬虫類のような長い頭に鋭い牙、さらには分厚い皮膚に覆われたその体は蛇とコウモリと人間を合わせたような怪物。――その名は竜族ワイバーン。しばらくは魔王城の護衛任務ではなく、雑用ばかりさせられていたようだが、本来なら周囲を警戒し防衛するのが昔からの仕事だ。
「大好きな魔王様とやらのために、本来の役割を思い出したか。奴は部下にも恵まれ、他の誰もが望んでも手に入れることのできない『魅了の王』の力を持っているが……奴には過ぎた力のようだな。――虫どもを蹴散らせ」
ただその一言だけで、後方にいた四体の眷属達は口を開き、試合中にボルケイノフが放っていた光線を発射する。単なる同じものではない。極太の、それも、たった一体のレーザーで魔王城なんて半壊させてしまいそうなほど強大なエネルギーが放出した。
ワイバーン達は声を発する暇もなく、一瞬にして空中で蒸発すれば、曇天の空に向かっていったレーザーの破壊力を前に雲の中にぽっかりと穴を開けた。奇しくも、シャッハの攻撃により瘴気によって滅多なことでは晴れることのないとされていた魔王城の空の雲が晴れることとなる。
満月を見ながら、感嘆の声を漏らすシャッハ。
「……いい月だ。よし、僕が魔王になった今日という日を記念日にしよう」
少年のような邪気のない表情でシャッハが笑うと、今一度、城に目を向けた。そこで、違和感。
人影が森の木々の間から飛んだ。それは、城を防衛するゴブリンでもなければワイバーンでもない。――二人分の人影だ。一人は人間の女、もう一人の特徴的な顔はルクウ。
目を凝らす必要もないほどに、その二つの影はこっちへ向かって接近している。あれだけの破壊力を見せた後に、これだけの無謀を行えるのは一人しか知らない。
「あの勇者とルクウか……。夫とご主人様への復讐というわけかな」
忌々しげに言うが、それでもシャッハの余裕は消えない。手を掲げ、それをさっと振り下ろす。たったそれだけの行為で、シャッハの乗っていた虎型眷属の口が開き、極太のレーザーを発射した。
いくら勇者といえど、真っ向からレーザーを浴びれば体を消し炭に変えるはずだ。さらには、勇者の鎧も損傷が目立ち、まともに勇者を守るための障壁は起動しないだろう。
高まった勝率に笑みを浮かべ、シャッハはレーザーの行き先を見た。
「軽いんだよっ!!!」
勇ましいエリンの声に全ての空気が入れ替わったような気がした。
ルクウの肩を踏み台にして、さらにエリンが飛べば、向かってくるレーザーへと剣を衝突させた。そして、レーザーは前に進むことなく、二つに裂け、眼下の森を二本に裂けながら焼き尽くす。しかし、レーザーの消えた先のエリンは堂々とシャッハを見つめていた。その光景が、武闘大会の時に見た敗北感を連想させた。
「勇者め……。お前は、そうやって死の運命すら乗り越えようというのか……!」
そのままエリンは、今一度宙を蹴り、シャッハの虎型眷属の上に乗る。その距離、一歩踏み込んで剣を振れば完全に届く距離。
「お前の野望は、ここまでだ。シャッハ」
凛としたエリンの声を聞くと同時に、シャッハは懐から魔法瓶を取り出せば、それを手の中で握りしめた。弾けた液体が一瞬にしてシャッハの手の中に戻ると、全体的に隙間なく黄金を塗り付けたようなナイフが出現した。
「何様なんだよ!? お前は!」
ナイフを振れば、それは長さを変えて一気にエリンまで刃が伸びる。対してエリンは体を反り、ナイフを回避すれば、次の距離を無視したナイフの攻撃を反転して避ける。そして、虎型眷属の頭の上に手を乗せるエリン。
予想もしていなかった行動にシャッハの動きは僅かに鈍る。それが、勝敗の分かれ目であった。
「――俺に魅了されろ、シャッハの眷属よ」
「その、声は……!?」
そうアオラの声で告げれば、虎型眷属はまるで体に着いた虫でも払うように体を立ち上がらせればシャッハを地面へと振り落そうとする。
予想外の連続に対応が追いつかないシャッハは、そのまま足をもつれさせながら地面へと落下していく。二本足で立ちあがった虎型眷属の背中を軽い動作で駆け下りていくエリンは、その手に剣を構える。
「さっき、お前は私のことを『何様だ』って言ったわね?」
次はエリンの声が聞こえてきた。混乱する頭の中で、上方向から駆け下りてくるエリンへとシャッハは必死に黄金のナイフを振るう。
「どうして、いつもいつもお前達だけが勝利者になるんだっ!?」
エリンは迫りくるナイフを全力の力で叩き落とした。その反動で、シャッハは唯一の防衛手段だった黄金ナイフを宙に放る。
「さあね? たぶん、敗北を知っているからじゃなかしら」
危機感に引っ張られるようにシャッハが首を横に向ければ、顔のすぐ近くにはエリンの顔があった。哀れむような眼差しに気が狂いそうになりながら、エリンは死にもの狂いで次の魔法瓶を取り出そうとするが、それよりも早くエリンの剣が動く。
「――俺は何様じゃない、『魔王様』だ」
次はアオラの声に変わった瞬間、シャッハの意識は強烈な剣の一振りにより根こそぎ意識を引きちぎられた。後はもう地に落下するように、エリンの意識は暗闇へと転がり落ちた。




