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第七話『エリンとレヴィア戦いの行方』

 ――武闘大会、何度目かの試合。今から行われるのはエリンとレヴィアの戦い。


 武闘大会の舞台の上にエリンとレヴィアは向き合って立つ。

 一つ前の試合でのエリンはシャッハとあまり面識のなかったからか、試合前のエリンからは緊張感を感じさせることはなかった。どちらかといえば、剣の稽古をするような気負い過ぎることもなく適度な集中力を持った自然体に近いエリンのように見えていた。

 それが今回の試合はどうだろうか? エリンとレヴィアの入場を告げるチュリィの実況の後、二人が登場した瞬間誰も口を開くことはない。

 俺から見ても分かるが、まるで今から殺し合いでも赴くような強烈な殺気が二人の間からは発せられていた。そのためなのか、舞台に近い観客は何名かは殺気に当てられて体調不良になる者もいるほどだ。

 うまく言葉にはできないが、例え羽虫一匹二人の間に入ったとしてもそれだけで窒息してしまうのではないかと誤解してしまうほどに、彼らの空間をギスギスとしたものが包み込んでいた。言ってしまえば決壊前の川、言ってしまえば土砂の崩れる前の山、言ってしまえば雷鳴を知らせ大雨を振り落とす直前の空。

 いずれにしても、僅かな振動が大きなバケツをひっくり返してしまう空気。観客達は、その僅かな振動きっかけになることすらも恐れた。

 やはり、そこでもバケツを揺らし嵐を起こすのは彼女達だ。――そうやって、時間通りにあっさりと試合開始を告げた。


 「逃げずによく来たわね」


 口火を切ったエレンは、剣を抜くと同時に地面を蹴った。


 「命を捨てに来たのかしら?」


 一瞬にしてレヴィアはエレンにまで近づくと、振りかぶった剣を振り下ろした。

 腕を引くこともなく、前方へと手を伸ばしたレヴィアの手とエレンの剣がぶつかり合う。勇者の剣を素手で受けるなんて、魔族からしてみれば自殺行為でしかない。しかし、彼女にはそれを受け止めるだけの力がある。

 剣を受け止めたレヴィアの爪先からは、血を硬化させたような別の爪が新たに生えていた。その爪には、前魔王と吸血鬼の女王の記憶、さらには膨大な魔力を短いそれに密集させていた。ブラッディクロウと呼ばれるそれ活用しエレンの剣を弾き飛ばした。

 跳ね返るように、エリンは十メートルほど後方へ飛ぶとその場に膝をついた。


 「バカ力めっ……!」


 「貴女も似たようなものじゃない」


 「私が誰かに言ったのは、お前が初めてだよっ!」


 追い打ちをかけようとするレヴィアに気付き、エリンは咄嗟に地面を転がる。エリンが膝をついていた場所を容赦なくレヴィアの爪が抉る。

 かなり強固な作りになっているはずの床を根っこから引く抜くように荒々しく粉砕する姿からは、高貴な血筋は感じられない。今ここにいるのは、前魔王と吸血鬼の野蛮な部分だけで作られたような存在だった。


 「調子に乗るなっ!」


 俊敏な動きを前にして、エリンは地面を転がると同時に剣を振れば、再び爪で弾かれた。


 「さあ、お遊戯の時間よ」


 弾かれた反動を受けながらも体勢を整えようとするエリンをさらにレヴィアの猛攻が襲う。

 爪が頭部へと振り落されれば、エリンは不安定な体勢のままで剣を構えるが、また繰り返すように頭上へと延びていた腕はレヴィアの腕力を前にして、腰の辺りまで落ちた。


 「ぐっ――!」


 「弱い! 遅い! 軽い!」


 エリンの剣は一本であり、その一本が攻撃と防御の役目を担っている。

 レヴィアの武器である腕は二本あり、それは攻撃であり防御であり、両方を一度にこなす下手な武器よりもずっと扱いやすいもの。

 そこが人間である勇者と魔族であるレヴィアとの差だった。

 時にムチのように時に槍のように、さらには盾のようにレヴィアは二本の腕を駆使してエリンを追い詰める。

 防戦一方のエリンはといえば、何とか体をそらしたり、剣で受け止めなていはるが、確実にレヴィアの爪はエリンの肉体を傷つけ続けていた。

 三度腕を振るえば、一撃目がエリンの剣を弾かせ、二撃目を何とか回避したエリンに三撃目で致命的なダメージを与える。ただそれだけの繰り返しで、エリンは確実に歯医者への道を進んでいた。


 「――いい加減にしろっ!」


 「きゃっ――」


 流れが僅かに変わった。

 エリンは今この戦いを学習したのだ。彼女が戦い続けることができた理由であり、その力の本質。今も着実にエリンはレヴィアの動きに追いつき、それ超えようとしていた。


 「やっぱり、頭が空っぽの方がいろいろ詰め込みやすようね」


 指を口に当てて笑うレヴィア。そこには、確固とした余裕が窺えた。

 やっと見えてきた勝利の糸口だ。エリンは手放すわけにはいくまいと弾丸のようにレヴィアへと突進した。


 「無駄な知識がいらないだけよ!」


 高く飛んだエリン。しかし、それは魔力の波動によって出現した幻。

 本当のエリンは飛んだりはせずに、レヴィアの懐でしっかりと踏み込んでいた。レヴィアが自分の分身を見る頃には、エリンの剣は横に一閃。

 レヴィアの肉体を上半身と下半身に切り裂いていた――はずだった。


 「そんな倒し方したら、魔王様なんて失神しちゃうわよ」


 エリンはその顔に嫌悪感を全面に出しながら、頭上を見上げた。

 背中から左右に二メートルほどの長さの黒い翼を広げたレヴィアが不敵に笑えば、エリンを見下ろす。


 「ヘラヘラと……。いいわよ、そこから引きずり降ろしてやるわよ!」


 「やだやだ、乱暴な言い方。……ねえ、次の戦いを始める前に聞きたいんだけど、貴女はどうして魔王様を好きになったの?」


 「どうして……? それは……あの人が私に優しくしてくれる……からだ……」


 レヴィアはどこかエリンを小馬鹿にするように、小さく拍手をした。


 「まあ素敵な理由。じゃあ、改めて聞くけど、貴女に優しくしてくれた男性は他にもいたんじゃない?」


 「人間は優しい奴が多い。だから、優しくしてくれる人も多かったんだ。……だが、あの人は私を女性として優しくしてくれた」


 「ふーん、女性としてねえ……。私ね、ずっと不思議に思っていたんだけど、貴女はそれだけの理由で本当に婚約してもいいのかしら? いいえ、率直に聞くわ。……本当に魔王様を愛しているの? ずっと気になっていたのよね、どうして他の仲間達と離れて貴女が行動しているのかを」


 じわりとエリンの額に汗が滲んだ。それは戦闘による運動から出てきたものではない。心を刺激するような言葉を前に、汗が流れたのだ。


 「お前には関係ないだろ、私があの人を好きなのは真実だ!」


 「いいえ、きっとそれだけじゃない。本当はもう旅をするのが嫌で逃げ出して、自殺覚悟でやってきた魔王城で優しくされたから、魔王様の気持ちを利用しているんじゃないの?」


 「私のことなんて知らないだろ、お前は! ――その口を黙らせる!」


 エリンは助走もなしで地面を蹴り上げれば、瞬く間に宙に漂うレヴィアの位置まで到達した。

 殴るように剣をレヴィアへと振り回せば、その姿が無数の赤いコウモリに姿を変えて散らばった。


 「私は、ここ、私は、ここ、よ?」


 声に誘われるように声のした方向を見れば、全身真っ赤のコウモリ達が一塊になったかと思えばそれはレヴィアの姿をへと変化した。


 「逃がすかっ――!」


 空中で体を回転させて急降下すれば、レヴィアの立っていた場所に落下の速度を剣に乗せて振り下ろした。吹き飛び、抉れる地面の周りにはまたレヴィアの姿は消えていた。


 「貴女が魔王城に来てから、貴女のことを部下を使っていろいろ調べさせたわ。いろいろと大変だったわね。村を前魔王の軍勢に滅ぼされかけたけど、貴女の勇者の力が覚醒。でも、生き残ったのは貴女だけだった」


 「やめろっ! 黙れ!」


 闇雲に剣を振り回すエリンだが、それがレヴィアを捉えることはない。

 レヴィアの赤いコウモリは彼女専用の家臣であり眷属だ。本来の戦いは、力で押し込むような戦いをするわけではなく、赤いコウモリを使用し相手に幻覚を与えつつ、相手の生命力を吸収し、自在に赤いコウモリの群れへと姿を変えることのできるその力で敵を追い詰めて、相手が冷静になる頃には既に息絶えているといった戦い方を好む。

 そして、今のエリンはレヴィアの変身魔法と幻覚、さらには気付かない内に生命力まで吸収されていた。

 レヴィアは内心感心していた。自分が瞬時にできる範囲の吸血鬼としての魔法を全部エリンにぶつけているが、体をフラつかせつつもエリンはその鋭い斬撃を見失ってはいない。

 油断できないことを改めて再認識したレヴィアは、さらに相手の心を刺激する。


 「その後、王国で勇者として担ぎ上げられた貴女は、戦闘訓練、魔法訓練といった闘う為だけの技術をその身に刷り込まれていった、冒険に旅立つ前の日の夜、仲間達のもとへ行った貴女はある話を聞いてしまう」


 「やめて! やまろっ!」


 「『あのバケモノと旅に出るなんて嫌だ』、アンタの仲間達はそう言ったのよね? 人間てつくづく空虚な生き物なのね。私達魔族なら、強い力を持つ者と出会ったら尊敬と感謝の気持ちを抱くのに。……でも、貴女は自分を信じ続けた、いつかは変わると、いつかは彼らも自分に心を開いてくれると……」


 「どうして、お前が知っている!?」


 目に涙をためながら剣を振り回すエリンは完全に冷静さを失い、ただ感情のままに剣を振り回すだけの存在になっていた。しかし、この声が聞こえているのはエリンだけだった。

 観客席から見れば、エリンはひたすらに赤いコウモリを追いかけて剣を振り回しているだけだった。レヴィアの爪による攻撃を受けたエリンは、そこから幻覚魔法に感染し、少しずつ体内を蝕んだそれはエリンに最も恐れていた記憶を見せつけることで、その人格を傷つける。

 レヴィアの幻影はなおもエリンの心を蝕む。


 「彼らは貴女に心を開くことはなかった。魔王城が近づいてきたら、彼ら言っていたわよね。『バケモノとバケモノが相打ちしてくれれば楽なのに』って。……だから、怖くて嫌で死んでも良いと願って逃げ出した、ねえ、そうでしょ?」


 「うわあああぁぁぁぁぁ――!!!」


 エリンは剣に魔力を乗せれば、必殺の一撃を振るう。

 空間を切り裂き、空の闇を割った。だが、それで終わり。エリンはようやくある一つの現実に気付いた。


 「――脆弱な精神を恨みなさい」


 胸のチクリとした痛みがどんどんと大きくなれば、それは燃えるような熱さに変わる。ぼんやりとした頭で、目線を変えれば、自分の鎧の隙間からレヴィアが深々とその腕を突き刺し、背中を貫通していた。

 ゴホッと咳き込めば口からこぼれる真っ赤な血液。


 「う……そ……」

 

 ゆっくりと重力に逆らうこともできず、レヴィアは己の生み出した血だまりに沈んだ。



                ※


 周囲を重苦しい静寂が包んでいた。

 俺の視界の先には、血の海に沈むエリンとその姿を黙って見つめるレヴィア。

 強い感情のままに席を立てば、俺は何を言えばいいのかわからないままに大声を発する。


 「レヴィア――!」


 「――魔王様、落ちていて」


 俺の肩を掴めば強引に席に座らせたのはゴルガムさん。


 「落ち着けるかよ!? だって、エリンが!?」


 「魔王様、貴方は魔王様! これは魔族側としては当然の結末なのよ!」


 「当然の……?」


 手が震えていた。これは恐怖から来るものではない。きっと、気になるような恥ずかしいような迷惑なようなそんな例えることのできない大切な存在を奪われたことによる――怒り、

 だけど、この怒りは俺の望んだ結果だ。そして、俺は魔王だ。

 ゴルガムさんは優しく語り掛ける。


 「魔王様……。称えなさい、魔王様の大切な人を奪ったレヴィアを。それが、私達の世界では当然の賛辞なの」


 両方の拳を強く握った。


 「俺は……俺はそういうのが嫌で、魔王になったんだ! 同じことを繰り返せて言うのかっ!?」


 堕ちろ、というのかこの俺にも。


 「違うわ! 今、勝負を終わらせないと、あの少女は死んでしまう! 早く終わらせて、彼女を早く治療しなさい!」


 ゴルガムさんの言葉でようやく俺は意図に気付いた。しばらく忘れていた大切な誰かを失うという感情を刺激されて、俺は確実に動揺していたのだ。

 ここは、冷静に事態の収拾を――。


 「――さあ、お祭りの始まりですよ」


 突然、脈絡もなくそんな声が頭の上から聞こえた。

 誰にでも聞こえるようにはっきりとなおかつ荘厳に。

 未だにまともに機能しない頭を必死に使い、声の主を探れば、その人物は空中に立って両手を広げていた。


 「何をしているよ、アンタはっ――!」


 エリンへ向けられていたものよりも、ずっと攻撃的な声を飛ばすレヴィアの頭上には、一人の男が微笑んでいた。

 その男はレヴィアの顔を見ることもなく、俺を真っ直ぐに見つめて発言をした。


 「魔王様、短い間でしたがお別れです。――どうぞ、心置きなく死んでください」


 ゴルガムさんが俺を庇うように前に飛び出した。

 急な事態に困惑するままに、背中を向けて走り出そうとした俺の胸を何かが貫いた、しかも、それは地面からまっすぐに伸びていた。


 「――魔王様ぁ!」


 ゴルガムさんが驚きの声と共に俺の体を引き寄せた。俺はそこでようやく気付いた。――俺の胸を漆黒の槍が貫いていた。そしての槍は見覚えがある。

 その男――シャッハは俺の座っていた椅子の前に立てば、その隣に立つのはエイダ。たぶん、地面から槍を発射して俺を突き刺したのはエイダの仕業だろう。


 「くっそ……いてぇ……」


 掠れた声でようやく絞り出せたのがそんな声だった。

 遠くから大きな声が聞こえてくるのは、きっと観客達が混乱しているからだろう。

 影がもう一人隣にやってきた。――チュリィだ。


 「どういうつもりなんですか、お二人共」


 声は落ち着いたものだったが、チュリィの体は既に視認できるほどの魔力が全身から漏れ出ていた。

 俺が座っていた椅子を蹴飛ばして、肘掛の部分にシャッハは腰かけた。


 「どういうつもりも見たまんまさ。――僕は今の魔王を殺して魔王になる」


 楽しく愉快に終わってほしいと願った武闘大会は、ずっと苦しく不快な形で終わりを告げた。

 ――そして、新たな争いが幕を開けた。 

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