3 メイア・シャス・ラインハート
世界は残酷だ。
「長くて一月…明日からは外を歩くことすらままならないかと…」
弟は完治しない病、魔瘴病を患っている。これまで何人の医師や研究者に高いギリーを払い治療法を探したことか。されどそれは見つからなかった。
兄はもう見舞いにすらこない、父も母も魔瘴病が感染するのではと来ることはない。それでも代理で人を遣すだけまだましなのだろう。
「これは王宮の医師から聴いた話なのですが、なんでも特効薬が存在するとか」
それは運命だったのだ。私、いや弟が神から見放されていないという証明だった。治るはず無い病の特効薬、本来王宮の医師しか知るはずの無いその薬を私は欲した。
しかし、王宮にあるその特効薬はまさに国宝と言うべき物で宝物殿の奥底に隠されるようにしまわれている。
「その特効薬はタワーに住むある魔物の角だそうで、過去その魔物が天上から降ってきた折に解剖や研究され結果魔瘴病の薬を製作することに成功したともうしていました」
魔物なら私や兄がいればなんだって倒してそれを手に入れられる。私は新たな希望を見据えてその魔物の名前を医師に聞き返す。
しかし、それはまるであざ笑うかのような光だった。希望と言う名の幻光を私は掴もうとしていたのだ。
「魔物の名前はリュノラドスキュラシュカ…………現状おそらく六十階層以上に生息しているとされる魔物です」
私たちダイバーが到達している階層は四十七階層でモンスターのLvは50から55。六十階層にもなるとLvは70以上は必要だろうか、まさしく無謀・無茶・無理という無の三称である。
最高の装備で最強のダイバーたちをそろえたパーティーでも四十七階層が限界な現状で、それは途方も無いものに思えて私は言葉を呑んだ。
「なに!?六十階層だと!!バカを言うな!ギルドのメンバーにそんな危険な橋を渡らせるわけにはいかないだろうが!お前の私的な事にギルドを巻き込むな!」
兄はギルドマスターという立場からそう言っていたが、弟の命がかかっているのだから無理は承知の上での懇願だった。
サブマスターという立場を私は棄ててでも弟を救うためにとギルドのメンバーに声をかけた。
そうして私のもとに集まったのはたった3人だった。
「貴女のためならワタクシが出向かないわけにはいかないわね」
親友のミファリア・ガルバーナ。
「俺も美女二人のお供なら喜んで出向きましょう」
ギルド一気障な男レオナルド・レ・フィレンツェ。
「サブマスのためなら致し方ない」
ギルド一戦闘経験の多いグレゴール・バゼナー。
この3人なら必ず六十階層にも到達できる。そう確信して私は号令をかけた。
後衛グレゴール大楯に鉄球、中衛にレオナルド両手持ち大剣、同じく中衛にミファリア細剣。
そして前衛―――
片手持ち長剣―――
ギルド"クロスハート"サブマスター
メイア・シャス・ラインハート―――
ギルドにあったワールドマップを書き写した物を事前に用意していたから、四十七階層までは難なく登ってくることができて戦闘も避けられない階層主のみ戦ってきた。
しかし、ここから先はマップも無いギルドとしても未探の地。だけど、本来ダイバーがタワーの上層へ上る時は何時だって未探で足を踏み入れてきたのだ。
「どうしたのメイア?ほら、そんな意気込まないの!ワタクシたちが付いているわよ」
「ミファ…そうね、あなたたちが付いているもの」
親友はいつも私の背を押してくれて支えてくれる、幼馴染で同い年の21歳ミファリア。幼少からともに剣を学んできた実力も私に並びLvも45ある心強い味方。
「そのとーり、この俺、フィレンツェ家で最強にカッコいいレオナルドがお供してるんだぜ、メイアにもミファにも傷一つ負わせないさ」
「ちょっとレオナルド!あなたにミファと呼んでいいなんて許可した覚えは無いわ」
今度ミファって呼んだらチンこもいじゃうんだからとミファが本気で怒っている。怒りの感情を彼女がこうも面に出す相手も珍しい。
レオナルドはいつも女の子に声をかけて軽くあしらわれている23歳独身で、フィレンツェという家柄は過去王族に仕えてきた貴族で私たちとは本来身分が違う人なのだが、どういう訳か王宮に仕えることもしないでうちのギルドでダイバー業を営んでいる。
「……ん?グレゴールさん?」
「これを見てみろ」
グレゴールさんが指した物はモンスターの遺骸で四十階層以上に巣食うタラントのものだった。
タラントはダータスの上位種で複数で単体の獲物を襲うモンスターだ。
「タラントの遺骸ね、この辺では珍しくも無いものでしょ?」
「いいや、この辺にダイバーが来たのは数ヶ月前に俺たちのギルドが来たときだけのはずだ」
そう言われてもう一度その遺骸を見るとまだ肉が確りと付いていて数日しか経っていないようだった。
「グレゴールさんそれがダイバーに倒されたものだとしても結局俺たちには何も関係ないだろう?」
レオナルドの意見は正論で例え他のダイバーがここを通ったとしても私たちにとって敵にはなりえないから問題にはならない。
しかし、ダイバー暦の長いLv49あるグレゴールさんはその遺骸から眼を離せないでいた。
「遺骸が"キレイ"すぎる、普通ならもっと傷ついたりしているはずがすべて一撃で倒されている」
「それだけ強いダイバーってこと?」
「だとしたらこのタラントを倒したダイバーは俺より10はレベルが上ってことになるな」
Lv60台……王宮に仕える父ですらLv57でこの国最強と呼ばれているのに。
「信じられないわ」
「だが、事実こうして誰かがタラントを倒している…いったい誰が――」
グレゴールさんはその疑問を解消できずに悩みこんでしまう。そんな彼の悩みをレオナルドの言葉が瞬時に解決してしまう。
「多分…"ワールド"じゃないかな?」
私たちクロスハートが四十七階層へ到達した一月後に完璧な四十七階層のマップを販売したダイバー。ワールドと言えば今ではギルドのマスターというよりもマッピングの達人と思われていることが多いが、彼はレッドスキルを持ったソロ専のダイバーで私たちのようなギルドの中では最強のダイバーと考えられている。
「確かにワールドならありうるな、ソロで四十七階層のマッピングをした男だからな」
さすがにグレゴールもその答えに納得しているようだった。
「でも気になるわね~」
ミファはそう言うと両手を重ねて上の空で続けた。
「いったいどんな人なのかしら~"ワールド様"」
「ミファ…あなたワールドのファンだったの?」
「だって惹かれない?レッド故にソロでそれでも孤高に戦うダイバーなのよ。神話に聞く英雄みたいじゃない」
確かにと肯く私の後ろからレオナルドが不機嫌そうに声を発する。
「きっと毛むくじゃらの大男に違いないよ」
「いいえ!きっと高身長で理性的な人に違いないわ」
「いいや!野蛮な斧を持った獣のような男だね」
ミファが褒めるとレオナルドが貶す。それを何度か繰り返しているとミファがとうとう本格的に怒り出した。
「ちょっと!私がそう思いたいんだからいいでしょ別に!」
しかし、レオナルドは引かない。
「よくないね!だって俺は―――」
そこまで口にして唐突にレオナルドは黙ってしまった。
「俺は、何?早く答えなさいな」
「俺は、俺は、………いずれワールドより強くなるからな」
レオナルドのその言葉にミファは声を出して笑うと、ならまず私より強くならないとねLv41さんと言った。
確かにこの中で一番Lvの低いレオナルドがいくら頑張っても最強になるまでには程遠い。Lvを上げるには時が必要で、幼い頃からダイバーになっていた私やミファよりも後でダイバーになったレオナルドがLvを上げ続けても多分追いつくこともできない。
それこそ私たちがレオナルドより早くダイバーを辞めない限りは。
「そろそろ進もう、みんなここからは予想や普段通りではないわ。気を引き締めて行きましょう――」
各々、「うむ!」「えぇ」「さー」と返事を返し、現時点でギルドの最高到達域のその先へ足を踏み入れる。
四十八階層より上層へ上ったのはダイバーではいまだいない。ただ、それは"ダイバーでは"だ。
約5年前にコトーデ王国が派遣した軍がその総軍事力でタワーに挑んだ。その司令官がダンダ・リオ・ラインハート、私の父である。
到達階層五十四階層で物資が底をついて敢え無く断念せざるを得なかった。
圧倒的戦力があってもタワーは補給のし辛いダンジョン、他のダンジョンよりも到達域が数字で低い原因でもある。あのフォレストは百八十層まで到達していると旅の商人から聞いたときは驚きを隠せなかった。
本来一層一層の攻略となるとそれなりの日数がかかるのだが、ただ階層を上がるだけなら運がよければ数十分で済むこともある。あのラビリンスは迷宮というだけはあって一層一層に数年かかることもあり、それでも攻略した層を整備している分は他のダンジョンよりも補給面で苦労しない。
「あったぞ!階段だ!」
五十階層への階段をグレゴールさんが見つけ声を張り上げるのは後ろからモンスターが追ってきているからだ。
四十九階層にいたモンスター"リングローダス"――堅い外殻を持った普段はのそのそと二足歩行で歩いているが、その身を丸めた途端に光のリングと見間違うほど火花を放ちながらゴロゴロと転がる。それがまた―――
「なんて速さなの!」
とてつもない速さで金属同士の擦れ合うかん高い音は耳障りというか、防ぎ様の無い攻撃でもう戦意すら低下してしまうほどだった。
「とにかくまずレディーファーストだ!俺が引きつけ―――がっ!」
レオナルドがまるで小石のように飛ばされるのを視界端で捉えながら階段へと駆ける。
ミファは気にもしないで私の前を走っている。ようやく階段に辿り着いて振り返ると鼻から血を垂らしながら余裕の表情を返すレオナルドがいた。
「どうだい、俺の囮が役に立っただろ?」
レオナルドの顔を見ながらミファは、は?と言って少しイラっとしていた。何せ顔を近づけて10クレン程の距離でそれを言うのだから無理も無いけど。
辿り着いた階段は階層の切り替わる所為かモンスターが寄り付かない。と言っても下から上へは無くとも"上から下へ"の行き来はあるのだ。
タワーは下から上へ上がるにつれ細くなることはなく、上層へ行っても均等な広さを保っているのも上層のモンスターが強いのも"そう作られているから"なのだ。
この世界の古代の文明人が作ったダンジョンが"そう作られている"のは私たち今生きている人間には理解の範疇ではないのだが、いつか父が言っていた各ダンジョンの奥には古代の文明人が残した"遺産"があるに違いないと。
私自身はダンジョンがどうしてあるのかなどは興味も無いし、むしろタワーが無ければ弟が病に罹らなかったのではと思わずにはいられない。
「ここからは五十階層だ。聞いた話では今までとは構造上は変化しないがモンスターが凶暴化して錬金系や魔法系のモンスターが異常に湧くらしい、ゆえに警戒を厳にして進む必要があると俺は思う」
「そうですね、グレゴールさんの言うとおり父も五十階層からはモンスターが手強くなってさらにしつこくなったと聞いています。そしてもっとも注意するべき点は"スキル持ちモンスター"です」
スキル持ちモンスターは五十階層以上のモンスターに限って現れ、獣系や異形系のモンスターのみスキルを所持して現れるようになったのだ。
錬金系や魔法系が飼いならされたモンスターなら、獣系や異形系は野生のモンスターといったところだろうか。そのためにスキルを持った個体が現れるのだろうと父も言っていた。
父が以前戦った獣系の多くはその能力を増加させるタイプのスキルを所持していたとし、異形系の多くは特殊なスキル鑑定しても古代語が読めなくて瞬間では分からないものを所持していたそうだ。
「スキル持ちのモンスターなんて正直俺のスキルがあれば問題なく戦えるけどね」
レオナルドがそう言うのは、スキル"ミスフォーチュン"が周りのあらゆる不運不幸を跳ね返し本人は度重なる小さな不運不幸にあうというもので、もしそれが本当なら素晴らしい効果のスキルだけど信憑性はいまだに無い。
「ミスフォーチュンね…」
鼻で笑ったミファは、それならまだ私のスキル方がマシよねと言った。ミファのスキルは近くにいる者のステータスを少しだけアップさせる"プチフォーチュン"。
「一番頼りになるのはグレゴールさんのスキル"アンチマナ"よね」
アンチマナはあらゆる魔法生命体のステータスを減少させてしまう強スキルの一つである。
そのスキル一つでLvが倍以上の魔法系のモンスターはグレゴールさんよりステータス上で下回ることになる。
「そうよねアンチマナクラスのスキルなら勝ち組よね、"レッド"なんて持ってたらパーティーも組めないし」
持っているだけで味方に何らかのネガティブを与える"レッドスキル"はミファの言うとおり誰しもが敬遠するスキル。
「彼らも好きでそのスキルを持っているわけじゃないのよミファ」
分かってるわよと言うと不適な笑みを浮かべて言った。
「ワールド様もレッド持ちなのだからワタクシにとってはもう敬遠何て言ってられないわ」
いつからか分からないけどワールドがレッドスキルを持っているという噂が流れ、それがいつの間にか定着し今に至っている。
「ワールドがレッドスキルを持っているというのはデマかもしれないのでしょ」
「それはないわ、"チカミチ"の主人が直営の酒場で言っていたのを聞いた人がいるんだから」
ベルギットさんは私も何度か会っているけど気の強い人でしかも私を毛嫌いしているらしいので少し苦手である。
「彼女が言っていたのなら間違いないのでしょうね」
「他人のスキル詮索はそこまでだ。先を急ごう」
グレゴールさんの言葉通り今はワールドの話はそれほど重要じゃない。
私たちは短い休憩をはさんで五十階層へ足を踏み入れた。
昔、父が口癖のように私と兄に言って聞かせていた言葉がある。
「二人ともダイバーたるものその強さに慢心は不要だ。自分の思い通りにダンジョンが作られていると思うな!いいか、ダンジョンは―――」
何故今その言葉が頭に過ぎったのか、それは今まさに父の言葉が現実となっているからだ。
モンスターはそのLvが高ければ高いほど情報が得づらく、名前さえ分からないモンスターに会ったなら逃げるのがダイバーの常。
今、目の前のモンスターの名前が分からない。警戒はしていたし間合いも取れていた。なのに、今私の体はそのモンスターの一撃で吹き飛ばされてすでに立つことも叶わない。
「……ダンジョンは―――"生き物だ"」
父の言葉を口にすると目の前の視界が塞がれた。
「大丈夫か!」
グレゴールさんが私の所に駆けつけてくれたが、正直今あのモンスターと戦える人はここにいない。
「逃げてください――アレは強過ぎます」
五十一階層の魔物じゃない、アレはタルタロスと同じ類のモンスターだ。ダンジョン内を徘徊するモンスターは数少なく出会うほうが稀なのに。
「メイア!ワタクシが引きつけるわ」
ミファがそう言って走り出すがそれは無謀に近いもので私もグレゴールさんも呼び止めた。
「危険だ!離れるな!」
「ミファ!戻って!」
そしてミファの体は軽々とアレの攻撃を受けて壁に激突した。それが前足なのか手なのかは分からないけど爪がないその手はまるで鉱石のように堅かった。
「ミファ!!」
気絶したのだろう、ミファは返事を返さなかった。私たちのLvは低くはないそれなのにこれほどダメージを受けてしまうのはアレが強すぎるからで。
「化け物が!こっちだ!」
気が付くと今度はレオナルドがアレの気を引こうと離れた位置へ駆け出していた。
馬鹿が!と言ってグレゴールさんは私を担ぎ上げた。
「グレゴールさん!?なにを――」
「分かるだろ!今逃げなくては全滅する!」
逃げる?私が?親友を置いて?敵を引き付けてくれている仲間を置き去りに?
「ダメ!グレゴールさん!!止まって!お願い!グレゴールさん!」
その呼びかけにも彼は答えてくれなかった。確かに今この場を逃げなければ私たちもアレに倒されてしまう。でも、それでも私は―――。
そんな私の考えもあざ笑うかのように、アレはレオナルドを一撃で地面へ打ちつけるとすぐさまこちらに駆けてきた。そうアレは私たちを一人も逃がす気はないのだ。
私の考えが甘かったのだ。4人でも問題ないと、弟も助かると―――。
「…ごめんなさい、ごめんなさいみんな、ごめんなさい」
もうどうしようもない、モンスターはグレゴールさんのすぐ後ろまで迫っていて、私の目の前で牙をむき出しにしてその表情は笑っているようにも見えた。
諦めからか私は眼を瞑って顔を伏せた。恐怖よりも後悔に押し潰されそうだった。
父の言葉は正しかった…ダンジョンは"生き物だ"。
「キシャァァァ!」
それはモンスターの歓喜の声でも狂喜の声でもなかった。
顔を上げそれを眼にするとそれは現実なのかそれとも私は願望の幻を目にしているのか分からなかった。
青黒いモンスターがその前足か手なのか分からないが左側のそれを両断されているのだ。しかも、すでに足にも斬られた痕がある。
「……ワールド?」
それはこの階層にいるならばという思い込みで口にした名だった。けど、よく見ると見覚えがあった。
栗色の髪、ロングソードに軽装という格好は私の知る人物と合致していた。
「あれは……カイネルくん?」
ギルド"ノラの集い"の主要メンバーの一人で過去に私が手を差し伸べた時にとある理由で断られえた。彼は"レッドスキル"持ちで、その中でも三凶と称されるスキルの一つ"パーティージャック"を保持していたからだ。
そんなカイネルくんがまさかこんな高階層にいるわけが無い、私は幻を見ているのだと思ってしまうのも無理ないのだ。
彼の口元が動いて何かを発している。何を言っているの?
「早く決めてください!時間は限られています!」
決める?何を?私が言葉の意味を思考しているとグレゴールさんの声が響いた。
「ミファリア!女の方を頼む!」
「それって……」
カイネルくんはモンスターを牽制しながらミファへ近づくと左肩に片手で担ぎ上げた。
そして私は全てを理解した。助けることができるのは一人だけでどちらを助けるか、カイネルくんの問いかけはそれでグレゴールさんはミファをと返した。
でもそれはレオナルドを仲間を見捨てると言うこと。
「レオナルドも助けないと…」
「無茶を言うな!この状況で彼がいることも、あのモンスターを牽制できているのも奇跡なのだ!ミファだけでも助けられるだけで…十分だ」
でも、でも、それでも…。
「退却します」
カイネルくんはモンスターと間合いを取りながら徐々にこちらへ近づいてくる。
その様子を悔しげに呻きながらモンスターはその場に留まっていた。どうしてモンスターが私たちを襲わなかったのかその時は他の事が気になっていて気にも留めなかった。
逃走する彼、カイネルくんは体こそグレゴールさんよりも小さいのに、人一人を抱えているにしては速く走っていた。
私たちはカイネルくんが進む方へ逃げていたがそこは五十階層、私たちが通ったことのない道を足を止めることなく駆け抜けていった。
「おい、お主。闇雲に逃げていると迷うぞ」
グレゴールさんの言うとおり、私はすでに自分の位置とレオナルドを置いてきた位置が分からなくなってしまっていた。
問いかけにカイネルくんは答えなかった。曲がり角を数回曲がり唐突に床に開いた穴に飛び降りた。
「クソ!こうなれば自棄だ!」
後に続いて降りるとそこには大きな横穴と眩しいほどの外の光が差し込んでいた。
「まさかここへ走っていたのか?!驚いたな普通ならこんな所は見つけられない……しかも、モンスターにも一度も会わないとは……何者なんだ」
「三人用のタコは持っていますか?」
カイネルくんはミファの頭部の出血を治療するとそう聞いてきたので私は首を横に振った。
溜め息を吐いたカイネルくんは背中に背負ったカバンから少し大きめのタコの筒を取り出してグレゴールさんに手渡した。
「使い方は分かりますよね、これを使って先に下りてください」
「勿論分かるが……お主はどうするのだ?」
カイネルくんはカバンをその場に置くと降りてきた穴の下で言った。
「もう一人を助けてきます」
「いや、待て!レオナルドのことはもういい!もうこれ以上お主を巻き込むわけにはいかない、アイツも男だこうなる覚悟もあったはずだ…致し方ない」
しかし、彼はその言葉を嫌悪するように声を荒げた。
「助けられる命が目の前にあるのに!"助けない"なんて選択肢はボクにはない!」
そうとだけ言って彼は壁を蹴るようにして穴を登って行った。
グレゴールさんは動けない私とミファを抱えタコの筒を付け替えると地上へとダイブした。あっという間に地上が近づいてきて一瞬、体に強い衝撃があって少し痛みを感じるとバサっとタコが広がる。
地上へ降りた私とミファは着地地点である芝生の上に寝かされて、一度ギルドへ戻って治癒の道具を取りに行ったグレゴールさんを待った。
グレゴールさんが戻ったと同時に空からダイバーが振ってきて、それがレオナルドを抱えているカイネルくんだと分かった時は心から安堵し、同時に弟を助けることは叶わないという事実が複雑な心境を生んだ。
私は全身打撲に腕部裂傷に右手の骨折、ミファは頭部を打ったため脳震盪と腹部の打撲でアバラが数本骨折、レオナルドは所々モンスターに肉を齧られていて重症というかもう瀕死だった。
カイネルくんの言葉で彼のギルドと提携しているチカミチの救護宿へ運び込んだのは、回復系の薬で最高級のエルキシルがあるとのことだったからだ。
例えエルキシルと言えど瞬間で完治するものじゃない。私たちは数日間チカミチの宿で体を休めることになった。
「にしても幸運だったなテメーら、ワー……じゃなかったカイネルがいなきゃ全滅もありえたぞ」
赤毛に長髪を肩から前にザッとたらした女性はそう言うと寝ているレオナルドの体を叩いた。
「いッヅ!!」
痛みで彼がそう声を上げるとそれを見て声を出して大笑いした。
彼女こそチカミチの女主人ベルギット・ベルベルトさんその人で私たちを泊めることを最初は嫌がっているように見えた。
しかし、カイネルくんが頭を下げると、アンタがいいならそれで構わないけどと彼女は了承した。
とうのカイネルくんは私たちを彼女に頼むともう一度ダンジョンへと戻って行った。まだやり残したことがあるとかで。
「にしてもさっきの話は本当なんだろうね、魔瘴病の特効薬があるなんてさ」
私たちが何故上層へと出向いたのかをカイネルくんとベルギットさんには正直に話した。
弟のことやリュノラドスキュラシュカのことを、その途端に彼は、カイネルくんはダンジョンへと再び足を向けた。
「今さらワタクシ達が嘘を吐く道理もなしですわ。ワタクシもそのカイネルさんに会って礼を言いたかったのだけど…残念です」
ミファは私たちの中では軽症であるため、すでに体を起せていて意識もはっきりしている。
「それにロランを救えなかったということ深くお詫びするわメイア」
体をこっちに向けて頭を下げる親友に私は申し訳なさと悔しさが眼から溢れてしまった。
「…いいのよ、私が我がままを言った所為でミファまで失うところだったのだから……こちらこそゴメン」
レオナルドも動かせない体で言葉だけですまないと言いながら謝ってくれた。
まるで葬儀だねとベルギットさんが溜め息を吐く中、廊下から駆け足の音が響いて部屋のドアがノック無しに勢いよく開くとそこには金髪に金色の瞳の女性立っていた。
金髪に金色の瞳はこの街では珍しくその"血筋"でどこの誰なのかを察することができた。
「アルバー家の人……ですよね」
「いかにもよ」
彼女はしばらく私を睨みつけると名前を名乗った。
「エリカ・グレーゴル・アルバーよ」
「メイア・シャス・ラインハートです」
そして再び沈黙が始まって、見かねたベルギットさんが彼女に話しかけた。
「着たっきり黙りやがってどうしたんだテメー?生理か?」
彼女はすごい剣幕でベルギットさんを睨みつけると明らかな怒りの言葉を吐いた。
「ベルギットなんでこいつらをここに置いているの?」
私たちはその言葉の意図が分からずにいてミファが口を挿んだ。
「ワタクシ達がここにいると何か不都合でも?」
「………不都合?不都合ですって?いかにもよ!ベルギットあなただって知っているでしょ?こいつ等のギルドが何をしたのか……」
「…………」
私達のギルド?そう口から洩れた言葉に彼女は私達に対しての怒りをぶつけた。
「あなた達のギルドの所為でカイネルがどれだけ苦しんだか分かってないの?!少しは頭使ったら!?」
その言葉にさすがのミファも頭にきてしまい声を荒げた。
「言いがかりも甚だしいわ、ワタクシたちクロスハートは至って健全なギルドです!そのような侮辱許せませんわ!」
その言葉には私も同感で逆に何故私達のギルドが悪く思われているのか不思議で仕方がなかった。
ベルギットさんはいい加減にしろとエリカさんの腕を掴む。
「カイネル自身が構わないと言ってたんだ、テメーがどう思うと私がどう思うとあいつがそう言ったならそれを通すのが筋だろーが」
腕を振り払った後エリカさんは腕を組んで言った。
「理解はできても納得はしてないんだから!」
言葉を吐き棄てると彼女は怒り冷め止まぬまま部屋を後にした。
私たちは体から力を抜くように溜め息を吐いた時ベルギットさんが口を開いた。
「エリカにはああ言っていたが、私も納得はしていないんだからな――――」
その言葉が今までで一番棘があってひどく心に響いた。
疲れた体をいくら休めても心は休まらなかった。
ロランはもう救えない。例え兄や父が協力してくれたとしてもどうしようもなかったのだと、結局私も自分がそうすることしかできないからそうしたのだと思うととても身勝手だったと気付いた。
グレゴールさんが見舞いに来てくれた時に話してくれたのは、父がロランの病室へ行って謝罪していたということを。
父は王に特効薬を分けてもらえるよう何日も頼みに出向いていたが、それ自体がもう残っていないと知ってもうどうしようもないとロランに謝ったそうだ。
私は父がロランの見舞いにこないことを誤解していた。父もどうにかしようとしていたと知って勘違いで父の悪口を言ったり思ったりしていた自分が途端に恥ずかしくなった。
現実を見ていたのは私より父や兄の方で、私はただただ我が儘に事態を混乱させてしまった。
もう少しでミファやレオナルドまで死なせてしまうところだった。
「…ロランのことはもう無理でしょうね」
「メイア……残念だけどメイアはよくやったわ、ロランだって……分かってくれるわよ」
世界にはどうしようもないこともあり、これもどうしようもないことだと理解してしまっている。
私がそう自分に言い聞かせて受け入れようとしていると彼が部屋へと入って来た。
「諦めるのはまだ早いですよ」
カイネル・レイナルド彼は三度その微笑を浮かべてそう言った。一度目は差し伸べた手を断られた時、二度目は偶然ダンジョンで出会った時だ。
彼が差し伸べた物は光沢のある空色のモンスターの角。
「この子がカイネルくん?なかなかカワイイわね」
ミファはカイネルくんにそう言うと助けてくれたことへの礼を口にする。
私はそのカワイイという言葉が失礼だと叱るがミファはそんなことよりと角の話題に入ろうとした。
「変わった角ね…見たことないけど……まさか―――」
「!その角が"リュノラドスキュラシュカ"の!?」
コクリと頷いたカイネルくんはその角を私の目の前に差し出した。
「これで弟さんは助かりますね」
彼はそれだけ言うと去ろうと扉を開けるが私の疑問がそれを呼び止めた。
「どうやってコレを?」
「………」
彼は私たちに背を向けたまま立ち止まる。彼が答える前にミファがハッと何かに気付いてそれを口に出す。
「ワールド様ね!」
それを聞いた途端彼は振り返って、実はと話し始めた。
「メイアさんやリュノラドスキュラシュカの話をワールドにしたら彼はすでにその角を持っていて譲ってくれました。彼にとっては価値の無い物だったそうですが、情報と交換してもらいました」
「情報?どんな?」
「その角の使い道…です」
「そうですか…彼は、ワールドはそれを国民に広めるのでしょうね」
その問いに頷いたカイネルくんは今度こそ部屋を後にした。
部屋に残された私たちはその後、彼がどうやってレオナルドを助けたのかを話題に会話をしていた。
数分間といえどレオナルドはあのモンスターと二人きりになったのに命だけは助かった。
レオナルドの話だと、あのモンスターの名は"バルバロス"と言いあの"タルタロス"の上位種。
五十から五十三階層を徘徊して捕食者として君臨していて、その外敵の無さからか獲物を弱らせて生きたまま異常に鋭い牙で表面の肉をそぎ取るように食べる。
そのために、レオナルドは体の一部を生きたまま食べられただけで命を落とすことはなかったのだそうだ。
「ってあのカイネルって奴が言ってたぜ」
「あのタルタロスの上位種ね~……そこまで分かってるって事はあの子見えてるのでしょうねアレのステータスが」
ダイバーはその者のLv次第でモンスターのステータスを見ることができ、自らのLvが低く対象のLvが高いと名前さえそもそも知るよしもない。
「仮にあのモンスターがレベル50台だったとして彼、カイネルくんはレベル60後半ということになるわよね……」
王宮軍軍統括司令官の父でさえLvは62で生涯のダイバー生活を終えたのにまだ成人もしていない彼がLv60の後半というのは信じがたいものがあリそれが口から言葉で出たのは必然だった。
「それにしても彼はあの"バルバロス"を倒してレオナルドを救ったのだから、それくらいのレベルはないと無理なんじゃないの?装備は特注だったみたいだけど軽装だったのだし」
確かに、としか言えない状況で私よりも晩くダイバーになったカイネルくんが、いったいどれだけの修羅場をくぐって来たのかは想像もつかない。
「で、どうだったの?あなたは彼の戦闘を見たのでしょ?レオナルド―――」
ミファの問いかけにレオナルドは天井一点を見つめて溜め息混じりに答えた。
「あれは~人間の動きじゃないぜ…"バルバロス"の攻撃全てにカウンターで攻撃していたからな、言うなら"オールカウンター"てのをあいつはやっていたんだと思う。……ただのノラって分けがないのは確かだ―――」
「つまり相手の攻撃に対しいて反撃して戦っていたってこと?かなりリスキーなことしてるのね彼」
理論上敵の攻撃に当たらなければカウンターは一番効果、"威力"が高い攻撃といえるけどそれ自体"理論上では"だ。
「ま~普通ならそう思って当然なんだろうが…俺がこの眼で見たあれは―――完璧な"オールカウンター"だったぜ。仮に俺が7、8人束になってあいつ一人と戦ったとしても攻撃自体当たることはないし、まして、攻撃すればするほど俺がバタバタと倒れるだろうさ」
「そこまでの差があるの?彼はまだ4年ほどしかダイバー歴はないと思うのだけど…」
しかも、彼は私やミファやレオナルドのように幼い時から剣の鍛錬をして技術を高めていたわけではないから、彼がどれだけダンジョンへ籠っていたのかもうそれは無謀の域と思われ――。
「つまりこういうことね、カイネルくんがあれほど強いならその長たるワールド様はさらにお強いのでしょうね~」
再び話はミファのワールドの話へ戻った。ロランの専属医師を呼び例の角を手渡すと漸く心が休まる。
「"世界は残酷だ "―――」
「ワールド様の言葉ね!"世界は残酷だ、それでも人は優しくできる"―――なんて深いお言葉」
「そうね、彼には一生をとしても返せないものを貰ってしまったわ」
「ちょっと、メイア!いくらあなたでもワールド様に関しては譲るつもりは無いわよ!」
「ミファ……はいはい」
こんなバカな会話をしていながらもエリカ・グレーゴル・アルバーの言葉が、私の中で少しだけ引っかかっていた。
次話13時投稿予定。