アルテイル、鞄を買う
「そうだ、シュタイマーへ行こう」
森で魔法の練習中、唐突にアルテイルは思い至った。アルテイルが自力で海まで行く手段を得てから半年。魔法の練習がてら月に二、三回は海へ行って塩を作ったり海産物を獲ったりゴブリン達と仲良くなったりと楽しく過ごしていたアルテイルだが、やはり村へ帰ると現在の生活の不便さを痛感する。本当にこの村は何もなく、村人同士のやり取りは基本的に物々交換。小麦等を行商人へ販売した分の利益はすぐに行商人へ還元するか家に貯めておくかしかしないこのハイデリフト領土は、経済が一切回っていなかった。食事も生活用品もありものだけで間に合わせるこんな生活は、正直飽きているのである。
早速アルテイルはシュタイマーアルク辺境伯領に存在する最大の街シュタイマーへ行く旨をハイデリフト領土の従士長であるカルアスに伝えに行く。
「カルアス様。僕、シュタイマーへ行ってきます、飛翔魔法で」
「そうか、じゃあ何か土産でも頼むかな。おーいアデール、アルテイルがシュタイマー行くってさ!」
「えっと、今日中には到着しないかもしれませんから……」
「おぉ、そういえばそうか。行商の人間で半月だからな。アルテイルが飛翔魔法でどれだけ縮められるか勝負だな」
最近カルアスのアルテイルに対する扱いが半分玩具のようになっている。本人的には可愛がっているつもりなのだろうが、珍しい遊び道具を持つ友人のような扱い方である。これで二十も半ばのそろそろ一児の父になる人間とは思えん。まぁ三年前からほぼ毎日朝稽古をつけてくれるのは非常に有り難いとアルテイルは思っている訳だが。
「そうだな、じゃあ到着しそうになったら一回帰って来い。俺から幾らかの金銭と買い物リストを渡してやるから。街に入るのにも金が必要だからな」
「えー、はい、分かりました」
結局お土産は買う事になるのか、と苦笑しながらアルテイルは頷いた。それから五日後、海とは反対の東へと飛んでいき、森の中や山の中腹で一旦帰還しながら順調に道を進めていくと、とうとう西部地方の最大都市シュタイマーが見えた。空中から見てもとても大きな都市であり、平原を見下ろすように小高い丘に建てられたシュタイマーは、今のアルテイルからすれば大都会だった。
アルテイルは一旦シュタイマーのほど近くに降り立ち、そこから十五分ほど歩いて街へと入る関所へと到着した。関所の前では通行人が忙しなく行き交い、賑やかな声が聞こえてくる。あぁ、本当に都会だと実感しながらアルテイルは関所へと入った。中には二人組の鉄製の鎧と兜を被り、木の柄に鉄の穂先をつけた槍を持つ男が居た。そしてその二人に挟まれるように、一人の男。何やら書類に書き留めている彼が関所の受付という所だろう。アルテイルの順番となり、アルテイルが前に立つと彼は神経質そうな瞳を更に細めた。
「キミ、一人かい?」
「はい。今日は買い物に来ました」
「そうか。お名前は?」
「アルテイルです」
「入場に銅貨一枚貰うけどあるかい?」
「はい、銅貨ですね」
アルテイルがカルアスより預かっていた小銭入れの中から銅貨を一枚取り出して机の上に置くと、神経質そうなその係員が静かに受け取った。心なし不審そうに見ている姿にアルテイルは不快な印象を覚える。なんだか失礼な奴だなと思いつつ表情は笑顔を浮かべるアルテイルに、彼は一つ頷いた。
「うん、問題なし。じゃあ入っていいよ」
「はい、ありがとうございます」
どうやら銅貨が偽物かどうかを確認していたらしい。なんという失礼な事だと心の中で憤慨しつつ関所を抜けようとすると、一瞬空間の膜に接触したかのような感触を身体全体で味わった。
「ん? どうかしたか?」
「いえ、今何か接触したような……」
先ほどの神経質そうな男が背後から聞いてくるのに、アルテイルが素直に答える。すると、神経質そうな男は目を細めて頷いた。
「この街は転移防止用の簡易結界が張ってあるからね。それが分かるという事は君は魔法使いなのかい?」
「えと、分かんないです。この街に入るの初めてなので。それじゃ!」
何となくだが、これ以上はマズイと思い、アルテイルは神経質そうな男の言葉を振り払い、街の雑踏の中へと駆け出していった。
―――――
さすが大都会。街並みをあからさまにお上りさん風に歩きながらアルテイルは思った。自分達の住むハイデリフト領では考えられないお洒落な造形の家屋が立ち並び、きちんと道も整備されており(とは言え日本のようなアスファルトなどがある訳もなく、大きな石が無く平らに整備されているのみだが)馬車も大きな道路を所狭しと行き交う。道を行く人もどこかオシャレに着飾っており、明らかな農民姿の人間など余り見かけない。一応西部最大の都市であり近隣の農村から農民が作物を卸しに来たりしているはずなのだが、アルテイルの目には写っていなかった。
そうして暫く歩いて見えてきたのが、周囲の雑多な建物に比べて一際綺麗な建物。ここが、このシュタイマーにおける商人互助協会との言うべき商人ギルドの建物であった。今回アルテイルが商人ギルドへ訪れた目的は自身の身分証の作成と、毛皮等の商品を買い取ってもらうつもりである。ついでに、カルアスから受け取ったお土産リストのものがどこに売っているかを聞くのも目的の一つだ。カルアスからのリストに記載された品物は安くて綺麗な布だとか、鎧に加工できそうな安い皮だとかかなり曖昧さを含んだものが多く、正直アルテイルでは品物を見たとしても判断できない。なのでここは一つ、商人ギルドに紹介して貰ってそこで紹介されたものを、という形式にしてしまおうという訳だ。
建物の中に入ると中は小奇麗に清掃されており天井にはハイデリフト領では見る事の無い飾り照明が吊るされている。光り方もどうやら蝋燭の炎では無く、何らかの魔法技術的な品物だと見受けられる。ほんのりと魔力が漂っているのをアルテイルは感じていた。正面に受付台のようなものがあり、その台の向こうでは綺麗な服を着たお姉さんが二人、こちらを見て微笑んでいた。流石商人ギルド、伊達に客商売をする商人達を纏めている施設ではないなと無駄に感心しながら受付台へと近寄る。
「いらっしゃいませ、商人ギルドへのご入会をご希望ですか?」
「ええと、はい。ここなら子供も登録できると聞いたんですけど」
「はい、大丈夫ですよ。それではこちらの用紙に記入をお願いします。もし文字が書けないのでしたら、私のほうで代筆しますよ」
「あ、大丈夫です」
受け渡された羽ペンと書類を手に、横に置いてあった踏み台に乗っかって受付台で名前と年齢、村名を書く。村名と言ってもアルテイルの場合は特にこれといった村の名前がある訳でも無いので「ハイデリフト領」だけだ。それだけ記載すると受付へと書類を返して終わりである。
「それでは只今ギルドカードを発行致しますので暫くお待ち下さい」
「はい」
綺麗なお姉さんに笑顔で言われてウキウキ気分で受付の右横に置いてあるソファへと座る。ポスンと腰掛けたソファは綿がしっかり詰まっており沈み込む感触が非常に心地良い。あーこのソファ家に欲しいなーなどと考えてすぐ、家に置くスペースも無く何より家に似合わない事がすぐに分かり苦笑した。
「アルテイル様、カードが出来ました」
「あ、はーい!」
名前を呼ばれたのですぐにソファから飛び降り、受付へと駆け寄る。その様を笑顔で眺めていたお姉さんがカードを優しく差し出した。
「はい、こちらがカードになります。再発行には手数料銀貨一枚となりますので無くさないようにお願いします。本日はこれで用事はお終いですか?」
「いえ、少し毛皮を買い取って欲しくて。あとこの紙に書いてあるリストの品物がどこに売っているか教えてください」
「畏まりました、そのリストを拝見させて頂いて宜しいでしょうか? 買い取り受付はこちらの右奥にあるカウンターとなりますので、リストを確認中に販売をお済ませ下さい」
なんて親切なんだ。ハイデリフト領では中々見る事の出来ない綺麗なお姉さんに笑顔でそう言われては黙って指示に従うしかない。言われるままにリストをお姉さんへ渡して、アルテイルは指示された右奥のカウンターへと赴いた。するとそこには、いかにも商人ですと言った表情の若干胡散臭さのある笑顔の男が居た。
「おや、いらっしゃいぼっちゃま。買い取りでよろしいですか? 商品を出して貰っていいですか?」
「え、えぇ。はい」
胡散臭いと思いつつ背負った鞄から今日までに貯めていた毛皮を出して行く。兎が八枚に猪が二枚。それと今日になってカルアスがくれたクマの毛皮が一枚。纏めると結構な量になっていた。それを一つ一つ手に取り、ふむふむと頷きながら品定めしていく。
「ふむ、綺麗に全て鞣してありますな。兎が一枚銅貨八枚、猪が一枚銅貨二十五枚、熊のほうは五十枚で如何でしょう」
「銀貨一枚と銅貨64枚ですか? それでいいです」
「おやぼっちゃん、計算がお早い! その金額でよろしいのでしたら、どうぞ収めて下さい」
既に準備していたのだろう銀貨と銅貨を差し出して来る胡散臭い男の手からお金を受取り、ありがとうございましたと頭を下げてその場を後にする。何というか、最初から最後まで胡散臭い男だったが、金額的には多分適正なんだろうと判断している。行商人に売った事も過去にあったが、値段としてはほとんど変わらなかったからだ。受付に戻ると既にお姉さんが準備を終えていて、渡したリストに細かく商品の売っている商店名と道順が記載されていた。またもやそれに礼を言ってから商人ギルドを出て、地図に書き込まれた商店へと向かう。まずは、一番近い反物屋からだった。
反物屋へ訪れては店員のお姉さんに弄られながらも安くて小奇麗な布をいくつか購入し、注文も革製鎧を取り扱う店では鍛冶屋の親父に訝しげに見られながら革パーツをいくつか購入する。その他にも羽ペンやら墨やらと雑貨を買い、貰った金額がお駄賃分のみになった頃、アルテイルはその店を発見した。
「魔道具屋、か。魔道具かぁ、見てみようかな」
外から見ても特に他の店と変わらない佇まいをしている、雰囲気だけは普通の店である。アルテイルのイメージではもう少し怪しい雰囲気とかおどろおどろしいイメージがあったもので、若干拍子抜けである。まぁ入りやすい分には別に問題は無い。それじゃあ入ろうとした所で、背後からの気配を横に避けて後ろに振り返りつつ距離を取る。背後を見ると、三名程の革鎧を着た青年がこちらへ手を伸ばしている格好で止まっていた。
「おや、逃げられちまった」
「バーカ、何やってんだお前」
「ボク、買い物でもしに来たのかい?」
ヘラヘラと笑みを浮かべながら話しかけてくる三人組は、何だか『いかにも』といった雰囲気を醸し出している。こういうのは無視するに限るのだが、こうして相対してしまっては無視しても追いかけてくるだろう。アルテイルの気分は憂鬱に急降下していった。
「えぇ。魔道具に興味がありますので」
「そうか。それじゃあお兄さん達がもっと良い魔道具屋へ連れて行ってあげようか」
「お前、田舎から出てきたばかりだろ? 街の事知らないみたいだから、教えてやるよ」
「いえ、間に合ってますから」
「んだと、このクソガキ」
本性を出すのが早すぎる。三人組はアルテイルの返事が不快だったのかイラついた表情を浮かべ始めた。それに気付いた周囲の住人もヒソヒソと話しながらこちらの様子を伺っている。どうやら誰も助けてくれそうにない。
「僕はこのお店で買い物しますから。案内とか結構です」
「いいから付いて来いっつってんだよ!」
「ガキの癖に大人の言う事はちゃんと聞けよ」
とうとう実力行使か。男の一人が両手を前にアルテイルへと掴みかかろうとする所で、その男の目の前に小さな種火を出してやる。ポッと小さく浮かぶ種火の姿に、その男は思わず足を止め、続けて笑い出した。
「ハハハッ! そんな小さな種火でどうしようってんだコラ!」
「痛い目見る前に言う事聞いておけよ?」
「はぁ、小さな種火ですか。確かに小さな種火ですけど」
アルテイルがそう言いながら腕を振るう。すると、一つ浮かんだ小さな種火が二つに分かれ、その二つが更に分かれる。段々と数を増やしていく種火の姿に男達は笑い声を失い目を見開いて目の前の光景を呆然を見つめる。種火の数は既に64個。縦横それぞれ張り巡らせた小さな種火が、男達の周囲を漂っていた。
「これ、まだ増えますけど。増やしますか?」
「も、もういい。もういいから!」
「じゃあ、僕の買い物。邪魔しないでくれます?」
「分かった、分かったから!!」
腕を振るい種火を消すと、三人組は我先にと大通り目指して駆けて行く。その後姿を眺めながら無駄な時間を使ったなぁと思いながらアルテイルが店へ入ろうとすると、店の中から一人の老婆が出てきた。
「おや、魔法の感じがしたから様子を見に来たら、小さい子供じゃないかい」
「あぁ、すいません。店の前で少し絡まれまして。魔法で追い払いました」
頭を下げるアルテイルに老婆はニヤリを笑みを浮かべると、店へ入るよう促した。連れられて入った店内はこれまた小奇麗に整理されているが、棚の上には何に使うのか分からない道具がギッシリ置かれている。まるっきりしゃれこうべの形をした何かだったり、パッと見は唯の石なのだか、その怪しい輝きはいかにも何かありますという雰囲気を醸し出している。初めて見る魔道具の数々に、アルテイルの瞳はキラキラと輝いていた。先程の老婆はカウンターの奥の椅子に腰掛け、そんなアルテイルの様子を眺めている。
「すごい、こんなに魔道具ってあるのか」
「坊や、魔道具を見るのは初めてかい?」
「えぇ。凄い田舎出身なもので」
「そうかい、そうかい」
何が嬉しいのか、老婆は笑みを浮かべてアルテイルの事を見ていた。ふと、アルテイルが一つの吊り下げられた鞄を見つける。肩に掛けられるよう紐が長く取られているその鞄は一見、普通の鞄にしか見えなかった。
「おばあさん、これは?」
「あぁそいつかい。そいつは魔法の鞄でね、普通の魔法の鞄は元々中の容量を拡張されているもんなんだが、そいつは持ち主の魔力で中の容量が拡張するんだよ。だけど持ち主が魔力を持ってないと意味が無いし、種火が出せる程度の魔法使いじゃ普通の鞄としてしか使えない、まぁ不良品みたいなもんさ」
通常、魔法の鞄という便利アイテムは誰でも使えるよう付与魔法で容量拡張と内部の時間停止措置が取られており、持ち主が魔法使いで無くとも使えるようになっているのが一般的である。だがここに展示してある鞄は魔法使いのみしか扱えない代物であり、多少魔力を持っているだけでは他の鞄と変わらない為、今までこうして売れていなかったのである。
「おばあちゃん、この鞄おいくらですか?」
「買うのかい? ふむ……それじゃあサービスして、銀貨50枚にしてあげようか。どうせ自作のもんで売れなかったもんだしね」
銀貨50枚とは、大体平民が一月半は生活できるだけの金額である。金額にしてしまうと結構高いが、同様の魔法の鞄が一つ金貨20枚等で取引されている以上、かなりのお値打ち価格である。アルテイルは慌てて持ってきた鞄から財布を取り出して中の硬貨を調べる。今日売った革の代金と前もってカルアスから受け取っていたお駄賃と合わせて、なんとかその金額を捻出する事は出来そうだった。その代わり、財布の中身はすっからかんになるのだが。アルテイルは一つ悩んでから、お金を全て老婆へと手渡し、その魔法の鞄を購入した。
「その鞄についてる口の金具に魔力を注ぐんだよ。そうするとその持ち主しか開けられないし、魔力で中身が拡張されるから」
「おぉー! 凄い! 荷物が全部入っちゃう!」
「坊やの魔力だともっと入りそうだねぇ。いい魔法使いになるよ坊や」
「ありがとうございます!」
早速手に入れた魔法の鞄に持っていた荷物を全部突っ込み、大喜びで店を出る。そのままハイデリフト領へ戻ってから、アルテイルが全部お金を使った事でカルアスに怒られるのはある程度分かっていた事だった。それでも、アルテイルからしたらこの鞄を手に入れて良かった。これで、今後塩や海産物、狩りで獲った獲物等の持ち運びに重宝できるようになるのだから。