アルテイル、勉強する
細心の注意を払い、アルテイルは二人の後を着いて行く。一人はここの領主の息子で現従士長であるカルアス。もう一人はその弟のハイネル。自分をここまで連れてきた父親は、既に居ない。自分の畑の農作業へと息子を一人置いて戻っていってしまったのだ。何ていう酷い父親だと思いながら、腹立たしさを隠そうともせずアルテイルは前を歩く二人を警戒していた。
領主の息子、というのがとても都合が悪い。この分だと恐らく、魔法か或いはそれに準ずる何かをアルテイルが所有しているのだと分かっているのだろう。でなければわざわざ父親に言ってこんな所まで呼び出すような事はすまい。もし魔法が使える事がバレていたら。そしてその力を領地の為に使うよう強要されたら。最悪、ある程度の傷害事件が発生する事をアルテイルは覚悟した。
自宅と比べると大きな玄関を潜り、玄関ホールを抜けてから来客用の応接室へと通される。備え付けてあるソファーに座るよう言われて大人しく座ると同時に、部屋の扉がノックされ、そこから綺麗な女性がお盆を持って現れた。ブラウンの髪に優しげな目元口元。笑みを湛えたその女性は、静かにアルテイル達の前にお茶を出すと、もう一つ備え付けの椅子へと座った。
「おいアデール、君も参加するのか?」
「あら、私が初めに言った事でしょう? 私が参加しないでどうするのよ」
「相変わらずですね、アデール義姉さん」
どうやらこのアデールという女性はカルアスの嫁で、分家の人間らしい。言うなればカルアス達の従姉妹に当たるそうだ。なるほど、そういう婚姻もアリかと思いつつ、アルテイルは疑問を呈した。
「それで、あの。僕に何の御用が」
「あぁそうよ。この子の話に戻らないと。それでアルテイルちゃん、あなた、魔法使えるわよね?」
急に確信を突いてきた言葉に、アルテイルの呼吸が一瞬止まった。それから頭の中でどう答えるかを考え、今後の行動をシュミレートしていると、確信を突いたアデールが笑みを浮かべる。
「大丈夫よ、何もしたりしないから。それに、ほら」
アデールはそう言うと人差し指を立てる。その先に、ほんの小さな炎が灯った。
「私も一応、使えるの。まぁこんな程度の種火とか、コップ一杯の水が精々なんだけどね」
「えっと、それで、なんで」
「んー、なんていうのかな。私はちょっと特殊で、魔力は少ないけれど付近で魔法を使われると何となく分かるみたいなのよね。私は偶然だけど何度か魔法使いに会った事もあって、それで」
「こいつは一時期冒険者学校に行っていたからな。そこで魔法使いを知っているんだよ」
冒険者学校というものがあるのか。アルテイルは初めて知る学校の存在に興味を持った。
「それでまぁ、何となくだけど魔法が近くで使われていると、分かるっていうか、そんな感じで。この村に魔法使いがいるなと思ってね」
「で、俺達がそれらしい人間を探していたんだが、デミスの所の末っ子が毎日兎なんかを狩ってるって言うじゃないか。それで今日会ってみようと思ったんだよ」
言っている事は理解したが、その後の展開をどうしたいのかが分からない。アルテイルは未だ明言するのを控え、今後シュミレートを継続していた。その姿をどう思ったのか、ハイネルがアルテイルの様子を見てクスリと笑みを浮かべた。
「どうやら君は、見た目以上に賢いみたいだね。その年で今後の事を色々考えているようだ」
「ん? そうなのか?」
「え、えぇ、まぁ」
ハイネルの言葉にドキリとする。どうやらこの人は頭が切れるタイプのようである。洞察力もあり、頭が切れる。正直詰んでいるかもしれない、とアルテイルは考え始めた。そんなアルテイルの事はお構いなしに、ハイネルは言葉を続けた。
「それで、なんだけど。君はその魔法で、この領土をどうにかしたいと、思っているのかな?」
参った。降参だった。ここまでストレートに言われては、アルテイルとしては正直に答えるしかない。
「正直言って、興味ありません。魔法に関しても隠しておいて、成人したら村を出ようと思ってました」
アルテイルの言葉に三人が三人、笑みを浮かべながらウンウンと頷いていた。その姿はアルテイルの想像していたものと違って、拍子抜けである。
「いやぁ良かった。魔法で開墾するとか言われたらどうしようかと思ったよ」
「だな。その可能性が無くなったのは僥倖だ」
「え、あの? 魔法で開墾とかしないでいいんですか?」
「とんでもない!」
アルテイルの言葉をアデールが思い切り否定する。なんだなんだ、どういう事だと困っていると、ハイネルが丁寧に説明してくれた。
「もし君が魔法で開墾したとしよう。きっと今までよりも早く、しかも丁寧にできるかもしれない。そしたらどうなると思う?」
「えっと、領地の人達が喜ぶ?」
「まぁそうだね、村人は喜ぶだろう。だかそれを喜ばない人間も居るんだ」
「例えばここの領主である、我が父上や、次期領主であるケイン兄上とかな」
「確かにアルテイルは村人の息子であるが、君が魔法で開墾した土地は、君が主導して開墾したという事になってしまうんだよ。これははっきり言って彼らにとっては面白く無い」
「そして、村人も期待するわよ。アルテイルちゃんが村の名士になれば、今よりもっと、村は繁栄するんじゃないか、と。そしてそこに、領主は必要ない訳よ」
「村内での揉め事になるってことですか?」
アルテイルの言葉に黙って頷く三人。なるほど、三人は村での揉め事等を回避する為に事前に手を打ってきたという訳か。だがしかし解せない、とアルテイルは考える。わざわざ従士長自らがこのような事をせずとも、現在の村の名士である村長にでも言えばよいのに。
「何か不思議そうな顔をしているけど、どうしたの?」
「いえ、えっと。何故態々従士長や領主様のご子息様が自ら、と」
「あぁ、なるほど。それは尤もな疑問だね。その年でそこに思い至るのはどうなの、とも思うけど」
言われてから後悔した。確かに今の疑問は五歳程度の少年が思い至るような事では無い。今後はこういう所を気をつけないとマズいな、と思いつつアルテイルは質問の答えを促した。
「今現在で、君の魔法の事について気付いているのは僕達三人だけになるね、うん。というか、別に誰に広めようとも思わない」
「はっきり言えば、ウチの領地は金が無い。そんな状態で運営している領主に、お前のような子供が魔法を使えると知られたら、まだ幼い内に労務で酷使される事だろう。親に幾許かの金品を握らせてな」
「えっと、ご子息様達のお父様、ですよね?」
「正確には長兄の方だな。狡い利に聡いから、親に言えば何とでもなると思うだろう。事実、お前の親は今日何も言わずお前をここへ連れてきた訳だしな」
確かにその可能性はある。アルテイルはまだ子供であり、両親は平民だ。領主の指示には逆らえないし、そこにほんの少しでも金品が関わってきたらいかな両親と言えども平気で売り渡すだろう。今回に関しては、その金品すら無く黙って連れて来られてしまった訳だ。アルテイルがその可能性を初めから検討していたとは言え、こうして領主や長兄の実情を知る彼らから話を聞くと、やはり厄介だな、と理解した。
「で、だ。若い才能をこの領地で使い潰すのは申し訳ないという事で、俺が出てくる」
「兄さんは従士長だから、ある程度領主である父や次期領主の兄に意見できる立場にある。その立場を利用して、カルアス兄さんが君を先立って保護しようという訳さ。何かあった時には、表立って何らかの対策を打つためにね」
「すぐ隣、と言うには離れているけど。森の獣道を抜けた先にある山道を半月程度歩くとシュタイマーアルク辺境伯領があるのよ。そこに、冒険者学校があるわ」
「12歳までは入学出来ないけど、それまでの期間、カルアス兄さんが従士見習いという建前で君を保護するという事さ。もちろん、僕も協力する」
「えっと、具体的には何をしたら?」
「そうだな。午前の内にウチに来て剣の訓練と勉強って所か。冒険者学校に入学するには試験もあるからな」
「午後は自由に過ごすと良いよ。森の中で魔法の練習でも、狩りしてもいいし」
なんて都合の良い話なんだ。しかも裏が無さそうである。アルテイルは迷わず三人の言葉に快活な返答をした。
―――――
今回は相手の領主の子息が良識ある人間で良かったが、もしかしたら彼らの懸念通り、無償に近い形で魔法による労働を強制されていたかもしれない。そう考えるとやはり、アルテイルは父親の事を許す気にはなれなかった。従士長家からの帰りがけにいつも通り森に入り、兎を三羽仕留めてから帰宅したアルテイルは、不機嫌そうな声で帰宅の挨拶をした。
「ただいま」
「あら、どうしたのアンタ。何かあったの?」
家に帰宅していた母親に魔法の事は抜かして事の次第を説明したアルテイルの言葉に、母親が険呑な目をした事を確信し、心の中でほくそ笑んだ。
その日の晩ご飯は、父親のみ肉抜きの黒パンに塩スープであり、頬には大きな引っかき傷が複数ついているのをアルテイルは愉快な気分で眺めた。
それからの日々は、今までよりずっと充実した毎日となった。朝になって朝食を食べた後、その足で従士長家まで行くと、庭先で従士長カルアスが剣を持って待っている。
「よし、じゃあ素振り千本だ、いいな」
「はいっ!」
五歳児にやらせる事じゃないとは思いつつも、これで体力がつくならとアルテイルは木剣で素振りを行う。最初の内は身体の色々な所が悲鳴をあげていたが、一月も繰り返せばそれも無くなり、汗だくになりながらノルマの千本を終える。その後、弟であるハイネルから座学を教わる。歴史や地理に計算、また魔物に関する知識や、薬学に関しても簡単に教えてくれた。
「ハイネルさんは、物知りですね」
「家ではずっと本を読んでいたからね。腕っ節は全くだけど、知識だけは自信があるよ」
教え方も非常に上手で、分からない所があればより分かりやくす解きほぐして説明してくれる。本を読んだだけでは説明のつかない理解度であり、きっとこういう人が天才と呼ばれるんだろうなぁとアルテイルは感じていた。実際、領内の評判もすこぶる良い。母や兄に聞いてみた所、ハイネルは頭も良く顔立ちも整った領主の息子で、この領内では一番人気なのだそうだ。憧れている淑女は相当数に上るらしい。さもありなん、とも思う。
「そういえば質問なんですけれど」
「ん、なんだい?」
「カルアス様は従士長として分家に居るのは分かるのですが、ハイネル様はいつまでこちらに居られるのですか?」
アルテイルの不躾な質問に、ハイネルは困った笑みを浮かべながら頬を掻いた。
「本当に君は敏い子だね。うん、じゃあ今日はその話にしよう。前にこの国、オーリストア王国の貴族制度に関して説明はしたよね?」
「はい。王様が一番上で、公爵、侯爵と辺境伯、伯爵、子爵、男爵が五爵と呼ばれていると」
「そう。侯爵と辺境伯は同列となり、領土を持ち、周辺の領土持ち貴族を取りまとめるのが辺境伯。国内の要職として代々畳用されている家系が侯爵となる訳だ。そしてウチの家系は、五爵には入らない準男爵家なんだよ」
「えっと、騎士爵、勲功爵の上で、世襲可能な貴族家、という事ですよね」
「そう、男爵の下に当たるのが我が準男爵家、ハイデリフト家となる。この領土はハイデリフト準男爵領という事になるね」
貴族制度は面倒臭そうだな、とアルテイルは酷い感想を思い浮かべた。
「そして準男爵家、もしくは騎士爵家もそうだけど、基本的に国からの棒給が安い。収入の殆どは自分の土地で賄わないと行けないんだ。だが現状の我が領土は、基本的にみんな貧乏。村人が貧乏だと言うことは、そこの領主も貧乏という事になる」
「……お金が無くて、家を出れない?」
「正解。僕や君にまだ紹介していないもう一人の兄、カーチス兄さんは領地を継げないし、家を出るしかない。だが未だ家を出る為の資金が貯まらなくてね。あと二年程度はここへ残る事になりそうだよ。その頃には僕も17、兄さんも19になるんだけどねぇ」
何とも世知辛い話だ。領土がこんな僻地にあるが為に増収の目処が立たず、現状の小麦等の栽培で手一杯。それだけでは増収等見込めない訳だが、手一杯な所に何も詰め込める訳もなく、結果として現状維持が精々となってしまっているのがこのハイデリフト領の有り様である。
「僕も兄さんも、当座の資金が貯まったら王都へ行って吏員や警邏隊に入るつもりなんだけどね」
「吏員ですか。ハイネル様なら絶対に受かるでしょうね」
吏員とはこの世界で言う国家公務員に当たる。所謂宮仕えというやつで、国の事業、財務等を引き受ける人間の総称だ。その部門のトップに法衣貴族と呼ばれる公務に関わる貴族家の当主が就いている。ハイネルの頭であれば、その試験も余裕で通過できるだろう。
「まぁ、僕も自信はあるけどね。油断はしないよ」
「はい、頑張ってください」
何だか教師と生徒というより、年の離れた兄弟のようだなと思いつつ、アルテイルはこの勉強会や鍛錬の時間が嫌いでは無かった。