アルテイル、開発する
タッタッタッと草を掻き分け軽快な足音を立てて近寄ってくる狼。数は三と少数ではあるが一応群れを成しているという事にしておく。先頭の一匹の背後に二匹が追随するような形で駆けていた。先頭の一匹が唸り声を一つ挙げ、そのまま正面へと飛びかかる。飛びかかられた先にはアルテイルが、油断無く正面を見据えて拳を構えていた。次の瞬間、狼の視界から一瞬でアルテイルは消え去り、下からの強烈な衝撃を受け、そのまま狼の意識は消えていった。
残る二匹も同様にアルテイルへと襲いかかるが、その牙を突き立てる前にアルテイルは死角へと逃れ、まず左手の狼の土手っ腹に一発拳を叩き込み、合わせて上空へと蹴り上げる。狼が上空を舞っている間にもう一匹へと正面から突撃し、狼の顎を掌でがっしり掴んで勢いのまま狼の身体をぐるりと回す。そのまま、頭から地面へと叩きつけた。ドゴンという激しい音と共に狼が泡を吹いて気絶すると同時に、上空に蹴り上げられていた狼が落下する。ドサリと地面に叩きつけられた狼はそのまま、起き上がる事は無かった。
先日魔法の腕を披露して依頼、冒険者学校のミカ、ノエル、カインと成り行き上狩りをする事となった訳だが、アルテイルとしては今までのやり方を変えるつもりは無かった。チームでの連携とかそういうのは抜きにして、純粋に魔法や体術の練習として、野生の獣を変わらず狩っているのだった。たった今も強化魔法を使わずに狼三匹を相手に立ち回った。ふと、他の三人はどうしているかと見てみると、三人ともアルテイルと見つめて喜んだり苦笑を浮かべたりしていた。
「すごいねーアルテイル君! 魔法無しでも強い強い!!」
「まぁ、伊達に昔から鍛えてませんから」
「それでも、アルテイルぐらいの子供が一人で三匹の狼を圧倒するのは中々できないと思う。それに、素手なのに色々変わってる」
ミカとノエルの言葉に思わず苦笑を浮かべる。武器を扱う武術が全く才能なしと言われたあの日から、愚直に徒手空拳を鍛錬していただけに過ぎないのだが、やはり初見の人には変わったものとして見られる傾向にあるようだ。この世界ではやはり剣や槍、弓が主体の武術となっている中で、素手での格闘術というのはそれ程広まっていないのだろうな、と思った。
とりあえず仕留めた狼三匹を捌いて毛皮を剥ぎ、魔法で油や血を落としていく。この処理をするだけでもそのまま持っていくより買取額が跳ね上がるのだからやっておいて損はない。事実商品を納めに行く商人ギルドの人には喜ばれる事が多いのでこの処理はアルテイルの中で欠かせない作業となっていた。
「しっかし、アルテイル居たら俺達要らないんじゃねぇのか、本当に。今日純粋に俺達が狩ったのは兎二匹と狼一匹だぜ」
「うーん、見つけた側からアルテイル君が魔法で一発! だもんねー」
「接近戦も出来る魔法使い、王都から勧誘とかが沢山来そう」
「うーん、そういうのは煩わしいから嫌だなぁ」
ノエルの言葉にふと本音を零したアルテイルに、三人が驚きの表情を浮かべる。
「は? 煩わしいってお前、王都っつったら近衛騎士団だぜ。いいじゃねぇかよ騎士」
「いやぁ、僕としては平々凡々と過ごして行きたいんですけどねぇ」
「もうそれは無理じゃないかなー。シュタイマーアルク様に既に目をかけられているんだし」
確かにそれは理解している。シュタイマーアルクが純粋な好意では無く、先を見据えた先行投資として自分が冒険者学校に通っているという事を。だがそれでも将来的な話、年を経てからの話だろうとアルテイルは睨んでいる。まだお抱え魔法使いのエリオットも二十半ばで引退には程遠い訳で、エリオットが引退する頃にはアルテイルが冒険者として活動して十年二十年はかかるだろう。その頃ならお抱え魔法使いとして召し抱えられても良いだろうし、冒険者としてある程度の財を成した後なのだし、文句は無い。
そういう話を三人にしたら、思いっきり引かれていた。
「なんつうか……堅実と言うか、なんというか」
「現実的すぎてちょっと引く」
「アルテイル君は夢が無いよー夢が!!」
「そうですかねぇ」
堅実と捉えられるとは思っていなかったアルテイルだが、アルテイルとしては今の話で言っていない部分で水洗トイレの普及やらもっと安価な紙の製作、食糧事情の改善、上手く行けば交通機関の策定なども考えており、それらを含めて将来設計として見据えていた。勿論この話は三人にはするつもりは無いし、しても分からないだろうと思っている。何しろ文化基準が違うので当たり前だ。
「まぁ僕の事はいいんで、三人は夢とかあるんですか?」
狼の血抜きをしている間の暇つぶしに、アルテイルは三人に話を振ってみた。ミカとノエルはうーん、と考える中、カインは腰掛けていた岩から立ち上がり天に吠える。
「俺は勿論、シュタイマーアルク様の家臣になって剣術道場を継ぐ! そんでもってノインさんとけっ、結婚を!!」
ノインさんとはノエルの二つ上の姉で実家の槍術道場の娘である。槍の腕はノエルより上だが、冷静なノエルと違いどこか朗らかな正確をした、一見良いところのお嬢様のように見える女性である。今は冒険者学校の三年生として通っており、規定であれば今年卒業して、冒険者となりつつ実家の道場を手伝う事になっていた。ノエル達の一番上には兄が居り、兄は既にシュタイマーアルクの正式な家臣となり、シュタイマーアルクの騎士として日々を過ごしている訳である。将来は槍術道場を継ぐ予定だ。
カインも何だかんだで堅実な夢だなぁと思うが、ミカとノエル的には叶えるのはハードルが高いとの事。ノインはその性格から人を惹きつけやすく、実際に何度か交際を申し込まれたりとかしているらしいが、その度に断っているという。理由としてはまだ男に興味が無いという事に加え、せめて兄より強い人じゃないと、という訳らしい。シュタイマーアルクの家臣で槍術道場の跡取り予定の男より強い男というのは、一般的に見たら確かにハードルが高い。だがカインならば修行して剣術の腕を上げて何とかなるのではないか、と思いもする。
「私はそうね、冒険者として歴史に名を残す」
「おおー、ノエルちゃん夢があるー!」
「そういうミカさんは?」
「えーっと、うーんと、王子様のお嫁さん!」
「夢見すぎでしょそれ」
ミカの言葉にノエルがチョップで返す。ふぎゃん、と情けない声をあげるミカの夢はどうやら壮大な玉の輿計画のようだ。まぁ可愛らしいミカだから、本当に玉の輿ぐらいやってのけそうな気もしてしまう。
結局みんな何らかの夢があって、それを叶えるために冒険者学校に通っているんだなぁとアルテイルは実感したのだった。
―――――
そもそもの話。アルテイルが何故魔法に手を出したのかというと自分の生活環境を向上させる為である。その為に魔法を手にし、なんやかんやで若年ながら冒険者学校に通う事になってしまっているが、初志は忘れては居ない。風呂は既にゴブリン村にひっそりと作ってある。将来家を持ったらそこにも風呂を作るつもりだ、それは良い。
では次に何が必要になるかと言うと、食である。
主食となる黒パンは元より、他の食事も現在の所アルテイルが求める水準に至っていない。何しろ米が無い、それだけで既に減点だ。だがアルテイルはこの日、とうとう開発した。してしまったのだ。
「フッフフフ、フハハハハハハハッ!!」
寮の自室で一人、土壺を前に怪しい笑顔を浮かべるアルテイル。その壺の中には、アルテイルが欲して止まなかった茶色のペーストが存在していた。所々に麦を散りばめたそれは、正しく麦味噌。そう、この世界に味噌が生まれた瞬間であった。
まずアルテイルは街で小麦粉を買った。そして小麦粉を水で練り、魔法をかける。この魔法は『活性』という魔法で、ちょっとした傷口の修復や、萎れた花に生気を与えるという魔法である。その活性魔法を調整しつつ小麦粉の塊にかけると、酵母が活性化する。小麦粉由来の酵母であり、小麦粉になった時点で弱々しく存在しているだけであったが、酵母は水分を吸収し、小麦粉の中を発酵させる。程よく塊が膨らんだらまた水をやって練り、また魔法で活性化させる。これを乾かせば小麦粉由来の酵母の種の完成である。
試しにこの酵母を使って自分でパンを焼いてみたが、見た目は黒いが中はしっとり、外はこんがり綺麗に焼け、これだけでもアルテイルとしては上出来を行くものだった。だがアルテイルの欲望はその先を既に見据えていた。
次にアルテイルは大麦を粒のまま購入した。そして一緒に大量の豆を購入する。水で大麦と豆を洗い、籾殻と中身を分けて土壺に入れる。そして土壺の中に水を入れてから一日置く。一日置いた大麦と豆を一旦土壺から取り出し鍋に移し、今度は煮る。四時間ほどで煮上がった大麦と豆を一緒に潰し、酵母の種と混ぜあわせ、塩を多めに入れ保存する。保存にも気を使いこの世界では高級品である和紙に近い紙を購入し、内蓋にした上で、木製の鍋蓋を置く。その上に重石となる石を置いて、やはり活性魔法で中の酵母を活性化させる。
本来であれば一年ほどはかかる工程を活性魔法で簡略化し、それでも手を入れるしかない中身を撹拌する作業などは自分で行い、懇切丁寧に仕上げた逸品が、今回の麦味噌である。そして味噌が作れるという事は。
「フハハハハハ!! これで、これで俺にはもう敵うものなど存在せぬ!!」
味噌を作る時に除けておいた籾殻を加え、更に豆と大麦を使用して作った、もろみ醤油の完成である。もろみを絞れば生醤油に、更に生醤油に火入れをすれば火入れ醤油として保存に適した状態になる。絞ったもろみも捨てずにそのまま野菜に混ぜて一日寝かせればそのまま漬物となる。捨てる所の無い醤油と味噌。これを手に入れたアルテイルは早々に準備していた調理へと向かっていた。
材料となるのは先日狩った狼の肉。筋張っていて基本的に硬いこの肉だが、アルテイルが活性魔法をかけるとほんのり熟成する。そこへ味噌を塗りたくり、やはり土壺へと保存する。切り身を一枚一枚丁寧に味噌を塗り、壺が一杯になったら紙で封をする。そして活性魔法をぶっかけて酵素を元気にし、取り出してから焼いて食べる。
芳醇な味噌の焼けた香りと酵素の力で柔らかくなった肉の旨味、それらが凝縮された肉は、今まで食ってきたメシがいかに自分に合わなかったかを如実に思わせるものであった。
「うまっ! これほんとうめぇ!!」
「変わった香りの調味料。でも、嫌いじゃないわ」
「うわー、あたしこんな美味しいの食べちゃっていいのかなー」
放課後の狩りの後、ちょっと他の人にも自慢したい下心もありパーティメンバーにごちそうしたらご覧の有様である。みんな味噌の魅力に虜だ。
「これ、販売したら売れるかな?」
「売れる売れる! マジ美味しいし、な!」
「日持ちもするなら冒険者相手にも大丈夫」
「うん、これで汁作ったりしても美味しそうだし、売っちゃいなよ!」
「ま、機会があったらね」
夜食の会はこうして好評の内にお開きとなった。
そして翌日。
「やぁ。何やら面白い調味料を作ったとか。僕にもご馳走してくれないかい?」
いつも通り魔法の修練場へ行くと、爽やかな笑みを浮かべたジルベスタ・シュタイマーアルク辺境伯が立っていた。




