アルテイル、魔法を手にする
澄み切った青い空。周囲には高層ビルや排気ガスを排出する自動車の集団も見当たらない。見渡す限りに農園が広がり、そこに住まう住人が今回の成果を誇るように収穫している。多くの農作物は小麦であり、所々大豆やじゃがいもなど、環境に適した作物を育てているようだ。そんな農園の真ん中で一人、ブラウンの髪の少年が呆けたように突っ立っている。彼の名はアルテイル。由緒正しいかどうかは知らないが、農家の四男坊である。御年四歳。何も期待されず、というか両親ですら想定していなかった余計な食い扶持となる幼児である。そんな彼が初めて、家から出たのがこの時。周囲に広がる畑と森。横を流れるはなだらかな川。遠く見えるは連なる山脈。山脈を背後に置くのは、見た目はボロイが周辺で一番大きなこの地域に住まう領主の家。山と森に囲まれた自身の住まう土地を見て彼が最初に行った事は、自身の頬を抓る行為だった。
「……嘘だろ」
紛れも無く、現実である。
―――――
アルテイルは転生者である。何の因果であるかは既に忘却の彼方にあるが、彼は自身がこことは違う世界、環境で生を受け生命を謳歌していた事は覚えている。その詳細、例えば前世の名前やどのような職業であったか、などはどうにも記憶に無い。だが彼は知っている。日本という国に何不自由なく生活していた日々を。トイレが木の板に穴を開け土を掘っただけの場所に糞尿を落とすようなものではなく水が流れ匂いも消してくれる素晴らしいものであった事を。風呂も週に一度入れるかどうかというものではなく、毎日一回、人によっては朝夕二回自宅で入れるシャワーのある快適なものであった事を。竈に薪を入れ火を炊く料理などではなく、ガスレンジやIHヒーター、電子レンジを用いる数々の料理がある事を、アルテイルは知っている。そんな彼にとって、現在の生活は酷く不便なものであり、不潔なものでもあった。料理は基本的にスープとパンのみ。パンも黒くボソボソしたものであり、ふわふわの白いパンなど夢のまた夢。スープの中身も少量の野菜に軽い塩味のついた味気ない物。コーンスープやオニオンスープなどではなく、間違いなく塩スープである。木の器に盛られたそれをもそもそと食べながら、アルテイルは思った。この環境を、どうにか打破しなければ、と。
「今年の収穫は巧く行った、また来年も同じくらいだったらいいんだがな」
「そうねぇ、何にせよ来年まで持てばいいんだけど」
収穫について語るのは父であるデミスと、母でカミラ。父は三十後半程に見えるいかにも農民といった風情の顔で、取り立ててかっこ良くもなく、かといって不細工でも無い。田舎者という雰囲気が染み付いている体躯をしている。母も父と同じ年頃に見え、体型としては中肉中背、目を見張るものは特にない。こちらも醸しだす雰囲気はまんま田舎者である。その二人の隣で黙って食事をしているのが、アルテイルの兄弟である三人の兄だった。長男のベイルは父親に似た顔をした、御年18歳。この世界で言えば既に成人を超えた年齢である。彼もまんま田舎者。次男トールは母親似で、付近の村民からはイケメンであると言われ若い女性たちを虜にしているらしい。御年16歳、成人だ。三男ガルド、父親似。御年14歳、来年で成人となる。ベイルは日々父親と共に畑仕事に従事したり、森に入り野生動物相手に狩りを行う生活をしている。トールの場合、農家の次男なので兄が継ぐ父親の畑の隣に、自身の畑を開墾している事が多い。そして三男ガルドはトールの手伝いを行いつつ、翌年来るであろう自身の畑の開墾作業の勉強を行っている。この三人の一番末っ子が、アルテイル四歳となっている。
これほど年の離れた兄弟だ、正直言えば上三人はアルテイルの扱いに戸惑っている。何か話しかけても分かるかどうかも知らないし、自分達もやる事が多い。結局、彼らは自分達の都合を優先し、アルテイルとはほとんど触れ合わない生活をしていた。アルテイルを相手にするのは基本的にはカミラの役目である。だが彼女も周辺の農家の嫁と集まって日々縄を打ったり農具を整えたりと忙しい日々を送っている。結果、アルテイルは普段は一人、家にいる事が多くなっているのであった。
だがこの生活は、結果的にアルテイルには都合が良かった。
(監視の目が無いのはチャンスだ!)
アルテイルには野望がある。産んでくれた両親には申し訳無いが、少なくとも自分の周辺だけでも、生活環境を向上させようという野望が。風呂にはいつでも入れ、料理をするにも竈では無くせめてガスレンジ並のものを。そしてトイレを水洗に。そんな壮大かどうかは個人の判断に委ねるとして、アルテイルは日々野望に燃えていた。そして彼は出会った。彼の人生に変革を齎す、最高の手段に。
ある日、やはり家に誰もいない昼の時間帯に、アルテイルは家に何か無いか自宅だと言うのに家探しを行っていた。この家は平屋であり、玄関から直通の居間の他に両親の部屋と兄弟二人ずつが使う部屋の合わせて三部屋がある。そしてもう一つ、普段は誰も使わない部屋が一つ置いてある。もう一つ部屋が余っているのに何故誰も使わないのか判らないが、アルテイルは今まで入った事の無いその部屋へと侵入した。そこは、結構綺麗に片付けられており、ベッド以外にも細々とした小物が置かれている。その部屋の醸しだす雰囲気は、女の子の部屋、であった。何故こんな男ばかりの家に女の子のような部屋があるのかアルテイルは疑問に思ったが、とりあえずは家探しをする事にした。綺麗に整頓されている部屋は探索も容易であり、アルテイルは本棚にすぐにそれを見つけた。
「魔物図鑑に、魔法の使い方講座『初級編』だって? 魔物が居て魔法があるのかこの世界!?」
胡乱げな視線を件の本へと向けるが、当然その本から返答など返ってくるわけもない。とりあえずものは試しと、アルテイルは慌てず騒がず、魔法の使い方講座からページを開いた。
最初のページには、偉大なる魔法使いとかいう人物からのメッセージが記載されている。簡潔に言うと、この世界で魔法使いと呼べる人間は非常に少ない。魔法使いになるには兎に角才能でしかなり得ない人種であり、魔法使いの子孫だからと言って、その子供も魔法を使えるとは限らない。純粋に、その人物の資質だけがモノを言う世界である。そんな状態だから、より多くの魔法使いを発掘しようと国を挙げて未だ見ぬ原石を掘り起こすため、このような書物が世界に広められているという事だ。願わくば、この書が将来の魔法使いを発掘せん事を願って。という言葉で締め括られている。
魔法使いの人口が少ないという事に一抹の不安を覚えたアルテイルであったが、兎に角やってみなければ分からない。アルテイルはページを読み進めて魔法の発現方法を探した。
「えっと、あった! えー、まず掌を合わせ、間に小さな空間を形成して下さい、か」
本を広げながら記載された通りに掌を合わせ、間に小さな隙間を作る。
「んで、えっと次は、その空間内に、何らかの力が作用するよう、強く念じて下さい。空間に何かが精製されたら、それがあなたの魔力であり、あなたには魔法の才能があるという事です、か。随分アバウトだな」
文句を言いながらも、アルテイルは本の通りに掌の間に気持ちを集中させる。力を込めるのではなく、あくまでも自然体で集中する。すると、身体のどこかから力が腕を伝い、掌に集まるのが分かる。そして、隙間から見える景色が歪んだかと思ったら、小さな光の珠が生成されていた。
「できた……できたーっ!!」
きゃっほー! と叫びながら跳ねまわる。既に光の珠は消えてしまっていたが、あの感覚は既に身体が覚えている。あまりにもアッサリとした成功であったが、アルテイルには魔法の才能があったという紛れも無い事実であった。
「よしっ! よしっ! これで俺は、魔法使いになってやる!!」
こうしてアルテイルの、魔法使いとしての第一歩が始まった。
とりあえず魔法の本に記載されている魔法を、一頻り覚える。この世界での魔法の発現は杖や珠などを媒介にせずとも可能であり、発動に関しても呪文を唱えるか無言か、何らかの儀式を行うかというのは個々の自由であり、自分なりに合ったものを体得するべしと書かれている。魔法というものはイメージの力が重要であり、発現に対するキーも全てイメージで賄われている。人によっては管から水を出すように。或いは火花を散らし火を灯すように。そういったイメージを始動と発動のキーとして、魔法は発現する。
この説明を受けてアルテイルが思い浮かべた始動キーと発動に対するキーは、拳銃だ。撃鉄を起こす事で魔力を溜め、引き金を引く事で発動する。このイメージが一番、アルテイルの中でしっくり来たのである。何とも元日本人らしい想像力ではあるが、それが理にかなっているのであれば何ら問題は無い。アルテイルは早速、魔法の力を試したくて。誰にも告げず、一人で家を抜けだしたのだった。
家から子供の足で歩いて15分の所に、その森はあった。ほんの小さな森であるが、そこには野生動物がわんさといる、未開拓の地域である。 アルテイルが住んでいる領地は領主の準男爵爵位を持つ現当主が開拓をしたいが金銭的、人足的に出来ないという二重苦に陥っていた。しかもそれは今に始まった事では無く、この地を初代が開拓してから二百年余り、ほとんどの地域が未開拓という結果である。これは歴代の当主が無能という訳でもなく、山と森に囲まれたこの辺境の地が災いしている典型的な実例であり、致し方のない部分が大多数を占めている。ほんの少しだけ、代々の領主が総じて凡夫であり、領地を回す事で手一杯であるという事情もあるが。それは今代の領主も同様であり、良くもなく悪くもない、という事をアルテイルは父から伝え聞いている。
アルテイルは早速その森に足を踏み入れ、本に載っていた魔法の一つ、気配察知の魔法を使う。魔法はイメージ通りに作用し、現在アルテイルは、半径500m程度に居る生命の気配を察知していた。一番離れた、森の奥に大きものが一つと、近く、300m程度の付近に2つ。アルテイルは早速忍び足で近くの気配へと近づくと、視界範囲ギリギリに居る、二羽の兎を発見した。獲物を発見した後はすぐさま、頭の中で魔法の矢を二本イメージし、引き金を引いて発射する。発動した矢は一本は正確に一羽を射たが、もう一本はイメージ不足によりあらぬ方向へと飛んでいった。慌ててもう一本の矢を生成し、逃げようとしたもう一羽を仕留める。
「ふぅ……。要練習、って事だな」
まだまだイメージ精度も甘いと反省しながら仕留めた二羽の兎を担ぎ、額の汗を拭いつつ森の出口へと戻る。
「魔法使うのも疲れるなこりゃ……これも要練習って事か」
初めての魔法行使により精神的にも肉体的にも疲弊したアルテイルは、ひーひー言いながら自宅へと戻った。
「ただいまぁ」
「あれどこいって……あんた兎狩ってきたのかい!?」
兎を担いて戻ってきたアルテイルを見て、既に帰宅していた母が非常に驚く。その日の晩ご飯は、いつもより肉が多く、普段に比べれば豪勢な食卓となっていた。
―――――
その日からアルテイルは、精力的に動いた。朝食が終わればまずは腕立てや腹筋などで身体を鍛えた後、家で一人魔力を高める訓練。これは教本に書いてあった方法として、身体をリラックスさせて座り、自身の身体中を力が駆け巡るようなイメージで魔力の上限を上げていくという方法。前世の記憶から座禅のようなイメージを浮かべながら、アルテイルは自身の中に魔力を駆け巡らせ、その魔力を満たす器を日々拡張していった。そして昼食後はいつもの森で狩りを行い、気配察知魔法を駆使して獲物を狩り、余った時間で他の魔法の練習をする。通常の魔法の矢から風の刃、水の刃に土の槍、炎に関しては森という事もあり練習できなかったが、日を追うごとにそのレパートリーは確実に増えていった。
そして毎日狩った獲物を家に持ち帰り、母親に渡して家族へと振る舞う。父達はそれを嬉しそうに食べながら、今日の作物の状況を話したり、アルテイルを褒めたりしている。褒められて悪い気分にはならないアルテイルは、それからも毎日、森へ入っては魔法の修行と同時に狩りを行っていた。
アルテイルが見つけた魔法の教本は一つのみで、他の本は残念ながら家には無かった。初級編なのだから中級編、上級編も必ずあるだろうと思いつつも、そんな本が買える財力が家にあるはずもなく、またこの辺境の地にそんな本屋なども存在していなかった。この領土に存在するのは農耕具を整備する為の鍛冶屋と、生活雑貨を一手に担う商店のみ。商店に本など置いてあるはずもなく、手製の衣服や塩や作物の種など、本当に生活に必要な最低限のものしか取り扱っていなかった。商店の主人が時たま来る行商人から一手に商品を買い、それを村民達に売るというのがこの領土のルールとなっていた。そのやり方にアルテイルはきな臭いものを感じはするが、こんな辺境のど田舎で小銭を稼いでもどうにかなる訳がない事を確信している。この領土は本当に、辺境なのだ。
遊ぶ事などもせず、村人は毎日農作業や狩りに勤しみ、少しずつ少しずつ未開地を開墾していく。気の遠くなるような先の見えない作業を、毎日やっているのである。よくストレスで潰れないなとも思いはするが、生まれてからずっとこういう環境であるならば致し方のない事なのかもしれない。既に環境に慣れている、という事だろう。自分は絶対に御免だ、とアルテイルは思った。前世の記憶がある弊害により、現在のような生活環境で死ぬまで過ごすのは到底耐えられない。なので一刻も早く、アルテイルは家を出ようと思っていた。この村さえ出れば、後は自分の魔法の力で何とかなるだろうという自信がある。
そんな日々を一年余り過ごしたあくる日。五歳になってから数日経った後、何やら父親に連れられて道を歩いていた。
「父さん、どこへ行くの?」
「いいから、黙って付いて来い」
何だなんだと疑問を浮かべつつ、アルテイルはいざとなったら魔法を行使する事も厭わない覚悟を決めていた。何やら真剣な表情の父の姿に、何となく不穏なものを覚えたのだった。そうして連れられていったのは、領主の館の隣にある、村で二番目に大きな家。ここは、領主の分家であり、領主の従士長の住む家。その家の門の前に、青年が二人立っていた。
「デミス、その子か?」
「へぇ! ウチのせがれのアルテイルでさぁ!」
「なるほど、その子が。もしかしたら、そうかもしれないね」
青年の内、年長の方が体躯も良く厳しい顔つきで、もう一人の温厚そうな、イケメンと呼ぶに相応しい青年が興味深そうにアルテイルを眺めている。
「あの、えっと……アルテイル、です」
何だか良くわからないが挨拶はしておくべきだろう。アルテイルは子供らしい態度で頭を下げた。
「おう。俺はここの領主ガルマン・バスク・フォン・ハイデリフトの次男で今従士長をしているカルアスだ」
「僕はカルアス兄さんの弟でハイネル・フィアス・フォン・ハイデリフト。よろしくね、アルテイル」
二人の自己紹介を受けて、アルテイルは一つ悟った。
自分は父親に、売られたのだと。