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第1話 案内標識の前の灰被り

案内標識の前に立って、使い古した制服を着て、王都の警備を行うリデルの眼前を、綺麗な服を着た少女たちが横切って行く。

ここはカラフルな色彩の店々が並ぶ王都の商店街。休日に行き交う楽しげな笑顔。新品の靴に、素敵なカバン。それに街を行く少女たちの髪ときたら、どの子もすっかり手入れが行き届いていて、なんて美しいんだろうか。

しかし安月給のリデルには、あんなに素敵に身なりを整えられる生活の余裕なんてなかった。父親不在の母子家庭。母親も家で裁縫仕事をしているが、二人で一生懸命働いたところで、月末には請求書の支払いに悩まされることになる。新しい服や靴なんて、一年にひとつ、安いのを買えればいいほうだ。

それに髪だって、リデルの栗色の髪はいつもボサボサだった。仕事の邪魔になるので、黒い紐で後ろに束ねているだけ。せっかく志して採用された騎士稼業は、思っていたよりも遥かに激務で、上司に従って一日中外を駆けずりまわっていなければならないので髪になんて構っていられない。毎日全力で働いて、家に帰ったらベッドに倒れ込んで意識を失うような生活。

本当はもっと素敵な服を、お休みの日にはさっきの女の子たちのように可愛い、まるでお姫様みたいな服を……、リデルだってときには着てみたいと思うけど、お金がないから生活のために働く。生きるために……。

これは、生まれた環境が違うのだから仕方がないことなのだ。さっきの着飾った裕福そうな少女たちは、きちんと両親がいるお金持ちの家か、それとも貴族に違いない。でもリデルは違う。だからこれは仕方がないことなのだ。最初から決まっていることなのだからしょうがない。神様がお決めになったこと。こればっかりは、頑張ればどうにかできることではないから。

そう思って、胸の中に湧き上がって来る悲しみをどうにか理性で説き伏せて、街角の案内標識の前に立って、王都の治安のために全力を尽くす任務に戻る。

それが今のリデルにできる精一杯だから……。

それに今夜の夕飯のおかずのことを考えておかなければならない。今日の当番はリデルだから。台所にトマトがたくさんあったから、あれを煮ようか……。

そのときだった。ストリートの向こうの往来を行く人たちの、只事でない歓声が、通りの向こうのほうで上がった。仕事上、リデルも慌てて街路に飛び出し、身を乗り出してそちらのほうに目を凝らす。すると一台の立派な白い馬車が、随分なスピードでこちらに向かって来るのが見える。

馬車の天井には、金色の王冠飾りがあるので、あれは王家の馬車だ――。

それでリデルは慌てて通りにいた周辺にいる他の通行人たちが、王家の馬車の通行の邪魔にならないように誘導を始める。何せ王家の馬車の前に、人が飛び出すなどということがあっては言語道断だ。

交通整理がどうにか間に合った頃、見事な白馬に引かれた豪華な馬車がリデルの目の前の通りにやって来て、そこから身を乗り出した金髪の美少年が、上機嫌で道路脇の市民に対して手を振って行く。金色の装飾が施された美しい白い馬車は、太陽の光に反射してピカピカと光っている。御者席の端の左右に座る女が、花かごから色とりどりの花びらを撒き散らしている。王子様を目にした沿道の少女たちの視線は、すっかりハート形だ。街路の人々が王子の登場に称賛の声を上げる中、騎士であるリデルは彼に最上級の敬礼をする。

その若い王子様は、人目を惹かずにはおかない素晴らしい美貌だった。陽気な性格を思わせる、明るく無邪気な笑顔が印象的だった。彼が何処かに飛び出して行けば、いつでもその場の主役になれることが決まっているかのようだった。周囲の従者か護衛係らしき人たちが、身を乗り出す王子の行動を慌てふためいてやめさせようとしているが、彼は耳を貸さない。

やがて王冠の馬車がずっと向こうに行ってしまってから、その様をリデルと同じように見とめていた何人かの人々が、興奮してしきりにこう言いあった。


「セイモア王子だ! あれはセイモア王子だよ!」

「やんちゃでどうしようもないって言うけど本当だね。馬車を乗りまわして」

「でも綺麗だったね! お姫様みたいに綺麗だったよ! 我が王家の血統は、王子様でも華奢なもんだ」

「我らが王家は上品なんだよ」

「ああいう目立ちたがりのご性格は、嫌いじゃないよ」

「母親の後ろ盾が強力なおかげで、王位継承はあいつに確約されているようなものだからね。いい気になって、そりゃあ好きなようにするさ」


ほんの一瞬の出来事であったが、確かに綺麗な王子様だったと、リデルも静かに思った。顔が美しいことは言うまでもないが、線が細くて、お世辞抜きで華奢な少女のようだったのだ。それに引き換え、と、リデルは自分の身体をしげしげと眺め、ため息と共にがっかりして呟く。


「きっとあの方よりわたしのほうが男らしいわね……」


だが騎士として武芸を磨き、休日以外は外で走りまわっているのだから、それも致し方がない。体力をつけなくては、騎士業は成立しないのだ。華奢なお姫様に務まる生易しい仕事じゃない。男並みにやるのだ。男並みに。一年中みっともなく日焼けをして、髪がバサバサでも、脚に余計な筋肉がついてしまっても、リデルは働いて食べなければならない労働者の身分なのだ。

生まれたときからリデルを守ってくれる人なんていなかったから……。

それに、お母さんを守ってあげるために強くなろうと思ったのだ。守ってくれる夫がいないお母さんのために。一人で苦労ばかりしているお母さんが可哀想で、だからリデルがお母さんの騎士になってあげようと思ったのだ。

それがリデルが騎士になった最大の動機。

と、誰かがリデルの肩を叩く。

振り向くと、黒いコートを着た、背の高い黒髪の男性だった。

彼のコートにはしわがひとつもなく、お洒落で、靴もピカピカだったので、きっと裕福な人だろうとリデルは思った。

思わず、すり減った自分の靴が恥ずかしくなってしまう。


「何か困り事ですか? それとも、事件でしょうか?」


だがそれでも任務は遂行しなければならない。リデルがそう問いかけると、彼はおもむろにリデルに一枚の封書を渡した。

リデルがそれに視線を移すと、オールドカースル公爵家の名前と紋章が記されている。


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