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ホワイトクリスマス――それは戦争

作者: 小石 汐

 ホワイトクリスマスと言えば、粉雪の降り注ぐ聖なる夜を想像すると思う。

 はらはらと舞い落ちる粉雪を見上げ、吐く息が白くなるほどの寒空の下、静かに相手を待つ。

 町の喧騒が身に沁みて、自分一人だけが取り残されたかのような錯覚に陥った。

 本当に相手は来るのだろうか――そんな心配が、舞う雪のように服の隙間から滑り込んでくる頃、相手が息を切らせながら走ってくる。

 それを見て、私の口元は自然に弛んだ。


 ……みたいなのが、数年前までのクリスマスだった。

 いや、まぁ、実際にそんな経験したわけじゃないんだけれどね。妄想ぐらい自由だと思うんだ。

 ツイッターに『ぼっちなう!』って呟いて、他のぼっちと徒党を組み、ボッチーズと言うイヴと当日と限定の集団を作り上げ、タイムラインを支配する――リア充どもは、タイムラインに現れる余裕も無いぐらい忙しいと思うから、実際のところ誰にも迷惑かけてないし良いよね。

 毎年、同じように家族とクリスマスを過ごしていたんだけれど、もう五年ほど前になるのだろうか――私が高校を卒業する年のことだった。母が私にこう言ったのだ。

「……あんた、今年も独り身なんやね」

 訝るような母の視線に、私は血を吐いた。精神的な比ゆ表現ではなく、実際に血を吐いた。舌を盛大に噛んだのだ。

 母の証言によると、その後、私はだらだらと血を流しながら、虚ろな目をして、そのまま自室に戻ったらしい。

 覚えているのは、濡れた枕の冷たさだけだった。


 ◆◇◆


 と言うわけで、私はその年の春に家を出た。

 仕事を探して、一人暮らしをして、もう誰にも一人ぼっちのクリスマスを邪魔させないために。

 これからもボッチーズの一員として、タイムラインを支配するために!

 ……しかし、全ては変わってしまった。本当にワケの分からない状況になりつつあった。

 十二月二十五日、午前零時にセットしておいたアラームがけたたましく鳴り響いた。

 それを止めて、私は一瞬で身を起こす。そして、周囲の気配を伺った。

 音はない。零時だ、深夜なのだ、当然だ。

 しかし、油断はならない。私はそろりと足音を消しながら、ワンルームに唯一ある窓を開け、ベランダに出た。

 空気は洒落にならないほど冷たい。下手をすると心臓マヒで死ねるぐらいには寒い。

 そして、今年のクリスマスも雪が降りは始めていた。これは荒れるな――私は雲が立ち込める夜空を見上げて、白い息を吐いた。

 身体が冷えるので、私はすぐに部屋に戻った。

 そして、灯りもつけず、静かにクリスマスの準備を始めた。

 ホワイトクリスマス――それは戦争だ。


 ◇◆◇


 朝七時、私は仕事場に向かうために、家を出る。

 化粧はしていない。万が一に備えてだ。

 数年前から、クリスマスに化粧をする女性は少なくなってきている。何故なのか――簡単なことだ、一瞬にして無に帰すからだ。

 玄関に近寄って、外の気配を確認する。嬉しそうやら、楽しそうやら、怒ってそうだったり、また悲しんでそうな色々な叫びが僅かに聞き取れた。

 しかし、すぐ近くに人の気配はない。私はそっと部屋を出ようとした。

 刹那、目の前に広がったのは白だった。

 そして、それを顔でモロに受け止める。息が詰まり、私は被弾したことを理解する。あれほど警戒していたのに……! どうやら敵は息を潜めて、私を待ち受けていたようだ。

 私は顔にべっとりとついた生クリームを袖で拭い、まずは酸素を吸い込む。口に入ったクリームは、とても甘かった。砂糖入れすぎだ。

「はっは、そろそろ学習しましょうよ、先輩。ホワイトクリスマス!」

 既に生クリームで全身真っ白になっている男が嬉々として、去っていった。

 私は悔しかった。甘いはずのクリームが少ししょっぱく感じた。


 ◆◇◆


 何でこんなことになったのだろうか――それは恐ろしい発想だった。

 スペインで行われているトマト祭りをご存知だろうか?

 少し前にテレビで取り上げられて、知っている方も多いと思うのだけれど、若者のテレビ離れが深刻だとか、よく分からない統計が出回っている今日、何を信頼すれば……いや、それは関係ない。

 閑話休題。

 本名はラ・トマティーナ。そして別名と言うか、日本ではトマト祭りとして紹介された、このお祭りは完熟トマトの投げ合いを行う。

 実際は色々と順番があって、トマトの投げ合いが始まるのだけれど、関係ないから省略。

 完熟なので、ぶつかったトマトは潰れて、人はトマト塗れになる。実際は当たった人が怪我しないように、あらかじめ少し潰してから投げなければならないのだけれど、それも関係ないので略。

 そして、町中でトマトの湖が出来るほど、激しい祭りなのだ。

 それを日本で行うと、こんな感じになった。

 ホワイトクリスマス――生クリーム合戦だ。

 こんなこと、どこの馬鹿が考えたんだとツッコミたくなるけれど、リア充も非リア充も皆、楽しめる合理的なお祭りだと言われ、今年で三回目になる。

 祭りが始まった当初、非リア充が徒党を組んで、リア充カップルを狙うこともあった。

 当然のことだろう――合法的にリア充を爆発……とまではいかなくても、直接的に憂さを晴らすことができるのだから。

 しかし、とあるカップルが顔についたクリームを舐めあっているのを見て、非リア充の徒党は、リア充カップルを狙わなくなった。悲壮感が倍増しになったのだ。

 そんな光景を横目に見ながら、私は職場へと向かう。家で涙とクリームをさっと落として、再び家を出たのだ。

 化粧をしなかった理由は、ここに尽きる。化粧しても無駄だと言った意味を、ご理解していただけたことだろう。

 私は、あの馬鹿男の再来を警戒しながら足を進める。それからは何事もなく、仕事場に着くことができた。

「ホワイトオオオクリスマアアアッス!」

 仕事場の更衣室に入った途端、男の声がした。ここは女子更衣室だとか、色々とツッコみたいことはあったけれど、今はさておく。咄嗟に振り返りそうになるのを堪えて、その場にしゃがみこんだ。頭のすぐ上を白い物体が通過していくのが見えた。

「な、に……!?」

 男の顔が驚愕に染まる。一度、全身の生クリームを洗い流したのか、目を丸くしているのが分かった。

「そう何度も同じ手を食うかっ!」

 鞄に仕込んでおいた生クリームの袋を取り出して、私は男に向けた。そして強く絞って噴射した。

 よくよく考える。ここ職場。掃除大変。上司怒る。オワタ。

 しかし、今はそんなことは関係ない。私の噴射したクリームを男は手で受け止めた。完全にヒットしなかったことに、私は自然と舌打ちが漏れた。

「ふーん……いいんですか、先輩。僕に武器を与えて?」

 何――と私が反応する前に、彼は動いた。クリームを受けた手が、私に迫る。

「○ャイニングフィンガー!」

「にゃああああああああ!!」

 本日二戦二敗、今年も完敗しそうだった。


 ◇◆◇


「課長ーあの――ぶふっ!」

「やーい、引っかかったー」

 仕事の発注で分からないことがあり、私は課長のデスクを訪れた……だけなのに、この始末だ。

 私は資料を課長に叩きつけて、そのままトイレへと向かう。このまま自らのデスクには戻れなかった。生クリームがぼとぼとと落ちてゆく中では、資料すらまともに扱えない。と言うか、既にクリーム塗れで、資料の大半がお亡くなりになっていた。

 彼らは分かっているのだろうか……今日はクリーム合戦が許される。しかし、明日からは、また普通に仕事をこなさなければならないのだ。ここで死んだ資料は、ゾンビのように私たちに付き纏う――そうノルマとなって。

 冷たい水で顔を洗うと、熱くなりつつあった私の心も少し落ち着いた。できるかぎり資料を、守らないと――仕事を進めるのではなく、今出来上がっている仕事を如何に守り抜くかと考え始めていた、その時だった。

 ばちこん、と私の顔を衝撃が襲い、息が詰まる。油断していた。

 両肩がぶるぶると震えてくる。男の能天気な声が、私の怒りを助長する。

「先輩、ほんっと、無警戒っすねー」

 けらけらと笑う男に背を向けて、私は再びトイレに戻った。男である彼が、女子トイレに踏み込んでくることはなかった。


 ◆◇◆


 何とか資料を守り抜いた私は終業の時間を迎え、足早にオフィスを抜ける。

 上司ですら、あの調子だったので、私は掃除せずに帰った。

 やってられん、と一人呟きながら帰っていると、見知らぬ顔にクリームをぶつけられた。

 私は無反応で、その場を去った。泣きたい。

 何で私ばっかり――ってのは、ただの思い込み。きっと誰もがぶつけられ、そしてぶつけ返し、この日を楽しんでいるのだろう。

 しかし、私には無理だ。そうやって楽しめる性格だったら、今頃彼氏の一人ぐらいはいたはずだ、と思う……思いたい。

 視界が歪む。涙のせいだ。私はクリームを拭うふりをして、目じりをこすった。

「……ッ、痛」

 目にクリームが入った。何で私ばっかり……私だけではないことを理解しているのに、その言葉は自然と零れ出た。

「大丈夫っすか、先輩?」

 声に顔を上げると、朝からずっと私を襲い続けていた彼が立っていた。恐らく、帰り道でも襲うつもりだったのだろう。彼は生クリームを塗りたくったケーキを手にしていた。去年も、そうだった。

「大丈夫」

 そっと彼の横を通り過ぎて、私は帰路を急ぐ。

「なら、遠慮なく」

 彼は私の後頭部にケーキを叩き込んだ。私は無視する。逃げるように、自然と早足になった。

「あれ、先輩、怒らないんすか?」

 私は答えない。

「せんぱーい、そんなだから皆、近寄らないんすよー」

 あんたは鬱陶しいぐらい近寄ってくるじゃないの――ただ、それは言葉にならなかった。

「知ってます? 先輩、鉄仮面女って呼ばれてるの」

 知ってる。そんなの随分と昔から知っている。

 人前で上手く笑えたり、お世辞言えたりと、人並みの社交性があったら、今の私みたいになってないから。

「ねーえ、先輩!」

 彼はついに、私の前を遮った。

 いつも通り無表情を向けるも、見たことのない彼の真剣な表情に、私は思わず息を飲んだ。

「怒ってるっすよね?」

「……怒ってない」

「いや、違う。むしろ、怒れよ」

 彼は私の両肩を掴んだ。

 はっとして、私は彼の顔を見つめる。

 いつもの軽い彼では無かった。

 真剣な眼差しが私を貫く。

 私ではなく、むしろ彼の方が怒っているように見えた。

「いっつも、そうっすよね。先輩は自分の感情を押し殺して生きてますよね。そんなんで大丈夫なんすか? いや、大丈夫なワケないっすよね。現に泣いてるし」

 彼の指が、私の目じりについたクリームを涙と一緒に拭った。指はざらついていて、力強くて、少し痛かった。

 やがて、彼は目を伏せ、小さく呟く。

「……心配なんすよ。先輩、いつも笑わないし、理不尽なことがあっても怒らない。それに昼飯だって、いつも一人だし、色気無い――ぶふう」

 余計なお世話、と私は鞄に残っていたクリームを彼の顔に噴射した。

 彼はそれを必死に拭い、目を丸くしていた。

「余計なお世話だし」

「だったら、何で泣いてんすか?」

 もはや、私の目から洪水のように流れ落ちる涙は止まらなくなっていた。拭っても拭っても、それは止まらない。まるで、目の前の彼に鉄仮面を叩き割られたかのようだった。

「別にいい、分かってたことだし……お世辞言えないし、笑えない……人付き合い上手くないことなんて分かってる。私には仕事しかない。ただ、ひたすら仕事をこなしていく以外に、認められる術はない。これが、嫌われ者の小さな足掻き」

 私は割れた鉄仮面を、必死に両手でかき集める。それを被りなおして、彼を見た。

「気遣いはありがたいけど、もう無理して私に構わなくていいから」

「無理してねえっす、僕は好きで先輩に構っていますから」

 は、と私は思わず声を漏らす。彼は彼で、慌てふためきながら何か言葉を探しているようだった。私も何と言えばいいのか分からず、混乱する。

 告白ではないと思う。たぶん、言葉を間違えただけだろう。

 やがて、彼は急に真顔になって、私を見つめる。

「真面目だけど不器用で、いっつも気を遣って、僕らに怒ることもできず、無表情で文句一つ漏らさずに仕事のフォローをしてくれる、そんな優しすぎる先輩が好きなんす」

 そんな、まさかと私は息を飲む。

 返す言葉が見つからなかった。そんな私に、彼は続けて言う。

「いいんすよ、先輩。気にしなくて、僕にはちゃんと言ってください。もっと、先輩の役に立てるようになりたいですから。いつまでも足を引っ張りたくないですから」

「……そんなこと言ったら、あんたの心が折れるまで、言い尽くしちゃうかもよ?」

 実際、彼の仕事は酷い。ただ、それは私自身が嫌われることを恐れて、ちゃんとした指導を与えていない結果なのだろう。彼が成長しないのも当然のことなのだ。それら全てを理解して、背負い続けるつもりだった。

 しかし、彼は自分の荷物は自分で持つと、私の重荷を一つ奪っていった。

「構わないっす。たぶん、折れねえっすから。先輩にとって、僕が特別な存在なんだって、実感できる瞬間になるんですから」

 その瞬間、横合いからクリームが投げつけられた。私も彼も目を丸くして、見つめ合った。そして、ゆっくりとクリームを拭う。「リア充爆発しろ!」と叫んでゆく集団が去っていった。私はその後姿を呆然と見送った。

 勘違い――そう口を開こうとして、私は止めた。

 代わりに、開いた口から舌を伸ばし、彼の頬についたクリームを舐める。

 彼は今までにないぐらい目をまん丸にして、私を見つめていた。

 砂糖入れすぎだ――私は無表情で呟く。口の中に残るクリームは、とても甘かった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 甘いお話でしたね。 良いなぁリア充。 素敵な作品を、ありがとうございました!!
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