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夜会でドレスにワインをかけられましたが、実家が最強の暗殺者一族だったので、シミ抜きついでに殿下の隙を突きまくっていたら求婚されました

作者: たまユウ

展開早め、なんでも許せる方向けです!

 帝都の夜を彩る王宮の舞踏会。


 シャンデリアの煌めきが、着飾った貴族たちの宝石を一層輝かせ、優雅なワルツの旋律が会話のさざめきを心地よく包み込む。

 だが、壁際に佇む私――リラ・シルヴァにとって、この空間は戦場以外の何物でもなかった。


 ただし、命の奪い合いという意味ではない。


「……駄目ね。あそこで談笑しているカベルネ伯爵家の三男。執事に対して横柄な態度を取っているわ。結婚してもお互い支え合うのは難しいわね」


「向こうの騎士団の期待の新人、ワイングラスを持つ指にタコができていることを周りに自慢しているわね。たぶん自信過剰で融通が利かないタイプ」


 私はグラス片手に、会場内の独身男性を片っ端から品定めしていた。

 私の名はリラ・シルヴァ。

 表向きは、しがない男爵家の地味な長女。

 しかしその実態は、帝国最強と謳われ、歴史の影で王家を支え続けてきた王様でしか存在を知らない暗殺者一族「シルヴァ家」の次期当主候補である。


 三歳でナイフの重心を理解し、五歳であらゆる毒の味を覚え、十歳になる頃には森の熊を素手で絞め落としていた。

 そんな私が、なぜこんな華やかな場所で退屈そうにしているのか。

 それは、実家の母――当代最強の暗殺者であり、私にとっての絶対神である「お母様」からの勅命があったからだ。



『リラ、聞きなさい。暗殺者にとって最大の武器はなんだと思う?技術?力?違うわ。「普通」であることよ』



 母は血濡れのダガーを丁寧に拭きながら言った。


『目立ってはいけない。記憶に残ってはいけない。風景に溶け込みなさい。そのためには「普通の結婚」をして、周囲を欺く擬態(幸せな家庭)を手に入れるの。……いい男を捕まえてきなさい。期限は今夜の夜会までよ』


 無茶ぶりである。


 だが、母の命令は絶対だ。逆らえば、翌日の朝食のスープに無味無臭の神経毒が混入されることになる。

 私はため息をつき、会場を見渡した。


 私の理想は「普通」だ。

 私がうっかり殺気を漏らしても気づかない鈍感さと、私が深夜に返り血を浴びて帰宅しても「遅かったね」で済ませてくれる大らかさ(無関心さ)を兼ね備えた、平凡な次男か三男あたりが好ましい。


 その時だった。


 会場の空気が、ふっと変わったのは。


「――レオンハルト殿下のおなりだ」


 重厚な扉が開き、現れた人物に、会場中の視線が吸い寄せられる。

 この国の第一王位継承者、レオンハルト・フォン・アーデルハイト。


 輝くような金髪に、冬の湖を思わせる冷徹な碧眼。神が最高傑作として創りたもうたような、完璧な美貌の持ち主。純白の燕尾服を一点の曇りもなく着こなす姿は、まさにおとぎ話の王子様そのものだ。

 しかし、その周囲には絶対零度の壁があった。

 

「……氷の君主」


 誰かが囁く。

 常に命を狙われている彼は、極度の人間不信で知られている。誰にも心を許さず、笑顔を見せず、近づく者には容赦のない視線を浴びせる。

 事実、彼に群がろうとした令嬢たちが、その冷ややかな一瞥だけで射すくめられ、道を開けていく。

 

(私とは住む世界が違うわね)


 私は冷めた目でそれを見ていた。あんな目立つ人物と関われば、私の「普通の生活」は崩壊する。

 私は気配を消し、壁の花に徹することにした。


 だが、運命の歯車というのは、得てして最悪のタイミングで噛み合うものだ。


「きゃあっ!」


 素っ頓狂な悲鳴が、私のすぐ目の前で上がった。

 視界の端で、派手なピンク色のドレスを着た小柄な令嬢がバランスを崩すのが見えた。


 何もない平らな床で、見事なまでにつまづいている。一種の才能かもしれない。

 問題は、彼女が手に持っていたなみなみと注がれた赤ワインのグラスだ。

 物理法則に従い、グラスから放たれた赤黒い液体が、空中に放物線を描く。

 

 世界がスローモーションになった。

 私の動体視力は、液体の形状、飛散する雫の数、そしてその落下地点を瞬時に予測する。

 

 着弾予想地点――私の顔面。


 回避行動を開始する。


 脳からの信号が筋肉へ伝達されるまで、0.01秒。

 右へ半歩ずらせば完全に避けられる。

 だが、その思考の途中で、私の超感覚が背後の気配を捉えた。

 私のすぐ後ろを、誰かが通り抜けようとしている。

 

 もし私が避ければ、その人物がワインを浴びることになる。


 

 脳内で瞬時に作戦会議が開かれた。


 選択肢A:避ける。


 背後の人間が犠牲になるが、私は無傷。しかし「とっさに避けた」動きのキレを見られれば、暗殺者の正体がバレるリスクがある。



 選択肢B:守る。

 

 グラスを空中でキャッチする。いや、もっと目立つ。英雄扱いされては困る。

 


 選択肢C:あえて被弾する。


 これだ。「あらやだ、かかっちゃった」とドジな令嬢を演じれば、誰も私の正体を疑わない。ドレスは汚れるが、お掃除代くらいで「普通」が買えるなら安いものだ。



(よし、受ける!)

 私は全身の筋肉を弛緩させ、あえて棒立ちになった。

 バシャッ。

 冷たい衝撃が胸元に走る。

 白いドレスに、鮮烈な赤が広がっていく。計算通りだ。

 私は「あっ」と驚く演技をするために息を吸い込んだ。



 しかし。


 私の演算には、致命的な見落としがあった。

 ワインの量と、勢いである。

 私の体に衝突した液体は、そこで止まることなく激しく飛散し、さらに背後の人物へ襲いかかったのだ。


「……っ」


 背後から、息を呑む気配。

 そして、周囲の空気が一瞬にして凍りつき、真空状態になったような静寂が訪れた。

 

 嫌な予感がする。

 背筋を冷たい汗が伝う。殺気を感じる時よりも冷たい汗だ。

 私は恐る恐る、油の切れたブリキ人形のような動きで振り返った。



 そこにいたのは、レオンハルト殿下だった。

 至近距離で見るその顔は、やはり彫刻のように美しかった。

 だが、今の私にはその美貌よりも、彼の胸元に目が釘付けになった。

 

 純白の、一点の汚れもない最高級シルクの燕尾服。

 その心臓付近に、どす黒い赤ワインの飛沫が、点々と、けれど確実に付着していた。

 それは白い雪原に飛び散った鮮血のように、残酷なほど鮮やかだった。


(……あ、終わった)


 私の脳裏に、「処刑」の二文字が浮かんだ。

 王族への不敬罪。投獄。打ち首。

 いや、それならまだマシだ。物理的な死は、暗殺者にとっていつか訪れる結末に過ぎない。


 私が本当に恐れたのは、それではない。


『リラ、いいこと?』


 脳内で、母の声がリフレインした。

 幼い頃、初めて任務で服を血で汚して帰った日のことだ。母は私を地下の洗い場へ連れて行き、氷のような微笑みでこう言った。


『血液、ワイン、泥、油。汚れの種類はどうでもいいわ。重要なのは「時間」よ。汚れたその瞬間が勝負なの』


『時間が経てば、汚れは繊維の奥深くに浸透し、酸化し、定着する。それはもう「汚れ」ではなく「過去の罪」となって、一生その服に残るのよ』


『いい?その場で落としなさい。どんな手を使っても。痕跡を一切残してはなりません。それがシルヴァ家の「証拠隠滅おせんたく」の鉄則よ』


 トラウマスイッチが入った。

 私の視界が赤く染まる。いや、実際に見ているのはワインの赤だ。



 分析開始。


 対象:赤ワイン。

 品種はおそらくカベルネ・ソーヴィニヨン、しかも長期熟成のヴィンテージものだ。色が濃く、粘度が高い。

 成分:タンニン、アントシアニン色素。

 対象素材:最高級シルク。水に弱く、摩擦に弱い。

 


 結論:今すぐ叩き出さなければ、永遠に落ちない。



「貴様ら……」


 レオンハルト殿下が、不快感を露わにして眉間にしわを寄せた。

 その冷徹な瞳には、明らかな軽蔑と怒りの色が浮かんでいる。

 周囲の護衛騎士たちが、「殿下!」と叫びながら心配そうに駆け寄ってくるのが見えた。


 殺気だった空気が流れる。

 このあまりの事態に赤ワインをこぼしたピンクドレスの令嬢は気絶していた。


 普通なら、ここで平伏して慈悲を乞うところだ。

 だが、私の本能は、それを許さなかった。


 シミが乾く。

 その一点の恐怖が、理性を凌駕し行動に移した。



 私は地面を蹴る予備動作すらなく、一足飛びで距離をゼロにする。、


「なっ……!?」


 殿下が反応するより速く、私は近くのテーブルから「炭酸水」の瓶と清潔なリネンナプキンをひったくった。

 そのままの勢いで殿下の懐に飛び込み、胸倉を掴んで壁際へ押し込む。


 ドンッ!!


 という轟音がホールに響き、壁にかけられた絵画が傾いた。

 いわゆる「壁ドン」だが、ときめき指数はゼロ、殺傷能力は百の威力だ。


「動かないでください」


 私は地を這うような低い声で囁いた。

 これは私がターゲットを確実に仕留める時に出る、通称「死神ボイス」だ。


「き、貴様、何を……離れろ!」


 殿下が私の手首を掴もうとする。

 王族として最高峰の護身術を学んでいるのだろう、動きに無駄がない。常人なら反応すらできずにねじ伏せられているはずだ。

 だが、私には止まって見える。

 私はその手を最小限の動きで払い、手首の関節を極めて動きを封じた。


「無駄な抵抗はやめてください。手遅れになります」


「て、手遅れだと……!?」


 殿下の顔色が青ざめる。毒か何かだと思っているのだろう。

 違う、ただの炭酸水だ。

 私はナプキンに炭酸水をたっぷりと含ませると、それを殿下の胸元――心臓の鼓動が聞こえる位置――にあてがった。

 そして、裏側からもう一枚の布を当てる。

 ここからは時間との勝負だ。


 いくぞ、奥義。


 シュシュシュシュシュシュッ!!


 目にも留まらぬ高速連打を開始した。

 暗殺拳「千手突き」の応用、高速微振動タッピング。

 指先の「点」に全神経を集中させ、繊維を一切傷つけずに、汚れの分子だけを裏側の布へと叩き出す。

 こすっては駄目だ。こすれば繊維が毛羽立ち、汚れが広がる。


 垂直に、かつ高速で叩く。これぞ至高の技術。


「ぐ、うぅっ……!?」


 殿下が微かに呻く。


「心臓を……狙っているのか……!?これほどの速さ……見えない……!」


 王太子の視点では、私が目に見えない速さで心臓に連撃を叩き込んでいるように見えるだろう。

 実際、私の指先は心臓の皮一枚上を叩いている。もし私が殺意を込めれば、衝撃波だけで心臓を破裂させることも可能だ。


 だが、今の敵は心臓ではない。その上の繊維に絡みついたアントシアニンだ。


「騎士団!何をしている!殿下が襲われているぞ!」


「馬鹿な、速すぎて間に入れない!下手に剣を振れば殿下に当たる!」


 周囲で騎士たちがわめいているが、私には遠い国の出来事のように思える。


 私の全集中力は、今、薄くなりかけたワインのシミ一点に注がれている。


(くっ、しぶとい……!やはりヴィンテージか、色素の粒子が細かい!)


 落ちにくい。このままでは薄い輪染みが残ってしまう。


 私はさらにギアを上げた。

 呼吸法を切り替える。身体の限界を外す。


 私の身体から、青白い闘気(に見える湯気)が立ち上る。

 殿下が、死を覚悟したような目で私を見た。

 そして、最後の抵抗として、空いた手で私の首に手刀を放ってきた。

 鋭い。

 迷いのない、美しい一撃だ。

 だが、私にとってはスローモーションだ。

 私はシミ抜きの手を止めることなく、首を数ミリ傾けてそれを回避した。


「なっ……かわした……だと?」


 殿下が驚愕に見開いた目の前で、私はさらに追い打ちをかける。

 炭酸水が足りない。


「失礼」

 私は殿下のズボンのポケットに手を入れた。

 常人なら痴漢と間違われる行為だが、私の手は神速。殿下が気づく前に、予備の白いハンカチを抜き取っていた(スリの技術)。


 そこに残りの炭酸水をすべて染み込ませる。

 フィナーレだ。

 私は殿下の顎をグイッと持ち上げ、首元の布地をピンと張らせた。


「ひっ……!」


 殿下の喉が鳴る。

 完全に急所を晒した体勢。殺そうと思えば小指一本で頸動脈を断てる。

 殿下は目を閉じ、運命を受け入れたようだった。

 私は、その襟についた小さなハネ汚れを、親指の爪で器用に弾き飛ばした。


 そして、最後の仕上げに乾いた布で水気を吸い取る。


「……よし、落ちた」


 私は満足げに呟き、バックステップで距離を取った。


 そこには、呆然と壁にもたれかかるレオンハルト殿下の姿があった。

 胸元のワインのシミは、跡形もなく消え去っている。

 代わりに、激しいタッピングによって血行が良くなったのか、胸元がほんのり桜色に染まっていた。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


 殿下は肩で息をしている。極度の緊張と、私の連打によるマッサージ効果で、全身が熱いのだろう。

 会場は静まり返っていた。

 騎士たちも、貴族たちも、口をぽかんと開けて私たちを見ている。


 どうやら、やりすぎてしまったようだ。


(またやってしまった……お母様に怒られる……)


 私は急速に現実に引き戻され、冷や汗をかいた。

 とりあえず、誤魔化さなければ。


 私は額の汗を拭い、ニッコリと令嬢スマイル(鏡の前で百回練習したが、どうしても目が笑わないやつ)を向けた。


「お騒がせしました。綺麗になりましたよ」


 私は使用済みのナプキンを丸めて、証拠隠滅のために自分のドレスのポケットに突っ込んだ。


 そして優雅にカーテシーをする。


「では、私はこれで。ドレスが濡れてしまったので失礼します」


 自分のドレスのシミはまだそのままだが、これは家に帰ってから業務用の酸素系漂白剤と重曹で煮洗いすればいい。

 私は踵を返し、石化が解けない騎士たちの間をすり抜けて、逃げるように会場を後にしようとした。




「――待て」




 低い、絶対零度の声が私を呼び止めた。

 振り返ると、レオンハルト殿下がフラフラと、しかし確かな足取りでこちらへ歩み寄ってくる。

 その瞳に宿っていたのは、甘い熱情ではない。

 獲物を見つけた狩人のような、鋭く冷徹な観察眼だった。


「……逃がすと思うか?」


「ひっ」


 殿下の手が伸び、私の手首を掴んだ。

 強い。

 恋人繋ぎなんて生易しいものではない。手錠のようにガッチリと、骨がきしむほどの力で拘束されている。

 

「お前……名は」


「リ、リラ・シルヴァと申します……」


「シルヴァ……聞いたことのない家名だが……」


 殿下は私の手首を掴んだまま、周囲の騎士たちを一瞥し、そして再び私を見た。

 その視線が、値踏みするように私の全身を舐める。


「今の動き。私の護衛騎士たちは反応すらできていなかった。だが、お前は動いた。私の絶対防御の間合いに侵入し、あまつさえ私の体に触れ、目的(染み抜き)を遂行して離脱した」


「い、いえ、あれは火事場の馬鹿力と言いますか、ドレスを汚したくなくて必死で……」


「嘘をつくな」


 殿下の声がドスを利かせる。


「あの『高速連打』。あれはただの掃除ではない。指先の衝撃を一点に透過させる、高度な浸透勁(しんとうけい)だ。もしお前がその気になり、狙う場所が心臓であれば……私は今頃、立ったまま死んでいた」


 バレている。

 さすが王太子、伊達に毎日命を狙われていない。技術の真髄を見抜かれている。


 私は冷や汗を流しながら、視線を泳がせた。


「そ、それで……私を処刑なさいますか?不敬罪で」


「処刑?馬鹿を言うな」


 殿下は鼻で笑い、ぐいっと私を引き寄せた。

 顔が近い。整いすぎた美貌が、今は凶器のように恐ろしい。


「お前のような怪物を野放しにできるわけがないだろう。他国の刺客として雇われれば、その瞬間に私の命運は尽きる。……お前は、危険すぎる」


「えっ」


 危険人物認定!?

 まずい、これでは「普通の結婚」どころか、地下牢行きだ。

 私が弁明しようと口を開きかけた時、殿下が意外な言葉を続けた。


「――だからこそ、私の管理下に置く」


「はい?」


「私の命を守る『盾』になれ」


 殿下の瞳が、青い炎のように揺らめいた。


「今まで何十人もの護衛を雇ったが、どいつもこいつも役に立たなかった。だが、お前は違う。私を殺せる実力を持ちながら、あえて服を綺麗にするなどという不可解な行動で私を救った。……その腕、私が買う」


「い、いえ!謹んで辞退申し上げます!私は田舎で静かに暮らしたいだけの、か弱い令嬢ですので!」


「拒否権はない」


 殿下は食い気味に即答した。


「これは王命に近い要請だ。それに、お前ほどの腕利きだ。報酬は弾む。王宮の予算から好きなだけ持っていくがいい」


「お金の問題じゃなくてですね!私は目立ちたくないんです!」


「目立ちたくない、か……」


 殿下は顎に手を当てて、何かを高速で思案し始めた。

 その論理的すぎて逆に狂気じみた思考回路が、回転する音が聞こえるようだ。


「……確かに、お前を単なる『護衛騎士』として雇えば、敵は警戒し、お前を先に排除しようとするだろう。それでは盾としての機能が落ちる。お前の『か弱い令嬢』という擬態は、敵を油断させる上で非常に有効だ」


「で、ですよね!なら、今日のところはこれにて……」


「ならば、こうしよう」


 殿下はニヤリと笑った。

 その笑顔は、氷の君主が初めて見せた、極悪非道な策士の笑みだった。


「お前は私の『婚約者』になれ」


「…………は?」


 思考が停止した。

 周囲の騎士たちも、聞き耳を立てていた貴族たちも、一斉にフリーズした。

 殿下は平然と続ける。


「婚約者であれば、私の側に24時間張り付いていても不自然ではない。寝室を共にしても、食事の毒見をしても、公務に同行しても、誰も怪しまない。これほど完璧な『カモフラージュ(隠れ蓑)』はない」


「いやいやいや!論理が飛躍してます!おかしいです!」


「何もおかしくない。合理的だ。お前は『王太子に一目惚れされ、身分差を越えて求婚されたシンデレラ』を演じればいい。そうすれば、敵はお前をただの飾りだと思って油断し……そこを、お前が返り討ちにするのだ」


 殿下は私の手を高く掲げ、会場中に聞こえる大声で宣言した。


「聞け!私はこのリラ・シルヴァ令嬢に運命を感じた!彼女こそが私の未来の妃である!」


「ちょっとおおおおお!?」


 会場が爆発したような騒ぎになる。

 祝福の拍手、令嬢たちの悲鳴、嫉妬の視線。それらが一気に私に突き刺さる。


 

 終わった。

 完全に終わった。

 私は「普通」になりたかったのに。

 「目立たない婿」を探しに来たのに。


 よりにもよって、この国で一番目立つ男の、一番近くに配置されてしまった。しかも「殺し屋兼任の偽装婚約者」として。


 殿下は私の耳元で、悪魔のように囁いた。



「契約成立だ、リラ。私の命、今日からお前に預けるぞ。……精々、いい掃除(仕事)をしてくれ」



 私は、殿下の強く握られた手と、逃げ場のない状況に、遠い目をした。




 お母様。

 ご覧ください。殿下のシャツのシミは、完璧に落ちました。ですがその代償として、私の地味で平和な人生設計に、とんでもなく派手な『色移り』をしてしまったようです。


 ああ、どんな強力な漂白剤を使っても、この「王太子の婚約者」という鮮やかな色は、もう二度と落ちそうにありません。

 私が天を仰ぎ、覚悟を決めて息を吐いた、その時だった。


 足元で、事の元凶であるピンクドレスの令嬢が、少し前からふらりと気絶から目覚めていた。


 彼女は、寄り添う私と王太子を呆然と見上げ、震える声で呟いた。



「……嘘でしょう?皇太子妃の選定条件って……まさか『染み抜き』だったの……?」




 彼女の心からの困惑は、誰の耳に届くこともなく、華やかなワルツの音にかき消されていった。










ここまでお読みいただきありがとうございました!

たまに頭空っぽにして今回の作品のようなものを書きたくなってしまうことがあります笑


補足ですが、最後のピンクドレスの令嬢のセリフについては、今まで気絶していたためリラの超人的な動きを見ていなかったこと、王太子の「精々、いい掃除(仕事)をしてくれ」というセリフから溢れでたセリフになります!


よろしければ評価してくださると嬉しいです!

よろしくお願いします。

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