花が剣を求める理由
「凄いよニチ子。もう剣術の型を覚えたの?」
翌朝、目を覚ましたハナは、窓の外で剣を振るうニチ子に声をかけた。
「おはようハナ。私の剣技は様になっているかな」
ニチ子は一晩中剣を振っていたはずなのに、表情は明るく、汗一つかいていなかった。
「これってもう天帝流剣術皆伝レベルじゃないの?」
「なんだそれは、強いのか?」
「うん……」
天帝流剣術は、ハナの祖父が確立した流派で、魔力や魔法を剣に付与することで戦う魔法剣術。アララガ国内でも他の流派を凌駕し、門下生は6万人を超えるほどだ。
ハナも幼少期から習っていたが、魔法が使えないという理由で蔑まれ、あまり良い思い出はなかった。
「なるほど天帝流か……」
「でも意外だな、お花も剣術に憧れたりするんだ」
ハナは木剣を持つニチ子の表情が少し柔らかくなったことを嬉しく思った。
「憧れか……そんな大層なものじゃないさ」
「そうなの? じゃあどうして剣術を覚えたいって……」
そのとき、ふとした陰りがニチ子の瞳に差した。シーラにはなかった、なにか深い思いを秘めた眼差し。それは強くなりたいというより、“強くならねばならない”という覚悟のようにも見えた。
「それは……」
「ハナっ」
ニチ子が答えようとしたその瞬間、呼び声が響いた。
「お、お母さんっ!!」
ハナが振り向くと、そこにはアビー先生、小さな女の子、そして白い司祭のローブに身を包んだ女性——ハナの母親フローラが立っていた。
「ハナ、ちょっとこっちに来なさい」
フードでエルフの耳を隠しながら、穏やかながらも厳しい声をかけるフローラ。その隣で、ハナをじっと睨む少女は、末の妹・エミリー。黒いローブとブーツに身を包み、大人びた雰囲気を纏っていたが、黒髪のおさげから年相応の幼さも垣間見えた。
「エミリーも来てたんだ。待ってて」
ハナは急いで着替え、部屋を出た。
フローラは月に数回、孤児院を密かに訪れていた。夫に逆らえず子と縁を切った後悔からではない。ただ、心からわが子を愛していたからだ。
ハナはそれを知っていた。だからこそ、母の来訪は彼にとって何よりの喜びだった。
「なんで嘘をついたの?」
ハナの笑顔に、フローラは少し怒った顔で問いかけた。
アビー先生がバツの悪そうに視線を逸らす。彼女が古い友人であるフローラに、ハナの“姉”を名乗るニチ子のことを話したのだった。
「ごめんなさい、お母さん」
ハナはすぐに謝った。その顔には、どこか自責の念と子供らしい後悔が浮かんでいた。
「私からも謝罪させてくれないか」
隣で見ていたニチ子が、膝を地面につき、深々と頭を下げた。
「ハナが嘘つかねばならなくなったのは私のせいだ。心より謝罪する」
「僕のせいなんだから、ニチ子は謝らなくて大丈夫だよ」
「いいや、ハナは悪くない」
「とにかく頭を上げて」
「許しを得るまでは上げぬ」
「ニチ子ぉ……」
ハナはニチ子の腕を掴んで持ち上げようとするが、その身体は岩のように動かない。必死なハナの瞳からは、いつの間にか涙が消えていた。
その様子を見ていたフローラとアビー先生は、顔を見合わせて微笑んだ。
「なんだか、本当に仲の良い姉弟みたい。でも、ハナ、そちらの方はどなたなの?」
フローラの優しい問いかけに、ハナは小さく頷き、口を開いた。
「お母さん、あのね……」
シーラのこと。
ニチ子のこと。
花を人に変えるという自分の魔法のこと——
ハナは迷いながらも、すべてを打ち明けた。
「そう……遂に魔法が使えるようになったのね」
フローラの表情は喜びよりも、どこか複雑なものを湛えていた。父や兄弟には報告しないと、静かに言った。
「やっぱりみんなには言わない方がいいの? 僕、お父さんにも喜んでほしい……でも、お花屋さんにもなりたいんだ」
ハナはズボンの裾をぎゅっと握りしめた。夢と家族の期待、その間で揺れる幼い心。自分では決めきれない想いが、言葉の端々に滲んでいた。
「ハナは、優しいハナのままでいて。軍には入らせないわ」
フローラははっきりとそう言った。
夫であるファザと争っていたわけではない。だが、父は優秀な子供たちを次々と軍に取り込み、スパルタ教育を施した。心優しかった子供たちが、次第に冷たい戦士へと変わっていく。その姿をフローラは憂いていた。
だからこそ、魔法が使えなかったハナ、そして魔力の弱い末のエミリーだけは、手放さず、母としての温もりを注ぎ続けたのだった。
「待っていてね、ハナ。お母さんがなんとかするから」
そう言って、フローラとエミリーは孤児院を後にした。
※
その夜——
大賢者ファザの書斎。
「お父様、ハナが魔法を習得したようです」
薄暗い部屋で、エミリーは深く頭を下げた。
「ほう、追放し虐げれば、或いはと思っていたが……遂に覚醒したか」
ファザは顎髭を撫でながら、口元に笑みを浮かべた。
「はい。異質な魔法ではありますが、お父様のお役に立てると思われます」
「うむ、ご苦労だったエミリー」
「ありがとうございます」
「隠密魔法も、だいぶ様になってきたな。期待しているぞ、エミリー」
「はい、お父様」
部屋を後にしたエミリーの瞳は、冷たい光を宿していた。
「お兄……いいえ、ハナ……あなたにだけは、絶対に負けないから」
そう呟く彼女の心には、嫉妬、劣等感、そして抗いがたいほどの執着が静かに渦巻いていた。