千日咲く花
薄い紫のドレッドヘア、血色の良い厚い唇、長いまつ毛と大きな青い瞳。
180㎝をゆうに超える筋肉質な体つき。そして――。
「うわぁ、シーラと全然違う……」
ハナが思わずついた溜息は、驚きと戸惑いの入り混じったものだった。
目の前に立つのは、確かに千日紅の花から生まれた女性。しかし、そこに漂うのは花の儚さではなく、猛獣のような迫力だった。黒い布を無造作に巻いただけの“さらし”のような衣装は、その逞しい肢体をあらわにしており、ハナの手にあるシーラ用の小さな衣類が滑稽に思えるほどだった。
「何用か?」
涼やかながら芯のあるハスキーな声が、静かにハナの胸を震わせる。仁王立ちのままこちらを見下ろすその視線に、ハナは思わず目を逸らし、慌てて言葉を探した。
「は、初めまして。僕はハナって言います」
この瞬間、ハナは自分の魔法がもたらした“結果”に改めて直面していた。
千日紅を人にしたのは、自分の力を証明するため。母に認めてもらうため。でも――。
「このままでも構わんが?」
動じる様子もなく、女性は黒い布を直す気配すら見せない。
「い、いやダメだよ。女の人がそんな格好でいたら……みんなが困ると思う」
「私は困らんが?」
「と、とにかく、僕の部屋に来て! それから考えよう!」
――とにかく、隠さなきゃ。
女性を導くように人通りの少ない道を選んで歩きながら、ハナはふと思い立った。
「あの、千日紅って呼びづらいからさ、ニチ子って呼んでもいいかな? センニチコウだから……」
それは思いつきだったけれど、ハナにとっては重要なことだった。
“名前をつける”ということは、その存在をきちんと受け入れること。対等であることの証だ。かつて自分が“役立たず”とだけ呼ばれていた過去が、無意識にそうさせていた。
「構わんよ」
ニチ子はあっさりと応じた。しかし、心の中ではほんの少しだけ違和感を覚えていた。
『名前』をもらう。それは、形を持たなかった存在に輪郭を与える行為。
否定しなかった自分を、少しだけ後悔した。
「良かった。良い名前でしょ? ニチ子」
嬉しそうに笑うハナ。自分の提案が受け入れられたことに、どこか誇らしげですらあった。
その姿にニチ子は何も返さなかったが、確かに心の奥に温かいものが灯った。
帰り道、ハナは色々と考えた末に、アビー先生の元を訪ねた。
「ハナのお姉様ですか? これはこれは……」
姉というのは咄嗟の嘘だった。だが、服を借りるにはそれが一番無難だった。
アビー先生は怪訝な顔を浮かべながらも、さらし姿のニチ子を前にして特に追及せず、いくつかの服を快く貸してくれた。
「私なんかの服でよければ、いくらでも持って行ってくださいな」
「ご厚情、痛み入ります」
ニチ子の言葉は硬質で、どこか芝居がかった印象すらあった。
だがその立ち居振る舞いには、不思議と説得力があった。
アビー先生も、なぜか納得してしまうほどに。
ハナが「良かったね、ニチ子」と声をかけると、アビー先生がすかさず叱る。
「こら、ハナ! お姉様を呼び捨てにするなんて!」
「ご、ごめんなさい……ニチ子姉さん」
その姿を見たニチ子は、人として初めて表情を緩めた。
誰かが自分の行動に反応し、関係性を意識して振る舞う。
それは花として咲いていた頃にはなかった、“繋がり”の温度だった。
部屋に戻ると、ハナは改めて右手を差し出した。
「じゃあ改めまして、よろしくね、ニチ子姉さん」
「もう嘘をつく必要はないだろう。ニチ子でいい」
その言葉に、ハナは少し戸惑いながらも頷く。
「嘘は良くないよね……ごめん、ニチ子」
「分かっているのであれば良しだ。よろしくな、ハナ」
握手。初めて手と手が交わるその瞬間、ニチ子は確かに感じた。
この少年は、自分を“人”として受け入れようとしているのだと。
「それで……私を人の形に変えた理由はなんだ」
真正面からの問いかけに、ハナは言葉を詰まらせる。
「ニチ子は、楽しくないの?」
「楽しい? この状況がか?」
「うん」
「……私は花だ。それ以上でも以下でもない」
ハナは何も言えなかった。
でも、それでも彼女と話したかった。だから聞いた。
「でも何か、やってみたいこととかない?」
ニチ子はしばし沈黙したのち、窓の外を見つめる。
そして指を差した。
「アレを……習得したい」
「アレ?」
窓の向こう、上級生たちが剣を振るっていた。
「剣? 剣術がしたいってこと?」
「ダメか?」
「全然ダメじゃないよ!」
ハナは驚いた。
人になって、初めての“欲求”をニチ子が口にした。
自分で何かを望むということ。それがどれほど尊く、どれほど大きな一歩か、ハナは知っていた。
「僕で良かったら教えてあげるよ」
「頼む」
木剣を手にしたニチ子の目が、初めて光を宿した。
「我が剣に切れぬもの無し……こうでいいか、ハナ?」
「うん、すごくカッコいいよ!」
笑顔が自然にこぼれる。
ふたりの距離は、確かに縮まっていた。
その夜、ハナは安心したように眠りについた。
そして――ニチ子は、朝が来るまで剣を振り続けた。
自分で選んだ初めての願い。その重みと喜びを、全身で確かめるように。
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花図鑑No002
千日紅
学名【Gomphrena globosa】
分類【ヒユ科、センニチコウ属】
花言葉【色あせぬ愛】【不朽】【不滅】【不死】