楔
ファザは目を細め、椅子にゆったりと身を預けた。
命令を待つばかりの人形ではなく、自ら選び取ろうとする意思が芽生えたことに、ひとつの可能性を感じたのだ。
だからこそ、問い返す。
弟切草に与えるのは命令ではない。選択肢だ。
「逆に聞こう。お前は何を望む?」
ファザは、心を許したように見える弟切草へ静かに問いかけた。
「俺の……望み……」
弟切草は一瞬、戸惑いを見せる。
つい先ほどまで、ただの花だった自分が何を望むのか。
自由か? それとも、もっと根源的な欲求か?
己の腰に帯びた刀を見下ろし、胸の奥がざわついた。
「切りたい……この刀で、なにかを。誰でも、何でもいい、切らせてくれ。それが……俺の望みだ」
その言葉に、ファザの唇が大きく綻んだ。
「フハハハハ、いいぞ。やはり私の見立てに狂いはなかった」
ファザは、花を人に変える魔法を知ったその日から、研究と検証を重ねていた。
ニコの残した記録をもとに、花の逸話、花言葉、象徴……全てを理解しようと務めた。
そして、弟切草の花に秘められた逸話に出会う。
傷を癒す力を秘匿し、それを漏らした弟を切ったという、古き物語。
その物語に着想を得たファザは、魔法によって実体を得た“弟切草”に戦士の姿と性質を確信した。
「好きなだけ切らせてやろう、弟切草の花よ……いや、今日からお前は“晴頼”と名乗るがいい」
「……晴頼。悪くない名だ」
晴頼は、僅かに口元を緩めた。
だが、ファザの目が冷たく光る。
「ただし、条件がある」
ファザの声音が静かに低くなり、笑みはすっと消えた。
晴頼に向けられるその目は、試すようであり、警告の色を帯びている。
「……聞こう」
晴頼は目を細めて応じた。未だ拘束されている身の上では、従う以外に選択肢がないことを悟っていた。
「双子の拘束を解いた瞬間、お前がこちらに刃を向けぬという保証はない」
ファザの言葉に、晴頼はにやりと口の端を吊り上げた。
まるでその可能性を否定する気などさらさらないというように。
「だから、保険を掛けさせてもらう。時限魔法だ」
「時限魔法……?」
「お前の体内に“氷炎の楔”を埋め込む。私と双子、どちらか一人でも殺意を向けた瞬間に、お前の命を断つ魔法だ」
「チッ……ずいぶん信用がないな」
晴頼は舌打ちをしながらも、目を伏せて笑った。
「だが、いいぜ。刀を振るえるのなら、そんな縛りくらい喜んで受けてやる」
ファザは黙って頷き、双子に目配せする。
部屋の空気が、一気に張り詰めた。
ローシュが手を前に出し、掌に熱を宿す。
「まずは俺の番だ。力を流し込むぞ」
術式によって精製された紅の符を、晴頼の胸元へ押し当てる。魔力の波紋が走り、晴頼の体内に刻まれた。
続いてゴーシュが無言のまま、掌に冷気を集める。
青白い光を放つ印が、反対側から埋め込まれた。
「これで、氷炎の楔は完了だ」
晴頼は深く息を吐き、目を細めた。
「……まるで契約のようだな」
「そうだ。これは契約だ」
ファザは静かに頷いた。
だが、その額にはかすかな汗が滲んでいた。
それが見透かされぬよう、あくまで冷静な顔を崩さずにいる。
――この時限魔法は人間を対象とした術式だ。
花の化身にまで効くかは、未知数。
だが今は、それを疑われるわけにはいかない。
わずかな綻びも、命取りとなる。
「裏切らなければ、好きに生きていい。力を試したいのなら、適した舞台を用意してやろう」
「フッ……いいだろう。期待しておくぜ」
晴頼は口元を吊り上げ、愉しげに笑った。
その目には、試されることを楽しむ獣のような光が宿っていた。
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花の記憶 ── 弟切草という名の由来
本作『アッシュ・ブルーム』の物語に登場する“弟切草”は、実在する花であり、その名には血塗られた伝承が秘められている。
まだ魔法が存在しなかった時代、人と鷹とが共に狩りを行っていた。
名匠と呼ばれた鷹匠・晴頼は、ある花の効能を知っていた。
その花は、鷹の傷を癒すだけでなく、人の命をも救う力を秘めていた。
しかし、その秘密を知った晴頼の弟は、重傷を負った女のためにその花を他人に明かしてしまう。裏切られたと感じた晴頼は、弟と女を切り捨てた──という。
以来、その花は「弟切草」と呼ばれ、人の裏切りと、それに続く復讐の象徴となった。




