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アッシュ・ブルーム ~花の魔王と失われた花言葉~  作者: 長月 鳥
第七章 弟切草

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東邦の女戦士

 意識の外、どの花かも分からない状態であっても、ハナの魔法は発動した。


 艶やかな黒髪、腰まで伸びる長髪は、後頭部で白い布紐によって結ばれている。

 凛とした糸眉に、切れ長の黄色い瞳。

 紺色の袴に、白い胴着はゆるく着崩され、豊かな胸元はさらしできつく締め上げられていた。

 腰に帯刀した長さ170センチほどの得物は、彼女の身の丈と変わらぬほどだった。


 その姿は、かつて父に連れられ東邦の国【アガリ】を訪れたときに見た、女戦士たちの姿に酷似していた。

 あまりの美しさに、エミリーは息をのむ。

 声も出ないまま、ただ見惚れてしまい——そのせいで、ハナに命の危険が迫っていることに気づくのが遅れた。


 弟切草だった女戦士は、帯刀していた刀を抜き、無言のまま、その切っ先をハナへと向けた。


 「……っ」

 エミリーが思わず息を呑んだその瞬間、ふたつの影が音もなく割って入り、

 「氷捕縛」「炎行李」と同時に呟く。


 次の瞬間、弟切草だった女戦士の動きが止まった。


 「えっ、なに? 誰かいるの?」

 不穏な空気に、ハナが目隠しにしていた布へと手を伸ばす。


 ふたつの影がエミリーに目配せすると、彼女は咄嗟に立ちふさがり、言った。

 「だ、大丈夫です! もう少しそのままで!」


 「大丈夫なわけないじゃないか、なんか寒かったり熱かったりしたよ? もう目隠し取るからね……って、あれ? 誰もいない」


 「どうやら失敗したみたいです。やっぱり、どんな花か理解してからじゃないと、魔法は発動しないようですね」

 エミリーは慌てて取り繕い、ハナと同じように部屋を見回す。そこには、もう誰の姿もなかった。


 「そっか……そうだよね。勝手に魔法が発動しちゃったら、それこそ大変だもんね」

 ハナは苦笑いを浮かべ、何も知らぬままマーノリアの手伝いへと戻っていった。


 「……あれは、ゴーシュ兄様とローシュ兄様」

 弟切草を手際よく連れ去ったふたつの影。その気配と動きに、エミリーは覚えがあった。


 ファザ家の五男・ゴーシュ。氷の魔法を得意とし、寡黙で冷徹な執行官。

 六男・ローシュ。炎の魔法を操り、軽薄ながら残酷な拷問官。

 アララガ国軍執行部に所属し、捕縛・尋問・処刑を請け負う双子の兄弟——“地獄の門番”と恐れられる存在。


 「……お兄様方なら、きっと大丈夫」

 エミリーはそう自分に言い聞かせ、胸を撫でおろした。

 しかし同時に——自分が信用されていないのかもしれないという疑念がよぎり、胸の奥がざわついた。


 「少し、出かけてきますね」

 「あ、ちょっとエミリー!」

 ハナとマーノリアの呼びかけを背に、エミリーは花屋を飛び出す。


 胸の中で、何かが警鐘を鳴らしていた。

 ——何か、とてつもない過ちを犯してしまった気がする。


 エミリーは、双子の兄たちの後を追いかけた。




 アララガ国へ向かう一台の荷馬車。

 その中には、棺桶のような箱がひとつ。そして、それを見張るように、二人の男が向かい合って座っていた。


 「簡単な仕事だったな、兄者」

 燃えるような赤のショートヘア。くっきりとした目鼻立ちに、爽やかな笑顔。

 ファザ家の六男、拷問官であり炎術師——ローシュが言った。


 「ああ、女一人攫うだけとはな。俺たちに頼むほどのことか? 父上も耄碌したか」

 銀髪を角刈りにし、小さな丸眼鏡をかけた氷術師。無愛想な顔で返すのは、ファザ家五男、執行官のゴーシェだった。


 「だが、なかなかの女だった。父上が要らないと言うなら、俺が貰ってやってもいいがな」

 そう言いながら、ローシュは棺桶を軽く叩いた。


 「……勝手にしろ」

 ゴーシェは腕を組み、目を閉じたまま、それ以上は何も言わなかった。


 「相変わらず堅物だな、兄者。女遊びのひとつもすりゃいいのに、楽しいぞ?」

 「……」

 「まぁ、そんなんじゃ女にもモテんだろうがな」


 ローシュは楽しげに続ける。

 「しかしハナのやつ、女を“作り出す”魔法だなんてな。見直したぞ。あいつが俺好みの女を呼び出してくれたら、今までのことを水に流してもいいかもな」

 そう言って、わざとらしく声を高くする。

 「魔法が使えないって分かったときの泣き顔は今でも忘れられん。『ボクは……ボクは……』ってな! ギャハハハハ!」


 ゲラゲラと下品に笑う弟に、ゴーシェは思った。

 ——相変わらずだな、こいつは。

 才能があるからといって、父上が甘やかすからこうなる。俺とは違う。


 寡黙で勤勉なゴーシェと、天才肌で享楽的なローシュ。

 性格は正反対でも、魔術の相性だけは抜群だった。


 敵の動きをゴーシェの氷で封じ、ローシュの炎で一網打尽にする。

 彼らの連携から逃れられた者は、いない。

 炎で構築された真紅の棺は術者のローシュ以外には触れられず、中に納められた者は、氷で仮死状態にされたまま運ばれる。


 荷馬車の中には、ゴーシェの鼻歌だけが静かに響いていた。



 やがて荷馬車はアララガの都に到着し、双子の兄弟はファザの書斎へと棺を運んだ。


 「連れてまいりました」

 ローシュが扉を叩き、ファザの「入れ」という声と共に部屋へ入り、棺を差し出す。


 「それが……弟切草の花だった者か。喋れるようにしてやれ」

 ファザが命じると、ローシュが棺の蓋を開け、ゴーシェが中の女の頭部だけを氷から解放した。


 「いきなり、何の真似だ」

 鋭く睨みつけながら、女は声を発した。


 「手荒な真似をして悪かったな。しかしこれは——お前のためでもある」

 「俺の……ため?」

 その一人称に、ローシュがくくっと笑う。だが女は無視し、ファザの顔を睨み続けていた。


 「そうだ。私と、取引をしよう」

 「……取引?」

 「“自由”が欲しくはないか?」


 女の眉がぴくりと動く。

 “自由”という響き。それは、彼女の心を確かに揺さぶった。


 ファザは静かに語り出す。

 ハナの魔法の本質、花が枯れれば死ぬという事実。

 ハナが願えば、その存在は消えるということ。

 そして、与えられた命が、小間使いのように消費されていく未来。


 歪められた情報ではあったが、弟切草だった女は信じた。

 理由は幾つも考えられた。

 ——最初に声をかけてきたのが、この男だったから。

 ——“自由”という言葉が、あまりにも魅力的だったから。

 ——ただ、思いきり戦ってみたかったから。


 胸に秘めた衝動は、確かにそこにあった。


 「……俺に、なにをさせたい?」

 弟切草の化身は、わずかに表情を緩めた。


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