花の力
「おい、ハナくそハナたれ無能チビ」
ハナとシーラの和やかな時間を壊すように、背後から乱暴な声が飛んできた。
「ワッチくん……」
ハナの笑顔がスッと消える。
“ワッチ”と呼ばれた男児は、孤児院の上級生だ。背丈も体格もハナより大きく、年齢は三つ上。
「あいつ、知らない女連れてますよ。生意気っすね」
ワッチの隣にいた男児が、ハナを指差して言った。年齢も背丈もハナと同じで、名前はロイ。
「暇だし、遊んでやりましょうよ」
さらにもう一人、痩せ型でメガネをかけたベン。ハナより一つ年上だ。
「あいつら、いつもハナをいじめてる……」
シーラが男児たちを睨みつける。
「い、いじめられてなんかないよ。遊んでもらってるんだ」
ハナは強張った表情でそう言った。
「ハナ……」
シーラは知っていた。いつも見ていたから分かる。魔法が使えないことで馬鹿にされ、いじめられても、それでもハナが必死に我慢して耐えていることを。
「魔法も使えない無能のハナくそが、女なんかといないで俺たちと遊ぼうぜ」
ワッチがポケットに手を突っ込みながら、ハナの目の前に唾を吐く。
「そうだ、魔法の練習しようぜハナ。またお前が的な。逃げないと火傷するぞ~?」
ロイが人差し指を立てると、その先に蝋燭のような火が灯る。
「無能だけど、逃げ足だけは早いからな、ハナは」
ベンも同じように火を灯し、薄ら笑いを浮かべた。
「さあ、逃げろ逃げろ」
ワッチがハナの肩を小突くと、その勢いでハナは転んでしまう。
「ハナっ、大丈夫?」
シーラがしゃがみこみ、ハナの手を取る。
「なんでいつも抵抗しないのよ」
「だって、僕は無能だから……」
ハナは自分で立ち上がり、服の土埃を払いながら答えた。
「ハナは無能じゃない。だってちゃんと魔法だって――」
「ハナくそが魔法? そんなわけねぇだろ、バカ女」
ワッチが遮るように怒鳴った。
シーラはワッチを睨みつける。
「うるさい、バカガキ。ハナはちゃんと魔法が使えるの」
「じゃあ見せてみろよ、バカ女」
「見せろって……もう見えてるでしょう。私が……」
シーラが魔法の説明を始めようとしたその時、ハナが彼女の手をぎゅっと握った。
「ハナ?」
「ダメだよ、シーラ。魔法のことは言わないで」
「どうしてよ」
「シーラは、僕の友達だから……ここで言ったら、きっとダメな気がするんだ」
初めての友達。それが魔法によって生まれたものだと知られたら――何かが壊れてしまうような、そんな不安があった。
「意味が分からない。本当のことを言って、こいつらの鼻を明かしてやりましょうよ」
「嫌だ。僕が我慢すればいいだけだから。だから、シーラは待ってて」
「……ハナ。分かった。じゃあ私も一緒に戦う」
「え? 戦う?」
「うん。こんな奴ら、二人でやっつけられるでしょ?」
「無理だよ。相手は上級生だよ?」
「大丈夫、イケる気がするの。私、きっと強いよ」
「そうなの?」
ハナは驚きの声を上げた。
シーラは根拠のない自信に満ちた目で、拳を構える。
「無能のくせに歯向かうんじゃねえよ、バーカ」
「お前らなんか、魔法使わなくたって余裕だっての、ハナくそ~」
「地面に這いつくばって、そこらの雑草とでもおしゃべりしてろよ」
勢いに任せてシーラがワッチたちに飛びかかり、それに続くようにハナも体当たりを仕掛けた――が、ワッチ一人の腕力にあっさり弾かれた。
「なんで……勝てると思ったんだけどな」
「だから無理だって言ったんだよ。もういいから、シーラは何もしないで」
泥だらけになり、倒れる二人。
ハナはシーラを庇うように、ゆっくりと立ち上がった。
「ダメだ。その女も魔法の練習に付き合ってもらう。服が燃えても泣くなよ?」
ワッチがシーラを指差し、ベンとロイは薄ら笑いを浮かべながら魔法の準備をする。
「ダメだよ。シーラは関係ない!」
「関係あるね。先に手を出したのはそっちだ。先生に言いつけてもいいんだぜ? その知らねぇ女、自警団にでも連れてってもらおうか?」
「そんな……」
自警団――国の犯罪を取り締まる国家直属の組織。その恐ろしさは、子どもたちにとって“泣いても許してもらえない”という象徴だった。
「自警団? ただのサボり魔集団でしょ?」
シーラが言い放つ。
自警団本部周辺にも咲くシクラメンの花。そこから見聞きした情報で、怠慢な団員たちの姿をよく知っていたのだ。
「強がったって無駄だよ、クソ女」
「なによ、あんたのことも知ってるわよ?」
シーラがワッチを指差して言う。
「夜中、窓の外を見て“ママ、ママ……”って泣いてるじゃない」
「は……? ふざけんなクソ女、そんなわけねぇ! ぶっ飛ばすぞ!」
ワッチが顔を真っ赤にして拳を振り上げる。
「そっちの小さいのは、いまだにおねしょして、早朝に布団干してるし」
「眼鏡の子は、お風呂場を覗いてモゾモゾしてるよね」
ロイとベンの顔も一気に赤くなる。口を開けて絶句したままだ。
「すごいよ、シーラ……それって本当なの? お花になってるときに見てるってこと?」
「そう。私が咲いている場所のことなら、なんでも見えるの。……あっ、でもここから遠い場所はボンヤリとしか分からないかも。たぶん、ハナが魔法を使った場所に限定されてる気がする」
「すごい……なんだか千里眼の魔法みたいだね。他の花たちも、もしかして……?」
シーラの能力が明らかになり、ハナの目が輝き出す。
「うるせぇぞハナくそども! でたらめばっか言いやがって……なあ、お前ら」
「ほ、ほんとですよ……!」
「嘘つきだ。自警団に突き出そう!」
ワッチたちは焦りながらも虚勢を張るが、顔は完全にひきつっていた。
「まだまだあるけど……聞く?」
手応えを感じたシーラは、にやりと挑発する。
「もう手加減しねぇ! おい、魔法ぶっ放せ!」
「泣いても許さねぇからな!」
三人がそれぞれ、火の玉、氷の玉、岩の玉を指先に生み出して構えた。
「どうしようシーラ……怪我じゃ済まなくなるよ」
ハナはシーラの前に立ち、震えながらも庇う。
「ちょっと、からかいすぎたかもね。でも――ハナ、私、最初から力じゃなくて魔法を使えばよかったのよ」
「えっ? 魔法? 使えるの?」
「たぶんね」
「たぶんって……」
シーラの最初の自信は、身体の奥に溢れる魔力の気配だった。力はハナと変わらないが、魔力に関しては確かに手応えを感じている。
「私には毒があるって言ったじゃない?」
「うん」
「使うわよ。……ハナにも影響あったら、ごめんね」
「えっ?」
そう言って、シーラは両手を広げて踏ん張った――。