ダンジョン
夕日が西の空を染め始めたころ、ハナとエミリーを乗せた荷馬車は、隣国ターリーとの国境にある交易都市イルダに辿り着いていた。
街は活気に満ちた喧騒に包まれ、狭い路地から広場へと続く道は、賑やかな商人や冒険者、様々な種族が行き交い、多彩な言葉が飛び交っている。
ハナは初めて足を踏み入れた大きな街に、興奮と好奇心で胸を躍らせていた。
「すごいよ、エミリー! 見たことない宝石や装飾品、それにカッコいい装備もいっぱいある。……この美味しそうな香りってなに!? はあ、なんかお腹空いてきちゃった。あ、でもお花屋さんにも行きたいし……ここ、拠点にしちゃおうか? 住むところ探さなきゃ、それから……」
「落ち着いてください。こんな所で……」
エミリーは言葉を濁した。
アララガ国の首都からさほど離れていないこの街に、ファザの追手が来ないわけがない——そんな危機感を覚えながらも、監視という目的を思えば、むしろ近くて都合がいいのではと自分を納得させた。
「まぁ……いいんじゃないでしょうか」
「よし、そうと決まれば、まずは宿を探そう!」
二人は揃って、活気あふれる通りを歩き出した。
「この子は、どうするんですか?」
エミリーは、腕の中でスヤスヤと眠るレンリを見下ろして問う。
「あ、重かった? 僕が抱っこしようか?」
「そういうことじゃありません」
重さなど問題ではない。むしろ、柔らかくて心地よくて、正直ずっと抱いていたいと思っていた。
だが、この子はただの幼児ではない。元はスイートピーの花であり、モンスターを蔓で一網打尽にする強力な存在。
もし街で正体が漏れれば、隠密どころではなくなる。
「花に戻す……ってこと?」
「……そうですね。でも、気持ち良さそうに眠ってるし、今はこのままで」
エミリーは、少し照れ隠し気味に微笑んで、腕に少しだけ力を込めた。
「ふぁぁ……ここ、どこでちゅか……」
「ごめんなさい、レンリちゃん。起こしちゃった?」
目を覚ましたレンリだったが、エミリーの腕の中でぐずることもなく、顔をうずめたまま小さくつぶやいた。
「おはよう、レンリちゃん。ここはイルダの街だよ。エミリーが大変そうだから、自分で歩ける?」
「私は別に、大変じゃないですよ」
エミリーはきっぱりと言い、レンリの頭をそっと撫でた。
「イルダでちゅか……あまり好きじゃないでしゅね」
レンリは、エミリーの胸に顔をうずめながら、眠そうに呟いた。
(そうか……花だったころから、こういう街の空気を嫌っていたのかな)と、ハナは思った。
「そうなの? 楽しそうな街だけど。……あ、見て! あそこ、お花屋さんだ! 行ってみようよ!」
「……花は買いませんからね」
エミリーは無愛想に言いつつも、どこか懐かしそうな顔でハナについて行く。
三人は、大きな荷車にカラフルなパラソルをあしらったオシャレな屋台の花屋に立ち寄った。
「こんにちは。ちょっとお花、見てもいいですか?」
「いらっしゃいませ、どうぞどうぞ。かわいい子たちばかりなので、見てってくださいな」
ふくよかで優しげな店番のおばさんが、笑顔で迎えてくれた。
「ケシの花って……置いてないですよね?」
色とりどりの花々に目を輝かせながらも、ハナは真っ先にエミリーのための花を探していた。
その言葉に、エミリーは驚きのあまりハナを見返し、慌てて声を低くした。
「ケシの花なんて、あるわけないでしょう。違法植物ですよ」
「あっ、そっか……ニコ兄さんの所にいっぱい咲いてたから、つい」
「ん? ケシの花がどうかしたのかい?」
おばさんは子どもたちの話に、少しだけ眉をひそめた。
「あ、いえ。なんでもないです!」
(その話はまずいです。あの場所のことは……)
エミリーが小声で釘を刺すと、ハナも「うん、ごめん」と耳打ちで応えた。
(どうしてハナは、あの花を探してるんだろう)
内心で首をかしげるエミリー。
「うーん、ポピーなら最近まで置いてたけど、時期が終わっちゃったの。毒のあるケシは販売禁止だからね。……でも、ダンジョンの近くなら、野生のが咲いてるかもしれないね」
「ダンジョン? ダンジョンがあるの!?」
子どものように目を輝かせ、ハナは身を乗り出した。
「ここは傭兵も多いからね。ダンジョンで生計を立ててる者も多いんだよ」
「へぇ……エミリー、行ってみようよ!」
「行くわけないです。ただの魔物の巣窟ですよ」
エミリーは冷静を装った。
しかしその内心では、危険と好奇心、そして——ファザの命令が複雑に絡み合っていた。
(でも……もしハナがまた魔法を使えば、その記録を得るチャンスが……)
「お姉さま。ダンジョンは、どこにあるのですか?」
エミリーは、花屋のおばさんに一歩近づいた。




