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アッシュ・ブルーム ~花の魔王と失われた花言葉~  作者: 長月 鳥
第五章 スイートピー

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優しい思い出

 荷馬車の中で、レンリはすやすやと眠っていた。揺れる車輪のリズムと、エミリーの膝の柔らかさが、まるで母の腕のように安心を与えているのかもしれない。

 静かな時間が流れる中、ハナがふと口を開いた。


 「あー懐かしいね、昔はよく、お母さんと僕とエミリーで、こんなふうにお家の馬車を借りて遊びに行ったよね?」


 エミリーは少し驚いたように目を瞬かせた。

 ハナが“昔の話”をするのは、いつぶりだろう。


 「エミリーったらさぁ、はしゃぎ過ぎちゃって、今のレンリちゃんみたいに疲れ切って、僕の膝でよく寝てたんだよ? 覚えてる?」


 「……そんな時代もありましたね」

 エミリーは、眠るレンリの頭をそっと撫でながら、声のトーンを落とす。


 その表情には、懐かしさと同時に、どこか距離を取ろうとするような翳りがあった。


 ふと、エミリーの視線が、ハナの横顔に移る。

 ハナは穏やかな顔で前を向いていたが、その目にはどこか影があった。


 リリーの一件。自分の魔法で人が倒れ、命が失われかけた現実。

 あのあとハナが、しばらく一人でラボの庭園に咲いた花と話していた姿を思い出す。

 誰もいない温室で、ひとりぽつんと、泣きそうな顔をしながら「ごめんね」と何度も繰り返していた背中。


 あの時——

 “話しかければよかった”

 “隣に座ればよかった”

 エミリーの胸を、今さらのように後悔が締めつける。


 「昔さ……」

 ハナがぽつりと呟いた。

 「お母さんが、僕たちに花の名前、たくさん教えてくれたよね。忘れてない?」


 「……そんなことに私のタスクは割けません」

 エミリーは、顔を伏せて答えた。


 「そっか……」

 ハナは少しだけ唇をかみしめて、それ以上は言わなかった。昔の兄だったら、しつこく問いただして、いつの間にかペースに巻き込まれるのに。

 本当は全部覚えているのに——楽しかったあの頃のことで花を咲かせたいのに——

 けれど、次の言葉は出なかった。


 エミリーの胸には、ファザの声がこだましていた。

 「特別な存在であれ」「優しさは力にならない」——まるで呪いのように。

 

 “父の望みに応えなければ、自分の価値はない”

 そんな思いが、鎖のようにエミリーを縛っていた。

 

 「ハナ、あなたは……もっと強くならなきゃだめ。でないと、また同じことが起きる」


 少し強い語調で、エミリーは言った。

 それはハナを叱る言葉ではなく、自分自身への言い聞かせでもあった。


 「うん、僕、ちゃんと強くなるよ」

 ハナの声は、どこか大人びていた。


 その横顔に、ほんの少しだけ、お母さんに似た面影を見たような気がして。

 エミリーはそっと、レンリの額にかかった花びらを直しながら、再び黙った。



_________________

 花図鑑No.007

 スイートピー

 学名【Lathyrus odoratus】

 分類【マメ科、レンリソウ属】

 花言葉【別離】【門出】【ほのかな喜び】【優しい思い出】



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