友達
「ん? あれ……シーラは?」
魔力の枯渇で気絶するように眠っていたハナが、自室のベッドで目を覚ます。だが、そこにシーラの姿はなかった。
「どこに行っちゃったんだろ……まさか……」
「おはよう、ハナ」
シーラがドアの陰から現れ、そっとベッドの端に腰を下ろす。
「シーラっ! 良かった……枯れちゃったのかと思ったよ!」
嬉しさが爆発し、ハナは勢いよく布団を跳ねのけて立ち上がった。
「きゃっ!」
「あっ……」
ハナは、自分が白いブリーフとタンクトップ姿だと気づき、慌てて布団にくるまる。そして身構えた。
「ご、ごめんシーラ……」
だが、シーラは何も言わず、ただ顔を赤らめてそっぽを向くだけだった。
「えっと……それ、僕のズボンじゃない?」
ハナは、シーラが履いているサスペンダー付きの見慣れたズボンに目を留める。
「あ……いや……ちょっと借りちゃった。ごめんね」
しおらしく頭を下げるシーラを見て、ハナは自然と笑顔を浮かべた。
「いいよ。でも、どうして?」
「自由に動けるようになったから、少しだけ散歩したくて。でも、シャツは借りたけど下は……なかったから……」
説明しながら、シーラの顔はどんどん赤くなっていく。
「それで……寝てる僕のズボンを……?」
「……うん」
シーラは小さく頷いた。
「エッチだなあ」
「なっ、エッチなのはそっちでしょ!」
「えー? 僕は何もしてないよ?」
「じゃあなんで私は毎回、裸で出てくるのよ!」
「知らないよ。花は服なんて着ないし」
「それは……そうだけど……でも魔法でどうにかならないの?」
「う~ん、使えるようになったばかりだから、まだわかんないや」
「そっか……ハナって、ずっと魔法使えなかったもんね」
「うん……」
ハナは俯き、表情を曇らせた。その様子に、シーラは言葉を失う。
彼女には、シクラメンだった頃の記憶がある。
父に捨てられ、孤児院にやってきたハナの姿。
子供たちにいじめられて泣いていたこと。
先生に厳しく叱られても、必死に耐えていたこと。
花に語りかけることで、心を保っていた日々。
花である自分には何もしてあげられなかった。でも、今は――
「ハナ」
「ん? どうしたの?」
「……私のこと、食べてもいいよ」
「えっ?」
「エッチな意味じゃなくて!」
花にも魔力があるなら、食べれば少しはハナの魔力の足しになるかもしれない――そう考えただけだった。だが、言葉にしてみるとあまりにも恥ずかしくて、シーラの顔は真っ赤になった。
「エッチ? なにそれ?」
だがハナは、その意味をまだ理解できる年齢ではなかった。
「い、いや、なんでもない……」
シーラはシャツの裾をパタパタさせて、顔の熱を冷まそうとする。
「それに、シーラを食べたらお腹壊しちゃうよ」
「なんでよ!」
「だって、シクラメンって毒あるんだよ?」
「え!? そうなの?」
「自分のことなのに知らないの?」
「知らないよ! 豚はムシャムシャ食べてたし!」
「豚さんは平気なんだよ。『豚の饅頭』って呼ばれるくらいだからね」
「ぶ、豚の饅頭!? ひどいあだ名ね!」
「さすがにそう呼ぶ人はいないけどね」
「ええ、もし呼ばれたら一瞬で枯れてやるわ」
「自分で枯れるってできるの?」
真剣に考え込むシーラを見て、ハナは思わず吹き出した。
「笑わないでよ!」
「ごめんごめん。僕もひどいあだ名つけられたことあるから、ついおかしくなっちゃって」
「ハナは、少しは怒らなきゃダメよ。いじめっ子の言いなりじゃ、良くないよ」
「うん……でも、僕……ダメな子だから……」
「ハナ……」
長く虐げられてきたハナには、自信を持てる理由がまだ少なかった。
「……とにかく、アビー先生に女の子の服がないか聞いてくるね」
布団に包まったまま、ハナはベッドの下から服とズボンを取り出す。
「うん……でも大丈夫かな?」
「何が?」
「私、孤児院のことはよく知ってるけど……アビー先生、私のこと知らないじゃない?」
「……一度、私を花に戻してみない? それで可愛い服を用意して、また呼んでよ」
「花に……戻す? できるかな……やってみるよ」
結果は――
ハナはあっさりと成功した。
しかもそのとき、花を人に戻すために与えた魔力が、花に戻すと戻ってくることに気づいた。
「なるほど……シーラの言ったとおりだ。僕の魔力を貸してる、って感じなんだね」
そこから、ハナとシーラは一緒に魔法の検証を進めた。
その後、少女用の服を借りにアビー先生のもとへ行ったハナだったが――
「女の服? 一体なにに使う気だい。将来が不安になるよ、まったく」
と怒られ、結局、自分のシャツとズボン、帽子、靴だけを手に戻ってきた。
再び魔法でシーラを呼び出すと、着替え一式を前に置き、ハナは後ろを向いた。
「ごめんね、女の子の服は借りられなかったよ」
「いいよ。アビー先生が怖いの、私も知ってるし」
庭から、先生に怒られながら必死に頼んでいたハナの姿を見ていたシーラは、責める気にはならなかった。
「それに、この服、結構気に入ったし」
特に帽子がお気に入りだった。自分が花であること、そして少し恥ずかしがり屋な性格。帽子で顔を隠せることで、不安が少し和らいだ。
「そっか、すごく似合ってるよ」
「……そ、それより、魔法よ! ハナの魔法について調べなきゃ!」
ハナに褒められたことで照れたシーラは、帽子を深く被って話を逸らした。
「うん。協力してくれて、ありがとう」
魔法で初めてできた友達。ハナの心は温かく満たされていた。
「まず、一日に使える魔法は三回まで。四回目で気を失ったけど、休めばもう一回は使えそう」
帽子のつばに指をかけ、探偵のように話すシーラ。
「それと、花は摘むとダメ。すぐに魔法が消えちゃう」
「うん。萎れただけでも、もうダメみたいね」
「花壇で魔法を使ったら、すごく長持ちするもんね」
「たぶん、ハナの魔力と花の生命力、どっちも重要なんじゃないかな」
「なるほど……でも、毎回裸で呼び出すのは、やっぱり悪いよね」
「そうよ。誰かに見られたらどうすんの」
「じゃあ、植木鉢に移して僕の部屋で育てようか」
「いいわね。可愛い植木鉢にしてよね。それと……私の前で着替えないで」
「えー、ダメなの? そうか……シーラがずっと見てるのか」
「見たくて見てるんじゃないんですけど!」
「そう考えると恥ずかしいな。別の部屋に置くとか……トイレとか?」
「バカなの!? 一番ダメでしょ!」
「あはは、たしかに」
「ハナって、ちょっと抜けてるよね」
「そう? 照れるなあ」
「褒めてないから!」
――他愛もない会話。
けれど、シーラにとっては初めての、
ハナにとってはかけがえのない、
大切な時間だった。
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花のよもやま話
【エディブルフラワー】
この世界〈アッダーガンデ〉にも、「花を食べる」という文化が存在します。
チューリップ、バラ、ニチニチソウ、ミニヒマワリ、ラベンダー、アサガオ、パンジー、ナデシコなど、様々な花が食用として楽しまれています。これらはすべて、農薬を一切使用せずに栽培され、主に食卓の彩りや料理の飾り付けとして使われます。
【シクラメンの毒性】
シクラメンの塊茎や根には、「シクラミン」と呼ばれる有毒成分が含まれています。
この成分を体内に取り込むと、嘔吐や下痢といった中毒症状を引き起こす恐れがあります。観賞用としては美しい花ですが、取り扱いには十分な注意が必要です。
【豚の饅頭】
「豚の饅頭」は、実際に存在するシクラメンの別名です。
その由来は、シクラメンの球根がまるで潰した饅頭のような形をしていること、そして豚がこの球根を好んで食べ荒らすことから来ています。可愛らしい名前とは裏腹に、少し風変わりな背景を持つ呼び名です。