長兄と次女
時は少し遡り、ハナが目覚め、リリーを追ってニコの研究所を出た後。
アララガ城の展望台には、二つの影が佇んでいた。
「見えたか?」 低く艶のある声の男、名はワン。 ツーブロックの黒髪、少し垂れた二重の瞳、薄い唇、高い鼻、尖った耳。 完璧な顔立ちと190cmの長身で、国の女性の多くが振り返る。 ファザ家の長兄にして、「剣星」の称号を持つ、国内最強の剣士。
「はい、確認しました。ニコからの報告通りの女です(なによあの露出狂。お兄様の神聖な瞳に映すわけにはいかないわ)」
金髪カールの長髪、兄に負けぬ美形の顔。170cmと女性にしては高身長ながら、細身の体に若干のコンプレックスを持つファザ家の次女、エリナ。
魔法の才に優れ、多彩な魔法を習得しており、「賢者」の称号を持つが、時折心の声が口から漏れる癖がある。
「呼び捨ては感心しないな。素行に難があろうと、ニコもまたお前の兄だぞ」
ワンは展望台の塀の上で、双眼鏡のように手をかざすエリナを支えながら言った。
「いいえ、お兄様。私のお兄様は貴方だけです。他に兄などいません(ド畜生の兄弟なんていらないわ。その点、お兄様は……はぁ、私の腰に触れる大きくて暖かな手、このまま時が止まればいいのに)」
「……お前は変わらぬな、エリナ」 「はい、変わりません。お兄様にお仕えすることが、私の生きる意味です(お兄様の剣となり盾となるのです)」
「それで、その女……ニコからの連絡ではリリーという名だったか。魔法効果は確認できるか?」 「はい、報告通り、強力な魔法のようです。差し向けた兵士が次々と倒れています。即死ではないようですが……皆、瀕死の状態です」
アララガ城と軍師ニコの研究所は、城下町を挟んで約20㎞。
エリナは望遠系の千里眼魔法で、遠く離れたリリーを補足していた。
「ですがお兄様、倒れているのは兵士のみ。町の住民たちは無事のようです」
「なるほど、無差別ではないようだな……何かに反応している……兵士たちの武器? 魔法? いや、敵意か!」
ワンはわずかな状況描写と被害の偏りから、魔法の性質を瞬時に見抜いていた。多くの実戦を経験してきた彼の洞察力は、理論に頼らずとも本質を見抜く力を備えている。
「敵意にだけ反応する魔法……流石です、お兄様。(私の好意に、お兄様は反応してくれるかしら)」
「……この魔法、非常に危険だ。だが、同時にただの暴走とは思えん。あの女……何者だ」
「ニコの報告には、“花から現れた”とありました(花の精霊とかどうでもいいけど、お兄様の敵なら殺すだけ)」
「……魔法兵たちの配置はどうなっている?」
「すでに包囲網を形成済みですが、距離100m以内に入った部隊が次々に倒れています」
「距離100mか。魔法の発動条件と発症までの時間差……あまりにも精密すぎる。生物的な本能ではないな」
「ええ。冷静な判断と意志を感じます(だけどそんなことより、お兄様が危険な目に遭うほうが心配)」
「兵を退かせ。無駄死には哀れだ」
「承知致しました、お兄様」
エリナは千里眼魔法を解き、下で待機していた兵士たちに撤退の合図を送った。
「我らが赴く。掴まれ、エリナ。振り落とされるなよ」
「はいっ、お兄様(ああ、お兄様……好きっ)」
ワンはエリナを抱き上げ、高速移動魔法を発動。
足元に羽の幻影を纏い、空気を蹴るようにして空を駆けた。
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「なんで、こんなに兵隊さんが倒れているんだ……」 リリーを追って城下町に出たハナは、その異様な光景に立ち尽くす。 リリーの通ったであろう道には気を失った兵士たちが転がり、状況が掴めない住民たちが恐れ、逃げ惑っている。
「これって……リリーちゃんがやったのかな……」ハナは目の前の光景を信じられずに立ち尽くした。
「早くリリーちゃんを戻さないと」
この光景……僕の魔法が、原因なんじゃないか?そんな考えが頭をよぎった瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。もしそうなら、僕がこの人たちを……。ハナの足は、思わずその場に止まりかけた。だけど、今は立ち止まっている場合じゃない。誰かがやらなきゃ。僕しか——できないんだ。そう言い聞かせて、ハナは震える脚を両手で叩き、再び走り出した。
✿
「この辺りか。降りるぞ、エリナ」
「はい、お兄様」
リリーを視認できる建物の屋上で降り立つワンとエリナ。
「直ぐに終わらせる」
ワンはそう言うと、帯刀していた剣を抜き、剣先を地面に向けて「剣弓」と唱えた。
「はい(出たわ、お兄様の【剣弓】。魔法で作り出した弓で、矢の代わりに魔力を込めた剣を放つ遠距離最強魔法。はぁカッコいい……けど、剣を飛ばしちゃうから武器がなくなって少し慌てるのよね。まぁそこも可愛いんだけど)」
「エリナよ、武器など飾りに過ぎん」
ワンは真顔でそう言うと、光の弦を引き、リリー目がけて剣を放った。
「悪く思うな、リリー。お前が何であれ、脅威から国を守るのが私の使命。せめて一撃で散れ」
放たれた剣は空気を震わせ、音を置き去りにし、一瞬でリリーのもとへと飛んでいった。
「終わったわね、あの女。お兄様の剣を避けられるはずない」
エリナは死を確認するため、再び千里眼の魔法を使った。
「はぁ?」
「どうした、エリナ。リリーは消滅したか?」
ワンは、間の抜けた声を出したエリナの肩に手を置いた。
「……踊っています」
「踊る? 何を言っている。リリーをやったかと聞いているんだ」
「ですから、リリーが踊っているんです。踊りながら、お兄様の放った剣を避けました……ヒラリと」
「なんだと⁉」
エリナの言葉に目を凝らし、リリーの姿を探すワン。
地面に突き刺さった剣に手を触れながら、リリーは優雅に舞っていた。
赤い長髪とドレスを風に揺らし、その姿はまるで——
「……燃え盛る炎のようだ」
ワンはため息と共に、静かに言葉を漏らした。




