死の花の名前(ニコ視点)
動悸が止まらない。心臓が、破裂しそうだ。
間違いなく、これは毒だ。自律神経をやられている。
……どこで、間違えた? 最後の問いか?
違う。あの問いに“正解”など最初からなかった。
彼女は、最初からすべてを殺すつもりだったのだ。
そして私を弄び、「ゆっくり味わって」と告げた。
つまりこれは、死を完全に操る魔法――。
千日紅の絶対防御。
トリカブトの斬撃と風圧。
彼岸花の即死性。
花とは、一体なんなのだ。
本当にこの世界の魔法か?
それとも、ハナの魔力が規格外なのか?
……どちらにしても、あまりに危険すぎる。
リリーは、あっさりと研究所を出て行った。
その気になれば、目に映る者すべてを殺せるだろう。
ハナが目覚めない今、誰も彼女を止められない。
大量の死人が出ようが、国が滅びようが、知ったことか。
だが――私は、まだ死ねない。
もっと、彼女と話したい。
リリーは“死”の意味を知っている。
私は、“生きて”その答えを知りたいんだ。
「ハナっ……起きろ……! ハナ……っ、はぁ、はぁっ……」
息が苦しい。
一般的な気絶は、大脳皮質や脳幹の血流が一時的に遮断されて生じる。
通常は数分で意識が戻る。
魔力の枯渇も同様……いや、魔力切れで意識を失うなど、普通はない。
こいつは一体、一回の魔法でどれだけ魔力を使っている?
「クソッ……起きろハナ! エミリーが目覚めたぞっ!」
「……エミリーっ?」
起きた。やはりこのシスコンが。
「大変な事態だ。お前が呼び出した彼岸花は、死神だった」
「死神? お花が死神なわけないよ。ばーか、ニコ兄さんはバカだなぁ、ハハハ」
間の抜けた笑い声。
だが……こいつが起きた。それだけで十分だ。
これで、魔法が使える。
芥子の女児の魔法に蝕まれていたエミリーは、彼女が消えると同時に回復した。
つまり――彼岸花を消せば、私も助かる。
「笑い事ではない。彼女を消さなければ、私は死ぬ」
「ダメだよ、ニコ兄さんが死んじゃったら悲しいよ」
偽善家め……だが、それでいい。
「感謝する。……頼む、急いでくれ」
「うん、やってみるね」
ハナは、両手を合わせて目を閉じた。
――ただ祈っているようにしか見えない。これが魔法?
「……」
「どうした、ハナ。なぜ止めた?」
「ごめん、ニコ兄さん……。僕、彼岸花さんの顔も見てないし、名前も知らないから……できないかも」
……使えん。
「赤い髪、赤いドレスの女だ。私は“リリー”と名付けた。早くっ」
「リリーちゃんかぁ。……ンバナちゃんでも良かったのに。ニコ兄さんって、センスないよねぇ」
ンバナ? ……ヒガ“ンバナ”? 誰の教育だ。名前に“ん”から始まるなんて、最悪だ。
「早くしろ」
「わかったよ」
ハナは再び手を組み、目を閉じて祈り始めた。
『リリーちゃん、リリーちゃん、お願いだから消えてください』と、何度も何度も。
「どう? 消えた?」
だが――異変は止まらない。むしろ悪化している。
「ダメだ。ちゃんと魔法を使え」
「……ごめんニコ兄さん。たぶんだけど……お花さんの“近く”じゃないと、無理かもしれない」
「なんだと……?」
確かに、可能性はある。
魔法の行使において、“視認”と“念”は重要な要素。
「奴は歩いて研究所を出て行った。走ればすぐに追いつける。急げ」
「わかった。赤い女の人、絶対見つけてくる。待ってて!」
「ああ、頼んだぞ、ハナ」
「任せてっ!」
ハナは全速力で走っていった。
……無能だと思っていたが、案外、芯は強いのかもしれない。
頼りになる顔をしていた。
……死に際だからか、感情が不安定だ。
だがハナ一人では不安だな。
念のため、近くにいるワンとエリナにも連絡を……。
あの2人なら、あるいは……。
リリー……美しい女だったな……。
父の研究と軍務に縛られて、色恋など無縁だった私が、こんなにも心を乱されるとは……。
また会えるだろうか。
万全の状態で呼び出せれば、もっと上手く話せる気がする。
静かだな。
ハナが出て行って、どれくらい経った……?
もしかして……皆、リリーに殺されたのか?
私は……助からないのか?
死ぬのか……?
冗談じゃない。私は“死”を愉しむ側だ。貪る側だ。
私は、死なん……!
――怖い。
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
死にたくない。
死ぬのは、怖い。
助けてくれ。誰でもいい。……誰か――!
「よかった、まだ死んでいなかったようですね」
……声? エミリー?
目覚めたのか? いや……雰囲気が違う。
それに――まるで、私が死にかけていることを知っているような口ぶり。
「エ、ミリー……?」
声が上手く出ない。毒が回っている……。
「私はエミリーじゃありませんよ」
なにを言っているんだ……。
「私の名前はリリー。あなたがつけてくれた、素敵な名前」
リリー……? 彼岸花の……?
「な、なにが……」
「“私”の花言葉にあるでしょ? 【転生】。本体が消えたから、今度は別の形で現れてみたの」
転生……。まさか、エミリーの体を……。
なぜそんなことを――
「知りたがっていたでしょ? “死”の意味。だから、最後に教えてあげようと思って」
死の、意味……。
「た、助けてくれ……」
「ええ。私なら、その願いを叶えられる」
そう言って微笑んだ彼女の顔が、最後に見たものだった――。




