彼岸花(ニコ視点)
実験事例:彼岸花
私が恋い焦がれる『死』を連想させる花、彼岸花。
その花言葉、特性、そのすべてが、私にとって特異な意味を持っていた。
今回も、トリカブトと同様に花は一輪のみ。
危険性が高ければ、ハナに願って戻してもらえば良い。
……だが、念には念を入れた。
前回のトリカブトの一件で、私は確かな危機感を覚えた。
あの女騎士が振るった剣によって研究所の壁が真っ二つに裂かれたとき、私はようやく理解したのだ。
この魔法は、常識の範疇では測れない。予測不能の領域にあると。
それゆえ、以後の実験において、周囲の警備を強化するよう命じた。
武装した魔法兵を配置し、施設内部には魔法結界を張り巡らせている。
ここは軍事研究施設だ。あらゆる異常事態に即応できるよう、万全の備えが整っている。
実験とはいえ、これは完全に制御下にある行動だ。
「あっ、僕、そういえばもう三回魔法使ってたんだった」
ハナは思い出したようにそう呟き、その場にふらりと倒れ込んだ。
魔力の枯渇か……今まで魔法が使えなかった反動? いや、体が未成熟ゆえ……こんな特異な魔法を際限なく使われても手に追えぬか……。
入れ替わるように、花が人の形を成していく。
真っ赤な髪は彼岸花のように逆立ち、真紅の唇に真紅の瞳。
燃え上がるようなノースリーブのドレスを纏った、30代前半ほどの若い女性。
「あなたは、誰ですか?」
女は少し首を傾け、瞳に謎めいた光を宿しながら、柔らかな声でそう囁いた。
「初めまして。私はニコと申します」
私は礼儀正しく答えながら、冷静に周囲の状況を確認する。
警備兵たちに目配せし、臨戦態勢を取らせた。
「あなたを呼び出した少年の名はハナ。私は彼の兄にあたります。突然の呼び出し、失礼をお許しください」
「……私は、誰なのでしょう?」
問いかけは純粋で、迷いのない響きを持っていた。
ハナは呼び出した花に名を与える習慣がある。彼女にも必要だろう。
「リリー……そう呼ばせていただけますか?」
彼岸花には“リリースター”や“レッドスパイダーリリー”などの異名もある。
そして、私の直感がそう名付けるべきだと告げていた。
「まぁ、なんて素敵な名前なのかしら、ニコ」
リリーと名付けられた彼女は、心から喜んでいるように微笑んだ。
その笑みに、私の緊張がわずかに解けた――その瞬間だった。
周囲に控えていた警備兵たちが、次々と地面に崩れ落ち始めたのだ。
何が起きたのか。死? 気絶か? いや、違う。
配下の一人に目配せし、倒れた兵の脈を確かめさせたが、彼は首を横に振った。
全員が、瀕死の状態だと……。
信じ難い光景。ここに配置されているのは精鋭中の精鋭、魔法耐性も常人とは段違いのはずだ。
これが……彼岸花の魔法効果か。
彼岸花には強いアルカロイド系毒素が含まれている。おそらくそれを魔力によって拡散させ、吸い込んだ者の中枢神経を即座に麻痺させたのだろう。
だが、それでは説明がつかない。私には効かない。なぜだ……?
マスクだけが理由だと断言するには弱い。
「ねえ、ニコ」
彼女は柔らかく呼びかける。
「あなた、私のことを怖いと思わないの?」
「怖いどころか、あなたの力に敬意を抱いています。死とは、私にとって究極の探求対象なのです」
「ふふ、変わってるのね……でも、少し嬉しい」
彼女は一歩、また一歩と近づいてくる。
そのたびに、私の心臓は静かに高鳴る。
「ニコ、あなたの顔が見たいわ。仮面を外してくれない?」
私は一瞬迷った。
仮面を外せば、私にも毒が及ぶかもしれない――そう、理性は警告を発していた。
しかし、警備兵たちはほぼ全壊。魔法結界も反応を見せなかった。
この状況でマスクを付け続けていても、もはや安全は保障されていない。
だったら、彼女の信頼を得るほうが得策だ。
私はゆっくりと、ペストマスクを外した。
「綺麗な顔……優しそうな目。やっぱり、そういう人なのね」
リリーはうっとりとした様子で私の頬に手を添えた。
「ねえ、ニコ……聞かせて欲しいのだけど」
「なんでしょう?」
「“死”に意味はあると思う?」
私は少し考え、そして答えた。
「意味はない……と思っています。死はすべての命に平等に訪れるもの。だからこそ、それは美しく、尊い。私が惹かれるのは、その普遍性ゆえです」
「……そう。私も、そう思うの。死には意味なんてない。ただ、終わりがあるだけ。でも……」
リリーは言葉を継いだ。
「死が誰かから与えられるとき、そこに想いがこもっていたなら……それは、意味になるのかもしれない」
「想い、ですか?」
「ええ。愛とか、慈しみとか。そういうものを含んだ死……それは特別。だから私は、あなたに特別な“死”を与えるためにここにいるの」
「私に……死を?」
「あなたが死を愛しているように、私も“あなたの死”を美しくしたい。完璧な“死”として、永遠に刻まれるような、そんな終わりを」
リリーは静かに微笑み、手を胸に当てた。
「あなたは私に“名前”をくれた。そして、対等に語ってくれた。だから私は報いたいの。あなたの求める究極の美を、あなた自身に与えることで」
私は息を呑んだ。
恐怖ではなかった。
「……そうか。それが、君の“想い”なのか」
「ええ。そしてあなたは、それに値する」
「いや、だが……」
私は一歩、彼女から距離を取った。
「死に惹かれていることは確かだ。死の意味も知りたい。だからまだ死ねない」
リリーの瞳がわずかに揺れる。
「ニコ……それは、あなたの本心?」
「そうだ。私はまだこの世界で探求すべきことがある。死は美しいが、いま終わるには惜しい」
リリーはそっと目を伏せ、静かに頷いた。
「……わかりました。あなたの“意志”を尊重しましょう」
「ありがとう、リリー」
だがその次の瞬間、彼女は微笑みをたたえたまま、こう告げた。
「でも、どうやら私の魔法は“敵意”に反応するみたい。あなたが、死に抗うというのなら……それは“私に抗う”ことになる。それはきっと敵意とみなされる……」
「……!」
「あなたのような人が、“私の死”を拒むこと。それこそが、最高の“想い”になるのよ」
リリーは一歩踏み出し、私の胸にそっと手を添えた。
「あなたの死は、抗いの中でこそ輝く。だからあなたは、私を受け入れる」
次の瞬間、激しい心臓の痛みが私を襲った。
私は崩れ落ち、ぼやけゆく視界の中で、リリーは赤い残像を残しながら立ち去っていった。
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花図鑑No.006
彼岸花
学名【Lycoris radiata】
分類【ヒガンバナ科、ヒガンバナ属】
花言葉【あきらめ】【独立】【再会】【転生】【悲しい思い出】【思うはあなた一人】【また会う日を楽しみに】【情熱】




