死の斑点
「エミリーちゃん、どうしたの? 怖いの?」
「大丈夫です。今はニコ兄様の指示に従うのが先決です」
姿勢を正し、前を向こうとするエミリー。
「エミリーちゃん……可哀想に、無理してる」
ケーシィはエミリーの顔を心配そうに見つめながら、そっと言った。
「無理なんかしていません。邪魔をしないでください」 ケーシィから離れたことで、エミリーはわずかに理性を取り戻したようだった。
「我慢しちゃダメなんだよ? 自分に正直にならないと、幸せになれないんだから」
ケーシィは微笑みながら、再びエミリーの腕に抱きつく。
「あっ……」
エミリーの身体を再び快楽の波が襲い、押し殺した声が漏れる。
「ほら、気持ちいいでしょ? 我慢しなくていいんだよ」
「わ、わたしは……我慢なんて……あっ……」
芥子の花に由来する快楽成分が体内を巡り、彼女の意識を侵していく。
「いい加減にしなさい。その品のない声はなんですか」
ニコが低い声で叱責した。
「申し訳ありません……」
エミリーは震える声で頭を下げた。
「エミリーちゃん……」
ケーシィはさらに身体を密着させ、エミリーの耳元で囁いた。
「はぅ……」
「エミリー?」
「申し訳……ありません……」
「エミリーちゃんっ」
「あっ……だめっ……」
「エミリーッ」
「はわわ~……」
恐怖と快楽が入り混じるなかで、エミリーの中の何かが音を立てて崩れた。
芥子から得られる成分、アヘン──それは陶酔、覚醒、自白といった強い作用を持ち、ケーシィはそれを魔法として分泌させていた。
「もういやぁーーー!
ハナなんて、だいっきらい!
いつもお母さまを心配させてばっかり!
魔法も使えなかったくせに、私よりもお父様の期待を受けて!
ひとりぼっちだったくせに、こんな可愛いお友達ができて……!
わたしは、ハナに負けたくない! みんなに期待されたいの! 認められたいのっ!」
魔法の影響を受け続けたエミリーは、ついに感情を爆発させた。
その肌には、黒紫の斑点がじわじわと浮かび上がり始めていた。
「エミリー?」
「エミリー……?」
「うるさいっ、黙ってて!」
ハナとニコ、二人の兄の声を鋭く遮るエミリー。
「ニコ兄様だってそう! その変な仮面、やめたら? イケメンなのに、もったいないじゃない!
外面ばかりよくして、私と二人きりのときは、あんなに優しいくせにぃっ!」
「そしてケーシィ……わたし、ケーシィが好き……めちゃくちゃにしてほしい……わたしを……自由にしてぇ……」
呂律は乱れ、斑点もますます濃くなっていく。
「いいの? 気持ちよすぎて、死んじゃうかもしれないよ?」
ケーシィは笑いながら問いかけた。
「いいもん……もう何もいらない……ケーシィだけいればいいの……はぁ……はぁ……」
エミリーは髪をかき乱し、恍惚の表情で息を荒げる。
「魔薬の末期症状と似ているな。……だが、エミリーに服用させた記憶はない」
ニコは顎に手を当て、興味深そうにハナに問う。
「ハナ、何か心当たりは?」
「まさか……ケーシィちゃんの魔法のせい?」
ハナはケーシィの言葉──『気持ちよくなっちゃう魔法』──を思い出す。
「ケーシィの魔法効果だと? ……それはお前の魔法なのか?」
ニコは一瞬考え込む。
「父上からは“巨躯の女剣士”を具現化したと聞いていたが、花を媒介にするとも……なるほど、これは興味深い。
だが、今のハナには魔法を制御する力はないはず……ハナよ、残念だが、このままではエミリーは廃人を超えて……死ぬぞ」
ニコは冷淡な口調でそう断言した。
「そ、そんな……ケーシィちゃん、止めて!」
ハナは慌ててケーシィの腕を掴み、エミリーから引き離そうとする。
「どうして? エミリーちゃんはこんなに幸せそうなのに」
ケーシィは軽やかにハナの手を振りほどくと、エミリーに身体を寄せた。
「それに……エミリーはお兄ちゃんのこと、嫌いなんだってさ」
無邪気な笑顔で言い放つ。
「好きとか嫌いとか、そんなの関係ない……!」
「僕の大事な妹なんだ……友達だからって、こんなことしていいわけないだろっ!」
怒りと焦りが混じった声がハナからこぼれる。
「そんなに怒らなくてもいいじゃん。なんか、私が悪者みたい」
「悪者だよ。今のケーシィは、酷いことをしてる」
「ひどいよ、お兄ちゃん……ケーシィはエミリーちゃんのためにやってるのに……」
「エミリーはこんなこと、望んでない!」
「本当にそうかな? こんなに幸せそうなのに……」
ケーシィは本気でそう思っていた。
彼女にとって、誰かが自分の魔法で幸福を感じることは、愛と救済に近かった。
たとえその果てが──死であっても。
「エミリーッ、お願い、しっかりして……! ケーシィから離れて! このままだと、本当に死んじゃう!」
ハナはエミリーの腕を必死に引こうとするが、彼女にはもう力が残っていなかった。
「ハナ……兄さん……はぁ……はぁ……わたし……は……」 息も絶え絶えに、エミリーは呟いた。
「エミリーちゃんは渡さないよ。私が……自由にしてあげるんだから」
ケーシィは微笑みながら、エミリーの唇に自分の唇を重ねた。
その瞬間──エミリーは白目を剥き、ケーシィの腕にぐったりと身を預ける。
そして彼女の身体にも、ラボの軍人たちと同じ黒紫の斑点が、じわじわと浮かび上がっていった。




