甘い毒
末っ子として生まれたエミリーは体が弱く、魔力も乏しかった。
ハナと違ったのは、風の魔法がわずかに使えるということだけ。
「もう、子は要らぬ」
子供が増えるごとに生まれ持った魔力が弱まっていくことに気付いたファザは、フローラにそう告げた。
魔法の使えないハナのこと、母を単なる「子を産む道具」としてしか見ていなかったこと、毎夜泣き崩れる母の姿を、エミリーは誰よりも近くで見ていた。
それでも、エミリーは父を恨むことはなかった。
魔法、魔力、力こそがすべて──弱者は虐げられて当然。
それがファザの教えであり、エミリーが生まれ育った世界の掟だった。
「自分はハナや母のようにはならない。強くならなければ……」
そう、幼い心に言い聞かせた。
そして、ハナとの関わりを断ち、母の優しさを遠ざけ、娯楽を捨て、友達を作ることも諦めた。
ただ父の機嫌を取るために、その小柄な体と風魔法を活かして、諜報員として狡猾に生きる道を選んだ。
無力なハナがいるから、自分はこの怪物じみたエリート揃いの兄妹の中でも安全に生きられる。
だから、ただハナより優秀であればいい。
それだけで、十分なはずだった。
──なのに。
「なんで……こんな魔法、聞いたことないっ」
ニチ子の放った魔法の効果。
そして現れたケーシィの姿。それが意味する“他の花”への波及。
エミリーの中に、焦燥と混乱が湧き上がっていた。
「エミリーちゃん、そんな怖い顔しないで。ケーシィちゃんと遊ぼうよ」
ケーシィが愉しげに耳元で囁いた。
「許せない……私は、ハナより優秀なの。劣ってはいけないの。こんな、こんなバカげた魔法、あってはならないの……!」
「エミリー、どうしたの? 顔が真っ赤だよ。気分でも悪いの?」
ハナはエミリーの額に手を当て、心配そうに言った。
「触らないでっ」
その手を振り払うと、エミリーはふらつきながらも歩き出す。
「ちゃんと歩けてないじゃないか。まるで酔っぱらいみたいだよ? 少し休んだほうが──」
「大丈夫です。私は強い。あなたの手を借りずとも、一人で……とにかく、ついてきてください」
心配するハナを背に、エミリーは父から課された任務の遂行に集中しようとしていた。
「偉いね、エミリーちゃん。でも真面目ばっかりじゃつまらないよ。私と、ちょっと遊ぼうよ」
ケーシィが手を取り、体を寄せてくる。
「邪魔しないでください。遊んでいる暇なんて──」
「そんなこと言わないで。……ほら、エミリーちゃんの体、こんなに熱くなってきてるよ? 気持ちイイことしよ」
「……気持ち良い?」
その声に、体が反応する。ケーシィが肌に触れるたび、得も言われぬ感覚が沸き起こる。
体が疼き、脳が蕩ける。まるで現実から切り離されたような、浮遊感。
こんな感覚、今までに感じたことがなかった。
「これは、まさか……」
朦朧とする意識の中で、エミリーは脳裏に浮かぶ成分の名を呟く。
「アヘンの……中毒症状……」
諜報員として、魔薬の基礎知識は身に付けている。
快楽を誘発する成分。その裏にあるのは、激痛、悪寒、嘔吐、そして死に至る危険性。
「そんな……私は魔薬なんて使っていないのに……」
正気を保とうと、頭を振る。前へ進もうとする。
「中毒なんかじゃないよ、これは恋の予感。愛だよ。怠惰で気持ちいい、ふたりの愛……育んでいこうよ」
ケーシィはそう言いながら、エミリーの服の中に手を忍ばせ、腹部の柔らかな肌を撫でた。
「あっ……!」
その瞬間、電撃のような快感が体を駆け抜け、エミリーの口から今まで出したことのない声が漏れた。
「やっぱりおかしいよ、少し休もう」
ただならぬ様子に、ハナは足を止めた。
「だ、大丈夫です。……ラボに急ぎましょう」
「ダメだってば、エミリー。言うことを聞いて」
「私に命令しないでください!」
「心配なんだよ、お願いだから休もうよ」
「今さら兄のように振る舞わないでください……!」
「……エミリー……」
ハナはエミリーの肩に添えた手を、そっと離した。
国の法律や戸籍のことなんて、ハナには分からない。
でも、“家族”から切り離されたことだけは理解していた。
それはつまり──エミリーとも兄妹ではなくなったということ。
それに、自分の魔法でヨナを傷つけてしまったという後ろめたさもあって、ハナはそれ以上口を開くことができなかった。
「こらこら、喧嘩しちゃダメだよ。お兄ちゃんも、エミリーちゃんも仲良くしなきゃ」
ケーシィはそう言って、今度はハナの体にそっと触れた。
「……ありがとう、ケーシィちゃん。でも、僕は大丈夫だよ」
ハナは少し俯きながら、エミリーの後を追った。
「あれ……? お兄ちゃんには効かないのかな?」
ケーシィは不思議そうに首を傾げる。
「どうしたの?」
「お兄ちゃんは、私に触られて気持ち良くならないの?」
「どうして?」
「どうしてって……理由は分からないけど、私、みんなに気持ち良くなってもらいたいの。……ほら、あのエミリーちゃん、すごく幸せそうな顔してるよ?」
「ちょっと待って、エミリーの様子がおかしいのって、ケーシィちゃんの魔法のせい? 芥子の花の効果なの?」
シーラやニチ子の魔法を思い返す。
「うん、たぶんそうだと思う」
「芥子の花って……人を幸せにする魔法なの?」
「うん、気持ち良くして、幸せにする魔法なんだよ」
「そっか、すごいね」
ハナの花に関する知識は、花図鑑にある程度のものだった。
芥子に“アヘン”が含まれるなんて知らない。ただ、“毒がある”“慰め”“怠惰”“無気力”といった、負の花言葉を持つことは知っていた。
「芥子の花って……すごいんだね。エミリー、最近ずっと辛そうだったから……。もし、幸せになれるなら、僕も手伝うよ」
ハナはそう言って微笑むと、「僕には花の魔法効果が効かないみたい」と付け加え、シクラメンの腹痛や千日紅の防御についてケーシィに説明した。
「ふ〜ん、そうなんだ。でも……残念。お兄ちゃんは気持ち良くなれないんだ」
ケーシィは残念そうにハナから離れた。
「僕はいいんだ。エミリーが幸せなら、それでいい。だからケーシィちゃん、エミリーと友達になってあげて」
「うん、任せて」
そう言うと、ケーシィはふたたびエミリーに寄り添い、その体に触れながら歩き出した。
──ああ……。
なんて心地良いのだろう。
なんて温かいのだろう。
このまま全てを委ねたい。
もっとこの少女に触れてほしい。
もっとこの少女のことが知りたい。
何もかも忘れて、この快楽に身を沈めていたい──
ケーシィに再び触れられ、エミリーは恍惚の笑みを浮かべた。




